どんな経緯でこれを記すことになったのか、前後や作者の方を知らない状態で述べるので、間違うかもしれませんがお許しください。
やっちまったと思うくらい書く行為は、最低で最悪で、でも気づけば書いてしまうし、読んでほしいと思ってしまう。だから、露出狂で自意識過剰というループですが、それでも書くのは「なぜか」を知りたいと思いました。
それでも書きたいと思う人の小説を読みたいと、結ばれています。
それは初めて記した小説を最初の読者になって読むくらい、魅力のある提案に映りました。
自分を責め苛みながら書かずにはいられない、習性に似たそれを物書きは妄想で守っているかもしれませんが、ただの愚かと断じる向こうにおかす理由があるのだろう、とこれを読んで感じました。
そこには言及されていないことが、もどかしかったです。自己顕示欲を書くことで消化する所以、書くだけでなく人に見せなければならない理由、自己を顧みて考えてもそこまで突き止めることはあまりないと思います。
が、そこに挑もうとする姿勢を見せて頂きました。
(ここまで自覚したら何も書けなくなる自信があるので、私に求む物書きの資格はなさそうです。アアア)
マスターベーションなのはわかってるよね。
妄想の具現化が文字だったり絵だったり歌だったりするだけで。
同じ理屈でスポーツやらなんやらもそうだと思ってる。
この世の大抵は妄想と妥協に行き着くと思ってますし。
表現が巧いか巧くないかの差異しかないです。
読みやすいとか惹きつけ易いとか含めて。
編集済
にーさん、エッセイの公開、ありがとうございます!
研究員たる者、所長に嘘はつきたくありませんので、正直に申します。
ざっと読んだだけでは、何が言いたいのかがわかりにくかったです。キャスでおっしゃっていたことの方が端的で私にはわかりやすく、断然説得力がありました。
結局、痛くて愚かな行為だと人からも言われるし自分でもわかってるけどなお書きたいほどに欲求が強いから、というのが「私が小説を書く理由」ってことなんですかね? ←と、疑問符が付いてしまう時点で、少なくとも私にはにーさんが小説を書く理由・読む理由が伝わりきってない感じです……(^_^;) むしろ、「私たちが小説を書くのをよくやめたくなる理由」の話だったというのが私の率直な読後感です。
わかりにくい理由としてまず、詩的な文体になっている割にはその効果が感じられないというか、むしろそれが邪魔になってメッセージがぼやけている印象がありました。
また、「私」と「あなた」がそれぞれ誰を指すのかがその時々で違うように見え、これにも私はちょっと混乱しました。どの立場から見た「私」なのかをその都度はっきりさせた方が、万人にとって読み取りやすくなると思います。
誰向けに書かれているのか、という点もちょっと曖昧だったような……。
恥ずかしくてさらけ出せていない人、なのか? それとも、もろもろさらけ出した結果、何も書いてない人からバカにされて落ち込んでる人、なのか? 私の読解力不足でしたらすみません(^_^;) ←よくある
共感性や説得力も、私にはあまり感じられませんでした。感動を求めてものを作る行為が「痛い」という主張が冒頭にあり、その後も「痛い」「痛々しい」という形容が何度となく繰り返されますが、読んでいて「なるほど、それは痛いな」と膝を打つ場面が訪れないのです。
AIの発達によって想像や創作の重要性が見直されてきている、というくだりは特に、わざわざ指摘しておいて結局それに対する明確なカウンター攻撃がないように見えました。それなら指摘する必要自体がないんじゃないかなと私は思います。
途中、「結局、小説を書いていることを現実で公表していない人が多い理由だってそうだ。恥ずかしいのを自覚した結果だ」とありますが、ここが一方的な決め付けに見えてしまうのも気になりました。
