第2話:10年経ったら立派な「野人」になりました
――パチリと、俺は目を覚ました。今日も体内時計は完璧な時間を刻んでいる。
住処としている洞窟は、十年前に俺の命を繋いだ場所。奥を居住スペースとして拡張した空間に備え付けられている動物の毛皮を使ったベッドから腰を上げ、欠伸を一つする。
「……どれ、今日も一日頑張りますか」
ぐぐぐっと身体を伸ばしてから、俺はいつものように支度を始めた。
動物の毛皮から作った腰巻を巻き、大雑把に切り揃えた髪を首の後ろで樹木の蔓製の紐を使って一纏めにする。これでオールバック状態になるので、視界の邪魔にはならない。
そして、腰に竹で作った水筒を二本ぶら下げた。片方は水、もう片方には山中で見つけた薬草を混ぜ合わせて作った獣除けの液体を入れておく。ちなみにこれ、小型であればドラゴンにも有効である。
後は動物などの解体用に石を粗く削って作ったククリナイフを腰の鞘に差し込んで準備完了だ。
「っと、行く前に印付けねぇとな」
洞窟から出る前に、手作りの木製机の上に置いてあった石を手にして壁に一本線を引く。
洞窟の壁……そこには、日数を表す無数の線が引かれていた。ここに来てから毎日欠かすことなく一本ずつ引いてきた俺の生存日数とも言えるもの。これのおかげで俺は、あくまで地球換算ではあるがこちらに来てからの年月をきちんと把握しておく事が出来た。
――この世界に来てから十年。思えば随分長く暮らしてきたものだ。
死に物狂いで生きてきた。山籠もりを続け、自分なりに鍛錬を続けるうちに身長も伸び、体格もデカくなった。
というか、ぶっちゃけ鍛えすぎて骨格まで変わって最早別人になってしまった。昔の面影と言えば彫りが深くなった顔つきくらいだろうか。
今の俺はどこに出しても恥ずかしくない立派な筋肉ダルマである。その見た目に恥じぬ膂力と身体能力を得たおかげで、山中に生息する小型・中型のドラゴンなら拳骨一発で粉砕可能だ。
……いささか鍛えすぎた気がしないでもないが、まぁいいべ。大は小を兼ねる、半端に鍛えて死ぬよりはマシだ。
「さーて今日は何が獲れっかな~。青トカゲの肉喰いてぇ」
青トカゲとは、この山でよく見かける小型の二本足で動くドラゴンだ。正式名称なんて知らないので、適当な名前で呼ぶしかない。
獲物の姿を頭に思い浮かべながら、俺は洞窟を出る。朝日が眩しい。
「ん……一応こいつも持ってくか」
そう呟いて俺が手に持ったのは、入口に立てかけてあった一本の木製杭だ。杭と言ってもその大きさは身長が二メートルまで伸びた俺より更に長い特大サイズで、太さも六十センチはある。
「な~んか今日は大物と出会いそうな気がするんだよな……」
それこそ大型の、最初に出会ったあのドラゴンみたいなヤツに。
あくまで勘であるが、十年の鍛錬の中で肉体とともに鍛え上げられた俺の勘はよく当たる。念には念を入れて用心するに越した事はない。
「よし、行くか!」
巨大杭を軽々と肩に担いで、びゅうと俺は疾駆する。
鍛え上げた肉体は凄まじい速度で山の中を駆けていく。基本的に裸足で生活していたせいか、足裏は鋼の如き硬さになっており、枝だろうが石だろうが問答無用で踏み潰していく。そんな俺の行く手を遮れるものなどない。
(すげぇ今更だけど俺だいぶ人間やめちまってる気がするな……まぁいいや!)
細かい事は気にしない! それよりも今は狩りの事である。
しばらく山の斜面を駆け上がると、一番高い場所に出た。このあたり一帯を見渡す事が出来る俺のお気に入りの場所だ。ここからなら獲物もよく見える。
「さーて、青トカゲはいるかなっと……」
眼下に広がる雄大な風景に目を向ける。鍛錬で身につけた鷹をも凌ぐ視力をフルに活用して視線を動かす、が――
「……妙だな、静かすぎる」
十年この山で過ごしてきた俺の感覚が、強烈な違和感を訴えた。
「鳥も飛んでねぇし、生き物の動きも無い。これは――」
デカいドラゴンがいるかもしれねぇ。
俺がそう呟いた時、不意に耳が異常な音を捉えた。
風や木々の騒めきに交じり、かすかに聞こえる音。それは木々を巨大な物がかき分けていく音であった。
その音の中で、俺は確かに聞いた。
「……人の声だ」
それも、女の声。この世界に来て初めて聞いた、自分以外の人間の声だ。
更に耳を研ぎ澄ませば、その声はまるで何かから逃げているかのような悲愴感を漂わせるものだった。
「――! 疾ッッ!!」
その瞬間、俺は弾丸の如くその場から駆け出した。
(だいぶ下の方まで降りねえといかんな……そして襲ってるのは十中八九アイツだ)
全速力で木々の間を駆け巡る俺の頭に思い浮かんだのは、十年前のあの光景。顔も知らない女を追いかけているのは、自分の無力さを思い知らされた因縁の相手。
「大丈夫……あの時とは違う。リベンジの時間だ」
自然と口の端が吊り上がっていくのがわかる。今の俺の心にあるのは恐怖ではなく、歓喜。
変わった肉体、変わった価値観。闘争という歓喜の渦が湧き上がるのを、俺は確かに感じた。
幾つもの木々をかき分け、蹴散らし、ついにその場所に到着する。
視界が開けたその先に、ヤツはいた。
体躯は十年前に見た時よりも一回り大きくなっていた。一瞬別の個体かとも思ったが、瞬時に否定する。
全身の細胞という細胞が告げている。瞳に映る濃緑の巨体は、間違いなく十年前のアイツだと!
