藤の花嫁

藤原 忍

第1話 藤咲神社の守り人


 地方都市の小さな町にある「藤咲神社」には不思議な言い伝えがある。


 文字通り、藤が咲く神社として藤棚を持つこの神社には、不死のご利益がある、と言われている。不死とは大げさだが、つまり、病気平癒や長生きに御利益がある、転じて長患いしないでポックリ逝ける、と言われる。

 どこにでもあるキャッチフレーズだったが、この神社で唯一特筆すべきは、神社由来の文献を紐解くと「魔のもの」を打破する力があるのでご利益がある、と言われていることだ。


 現実問題、この神社の世話役や総代を歴任してきた「藤間」の家のものだけが「魔のもの」を退治する力があると密かに言い伝えられ、その退治する力は、時々「神隠し」と称して一族の誰かを神様に奉納することで与えられているというものだ。

 だから、全国から「魔のもの」に悩まされている人たちは風の噂を聞き付けて密かに依頼にやって来る。もちろん、依頼を受けるか受けないかは分からない。藤間家のものは「神社の世話役総代として」話を聞くだけで、退治しているわけではない、と言い、実際、相談事が実際に解決されることはなかったからだ。

 けれども、中には「解決した」とする者も多く、真偽は不明である。


 藤間家が認めているのはただ一つ、過去を遡ると男女問わず、二人の人間が神隠しに遭い、三人の人間が滝に身を投げて亡くなった(遺体は見つからなかった)という文献が残っている、というだけである。言い伝えを含めて遡れば平安時代のころからという歴史があるので、郷土史研究家も歴史学者も「その程度は古い家ならあるでしょうねぇ」というくらいで気にも留めていない。

 古い家だが、直系が脈々と続いているわけでもない。神社の世話人的立場の家系で、男系もあれば女系でもあり、全く血縁関係なく養子縁組で藤間の家が成立したこともある、藤間の名前を持つ、古い家である。




 はるか昔。

 この地に咲く藤の花は、村人たちが守り、育て、慈しむことによって美しい花を咲かせたという。

 ある日、魔物が住むと言われる世界から男が、ふらりと人間界にやってきて、この藤の花に魅入られたのである。

 何をするわけでもなく、咲き乱れる花に心を奪われ、その花を世話する村人たちに危害を加えることもなく、ただただ花を愛でていた。

 村人たちはそんな彼を追い払う訳でもなく、遠目に眺めて村一番の藤の花をこの男に自慢した。

 やがて、この男は魔が住む世界の王となり、魔王と呼ばれるようになった。王になるべく闘争に明け暮れてはいるが、圧倒的なほどの力を持ちながら、中身は心優しいこの男は争いのない、自分の理想とする世界をどう作れば良いのか悩んでいたのだが、花の世話をする村人たちとこの藤の花に癒されたという。

 魔王は、圧倒的な力を持ちつつも、藤の花を守る村人たちの意見には真摯に耳を傾けた。だから藤の花を守るための土をつくり、周囲を囲う仕事は文句も言わずに手伝った。

 村人たちは彼の存在を恐れてはいたが、何十年も藤の花を愛でる男は、こちらが理不尽なことをしない限り、彼は自分たちに危害を加えない、と理解しており、また王も危害を加えないと約束したので藤の花を通しての静かな交流があった。


 それから何年か経って。

 この藤の花の前で村長の息子が相思相愛の村娘と結婚式を挙げようと準備しているさなか。

 この地を治める代官がやってきて、花嫁に一目ぼれした代官は結婚式を取りやめ、自分の側に仕えるようにと命令した。それはあんまりだと抗議した花婿と村人たちに対し、代官は花婿を切りすて、花嫁に命令が聞けぬならば村人を一人一人と順番に殺すと脅した。

 たまたまその時舞い降りていた魔王は、代官を止め、筋も道理も通らぬと諭したが、代官は聞き入れない。ならば、この花婿と花嫁は私が預かる、この村の者を害することがあればお前の命が縮む。逆にこの村の者を大切にするならお前の命をのばしてやろうと言いおいて代官を追い払った。

 魔王は花嫁に対し、花婿の遺骸と共に魔の国に来るか、それともこのまま人間界に残るか問いただしたところ、花嫁は自分がいたら村が困ることになるので人間界にはいられない。花婿はこの村の長の息子なのでこの地できちんと葬らなければいけないので、自分だけ姿を消すことを選んだ。

