Summer Phantom

 翌日の朝、少女は最後に海にやって来た。

 朝の海は初めて会った日と同じ紺碧の色をしていて、力強く波がうねっていた。


【昨日はありがとう】


「ああ」


【それから、夏休みの間とても楽しかった】


「ああ」


 夏輝は寂しげな表情をして立ちつくし、気の抜けた返事を繰り返していた。

 これから言われる事を夏輝は覚悟していた。

 だけれども、最後に足掻いてみたくなった。

 夏輝は砂浜に落ちた棒切れを手に取ると砂に字を書いた。

 少女の読唇術は段々と上手くなってきていたが、これだけは間違って解釈されたくなかった。


【また来年も会えるか?】


 その問いに少女はうつむいた。

 少女が考えている間の時間、それはとてつもなく長く、永遠にも感じられた。


【分からない】


 悠久の時とも思える程長い時間を使って出した少女の答えはそれだった。


【何で?】


 夏輝はもう一歩少女の言葉に踏み込んだ。

 だが、少女は震える手で砂に字を書こうとして両目から涙が流れた。


「えっ?」


 そして少女は手早く砂浜に文字を残すと後ろを振り返る事なく走り去って行った。


「あっ、お、おい!」


 いくら声を掛けようと、少女には届かない。

 夏輝は砂浜に残された文字を見た。

 そこには【さよなら】とだけ書かれていた。

 夏輝は砂浜に生気が抜けた様に腰を下ろした。

 少女が最後に残した言葉とあの涙の真意が夏輝には分からなかった。

 それは強い拒絶にも思えたし、やはりもう会えないという意味なのかもしれなかった。


「くそっ」


 夏輝は砂に拳を振り下ろした。

 少女の残した文字はやがて波で跡形もなく消えていった。

 まるで少女と過ごしたこの夏の思い出さえ、泡沫うたかたの夢みたいに思えた。






「ふうん、それで夏輝は落ち込んでいるという訳ですね?」


 翠は夏輝の話を最後まで聞くと悪戯心から夏輝の事をいじりたくなった。


「まあ、無理もありませんね。ですもんねえ」


「ななな、失恋とかじゃねえし!」


 夏輝は翠の言葉に敏感に反応すると全力で否定した。


「ええ? でもあなた、好きとか言ってませんでした?」


「あれは! 友達としてのだ!」


「へー」


 翠は疑いの眼差しで夏輝を見た。

 翠の顔には『全く信じられない』と書いてあり、夏輝は翠から目を逸らした。


「それで? その子の事、まだ諦めていないのでしょう?」


「べ、別に、それに、あいつとはもう会えるかどうかも分からねぇし・・・・・・」


「・・・・・・はあ?」


 翠はその少女の正体には察しがついていた。

 それもかなり序盤の話でだ。

 夏輝から聞いた少女の容姿、そして耳が聞こえないという特徴と、何よりも肩から下げたスケッチブック! こんな特徴的な人物が世界に二人と居る訳がない。

 夏輝が出会ったという少女、可愛い後輩である月島 ほのかに他ならない。


「だけど最近、俺おかしいみたいなんだ。まだあいつの事、頭の中で考え過ぎてるのか、たまに学校で幻影が見えるんだ」


「幻影?」


「ああ、窓の外見てると体育の授業であいつとそっくりな奴がグラウンド走ってたり、遠くの廊下であいつが歩いてる様な気がしたり・・・・・・。一度や二度じゃないんだ!」


 翠は笑いをこらえるので必死だった。

 元々ポーカーフェイスは得意な方だったが、今回は流石に表情に出さないようにするのが辛いとさえ思えた。


「そ、それで? その少女の名前はなんというのです?」


「え?」


「え?」


 夏輝がこんな簡単な質問を聞き返したので翠は更に聞き返してしまった。


「まさか、知らないとでも言うんじゃないですよね?」


「それが・・・・・・聞きそびれて」


「連絡先とかも?」


「ああ・・・・・・」


「はあ? あれだけ海でイチャコラして、お祭りではキャッキャウフフをしておきながら?」


 翠は笑顔だったが夏輝はその笑顔が怖いと感じた。

 それは夏輝の思い出話に対しての妬みと、心の底からの呆れも含まれていたからだった。


「おい、翠、お前若干キャラ崩れてないか? そんな事言う奴だったか?」


「黙らっしゃい! 好きな子の名前も連絡先も聞いてない大間抜けのくせに!」


「だ、だからそんなんじゃ!」


「はあ、やれやれ、その少女の事、なんて呼んでたんです?」


「えーと、『おい』とか、『お前』とか、あと『スケブ女』とか・・・・・・」


「はあ、本当にあなたという方は・・・・・・。せっかく教えてあげようかと思ったけど・・・・・・。夏輝はその幻影でもずっと追いかけてて下さい」


「な、何だよそれ!」


 翠は夏輝が後ろで何か吠えているのも構わず教室を出た。

 今言わずとも、馬鹿な夏輝でもその幻影が幻影でない事に遅かれ早かれ気が付くだろう。

 それまでは、思い切りからかってやろうと翠は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る