第五十節  迷いを解き放つ

 メルダーから突然の告白を受けて、数日たったある日のこと。ヴァダースとメルダーの二人は今、カーサ本部ではなく別大陸のアウストリ地方にいた。北ミズガルーズ地区にある玄関口、港町フルーア。そこで営業しているカフェの一角でコーヒーを飲みながら、どうしてこうなったのかと自問自答するヴァダースである。


 ******


 事の発端は、メルダーからの告白を受けた翌日のことにまで遡る。その日の仕事を終えようとしたときに、二人はローゲから呼び出しを受けカーサ本部のボスの執務室に足を運んだ。

 その日は前日のこともあり、ヴァダースとメルダーの間には、どことなくぎこちない空気が流れていた。最初は何か叱責を受けるかとも思われたが、特にこのことが原因で仕事に支障をきたしている、というわけではない。何か別の任務でもあるのだろうかと思考を巡らせながらローゲのもとまで到着すると、彼から意外な言葉をかけられたのである。


「ダクター、ラフィネ。ここしばらくお前たちはよく働いてくれている。お前たちの働きのお陰で、ここ最近のカーサの戦力も安定している。このことを評して、お前たちに二人に休暇を命じることにした」

「……はい……?」


 突拍子もないローゲの言葉に、思わず言葉を失った。それはメルダーも同じだったらしく、しばらく硬直してから再度どういうことか尋ねた。しかし返ってきた言葉はやはり同じものであり、増々混乱するヴァダースとメルダーである。


「ヒトは休息を取らなければ余裕をなくす。そうなれば、仕事の効率も下がってしまうものだ。だからこそ時に休暇は必要になってくる。それに関して、上に立つ者が仕事ばかりしていては、下の者が休暇を取りにくいだろう?」

「仰ることは理解できますが……。最高幹部両名が同時に休暇など、守りが手薄になってしまうのではないですか?」

「なるほど、お前の言い分はわかる。しかしダクター、その意見は言い換えれば、お前は自ら選出した四天王たちの実力を信じていない、ということになる」


 ローゲに四天王たちを信じていないのか、と尋ねられて咄嗟にそんなことはないと反論した。彼の返事を予想していたのか、ローゲは満足そうに頷く。


「であれば、何も問題はあるまい?なに、ときには四天王たちに仕事を任せてみるのも、いい経験になろう。お前たちにとっても、四天王たちにとってもな」

「はぁ……」

「休暇は、そうだな……。そういえばラフィネの誕生日が近かったな。では、その日に被るように調整しよう。異論はないな?」


 ボスであるローゲの意見を前に、ヴァダースたちは反論する術を持たない。仕方なくその命令を拝命することになったのである。


 ******


 そんなこんなで二人は街に繰り出し、久方ぶりの休日を楽しんだ。そして今はこうして、カフェでお茶を嗜んでいるというわけである。ちなみに服装もいつもの戦闘服ではなく、よそ行きの格好となっている。

 二人の休暇のことを聞いたシャサールがコーディネートしてくれたのだ。その甲斐あってか、周りの人間はヴァダースたちの正体に気付かないまま、自分たちの会話に花を咲かせている。


「それにしても、急に休暇なんて言われて最初はどうなるかと思いましたねダク……ツクヨさん」

「え、ええヒナタ。まさかこんなことになるとは思いませんでした……」


 ちなみにだが、万が一のことを考えて二人は本名ではなく、いつぞや使っていた偽名で過ごすことに決めていた。カーサの最高幹部として、その名前が世間に知られている可能性も少なくない。自分たちの正体を隠すための防止策、というわけである。


「えっと、このあとどうしましょう?」

「そう、ですね……。どうするもなにも、今日は貴方の誕生日なのですから。よろしければ、何か差し上げますよ」

「い、いやぁ!?そんなの申し訳ないですよ!」

「ですが、その……決まってないんですから。貴方のリクエストに応えるというのも悪くないと、思いまして……」


 先日のメルダーの告白の一件以来、どうもメルダーとの会話にぎこちなさを覚えてしまう。実は告白を受けた翌日、メルダーの方から告白について問いただされた。どうやら彼は酒に酔っても記憶は残るタイプだったようで、自分が酔った勢いでヴァダースに告白したことを、しっかりと覚えていたと告げられたのだ。

 まさか覚えていたとは思わなかった。もし酔い潰れた後のことを覚えていない様子だったら、彼から何か聞かれても聞き流そうと思っていたのだ。その結果ヴァダースも告白されたことを思い出し、思わず言葉に詰まってしまった。その様子にメルダーも思うところがあったらしく、互いに顔を赤めるだけでそれ以上のことを話す気にも聞く気にもなれなかった。

 ヴァダースの言葉の後、しどろもどろになりながらメルダーが答える。


「じ、じゃあその……ツクヨさんの手料理が、食べたいです」

「そんなのでいいんですか?」

「はい。ツクヨさんの料理美味しいですし……久々に、食べたいなって」


 にこ、と笑うメルダー。その笑顔を見ていると、いいようのない感情が胸の中で渦巻いて、ある種の苦しささえ覚える。それを誤魔化すためにコーヒーを飲みながら、わかったと一つ頷いた。


