第十三節 それは安らぎとは程遠く

 闇、暗く深く際限のない永遠の闇。感覚はなく、ともすればそこに溶け込んでしまいそうな感覚に陥る。


 ──起きよ


 声が響く。いや、この場合は染み込むと表現した方がいいだろうか。いやに聞き覚えのある声に呼ばれている。試しに瞼を持ち上げれば、不思議なことに闇一面であるはずのその場に光が見えた。光源の元は満月のような月明かり。淡く優しく煌めくも、闇がそれを食らっていく。


 月蝕。そう、言うなればその光景はさながら月蝕のようで。


 ──月蝕か。随分とロマンチストな思考をしているのだな、お前は。


 反響する声。どこから聞こえているのか、わからない。それでも何処かにいるのだろうと確認する場合、人間は後ろを振り返ったりするもの。ヴァダースも同じように己の後ろを振り返って、言葉を失った。何故ならその場にいたのは、己自身なのだから。


「僕……!?」

「多少違う。我はお前に植え付けられた"畏怖"の感情が具現化し、意思を持ったもの。お前自身でありお前ではないモノ。それが我」

「植え付けられた……?」


 もう一人のヴァダースはにやりと笑うと、右目をトントン、と叩く。そこでヴァダースは理解する。目の前の人物は、己の右目が意思を持った姿ということを。思わず右目を抑えたが、目の前の人物は呵々と笑う。


「ははは、察しがいい。我の宿主としては合格よ」

「……なにを、するつもりですか」

「そんなに畏れるな。我は確かに畏怖の概念であり、お前の負の感情を触媒に顕現した。それには感謝をしているのだ。すぐにお前を喰らい尽くすことはない」


 愉快そうに残虐な言葉を口にするもう一人の自分。喰らい尽くすとは、自分のことだろうか。思わず後ずさる。

 警戒している自分を一瞥したもう一人のヴァダース──畏怖の概念──は、ため息を吐く。概念と言った割には、その行動はまるで人間のような振る舞いだ。


「畏れるなと言ったのだがな。こうして直に相対するのは二度目だというのに」

「二度目……?そんなはずは……」

「覚えていないときたか、まぁ致し方あるまいな。あの時のお前は混乱と動揺の中で一人だったのだから」

「……!まさか、あの時の……!?」


 畏怖の概念の言葉で、ヴァダースは一年ほど前のことを思い出す。そう、忘れたくても忘れることのできないあの惨劇の日。己の右目が開眼し、意思とは関係なく殺戮を行った忌まわしい日のことを。

 目の前の彼は、コンサート会場の出入り口付近で起きた偶然のことを指摘した。


「思い出したか。あの時はこのように、実体を持てるだけの覚醒ではなかったし、我の中の経験も乏しかったのでな。まぁ、お前に己以外の何かがいると、知らしめることはできたが」

「その、言いぶりだと……いまの貴方は成長した、ということなのですか?」

「ほう、その年でそこまで推察できたか。その通りだ。我はお前の中の入り乱れた負の感情を食らうことで、お前を器として実体を持つことが叶ったのだ」

「負の感情を……食らう……」


 そうだと頷く畏怖の概念。

 怒り、悲しみ、憎しみ、不安、絶望。それらの感情を糧として、彼は思念体として実体を持てるようになったと説明する。


「お前は負の感情を制御しきれなくなると、無意識に我を呼んでいたのだ」

「そんなはず、ありません……!」

「無意識での行動なのだから、覚えがないのも無理はない。しかし、お前は覚えているはずだ。自分がその右目で、何をしてきたのか」

「っ……!」


 彼の言葉が刺さる。

 実の両親を殺し、従者を殺し、友人たちを殺し、親戚を殺した。両親たちは自分の意思とは関係がなかった。覚醒の時の場合は目の前の彼が言うように、無意識下で手を上げてしまったのだろう。しかし、殺したという事実は変わらない。


「初めて人前で眼帯を外す時感じていた不安や猜疑心、それらが我の覚醒を呼び起こしたのだ。不安だったのだろう?たとえ医者から大丈夫だと言われても」

「それは……」


 確かに、なかった、と言えば嘘になる。目の大怪我だったのだ、失明していたらなどの不安は感じて当然だ。


「ただ事実を述べているまで。勘違いしてもらっては困るが、決してお前を責めているわけではない」

「どういう意味ですか」

「言葉通りの意味よ。話を切り替えるが、その後の親戚殺しについては、明確なお前の意思を持って我を呼び起こした。それは理解できよう?」


 理解できないわけがない。親戚殺しについては、もしかしたら自分の意思も含まれていたかもしれない。信じて助けを求め縋ったのに、金目的であっさり裏切られた。そのことに対する怒りが、悲しみが、己を突き動かしたのだろう。ぐ、と拳を握る。


