第五節 思わぬ再会

「紹介しよう、ローゲ医師だ」


 アニマートから紹介された男性は、ドルチェとは反対側のベッドの脇まで近付くと微笑みながら声をかけた。


「よろしく、ヴァダース。まずは助かって何よりだ」

「……あ、なたは……」

「ああ、色々話したいこともあるだろうが、今はゆっくり休みなさい。頭が起きてからでも、話は遅くはないよ」


 そう話しかけていたローゲに向かって、まずはドルチェが頭を下げた。彼女は心から男性に感謝しているようだ。


「ローゲ医師、この度は本当にありがとうございました……!先生がいなかったら、今頃この子はどうなっていたか……!」

「いえいえ、しがない医師にはもったいないお言葉ですよご婦人。苦しんでいる人を救うのが、医師としての私の務めです。それを果たしたまでですよ」

「それでも、私からもあなたに感謝を。私たちの大切な息子を助けてくださったご恩は、一生忘れません。ありがとうございます」

「旦那様も、そんな。私も、彼の演奏が聴けなくなることは怖かったので。精一杯の処置はさせていただきました。目が覚めれば、ひとまず安心です。今日はゆっくり休ませてあげてください」


 優しく両親に告げるローゲを、ヴァダースはただぼうと見ていた。話し終わったローゲが彼の視線に気付くと、やはり微笑んで頭を撫でる。その感覚が嫌に懐かしく感じてしまったヴァダースは、彼の言う通り休むことになった。


 そして翌日。徐々に頭の回転も回復してきたヴァダースは、ローゲからの話を聞くことにした。ドルチェも同席したがっていたが、今部屋にはヴァダースとローゲしかいない。まずは二人で話がしたいとヴァダースがお願いしたのだ。どことなくローゲと顔見知りだったということを、隠したい気分だったためである。


 ちなみに、ローゲはヴァダースが回復するまでこの屋敷で生活をしてもらっているそうだ。万が一があってはいけないと、アニマートがそう手配したらしい。あの襲撃の後、実に5日間もヴァダースは生死の境を彷徨っていたそうだ。今こうして生きていることが奇跡のようなものだ、とも。そしてまずは、怪我の状況について説明してもらった。


「単刀直入に言おう。奇跡的に、右目は失明してはいない。ただ、目の周りがひどく損傷していた。だからその傷が塞がるまで、眼帯は外してはいけない。感染症の予防にもなるからね」

「本当、ですか?僕、あんまり覚えてないですが、魔物に思い切り噛みつかれたから……右目はもう、見えないと思ってて……」

「そんなことはない。今は眼帯をしてその上から包帯で包んでいるから視界が暗いだけであって、目の周りの傷が塞がれば、しっかりと見えるさ。それは私が保証しよう、約束する」

「ローゲ医師……。ありがとう、ございます……!」


 ローゲの言葉に安堵するヴァダース。そして彼からもう一つ、朗報を聞くことができた。あれだけの被害に遭っておきながら、腕も手も無事だとのこと。その言葉に思わず、身を乗り出す。腕も手も無事、それはつまり──。


「多少リハビリをすれば、今までのようにヴァイオリンを弾くことができる」

「本当ですか!?やめなくても、いいんですか!?」

「ああ、もちろん。大好きな音楽は、これからも続けられるよ」

「よかった……本当に、よかった……!!」


 緊張の糸が切れたのか、ヴァダースはそこでようやく涙を流した。それは紛れもなく、安心から流れる涙。今まで培ってきたものが、すべて無駄に終わること。家族全員一緒の楽団で世界を回る夢を、諦めなければならないこと。それが怖くて堪らなかったのだ。ヴァダースにとって、音楽を続けられなくなることが一番の絶望である。それが回避されただけでも、十分すぎる。


 ひとしきり泣いて、落ち着いたころ。ローゲは暗い表情になり、それで、と言葉を漏らし始める。


「キミを治療しているとき、ご両親から聞いたのだけど……。キミは、黒く大きな魔物に襲われた。そうだったね?」

「はい」

「それで……私と初めて会った時に話したこと、覚えているかい?」


 ローゲの言葉に、ヴァダースは全身から血の気が引く感覚を覚えた。

 はっきりと覚えている。ローゲから忠告されていた、その言葉の内容を。


 呪いのオオカミと言われている魔物。

 その魔物に傷を負わされたものは、その人生の一生を呪われてしまう。

 黒い体毛に、赤と紫が入り混じった瞳を持つその魔物。

 遭遇したら、すかさず逃げなさい。


 初めて出会った時のローゲのその言葉が、頭の中で反響する。もしかして、そうだというのだろうか。自分を襲った魔物が、その呪いのオオカミだと。

 表情が、そうローゲに訊ねていたのだろう。ローゲは不安で押しつぶされそうといわんばかりのヴァダースの手を握り、言い聞かせるようにゆっくりと話す。


「断言はできない。姿が偶然似てしまった、全く関係のない魔物の可能性だってある。むしろそっちの可能性のほうが高い。だがもし、その魔物だったとしても。私は全力でキミ守ろう。呪いなんて吹き飛ばすほどの力とともに」