駆け降りるスピードをそのままに、俺は地面を強く蹴った。身体が宙高く舞い上がり、眼前に迫るヤツの頭に向かって担いできた巨大杭を振りかぶる。
「オルルァッッ!」
そして雄叫びと同時に、杭の頭部を押し込めるように叩き付けた!
《ギャアアアアアアッ!?》
突如横っ面を襲った衝撃に、ヤツは大きく身体を仰け反らせる。砕かれた外殻と、僅かに破損した巨大杭の一部が宙を舞った。
「ふぅ……大丈夫か?」
「……えっ? あっ、はい!」
俺が襲われていたと思われる少女へと声をかけると、驚愕と戸惑いの色を含んだ返事が返ってくる。
何はともあれ間一髪で間に合ったようで良かった。元居た世界とは全然違う場所だから言葉の壁が気掛かりだったが、それもどうにか通じるみたいだな。
「よし、取り敢えずここで待ってな。アイツをなんとかしてくる」
「!? そ、そんなの無理です! だってあのドラゴンは――」
少女が何か言い終わる前に、俺は地を蹴りヤツへ肉薄した。
不意打ちの衝撃から解放されたヤツが、かぶりを振って怒りの咆哮を上げようとした瞬間、俺は加速した体の勢いを維持したままヤツの口の中へ巨大杭を叩き込む。
先手必勝、放たれた巨大杭はジャストタイミングで開け放たれた顎の奥へと吸い込まれた。
《ガッ!?》
「させねぇよ!」
ヤツが顎を閉じようとする前に、巨大杭の頭部を力任せに殴りつけた。
「くっ、たっ、ばっ、れっ!!」
殴りつける度に、巨大杭がどんどんヤツの体に飲み込まれていく。そして杭が完全に口の中に納まったところで――
「ラストォ!」
駄目押しに最後の一発を渾身の力で叩き付ける。巨大杭が臓腑を引き裂く感覚と共に、俺の腕が一気に口内の最奥まで届いた。
《ガ……ア……》
か細い呻き声を最後に、その巨体がゆっくりと地面へと倒れる。血に濡れた腕を引き抜いたところで、ようやく辺りに静寂が戻った。
「……借りは返したぞ」
「うそ……ほんとに倒したの……?」
あ、忘れてた。後から聞こえた呟きで此処にもう一人の人間がいたことを思い出す。
いかんな、目の前に集中しすぎると周りの事が見えなくなるのは。
「よう、怪我はないか」
「……」
「あ、あら?」
改めて襲われていたと思われる少女に近寄り声をかける。が、返事がない。
歳は十代後半だろうか。肩口辺りで切り揃えられた髪が太陽の光を反射して金色に煌いており、前髪の間から見える瞳は翠玉を思わせる綺麗な色をしていた。
そして防具の一つかと思われる胸部装甲の上からでも分かるくらい乳がデカい、素晴らしい。セクハラじゃねーかバカかよ俺は。
「もしかして言葉が通じてない……? もしもーし」
ひらひらと手を振りながらぬっと顔を近づける。しかし恐慌状態だった相手にこれをやったのはいけなかった。
「い……」
「い?」
「いやあああああああああああ!!」
「ホアアアアアアアアアアアア!?」
突然響いた絹を裂くような悲鳴。ついでに悲鳴を上げる俺。静寂が一転、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「ななな、何ですか貴方!? 山に住み着く怪物ですか!?」
「誰が怪物じゃいバリバリの人間じゃ! てか助けてくれた相手に酷くない!?」
「嘘です! 人間がドラゴン相手にあんな戦い方出来る訳ありません! というか筋肉すごっ!」
「いや実際出来てたでしょーが! あと褒めてくれてありがとう、はいお返しのオリバーポーズ」
「いやあああああああああああ!」
「うおおおおおおおおおおおお!」
筋肉への賞賛があった事で調子に乗った俺は次々にポージングを繰り出す。そして更に上がる悲鳴。
これ収集つくのか? 分かんないや! とりあえず俺の見てくれに慣れて貰うまで延々とポージングしてやるぜ!
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