第三十二節 地道な努力を成功に導く
幸か不幸か、訓練場には部下は一人もいなかった。しん、と静まり返っている空間に二人だけだと、初対面の時のことを思い出す。話の意味が分からないままボスにこの場に連れてこられ、メルダーとの手合わせで自分が一撃を受けてしまったこと。その事実を前に、半ば無理やりな形で彼の最高幹部着任を認めたこと。あの時の悔しさは今も胸に残っている。
彼からは自分の訓練の相手をしてほしいと頼まれたが、ある意味これはあの時のリベンジにもなるのではないか、とも考えた。内心そんなことを考えているヴァダースの心情などいざ知らず、メルダーは上機嫌で準備運動をしている。
「誰もいないなんてラッキーですね!」
「訓練と言っても、そんなに時間は取りませんからね。まだ終えていない仕事もあるんですから」
「承知してます!ただ長く訓練することだけがいいとは限りませんもんね!」
「随分と物分かりがいいですね。いつもこの調子ならいいんですが」
ヴァダースも同じように軽く準備運動をして、メルダーとの距離をとる。メルダーも同じように態勢を整え、ヴァダースと相対する。一呼吸おいて、お互い切り出すのを待つ。そのまま膠着状態が続いたが、先にメルダーが仕掛けた。
以前と同じように特攻を仕掛けてきたメルダー。手にはあの時と同じように、ナイフを持って。ヴァダースはそれに対し一歩後退。後退の際に体も半回転させ、ナイフを突き出してきたメルダーの腕を捕らえる。
一瞬息を呑むメルダー。彼の動揺をよそに、ヴァダースはメルダーを組み伏せた。
以前対峙したときに感じたが、彼の戦闘スタイルは同じ近接型の自分とは似て非なるもののようだ。自分は相手の攻撃を起点として動くカウンター型。それに対しメルダーは自らの攻撃を起点とする、特攻型なのではないか。
しかし特攻型なら、相手の反撃が来る前に一手仕向けてもいいはず。この突撃の意味するところは何か。
「動きが単調です。そんな体たらくでは、実地調査の指導係としては失格ですよ」
「いえいえ、これは確認したかったんです。ダクターさんは同じ近接型の戦闘スタイルでも俺とは違うのかもなって思ったら試したくて……ってあいててて!?」
「貴方の、お遊びに、わざわざ、自分の時間を割いて付き合っている、私の身にもなっていただきたい、ものですね」
「ごめんなさいごめんなさいだってダクターさんとの手合わせが嬉しくてつい!」
「ああそうですかそんなに私との手合わせを続けたいのならこの状態から抜け出してみてから言いなさい」
「当然、ですっ!」
そう叫んだ瞬間、ヴァダースに組み敷かれていたメルダーの姿が消える。魔術を行使して自分の姿を隠したわけではない、らしい。自分の姿を覆い隠すだけなら、己の手に掴んでいた彼の腕の感覚が消失するわけがない。
文字通り、消えた。いや消えたというよりこれは──。
「ってて……本気で絞めにかかってこなくてもいいじゃないですかダクターさぁん」
瞬間移動、の類だろうか。彼のこの能力だけは解せない。あんなに完璧に組み敷いていた状態から、どうやって自分の視線の先へと移動できるのか。前回と同じく詠唱は聞こえなかった。
先に魔術を展開していた?だとしたらどの段階で。あらかじめ準備していた、ということはないはず。自分たちがいつ訓練場に到着するのか──そもそも本当に訓練に付き合わされるとは思っていなかった──わからないのに、そんな用意周到に事前に用意ができるものか。
思い出せ、過去に彼に似た相手と戦ったことがあったような気がする。その時講じた対抗策は──。
「行きますね!」
思考をめぐる前に、再びメルダーが突進。相変わらず芸のない行動。
しかし今度は魔術を展開してきた。
「
メルダーの前を先行するように放たれたのは複数の火球。雷を纏っているそれらは予想よりも速度が速く、一直線にヴァダースへと向かってきた。
攻撃を弾くか躱すか。弾くことを先に考えたが、躱せない速度ではない。
それにこの攻撃は恐らく、ヴァダースの動きを誘導するためのもの。
彼の狙いはこちらが攻撃を弾く瞬間。一瞬でも意識を攻撃に向けさせている間に、先程のように瞬間移動をして不意の追撃を仕向けてくるのだろう。こちらの予測不能な位置に移動されては、対応も後手に回る。
ならば躱して反撃を試みるのみ。
考えをまとめたヴァダースが火球を躱す。
対象に衝突しなかった火球はそのまま素通りしてしまう、はずなのだが。こちらに向かってきているメルダーは、何故かにやりと笑みを深くした。
「っ!?」
その笑顔に違和感を抱いた直後。通常ならばあり得ない軌道を描いた火球が、ヴァダースの横腹に直撃した。直撃して弾けた火球から雷が走り、微弱な電流となって体を走る。
たとえ微弱であろうとも、それはヴァダースの動きを一瞬でも鈍らせるには十分な効力を持つ。その一瞬を狙い、メルダーがヴァダースにボディブローを仕掛けるも、それを寸でのところでダガーで受け止めた。
