君の傍らに留まる

西丘サキ

君の傍らに留まる

『はい、それではBのローズクオーツを選んだ方のリーディングを始めます……』


 祈るように動画の画面をじっと見つめている彼の姿を、私はただ眺めていた。占い自体には特に思うところはない。ただ、毎日のルーティンになっていることが不安だった。まるでじっと目をつけてさえいれば、一度目に留めたままに気持ちなり状況が留まってくれているかのように。ここにずっと留まっている私が言うのもおかしいけど、そのまま固まっているより好転するように動いたらいいのに、と思う。きっと、展望さえ描くこともできないまま、ただただ好きでいることばかりが膨れ上がっているんだろう。やっぱり、似ている。またひとつ、彼と同じような自分を見つけて、こんな状況でも私は嬉しくなる。


『そうねえ、お相手はまずあなたにすっごく気持ちがあるみたい。あなたに決めた! ていう気持ちね、このカードがそうなんだけど。それに、あなたに感謝、うーん、癒されるーって思いがね、あるみたい。ただね、お相手さん、いますごく忙しいみたい。だからね、いまがんばってるんだよー、あなたと会えなくて寂しいけどがんばってるんだよー、またせてごめんねーって、そんなお気持ちもあなたに抱いてるのね……』


 どのカードにどんな意味があって、どんな解釈が引き出されるかなんて知らない。そして、私が彼が占いで気持ちを確認したいほど想いを募らせている人が、どんな人間なのかも知らない。興味はあるけど、知りたくなかった。「彼が気になる人」という情報は欲しいけれど、それがどこの誰にあたるかなんて、知ったとして心地良いものでも何でもない。私の手の届かなさが、視線をもらえないことがまざまざと露わになって、虚しいだけだ。

 選んだBのリーディングが終わる。概ね好意的な内容だった。それでも私の気も彼の気も晴れない。大体が好意的な内容でも本当の気持ちなんて何をもってしてもわからないし、仮にリーディングが正しかったとしても、好意なんてわずかなことで容易く移ろってしまう。ちょうど、ここにいる私と彼がお互いの真意を推し量ることができないように、わからないし不確かだ。信頼関係。日頃の行動。それさえ出せば話が終わるような言葉はあっても、それをどうやってその場に出すかは、その言葉自体からは導かれない。だから彼も私も、こうしてすがったり、ただ想いを募らせながら眺めているだけだった。


 彼はまだ動画アプリを閉じなかった。同じような別の動画を探して、さらに安心しようとする。いつもこれだ。初めは男のくせに、なんて思っていたけど、男性だってどうにか心がつながっていると信じたいと思うことはありえるだろうな、と思うようになった。こういうのも好意で目が眩んでいるっていうことなんだろうな。でも、それが自分の方に向いているわけではないから、納得はいかない。

 彼が3択の画面を一時停止した。いつもの時間だ。彼は集中して選択肢を選ぶ。目を閉じ、一心に時間をかけて選択し、そして動画を再生する。それだけ本気なら、当の本人に向けて頑張ればいいのに、と思う。それでも、いやだからこそ、私の関わる余地があるとも言えた。

 彼が集中していると、彼の頭からふよふよと糸を引いて出てくるものがあった。たぶん、その人を思い浮かべた彼の念というやつだ。あれが本当に彼の想いなのかわからない。あれがどこに行くのかもわからない。だけど私は、あれが彼の想いなのだと信じている。


――いかないで。


 私は駆け寄ってその糸を引っつかむ。勢いあまって私の足が彼に触れた。私は何も感じない。彼もそうだろう。声も上げないし、こちらを見ることもない。私はたいていの人には触れられない。そして彼も含めて、誰も私に触れられない。私は糸を手繰り寄せた。ふわふわした丸い先端を自分に近づける。彼の想いを自分につなぐ。

 私は彼を思い浮かべた。私の好きな彼の表情や横顔。声のトーン。ちょっとした仕草。手持ちぶさたな時のふとした癖……とにかく私が好きな彼のすべてを思い浮かべた。

 長い時間が経った気がする。いつまでだってこうしていられる時間。2人の気持ちがつながっていると思えるような時間。それは私の思い込みじゃないはずだ。

 だって。

 彼が心を決めた。今度はアメジストを選ぶ。もう忘れかけた私の生まれ月の誕生石。

 リーディングが始まる。


『……これはお相手けっこう好きですね。いつもアメジストさんのこと考えてるみたい。あと、あなたは気づいてないかもしれないけど、お相手あなたをけっこう見てるって。物理的じゃなくても、SNSのタイムラインとか、見てないようで見てますね(笑)気づいたら目で追っちゃう、みたいな。けっこう身近な人かな……』


