体育
午後は体育の授業だった。
今日は陸上科目で百メートルの速さを測定する日だった。
「で? 秋本先生にあんな事言ったは良いけど、実際俺達に出来る事って何だ?」
冬真は順番待ちをしている間、陽太に話しかけた。
二人は出席番号が近く、順番が後ろの方だった。
「んー、正直な所俺にもよく分からない。お世話係ってのもなんだか変な感じだし、動物の世話係かっつの」
陽太がほのかの方を見ると真新しい体操服に身を包み、長い髪をポニーテールにしていた。
「実際何をしたらいいのかは分からない。けど、隣の席であいつを見てるとたまにだけど、寂しそうな、苦しそうな顔をするんだよな。それが何でなのかは分からないけど、何か困っている事があれば助けてやりたいし、楽しいって思える様な学校生活を送れるようにしてやりたいんだ」
陽太はそう言って冬真に笑ってみせた。
「ふーん、お前がそんなにボランティア精神に溢れた人間だったとは知らなかったな。で、お世話係一号、あれは何とかしなくていいのか?」
冬真が指さす方向には、ずっとクラウチングスタートのポーズのまま地べたに這いつくばったほのかが居た。
ほのかは合図の笛が鳴った事に気が付かず、周りが走り出した事にも気が付かなかったのだった。
先頭の集団ではもうすでにゴールしている者もいた。
「あああああああ、月島さんっ!?」
陽太は慌ててほのかに駆け寄った。
「月島さん、次俺と一緒に走ろっ! クラウチングスタートじゃなくていいから、俺が走り始めたら走って」
陽太はほのかに口の形が分かりやすい様に両肩に手を置き、正面から話した。
ほのかはなんとか陽太の意図が分かり体育の時用の小さめのスケッチブックに【分かった】と書いた。
「ふぅ、良かった。って事で先生もそれで宜しくー」
「あ、ああ、分かった」
体育の先生も事情がなんとなく分かり再度計測する準備を始めた。
「次、順番みたいだから俺も走る」
そう言って冬真は陽太の隣に立った。
「おう、どっちが早いか競走な!」
陽太はニンマリ笑ってみせたが冬真は憂鬱そうな顔をして言った。
「お前とだと競走にならないだろ」
「負けた方アイス奢りな!」
「だから、それ賭けにならないから」
「そこ、そろそろ位置につけー」
先生はそう言って二人を整列させた。
「よーい・・・・・・」
場が静まり返り、一拍置いた次の瞬間、笛が鳴りほのか以外は一斉に走り出した。
ほのかは陽太に言われた通り、一瞬出遅れはしたが陽太の後を追って走り出した。
先頭を走っているのは陽太だった。
冬真は陽太の実力をよく知っていた。
陽太は部活には入っていないものの、中学時代でも毎年陸上の大会に助っ人に借り出され、あっさり賞を取ってしまう程足が早かった。
また、足の速さだけではなく、運動は全般的に得意としていた。
恐らく、足の速さは学校内でなら、陽太の右に出るものは居ない、冬真はそう思っていた。
だが、冬真は目を疑い、自分の考えすら疑わざるを得ない状況になった。
ほのかが最下位から一人二人と抜き、冬真を抜き、あっという間に陽太のすぐ後ろに追いついてきたからだった。
「あの転校生速いな!」
「月島さんすごーい」
周りから歓声があがり、何事だろうと思った陽太が後ろを振り返ると、すぐ後ろにほのかが迫って来ている事に驚いた。
「マジか! こりゃ負けらんねぇなっ」
陽太も負けじとスピードを上げ、二人とも良い勝負だったが、結果的に先にゴールしたのは陽太で、次に僅差でほのかがゴールした。
「ははっ、凄いな月島さん、抜かれるかと思ったよ」
陽太はほのかに向き直り、息を整えながらそう言った。
ほのかの方を見ると陽太と同じ様にかなり息があがっていた。
「月島さん、スポーツか何かやってるの?」
「陸上向いてるんじゃない?」
周りがほのかに声を掛ける様子を見て、陽太はほのかに言った。
「勿体ないな・・・・・・、皆月島さんの事、凄いって言ってるよ。直接伝われば良かったんだけどな」
そう言うとほのかは頭にクエスチョンマークを浮かべた様な顔でスケッチブックを見せた。
【春野君の方が速かったから私は凄くないよ?】
ほのかは周りの視線が自分に向けられているものなのか良く分からなかったが、それが自分に向けられていると意識し出すと急に不安感を覚え、スケッチブックで顔を隠した。
見詰める顔、視線、目を逸らしたくてたまらない。
「うーん、俺と僅差でゴールしてる時点で凄い筈なんだけどな・・・・・・って月島さん?」
陽太はほのかの様子がおかしい事に気が付いた。
ほのかの顔色は青ざめていて、スケッチブックの持つ手は小さく震えていた。
「あーーと、先生っ、月島さん走り過ぎてお腹痛いみたいなんでちょっと保健室行ってきます!」
陽太はほのかの手を引いて歩きだし、人目につかない近くの体育館裏辺りで立ち止まった。
と言うのも、ほのかが陽太の袖の裾を引っ張ったからだった。
「えっと、どうしたの? 保健室まで後少しだよ」
ほのかはふるふると首を横に振った。
【大丈夫、時雨兄に心配かけさせたくないから】
そうスケッチブックを見せる手はまだ震えていた。
「本当に大丈夫?」
【しばらくすれば落ち着くと思う】
陽太はほのかに一体何が起きたのか、何があったのか聞きたかった。
しかし、陽太は口を開きかけて思いとどまった。
そして代わりに、その小さく震える肩を優しく両腕で包み込み、自分の胸にほのかを引き寄せた。
ほのかは急に抱きしめられ、心を支配している恐怖心よりも羞恥心しゅうちしんが勝り、一気に顔が熱くなった。
陽太はほのかの震えが止まったのと同時に我に返り、ほのかから手を離し慌てて後ずさった。
「ご、ご、ごめん! 俺、妹が居てよく怖い事とかあるとああやって、その・・・・・・」
陽太は顔を真っ赤にしてそう言った。
今日会ったばかりの子に何をしているんだろうとか、セクハラと訴えられるんだろうかとか、嫌な気分にさせなかっただろうかとか、これでお世話係のお役目も終わりか等と、そんな考えが陽太の頭を駆け巡っていた。
【ありがとう、ちょっと元気出た】
ほのかは赤くなった顔を隠すようにしてスケッチブックを見せた。
ほのかは動揺から陽太の顔を直視出来ず、口元だけ見るように努めた。
そして、さっきまでの不安感は完全にどこかに行ってしまっていた。
「そ、そっか、じゃあ大丈夫なら皆の所に戻ろうか」
ほのかは頷き、陽太の後ろをついて行った。
グランドに戻ると授業も終わりに近づいていて、皆道具の片付けをしている所だった。
冬真は戻って来た二人を見て声を掛けた。
「もう大丈夫なのか? ・・・・・・二人とも顔が赤いが、お前、セクハラとかしてないだろうな」
「なっ、違っ! せ、セクハラとか、そんなんじゃないし!」
陽太は狼狽して言った。
「お前、ほんと分かり易いな」
陽太と冬真は幼馴染だけあって、陽太はいつも冬真に隠し事が出来ないでいた。
「だから、違うってーー!」
そんな仲の良さそうな二人の様子を見て、ほのかは羨ましそうに微笑んだ。
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