意味が分からない、という表情をしていたのだろう。それに対しメルダーはしてやったりと、楽しそうな笑みを浮かべている。余裕、だろうか。気に食わない。
「っ……あの攻撃、追尾機能もあったんですか」
「少し違いますね。これは俺自身の能力、みたいなものです。俺、物体を自分の思う場所に瞬間移動させることができるんですよ。例えば──」
──こんな風に。
今の今まで正面で拳を突き出していたメルダーの姿が、不意に真横から現れる。右横はヴァダースの死角だ。右にいる、と察知するも一足遅く。メルダーの足蹴りを身に受けてしまったヴァダースは、しかし膝を地面につけさせることはなかった。
「魔術を使わないでどうやってって顔をされていますね。……これが、俺がボスにスカウトされた理由でもあるんです」
「貴方自身の能力……?」
「はい。自分の血液を目印に、対象を自由に移動させることのできる能力。ダクターさん、制服の横っ腹部分と足元を見てみてください」
メルダーの指摘でまず、ちらりと己の足元に視線を落とす。そこにはごく少量ではあるが、何か赤い液体を引きずったような跡が見受けられた。そして次に己の制服を一瞥すると、確かにいつの間にか攻撃を受けた部分が赤く汚れている。
「移動できるものは、物体であればなんでも可能です。俺自身はもちろん、マナを集束して作り出した攻撃も移動できるんですよ。この能力を知ったとある組織に襲われて、逃げ出したんです。その逃走中のさなかでボスに救われて、今ここにいます」
「貴方がここに来るまでの経緯に、興味はありません」
「あ……はは、すみません。つい自分語りしちゃって──」
「ですが、貴方の説明のお陰である程度の対抗策を練れました。次に攻撃を受けるのは、貴方です」
そう言葉を返せばメルダーは一瞬呆気にとられたような表情になってから、楽しそうに笑う。その笑いからは、自分を馬鹿にしている様子は見受けられない。
「さすがダクターさんです!まだまだ俺、最高幹部としても戦闘員としても半人前ですね。訓練中だっていうのに、話を逸らしてすみません。続きをお願いします!」
明るい口調で返事を返し、再び構えをとるメルダー。
ヴァダースも息を一つ吐き、呼吸を整える。
相手が縦横無尽に動くのならば、その動きを制限すればいい。そのための術を、ヴァダースは持っているのだ。彼もメルダーと同じく構え、腰に下げていた、一見すれば何の変哲もないダガーを空間上に浮遊させる。
「全力で行きますよ!」
駆けだしたと同時に瞬間移動を始めるメルダーに、ヴァダースも浮遊させていたダガーを投擲する。
「
放たれたダガーは様々な軌道を描くも、どれもメルダーに直撃することなく。狙いを外した、というわけではない。寧ろ狙い通りだ。ヴァダースの考えていることを、メルダーの方は理解できなかったらしい。先程と同じようにヴァダースの死角に入り込む、が──。
「っあれ……!?」
今度はメルダーが驚きの声を上げることになる。確かに彼はヴァダースの死角である、彼の右側面に移動した。そこから攻撃を仕掛けようとしたらしいが、彼の手足はまるで金縛りにでもあったかのように動かせないようだ。
それもそうだろう。彼の動きを封じることが、ヴァダースの目的だったのだから。
「かかりましたね」
「どうして……ダガーは当たってなかったのに!」
「私のダガーが一重だけだと思わないことですね。今貴方に放ったダガーには、特殊な加工が施されています」
極細に細められたダガーは光の屈折で、簡単に視界に捉えることもできなくなる。そしてピアノ線のようにピンと張りつめたそれは、見た目よりもかなり頑丈なものでもあるのだ。
手足にダガーの糸が絡みついた今のメルダーを例えるなら、蜘蛛の巣に引っかかった哀れな蝶と言ったところだろう。
「昔、貴方のように己の姿を相手に掴ませないような戦い方をする人物がいたんですよ。その人物は己の姿を水の膜で覆い隠すことで視界から消えましたが、その時の応用です。要は相手の行動範囲を極端に狭めればいいんです」
ヴァダースがこの訓練中に思い返していたのは、最高幹部選出試験の時の対戦相手のことだった。あの時の対戦相手もメルダーと同じく、己の姿をくらませることで相手をかく乱させ、その隙を突くタイプだった。
今回のメルダーの場合は姿を見せたままだが、移動速度が異様に速いこともあり、同じようにかく乱させられていた。こういうタイプを相手にする場合は、相手の行動範囲を己が管理できるように制限させてしまうことが効果的だ。相手の勝手にさせないよう、自分の射程距離に来るよう相手を誘導させる。
「その手筈さえ整えられれば、今の貴方の状態に持ってこれるというわけです」
「な……なるほど……」
完敗です、と言わんばかりに苦笑を浮かべるメルダー。そんな彼に対しヴァダースは容赦なく、以前の仕返しと言わんばかりに渾身の一撃を放つのであった。
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