第三十五節 心の中の混乱を鎮める

「もっと体を私に寄せてください」

「えと、すみません!こう……ですか?」

「ええ。あとはそのまま私がリードしますから、無理に動こうとしないでください」


 その日、誰もいない深夜の修練場でヴァダースとメルダーはダンスの練習をしていた。闇オークション後に開催される舞踏会対策、とのことだ。もちろん舞踏会開始前に商品を強奪し、会場から撤退できれば一番だ。しかし万が一任務が押してしまった場合を考え、念のためとローゲから命令されていたのだ。周囲の参加者から不審がられないレベル程度には踊れるようになれ、と。


 闇オークション参加時は参加者全員が仮面をつけるため、素顔がバレるということはない。しかし変装している以上、ある程度の素性を隠しておく必要もある。闇オークションの主催であるレーギルング家から招待状が送られるということは、ある程度の階級を持つ人物たちが参加してくる可能性が高い。

 レーギルング家をはじめとして、貴族階級の人物たちにとってダンスは基本中の基本である。招待されているにもかかわらずダンスが踊れないということは致命的であり、それがバレてしまった時点で潜入任務が失敗に終わってしまう可能性もあるのだ。


 その失敗を未然に防ぐため、また自分たちは場馴れをしていると相手を勘違いさせるためにも、ダンスの練習は必要不可欠だった。闇オークションでの任務内容を言い渡されたその日に、二人はボスから命令を受けた。そして今もこうして深夜の誰もいない時間を利用して、ダンスの練習をしているというわけである。


「痛っ!」

「あっ、あぁああごめんなさい!俺また足踏んでしまいましたよね!?」

「ッ……だから、踊り方が分からないのに無理に動こうとしないでくださいと何度言えばわかるのです?」

「でもその、俺も踊らなきゃって思ったのでつい……」


 あわあわ、と焦りながらメルダーは言い訳の言葉を述べる。そんな彼に対してヴァダースは冷静に指摘する。


「貴方が転倒などして失敗してもフォローできる余裕はありますが、それでも限度というのもあります。慣れないうちは私の負担などを考える前に、相手に身を任せることを意識しなさい」

「はい……」

「……一度休憩しましょう」

「面目次第もございません……」


 一度修練場の壁に寄りかかり、休憩をとる二人。内心やはりと言えばいいか、メルダーにダンスの知識はなかった。床に座り込みへなへなと萎れる彼を一瞥して、小さくため息をついてしまう。


 ちなみにダンス練習は、ヴァダースがメルダーに指導するという形で行っている。幸か不幸か、まさか貴族でいた頃に身につけていたことが、こんなところで活きるとは思ってはいなかった。正直、最早必要のないスキルだとすら考えていたのに。

 対してメルダーは今まで踊ることすらなかったと、ダンス練習の初日に申し訳なさそうに申し出てきた。ただ幸いなことに筋はいいらしく、練習を始めて数日でコツは掴んだように見える。


「うぅ、俺のせいで練習が止まってて申し訳ないです……」

「そんなのは最初からわかっていたことです」

「本当すみません……」

「貴方は初心者なんですから、私に身を預けるだけでいいんです。無理に踊ろうとして変にステップを踏もうとするから、リズムが合わないんですよ」

「でもそれじゃあ、ダクターさんの負担が多くなるんじゃ……」

「別に構いません。ぎこちないダンスを踊れば周囲に勘ぐられる。その方が厄介なことになるんですから、危険性が低い方を選ぶべきです。それに今回のダンスはあくまで、他の参加者の目を欺くためだけのものです」


 はあ、とため息を吐くヴァダース。メルダーは申し訳なさそうに頭をかきながら、どうにか話題を変えようと話しかけてくる。


「それにしても、ダクターさんって凄いですね!俺に教えられるくらい完璧なダンスを踊れるなんて!もしかして、ダンスの経験があったとか?」

「その質問に何の意味があるんです?」

「あ……すみません!ただの俺の個人的な興味です。余計なこと聞いちゃいましたよね、本当自分勝手で申し訳ないです」


 弁明して再び謝罪するメルダー。ただでさえダンス練習の失敗で萎れているというのに、これ以上彼の気分を萎えさせてはかえって面倒か。致し方あるまいと、ヴァダースはやれやれといった気分で口を開く。