「本当、ですか……?」

「もちろんだとも。つらい時も、苦しい時も、私がキミに道を与える。後悔しない選択を導く。約束しよう」


 だから大丈夫だと、ローゲがヴァダースの背を撫でる。その手のぬくもりから、安心感を覚えたヴァダース。一つ頷き、それにローゲも頷き返す。


「あの、ローゲ医師。今からリハビリすれば、チャリティーコンサートの演奏は間に合いますか……?」

「そんなにコンサートが大事かな?その、医師として病み上がりの体に無理はさせたくないんだが……」

「僕にとっては、大事なことなんです。もし諦めてしまったら、お父様もお母様も安心して仕事に戻ることができないでしょう……」

「そんなことは……」

「僕のせいで二人の足を引っ張ってしまったら、僕は自分が許せなくなります!僕は二人に、苦しい思いを抱かせたまま楽団に戻ってほしくありません……!僕、頑張ります。だから教えてください!演奏は、できますか……!?」


 必死にすがるヴァダースに、ローゲは一度瞳を閉じてから落ち着くように彼に言い聞かせた。乗り出していた体をベッドの背もたれに預け、ヴァダースはローゲの返事を待つ。


「……そうだな。多少の無理をしてリハビリをすれば、間に合わないことはない」

「じゃあ──」

「しかし、その無理はいずれキミの体に返ってくる。それがいつかは、私にもわからない。5年後かもしれない、20年後になるかもしれない。もしかしたら、来年かもしれない。そうなっても、キミはいいのかい?名家ダクター家を継げなくなるかもしれない、その可能性も考えてのことか?」


 射貫かんばかりのローゲの視線。しかしヴァダースはその視線に臆することは、まったくなかった。真剣な表情でローゲの瞳を凝視しながら、彼ははっきりと答えを出す。


「わかってます。将来、全部を手放さなければならなくなったとしても、僕は選択したことを後悔しません。もし今回のことで全部を諦めたら、それこそずっと引きずってしまう……。時間は、元には戻りませんから」


 ヴァダースの言葉を聞き受けたローゲは、わかったと頷いてからふっと硬かった表情を緩めた。


「そういうことなら、私も精一杯のフォローはしよう。しかし、無理しすぎない程度だ。限度を超えようものなら、即刻ヴァイオリンを取り上げてもらうからな」

「……!はい、ありがとうございますっ!」


 満足のいく答えを得たヴァダース。話も終わったということで、別室で待っていたドルチェとアニマートを呼んでもらった。ローゲに呼ばれ部屋に入ってきた二人にヴァダースは最初に、コンサートがしたいと告げる。当然、二人は無理してほしくないと反対したが──。


「無理なんかじゃありません。このコンサートを成功させるのが、僕の今の目標なのです。仕事に戻るとき、お父様にもお母様にも苦しい思いをさせたままなのは嫌なんです。だから、お願いします。コンサートの日程は、白紙にしないで」


 真摯な対応をするヴァダースに、アニマートもドルチェもそれ以上言えず。少ししてから、わかったと声をかけられた。


「そこまでお前が言うのなら、そうしよう。ただし、無理はするな。それだけは約束してくれるな?無理してまで、ステージに上げることはできん」

「はい、約束しますお父様!」


 約束を交わしたヴァダースの頭を、アニマートが優しく撫でる。ドルチェはある花束を手に持ち、ヴァダースに見せた。聞けばそれは学園のクラスメイトたちからであり、同封されていたメッセージカードには彼の身を案じる言葉が並んでいた。


「これ、貴方が襲われたことを知って学園側が用意してくださったのです。ご学友の皆様にも、貴方の元気な姿を見せましょうね」

「みんな……!はい、僕頑張ります!」


 ドルチェにも元気よく返事を返すヴァダース。それから、リハビリと猛特訓の日々をこなした彼。どうにかチャリティコンサートで演奏しても、恥ずかしくないセッションを聴かせられるまでに復活。そのことを両親も、マエストンをはじめとした屋敷のみんなも、そして付き添ってくれたローゲも、喜んだのであった。


 コンサートは、いよいよ明日だ。

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