彼と彼女のstay home

仲咲香里

1 ステイホームしよう【浩太】

 桜が咲き誇るよりも早く足を止めた、地元でも人気の花見スポット。今年は彼女と、初めて歩けると思ってた。

 現在時刻、午後八時十分。

 ほんのひと月前に比べ、人通りもまばらになったその公園は、僕、森崎もりさき浩太こうたの通勤経路の途上にあった。


 まだ冷たい、三月下旬の夜風の中で、見上げた一輪の桜花も、耳に触れるスマホも、緊張で震えてる気がする。

 程なくして、いつもの明るい「もしもし、こーくん?」と応じる声が、僕を手放しで迎えてくれた。


「もしもし、莉緒りお? ……うん、僕も今帰り」


 たまたま居合わせた、深夜の飲み屋前。お互いに、泥酔した後輩を介抱してたのが二人の出会いだった。

 僕らが付き合い始めて……、そっか、もう五ヶ月になるんだ。


 人懐っこくて、明るい莉緒とは対照的に、人見知りな僕。二十五歳には見えない、童顔で可愛らしい莉緒と、二十八歳の実年齢より落ち着いて見られる僕。

 それでも、取り留めのない話を楽しめる位の時間は共有してきた。


「しばらく、会うのは控えよう」


 吹きゆく風に、春が見えない。

 話の切れ間。

 僕の決意は、青天の霹靂へきれきだったかな? それとも、想定してたこと?


 きっと莉緒からは切り出せないから。


「あは。だよね? 私と会うの、怖い、よね? あれ、じゃなくて、普通にフラれてるのかな? わた……し」


「莉緒、違う!」


 未だ治療薬の無い新型のウィルス。その感染防止策として掲げられた外出自粛等の要請を受けて、僕も来月から在宅勤務を命じられた。

 もう、そんな段階に来てる。

 僕だって、感染してない保証なんて無い。


 まして、医療事務として働く莉緒は、言い出せないいくつもの不安を一人抱えてるって、僕には分かってしまうから。


 言葉足らずだけれど、莉緒の不安を一つずつ打ち消していく。

 いつか、お互いがくもりのない笑顔で、逢える日のために。


 最後の瞬間だけは、無意識にマスクを外してた。


「莉緒が安心できるような、気の利いた言葉一つ、言えへんけど」


 それでもこれだけは、絶対に伝えたい。


「おれ、ほんまに莉緒のこと好きやから!」


 気付かない内に、僕は出身地の関西弁でそう言ってたらしい。

 上京してから今まで、普段はなるべく標準語で話すよう意識してたのに。感情的になったり、気が抜けると、どうも関西弁に戻ってしまう。


 後で莉緒に聞いて、恥ずかしさで目眩がした。


 その後、必死に泣くのを堪えて「うん」って、小さく受け入れてくれた莉緒だけど……。


 ***


 あれから約一週間。仕事から帰った莉緒と、パソコンのディスプレイ越しに会うのも、これで三回目。


「へへっ」


 莉緒が突然、ふにゃりとした笑顔で口元に両手をやった。

 可愛……、ん、んんっ。何だ急に。


「何? どうした? 水で酔った?」


「あー、こーくんね。今まで、ドライブも映画もカフェ行っても、いっつも隣の席で、正面見てること多かったでしょ?」


「え? そう、だっけ?」


「そうなの! 私が話しかけても、目が合うのなんて三十分に一回位のペースだったんだから」


「いや、いくら何でも、それは無い」


「私の体感的にはそうだったの! だから、ね? ずっと、こーくんの顔見て話せるの、嬉しいなって」


「おれも」


「え?」


「……いや、そ、そうなんか。気ぃ付けるわ」


 莉緒が、僕といる時、こんな幸せそうな顔して話してるって、初めて気が付いた。

 ……なんて、さすがに言えないな。


 いつか、二人を隔てる物が無くなった時、同じくらい、見つめられるようになるかな。

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