小説を書いていることをリアル知人に明かしていない理由として私がよく聞くのは、「言ったらやめさせられるから」です。親にバレて小説サイトのアカウントを消されたという方もいましたし、小説なんか書いてないで勉強しろ、仕事しろ、そんな暇があったら家事をしろ、とか、そういう妨害を避けるために隠している人が多いイメージです。まあこれは私の周囲がたまたまそうなだけかもしれませんが、少なくとも、小説を書いていることを公表しないのは恥ずかしさもしくは恐怖の結果、という結論付けにはすんなりとうなずけないものがありました。ここをこのように普遍化せず「私は」そうなのだという形にした方が、自分の胸に手を突っ込んで感情を引っ張り出した文章にもなるでしょうし、もっと伝える力が生まれるのではと思います。
実際、自分の胸の内をさらけ出すことが恥ずかしく(あるいは愚かしく)思えてそれゆえに書けない、という問題を、果たして何割ぐらいの書き手が抱えているのかなという疑問もあります。さらけ出すのが恥ずかしいとか執筆という行為そのものをバカにされるのが怖いというよりは、いかに面白く書くかのテクニックの部分で悩んだり、ヘタクソと罵られることを恐れたりしている人の方が多そうな印象を私は受けています。
アマチュアを含む物書きが「自分の内面から湧き出た産物を他人に見て欲しいと願う変態」であるというのは、創作界隈では結構よく出る話で、ごく普通の認識だと思います。私の周囲はどちらかというと、恥ずかしげもなく自ら妄想を垂れ流しながら、「小説なんか書いてる私たちってほんと変態だよな~」と笑い合っているという感じです。悩むポイントはといえば、こんなに頑張っているのに読まれない、あるいは公募で落ちる、もっとうまくなりたい、といった辺りが主なのではないでしょうか。
「あなたは、誰とも知らない人の『小説』を読む気がない」とあるのですが、この「あなた」というのはこのエッセイの読者のことであってますかね? であれば、その「あなた」は、日々小説投稿サイトを渡り歩いて赤の他人の小説を読みまくっている可能性がむしろ高いのではないかと……。作者が誰であれ、面白ければ読む、面白くなければ読まない、という感覚はWeb小説界隈では決して珍しくないというか、おそらくそれが大多数なのではという気がします。
小説を書きながら、ある種の恥ずかしさや注いだ労力に対する後悔を抱いている人は確かに多いかもしれません。ただ、その理由がこのエッセイからはビシッと届いてこず、何度も読み返しておそらくこれが言いたいんだろうなと感じ取った部分にも私は共感しにくい、という印象でした。
個人的には、「自分の脳内にあるものを文章にしてWebに投稿することが恥ずかしい」と、「リアルな知り合いに小説を書いていることを明かすのが恥ずかしい」は分けて考える必要がありそうな気がしています。たとえばプロ作家を目指すにあたり、前者は克服する必要がありそうですが、後者はそのままでも特に支障なさそうに思えるんですよね。そして、前者もそこまで切実な問題だとは感じられない(すでにそこは克服している人が多そうに思える)ことが、私にはどうも引っかかってしまいました。
長くなり、しかもまるで褒めてなくてすみません(笑)。
にーさんが普段ツイートやキャスでおっしゃっていることからは貴重な気付きをいただいてばかりですし、短編批評の的確さ・わかりやすさには毎度唸らされ、聞きながらマジで拍手したりもしてます。ご成功・ご活躍も心から応援しています。そして何より、にーさんのキャスに遊びに行くの楽しいんですよ☆ 今後とも何卒よろしくお願いします!
これ友人に見せて良いですかね?
年齢を重ねれば重ねる程正しさが邪魔をしてきて、やれ利益やれ分単価やれ生産性と想いなんか失ってしまいがちで...
かつては持っていた筈の情熱をまた思い出させてくれる。または代弁してくれるかの様でした。
やはり創作をしていて良かったと改めて思いました。またかいてきます。
もう、自分の心が手にとるように見透かされていましたね。所長は圧巻です。レビューいらないって言ってたけど、これはいろんな人に読んでもらいたいのでレビューします。
ありがとう!!!
この作品のおかげで、もう一回執筆が好きになれました。
ありがとうございました。
この場合自分が例外になるようにしないと言って得うことはそのとおりなんですがあなたもシコってることになりますね。