第十六節 ひと時の平穏

 昇格試験に合格した日の翌日。シューラに連れられて、ヴァダースは久方ぶりに地上に出る。地上といっても、本部アジトの中の一階部分だが。


「さて、とりあえず本部アジトの案内とシャレこもうかね」

「本部アジトといっても、地下とほとんど変わらないのでしょう?」

「まぁね。だが、地下修練場と比べたら天地の差だよ。最低限の保障から人並みの保障には格上げされてんだ」


 シューラが言うには、戦闘員に与えられる部屋は地下と同じく二人一部屋だが、個人に割り当てられる空間が広くなっていることがまず一つ。そしてシャワー室も完備されているのだとか。もちろん大衆浴場などもあるが、規定時間以外は使用禁止となっている。そのため任務が長引いたりするときは、よく使われるらしい。

 また、戦闘員専用の食堂も用意されているとのこと。味は保証されているから安心しろと、シューラに零される。


「まぁ、温室育ちのお坊ちゃんの舌に合うかどうかはわかりかねるがね」

「それはどうも。しかし折角の機会ですし、そういった食事をしてみるのも経験になりますよ」

「なんだ、すっかり乗らなくなりやがってまぁ」

「つまらなかったですか。それは申し訳ありませんね」

「ははっ、クソ生意気なところは相変わらずかよ」


 発せられる言葉は優しくないものばかりだが、このやりとりをどこか楽しんでいるようにも感じられるシューラの声。にやりと人の悪い笑みを浮かべながら、上機嫌に歩いている。


「そしてここからが、正式な戦闘員として大きく変わったところだ。よく聞きな」


 まず一つ。正式な戦闘員に昇格した元訓練生はまず、先輩にあたる戦闘員が構成するグループに割り振られる。グループの名前は、先輩訓練生の名前からとられるとのこと。グループに割り振られた戦闘員は、そこで技を磨きながら日々を過ごすことになる。


 ただし任務を言い渡された時はまた話が変わってくると、シューラは続ける。

 任務は基本的に、ボスがグループ長の戦闘員に告げることになる。そして任命されたグループ長の戦闘員は、グループに所属している戦闘員を指名。指名を受けた戦闘員は、すぐさま与えられた任務に赴かねばならない、と。


「これが正式な戦闘員の動きになる。わかったか?」

「ええ、わかりやすいルールで助かります」

「ちなみにアンタは、アタシのグループに入ってもらうことになった。精々ボロボロになるまで働くこったね」

「上等ですよ。……ちなみに、他の人員は?」

「慌てなさんな。これからご対面だよ」


 そう言われ連れてこられた、ある部屋の前。閉ざされていたドアを、シューラが三回ノックする。直後部屋の奥から聞こえてきた声に、ヴァダースは首を傾げた。どこかで聞いたことのあるような声だ、と。

 返事が返ってきたことを確認したシューラがドアを開ける。部屋の中に入ると、そこには三人の人物がまず、シューラに対し敬礼した。


「コイツらが、アンタと同じでアタシのグループのメンバーだ。まぁ簡単に言うならアンタの先輩ってわけ」


 彼女の言葉に続くように、まず細身の男性が近付く。にこやかな笑顔を浮かべながら手を差し出した男性が、自己紹介をする。


「そういうわけ。これからよろしくな~ヴァダースのお坊ちゃん」

「あ……!」


 その人物たちの声を聴いてようやく、ヴァダースの中で合点がいく。目の前にいたこの人物たちは、自分をここカーサに連れてきた人物たちだったのだと。

 ヴァダースがその事実に気付いたことを察したように、シューラが告げる。


「わかったかい?そうだよ、アンタをカーサに連れてくるようボスから指示されたのはアタシさ。そんで、こいつらに任務としてそれを言い渡した」

「もしかして、最初からこのことがわかってて……」

「さぁ、どうだろうね」


 ヴァダースの問いかけにも、シューラはそう言ってはぐらかすだけだった。まずは自己紹介が先だ、と言わんばかりに首で合図をされるだけ。仕方なしと、まずは差し出されている手を握り返す。


「オレはディーブってんだ~。アンタ、オレと同室みたいだし仲良くしようや」

「……こちらは貴方方に散々な目に遭わされたのですが?」

「女のネチネチしたみたいなこと言うんじゃないよ、元お坊ちゃん。ああ、アタシはシャサールって呼んでくれよ」


 ディーブの後ろから回り込んできた、自分とあまり年の変わらないような少女が、自己紹介しながらヴァダースの頭を撫でる。どうやらまだお坊ちゃん扱いは抜けられないようだ。残りの一人も近付きニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。