 説明を聞きながら、彼がつぶやいた。

「これ、なんか自分のこと言われてるみたいだな……」

 そうだよ。だってそれはあなたと同じ私の気持ち。あなたと同じように思いを募らせて、そしてどうやっても近づくことができない、私の気持ちだから。

 その背中に言葉をかけることができないまま、私は彼に語りかける。



 いつものように夜が更けていく。

 私は彼の眠る姿を見ていた。自然と、膝を抱えてしまう。どうしてこんなことになったのだろう。私は幸福な人生ではなかったけれど、ここに居つくような強い気持ちがあったわけでもない。ただの偶然だ。どうせならちゃんと彼が私のことをわかる状態で出会いたかった。彼みたいなことしかできないかもしれないけど、こうやって眺めていることしかできないよりマシだ。

 そしてまた同じところに戻る。どうしてこんなことになったのだろう。天国も極楽も地獄もどんなものでどこにあるのかいまだにわからないけど、もしかしたらこれが地獄なのかもしれない、と思うこともあった。私以外の誰もが誰かと関わりあって、楽しそうに充たされた暮らしを送っている。わたしはただひとりで、その様子をじっと眺めているだけ。なにもできず、ただただずっと。


 彼の想いが漂うことがあって、それを私がつかむことができると気づいたのはそれこそ偶然だった。そんなことができると思わなかったし、それが彼の想いだとも思わなかった。ただ、気になって触れたらそうだった。だからもしかしたら、と私は思う。彼には霊感っていうものがあって、私のことを気づいてくれるかもしれない。私をひとりじゃなくしてくれるかもしれない。とても身勝手だけれど、それから彼は私の希望になった。私のことに気づいてほしいと思えば思うほど、彼のことが気になっていく。見失いそうになったことがなければ、私は彼にずっとついて回っていたかもしれない。

 どうやったら私に気づいてもらえるだろう。私のことを知ってもらえるだろう。気づけば私もそんなことばかり考えるようになっていた。気づいてもらえるようなことは思いつく限りやった。驚くこと、ふしぎなこと、冷たくなること、生温かくなること……でも、気づかれない。


 じっと彼の顔を見つめる。どんな夢を見ているのだろう。ずっと彼の暮らしを見てきているけれど、私は彼のことを何もわからない。そして彼はずっと私のことをわからないまま。せめて、もっと近くにいてもいいだろうか。もっと近くから見つめてもいいだろうか。同じようなところから見ていてもいいだろうか。いや、同じようなところから見ていたい。立ち上がる。彼に近づく、彼を見下ろした。立って見下ろすと横たわった人は思うより小さい。しゃがみ込む。規則正しい寝息。呼吸のリズムさえかわいい。何かを探しているような真顔。目を閉じているのに見上げているような。あの子を待っているんだろうな。私も、待ってるんだけどな。


 横たわる。近くにある彼の顔を見つめる。話していたらどんな顔するんだろう。どんな話し方なら笑ってくれるんだろう。興味のあることはわかるけど、接し方はいまひとつわからない。彼と同じだった。展望さえ抱けないまま、ただただ好きでいることばかりが募っていく。

 彼の寝顔がもぞもぞした。うじうじとくしゃくしゃとする表情の動きが小動物みたいでかわいい。たぶんずっと見ていられる。そう思っていると、彼が目を開く。ぼんやりとした視線が、ゆんわりとそのままのところから見まわして、整った。

 目が合った。

 彼の不思議そうな表情。絶対に目が合った。私のことを見た。

 彼がゆっくりと目を閉じた。そうして、寝返りを打つ。いや、寝返りを打つふりをして背を向けた。


――いかないで。


 私は横たわった姿勢のまま彼を背中から抱きしめた。私の手は彼の身体をすり抜ける。何度も抱きしめた。何度もすり抜けた。


――気づいたなら 置いていかないで。


 感情がこぼれてふと我に返る。ああそうか。私は彼のことをずっと前から知っているけど、彼は私のことを知らないんだ。そうだよね。突然こんなのが目の前で一緒に寝ていて自分を見つめていたら怖いよね。気持ち悪いよね。ごめんね。

 卑屈な気持ちばかり出てくる。でも、離れたくないし気づいていてほしいし、背を向けないでほしい。私みたいなのがいるってことを受け止めてほしい。うそだ。本当は好意を持ってほしい。自分と私が同じような存在だって思ってくれて、共感してくれて、好きになってほしい。


 私は泣いた。彼は振り返らない。そのまま彼は眠るんだ。今のはおかしな夢。人に話すほどでもないちょっとしたふしぎな体験や悪夢として、いつ忘れても問題ないある日の出来事として処理して。

 彼の身体をすり抜けた、彼に触れることのできない両手を自分の胸の前で組む。身体が丸まる。声が漏れる。自分の顔をつたう涙を感じる。彼は気づかない。何も聞こえない。


 悪夢だ。悪夢を見ている。悪夢であってほしい。


 夜が沈んでいく。朝が昇りだす。悪夢は醒めない。でも私は離れられない。じっと目を向けてさえいれば、彼がここに留まり続けるかのように。いつか振り返り、私のことを受け止め好意を持つ彼の姿を待ち望む。

 私は留まる。気づかれることのないまま、彼の傍らに。先の見えないまま、手の届かないまま、誰かを想い続ける彼を眺めている。

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