「……なら、材料をここで調達して最後にケーキでも購入してから宿舎に帰りましょうか。貴方の部屋のキッチンをお借りします」

「はい!料理のリクエストも、いいですか?」

「それは、もちろん」


 じゃあ、と一呼吸おいてから、メルダーは料理のリクエストを告げる。

 それからその料理の材料を市場で調達して、最後に港の近くにあるケーキショップで気になったケーキを購入する。そしてヴェストリ地方アルヴ行きの船に乗船して、港町フルーアを後にするのであった。


 数時間後。アルヴに到着した二人は街から少し離れた位置まで移動すると、二人は懐から空間転移の鉱石を取り出し、それを発動させる。万が一のためにと、事前に所持していたのだ。行き先はアルヴとは反対の位置に存在する都市、ヴァーナヘイム。本部の隣にあるカーサ戦闘員の宿舎前にも、拠点用培養液が設置されているのだ。

 踏みつぶされた鉱石から魔法陣が広がり、二人を包むと一瞬のうちに彼らをヴァーナヘイムまで空間転移させた。どうやら食材もケーキも無事なようだ。


 メルダーの部屋に到着してからは、あっという間だった。ヴァダースが夕食を作っている間に、メルダーも部屋の片づけをしながら時間をつぶしていた。やがて完成した料理をテーブルに運び、折角だからとメルダー用に買ったワインも用意して、夕食の準備が整った。

 テーブルに並べられた料理は、アサリと豆乳のクリームパスタとホウレンソウのソテーの二つだ。誕生日なのにこんな簡素な料理でいいのかと何度も確認したが、メルダーはそれがいいと言って聞かなかった。なんでも、彼にとってその二つは思い出の味なのだとか。そんな理由を前にされてはヴァダースもそれ以上言えず、彼がそれで満足するのならいいかと了承したのだ。

 着席してワイン──ヴァダース用にノンアルコールのワインも用意してある──をグラスに注いでから、二人はグラスを掲げた。


「それでは。誕生日おめでとうございます、メルダー」

「ありがとうございます、ダクターさん!」


 乾杯を交わし、二人は夕食を食べ始める。メルダーは満足そうにパスタを口に運びながら、美味しいと呟く。


「やっぱり美味しいです!」

「そんなに気に入られるとは思っていませんでした」

「俺にとってこのメニューは、初めて家族以外の人から振る舞われた料理ですもん。一口食べたとき、こんなに美味しいパスタは初めてだって感動したんですよ」

「こんなものでよければ、また作りますよ」

「ありがとうございますっ」


 それから穏やかな夕食の時間を過ごした二人。会話も弾みながら食後のケーキも食べ、一息ついた頃。メルダーが話を切り出す。


「あの……ダクターさん」

「なんでしょう?」

「その……この間は、すみませんでした」

「この間とは?」

「……酔った勢いで、貴方に告白したことです」


 メルダーの言葉に、ヴァダースは心臓を直接掴まれたような感覚に陥った。そんな彼をよそに、メルダーは語り掛けるように話を続ける。酔ってはいたが、あの時の言葉に嘘はないと。


「本気で、一人の人間としてダクターさんのことが好きなんです。でもそのせいで、最近貴方を困らせていることにも気付いていました。だから、俺の言葉は忘れてください。貴方を困らせるようなこと、したくないですから」


 そう言ってどこか悲しそうに笑うメルダー。そんな彼を見てしまっては、こちらとしても言いたいことがある。


「ええそうですね、困惑していましたよ。突然告白されて、愛してるなんて言われて、私はどうしたらいいか分からなくなった」

「す、すみませ──」

「ですが困惑してしまうほどに、告白されてから私はどうしようもなく貴方のことを考えていた。貴方の顔を見るたびに、貴方の声を聞くたびに、自分がどうしようもなくなって、逃げていたんです。自分の感情を抑えるのに必死だったんですよ……!」


 そう言うや否や、ヴァダースは勢いよく立ち上がるとメルダーに近寄り、彼の唇に己のそれを重ねた。気の遠くなるような一瞬を味わってから、ゆっくりと離れる。


「ダクター、さん……!?」

「……これが、私の答えです。私は、貴方を愛しています」

「……!ほ、本当、に……?」

「ええ。こんな時に冗談は言いません」


 メルダーの目を見つめて告げれば、目の前の彼は感極まったかのように瞳を潤ませながら、口に手を当てる。やがて指の隙間から、嬉しいと言葉が零れ落ちた。


「夢じゃ、ないんですよね?」

「夢であってたまるものですか。前々から、本当はわかっていました。私は貴方を失いたくないほどに、愛しているんだと」

「っ……ダクターさんっ!」


 メルダーがヴァダースの抱き着く。ヴァダースはその行動に驚きはしたが、優しく抱きしめ返す。まるで匂いを確かめるように顔を埋められながら、メルダーも言葉を紡いだ。


「大好きです。ダクターさんのこと、誰よりも愛しています」

「……ヴァダース」

「え?」

「……名前で、呼んでください。カーサに所属してからファミリーネームにはその、あまり馴染みがないですから」

「わかりました。では……ヴァダースさん」


 メルダーはヴァダースの名前を呼び、一度離れて彼を見上げる。ヴァダースもその視線の意味に気付き、再び口づけを交わす。今までのどんなキスよりも蕩けるようなそれに、胸が幸福感で満たされる感覚を覚える。堪能してから、余韻に浸るように離れる。幸せだ、と言わんばかりに笑顔になる二人であった。

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