「まぁ、お坊ちゃんだったんだから仕方ないだろ」

「言ってやるなよトライ、可哀相だろ~?」


 やんややんや、と周りはからかってくるが。ヴァダースは一つ深いため息を吐いてから、反撃にと一言だけ呟く。


「その元お坊ちゃんに対して、大人が三人もいるのにその程度の言葉しか出てこないなんて。嘆かわしいですね……」


 彼の呟きがはっきりと聞こえていたのだろう。トライと呼ばれた男がニヤリと笑ったところが見えた。同じようにシャサールも笑みを深める。まるで一触即発といった雰囲気を感じ取ったのか、シューラが仲裁に入る。


「はいはいはい、じゃれあうのはそれくらいにしときな。とりあえず今日は顔見せだけで、急な任務もない。アンタらは訓練に戻ること」


 シューラの指示もあり、三人は仕方ないと部屋を後にする。ひとまずの面倒は去ったのかと、ヴァダースはやれやれと愚痴を零した。そんな彼にシューラは苦笑するだけ。


「さて、それじゃあボスの部屋まで行くよ」

「ボスの部屋に?何故です?」

「これからアンタには任務が与えられていくわけだが、その際に必要になってくるものがある。それをボス自らがご用意してくださったわけだよ」


 任務の際に必要なもの、と言われ思い浮かんだものが一つある。試しにと確認するようにシューラに尋ねてみた。


「それはつまり、武器の類ですか?」

「おっ、正解。そう、正式に戦闘員になった奴にはそれぞれの武器が与えられる。それがカーサであることの証でもあるのさ」

「カーサ専属の武器職人でもいるんですか」

「これまたご名答。ボス直属の部下にいるんだと。顔は見たことないが、腕利きの職人だということは聞いてるし、実際に質のいいものばかりだ」


 安心していい、なんて言われながらヴァダースはボスの部屋へと向かう。先程と同じように、シューラが三回ノックをする。少ししてから部屋の奥からボスであるローゲ──ボスの名前を知っているということは伏せておく──の声が届く。


「失礼します」


 一言だけ告げて部屋に入るシューラ。続くようにヴァダースも部屋の中に入り、まずはボスのいる机の前まで歩くと、見よう見まねで敬礼する。

 相変わらずローゲは黒い外套を身に纏い、顔が見えないようにと深めにフードを被っている。シューラとヴァダースの敬礼に満足そうに頷いたローゲは、まずはヴァダースの歓迎の言葉を述べる。


「よく昇進試験を合格したな、ダクター。これでお前も本日から正式なカーサの戦闘員として、登録されることになる」

「はい」

「昇進試験でのお前の動きを見させてもらった。そこからお前の得意分野を割り出し、それに見合う得物を用意させた。受け取るがいい」


 そうして机の上に差し出された黒い箱。開けてみるといいと告げられ、素直に箱の蓋を開けてみる。箱の中には、数種類のダガーが用意されていた。刃が黒いものや三日月形のものなど、形も様々。


「それぞれのダガーには、それぞれのマナが仕込まれている。投擲する際に対応するマナを付随させれば、威力も増す。お前は最前線で戦うよりも、戦いの中心に立ち指示を出す方が成長の伸びが良さそうなのでな」

「……それは、どういった意味でしょう?」

「言葉通りの意味よ。いずれはお前のグループというものを作ってもらいたいと考えている、いわば私の願望というやつだ」


 小さく笑うローゲの真意が見えない。しかし今下手に詮索しない方がいいと判断したヴァダースは、わかりましたと了承する。そこで話は終わりかと思われたが、ローゲはまだ与えるものがあると告げた。

 そうして机の上に置かれたものは、一つのヴァイオリンケースだった。そのケースを見て、思わず血液が逆流しそうになる。見間違うはずもない。そのヴァイオリンケースはまだヴァダースが貴族だった頃、両親から誕生日のプレゼントとして貰ったものだ。今更どうして、なんで。


「これ、を……何処で……」

「わかりきったことを聞く。当然、お前の元の家から持ってきたものよ」

「な、何故ですか!?私はもう、音楽家の貴族ではありません!もう私には必要のないものです!」

「そう逆上するな。別に無理に音楽を奏でろと言っているわけではない。そう、ただの趣味にすればいい」

「趣味……ですって……!?」


 その言葉に、ヴァダースは神経を逆撫でされている気分に陥る。

 自分で奪ったものを忘れるなとでも言いたいのか。音楽の道を捨てると決めて、罪人になる決意を固めてきた。後悔しないために、振り返らないために。もうこの手で音楽を奏でることはしないと、考えていたのに。


「趣味というのはいいぞ、人生観を広げることができるし豊かにもできるのだから。これは、私からのサプライズプレゼントというものだ。受け取りなさい」

「いりません!」

「いいやダクター、お前はこれを受け取らざるを得んよ。カーサのボスから与えられたものを放棄するということは、それだけで反逆者として見なされかねないのだからな」

「っ……!」


 その言葉に逆上するかのように乱暴にケースを掴み、ヴァダースは逃げるようにしてローゲのいる部屋から走り去った。

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