「そしてつい先程、我はお前の負の感情に呼ばれ"開眼"した」


 覚えがないかと尋ねられ、ヴァダースはここに来る前のことを思い返す。

 確か本の内容をメモしようとして、そのための道具を部屋に取りに行こうとしたら複数人の訓練生に襲われ──。


「あの後、僕は……!?」

「言っただろう、お前の負の感情に呼ばれ我が開眼した、と」

「そんな、それは困ります!」

「何故?」

「何故って……!」


 ヴァダースの頭の中で、ある事情がよぎる。それはこの訓練場に連れてこられたときにシューラから聞いた、規則についてだ。


 規則その二の修練時以外の武器及び魔術の行使禁止。

 無意識とはいえ右目が作動したあの時間は、まだ自由時間内のこと。それを犯したということは、自分は罰則として昇進試験の権利をはく奪されるということだ。

 それはヴァダースにとって、最も避けなければならないことでもあった。一日でも早くカーサの正式な戦闘員になるために、毎日血を吐きながら訓練しているというのに。その唯一の機会が奪われかねないとなると、この先の未来がないとすら思えてきてしまう。


「なるほど。しかしお前の場合、正当防衛として認められるかもしれんな」

「何故ですか」

「その規則とやらの、三つ目を思い出すがいい」


 規則その三、待機時間中の犯罪行為並びに犯罪ほう助行為の禁止。

 彼が言うには、先にヴァダースに手を出してきたのは相手たちだ。加えて複数人で襲撃したことも考えると、ヴァダースの右目使用については情状酌量も考えられるのではないか、と。

 そうでなくともヴァダースを襲撃した相手たちは罰則としてカーサから追放し、二度とその敷居をまたぐことは許されない処分がくだされるはず。


 しかし、そもそも何故右目が発動してしまったのか。無意識下で呼んだ、と目の前の彼は発言したが。


「ここ数日、お前の精神は不安定だった。何度戦っても簡単に組み敷かれることへの屈辱、いつになっても上へ上がれないことへの焦燥、成長の兆しが見られない己自身への哀愍と憤懣。それらが渦巻いていた。我を呼び起こす条件が揃いに揃っていたのだ」

「……」

「さらにお前は貴族である己を捨てたと思っているようだが、我は誤魔化せん。お前の中には、驕りがある。己は周りの犯罪者の成り上がりな訓練生とは違う、元は貴族で今は仕方なくここにいるのだ、というな」


 だから自分より下だと思っていた者たちから襲撃を受けたことで、お前は恥辱を感じそれが怒りに直結したのだと、畏怖の概念は淡々と述べる。彼の言葉に反論したいヴァダースだったが、それは事実だった。納得せざるを得ない。部屋で組み敷かれたときに感じてしまったからだ。


 ──小汚い手で触るな、犯罪者崩れの外道たちが。


 そこまで考えて、ようやく腑に落ちたことがある。その右目にいいように使われているうちはアンタは弱いままだと言った、シューラの言葉。こういうことか。驕り高ぶって感情に任せて右目をいいように使っている己は、まだまだ弱いのだと。


「じゃあ……貴方は、僕に警告するために僕を起こしたんですか」

「警告……。まぁそう捉えてもよかろう。我は確かに概念の一種ではあるが、宿主の負の感情を糧とすることで表の世界に影響をもたらすことができる。その度にお前の意識は食われ、最終的には我に完全に支配下に置かれる、ということだ」


 その目盛りが、上空に浮かんでいる月の光だという。月の部分が己であり、暗くかけている部分が畏怖の概念が意識を食らった部分だと。

 月は今のところ、全体の1割弱を闇に食われている。


「弱き者ならこのまま喰らい尽くしてやるところなのだが、聡明なお前に興味が沸いた。すぐに喰らうのは勿体ないと感じてな。一つゲームをしたくなったのだ」

「……それは、僕の意識が喰らわれるのが先か、僕が貴方を抑え込むのが先かというゲームですか?」

「話が早くて助かる。そうだ、我を見事に抑え込んで見せよ。お前が強くなる分には、我は一向に構わん。加えて、多少の負の感情なら喰らうのも我慢しよう。お前が強く負の感情に囚われた時の馳走と考えれば、それもまた一興よ」

「随分と僕にボーナスをくれますね」

「不利な状況から一気に逆転した時に得られる負の感情かいかんは、さぞ美味なのだろうと考えたまでよ」


 からからと笑う畏怖の概念。一方的に決められたように思えるが、これは己自身を変えるチャンスなのだろうと飲み込む。それに、もし右目を己自身が自由に使えるほどに強くなれたら。それだけの力を、身に着けることができたのなら。

 もう誰からも、何からも、逃げなくてもいいのだと。恐れなくていいのだと。


 面白い、根競べなら自信がある。

 顔を上げたヴァダースは、己自身の姿をしている畏怖の概念に対し、挑発的な笑顔を見せた。


「わかりました、いいでしょう。ですが……勝つのはです」


 彼の言葉に、畏怖の概念も楽しそうにあくどく微笑むのであった。

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