「……昔に、何度か踊ったことがあった。それだけですよ」

「……!そうだったんですね!さすがダクターさん、俺ますます尊敬します!」

「それはどうも」

「俺なんてダンスのことはからっきしですよ。でも今回の任務は絶対に成功させたいんで、頑張ります!」


 水を得た魚のように元気を取り戻すメルダーだが、その様子に違和感を覚えるヴァダースだ。任務に対してやる気があるのは結構なことだが、どうにも気合が入りすぎている気がする。そのやる気が空回りしなければいいのだが、と危機感を覚えたヴァダースは、彼に尋ねることにした。


「随分とやる気が入っているようですね」

「そうでしょうか?俺は別にいつもと変わらない──」

「闇オークションについて議題に上がった会議の時、貴方の表情には翳がさしていました。そして商品強奪を決めた会議の時にも、貴方の様子はいつもとは違った。そのことに、私が気付いていないとでも思ったんですか?」


 言い訳は許さない、とメルダーを睨みつける。ヴァダースの視線に、最初こそは誤魔化そうとしたメルダーだったが、やがて観念したように息を吐く。小さく苦笑しながら、彼はヴァダースに嘘は吐けないですねと白状する。


「俺、許せないんです。確かにカーサにいる俺たちはみんな、犯罪者です。法に背くことをしたからこそ、ここにいる。だけど、そんな俺たち犯罪者を表では断罪しながら、その裏で犯罪を繰り返している奴がのうのうと過ごしていることが、悔しくてたまらないんです」


 唇をかみしめ、ぐっとこぶしを握りながら苦しげにメルダーは話を続ける。

 法に守られていることを盾にしながら倫理観を捨てた行為を繰り返す人物たちのことを、メルダーは心底軽蔑しているのだと。


「前に俺が、ある組織に狙われていたところをボスに拾われたって言ったじゃないですか。その組織に目を付けられたきっかけも、そんな奴らの裏切りがあったからなんです」

「裏切り……」

「……俺には大事な子がいたんです。あの子は俺のことどう思ってるか分からないけど、でも俺にとっては何よりも大事だった。ある日その子の能力を知った、法に守られてる人間が彼を売りに出そうって企んでたことを、俺は知りました」


 その言葉を聞いて、ヴァダースの中で心当たりが一つあった。己も同じような目に遭いそうになった、数年前の出来事。自らの叔父たちに裏切られ、世界保護施設に売り飛ばされそうになったことを、思い出される。

 そんなことはいざ知らず、メルダーの話は続く。


「それを阻止しようとして、俺は人を殺しました。法に守られている人間を殺した俺は殺人の罪で追われることになった。でもその前に奴らが俺の能力のことを、組織にばらしていたんです」

「その結果、貴方がその組織とやらに追われることになった、と?」

「そういうことです。そんなわけで結局あの子が今どこで何をしているか分からないけど、とにかくそれから俺は、そういう人間たちのことが大嫌いです。だからこの任務を聞いた時、絶対に成功させてやるって決めたんですよ」


 言い終わるとメルダーは立ち上がり、長々とすみませんと一度謝罪する。その時彼がヴァダースに見せた笑顔はどこか、痛みを抱えているようなものだった。しかしそこに動じることはなかったヴァダース。そんな自分の反応に、改めて謝罪の言葉を述べようとしたメルダーだが、彼に言い聞かせるように口を開いた。


「善人の皮を被った悪人は、世の中に腐るほどいますよ。そう言った人物たちに鉄槌を下すためにカーサは存在していると、以前ボスは仰っていました。そしてそんなボスの考えに賛同した者が、カーサに所属しているとも」

「ダクターさん……?」

「ですからそんな彼らを許せないという思いを抱いているのは、貴方一人ではないことを覚えておきなさい」


 それは何となしに発した言葉だったのだが、メルダーはどう受け止めたのか声色を少し弾ませながら返事を返す。


「へへ、そうですよね!俺と同じような考えの人は、ここには沢山いますよね。慰めてくれてありがとうございますっ」

「別に慰めたつもりはありませんが」

「俺がそう思ってるからいいんです。それじゃあ、たくさん休憩できたのでまたご教授お願い致します!」

「まったく現金な……。いいですか、無理に踊ろうとはしないでくださいね」

「了解です!」


 その後も何度か練習をして、やはり何度かはメルダーに足を踏まれてしまいストレスが蓄積されてしまうヴァダースなのであった。

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