 娘の心に感動した魔王は、花婿の家族と共にその遺骸を埋葬し、その傍に一本の藤の木を植えた。

 葬儀が終わり、花嫁と一緒に魔界に帰ろうとしたとき、代官が沢山の武士を連れて戻ってきた。しかし忠告を聞かなかった代官に対し、魔王は代官の体を半分だけ松の木にしてしまった。上半身は人間のまま、下半身は松の木に変化した代官を見た武士たちはおののいた。

 それでも私に刃を向けるのならば、その者は松の木に変えてしまおう。このまま戦わずして帰るなら私は何もしない、と。

 一緒にやって来た武士たちは魔王の力を恐れて戦うことは拒否した。


「花嫁はこのまま私の国に連れてゆく。ただ藤の花が咲く時期にだけは里帰りを許そう。そして代官よ、一年たっても反省なくば、お前の体は松のまま朽ちてゆくだろう。だが心から反省すれば元の人間に戻るやもしれぬ」

「元の体に戻れるというのか」

「かもしれぬ、という話だ。お前は今まで善い行いをしてきたとは言えぬ。お前が心から反省し、悔い改めれば、我の力をはねのけて一年たてば元の体に戻れよう。が、お前にそんな気がないのなら体はどんどん松になる。もしかして、動かぬお前を見たら良からぬことを考える輩もいるだろう。どうするべきか考えることだ」


 魔王はそう言いおいて、花嫁を連れて魔界に帰ってしまった。


 それから数日としないうちに、一晩のうちに代官の松は根元から切り倒され、火をつけられて灰になってしまった。

 誰が犯人だったのか、どんなに探してもわからなかった。

 日頃から理不尽に領民をいじめ、過重な税を課すことが当たり前という代官だったので神罰が下ったのだと誰もが噂した。

 ただ、村人たちは代官の遺灰をかき集め、今度はただの松として生まれ変わるのだと離れたところに供養した。

 村人たちは騒動のもとになった藤の木と花婿を埋葬した場所を中心に神社を建て、後に魔王の妻となった花嫁の手で新しい藤の木が植えられ、魔王は死んでしまった花婿の供養にと、新たに藤の木を植えた。

 魔王とその妻は藤の季節にだけしか里帰りしなかったが、出会ったときの若い姿のまま、三人の子を成したという。


 そののち、近隣の村に流行り病が大流行した。魔王と妻と三人の子供たちはすぐに駆け付け、村の民と共に病と闘った。

 誰彼と分け隔てなく看病する一家に村人たちは感動した。だから、村の鍛冶職人と魔王の末娘が恋に落ち、結婚したいと願ったとき、村長は自分の娘として末娘を引き受け、鍛冶職人の男へと嫁がせたという。

 この娘は魔界の者としてではなく、人間として生き、また村の民は共に生き、共に笑い、共に支えあうことを選んだのだ。


 以降、魔王の加護があったのか、わが子を守りたい親の加護なのか。

 この藤咲神社にお参りすると、病気平癒や長生きに御利益がある、と言われるようになった。

 魔のものが人の寿命よりも長い寿命を持つとされているからかもしれない。

 また、代官に殺された花婿が村長の息子で、別の町の神社の世話人としていろいろ仕事をしていたからかもしれない。魔の娘と結婚した若者が、刃物を扱う鍛冶職人だったからなのかもしれない。

 ただ、この神社にお参りする御利益として病気やけがは早く治る、だから長生きをし、亡くなるときは長患いすることなく、ポックリとあの世に行けるという話が今に伝わっている。

 そして、魔王の娘を妻とした鍛冶職人の男は一振りの刀を奉納した。

 魔王の娘の名前に由来する「サクラ」と名付けられたその刀は、村から「あしきものを断つ刀」として伝えられることになる。


そして現在。

 藤咲神社には、神社を管理する神主一家とは別に、神社に咲く藤を守り、神社を守る守り人とされる藤間家が存在している。

 文献を遡ってみてもそんな文言は一切ないが、魔王の娘夫婦の子孫ではないか、とは言われている。言われているが、血脈はない。名前だけ藤間を残せばよいということで、途中何代も養子養女が入り、中には子孫が絶えるのでということで、夫婦者を後継者として迎え入れ、その者に藤間を名乗らせてもいる。

 必要なのは、藤間の名前と共に、藤の手入れをしなさいということだけである。だから、今彼らは「藤咲神社の守り人」と呼ばれている。

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