第二節 調和を重んじる

 ドルチェとの湯浴みを終え、その後アニマートも旅の疲れを癒した頃。夕食の準備が整え終わったとマエストンから伝えられたヴァダース。実に半年振りとなる親子水入らずの夕食の時間のため、リビングへと向かった。片手には、ヴァイオリンケースを持って。

 両親が帰ってきたときには、成長した自分を見せるためにヴァダースは毎回、ヴァイオリンで一曲披露するのだ。そこで受ける両親からの評価を楽しみに、ヴァダースはヴァイオリンを練習しているといっても過言はない。それが称賛でも批評でも構わないのだ。称賛なら自信に変わり、批評なら自分のヴァイオリンに何が足りないのかがわかる。そこから学ぶことで次に両親と会えた時には、以前よりもさらに良い曲を披露できる。それがたまらなく楽しいのだ。


 そして夕食後、ヴァダースは両親やマエストンたちに見守られながらヴァイオリンで一曲披露する。最後の旋律を弾き終えて一礼すると、今回は両親から拍手をもらうことができた。その拍手に、思わず笑顔が綻ぶ。

 まずはアニマートが、喜ぶ彼に曲全体の感想を伝えた。


「ああ、とても良い旋律だった。お前の優しい気持ちが曲の端々から伝わってきていて、なおかつ曲そのものの良さも引き出せている。練習は毎日欠かさず取り組んでいるようで、私は嬉しいぞ」

「ありがとうございます、お父様っ!」

「ええ、旦那様の仰る通りですわ。聞いていてとても温かい気持ちになれました。素敵な演奏をありがとう、ヴァダース」

「こちらこそ、ありがとうございます。お母様!」

「ただし、ここで満足してはならんぞ。これからも存分に励みなさい」


 アニマートがそう制しながらも、ヴァダースの頭を撫でる。その言葉に対しヴァダースも元気に返事を返す。その後、夕食後の談話の中でふと、アニマートがあることを話し始めた。


「そういえばな、帰ってくる前に妻とも話していたのだが……。今回の休暇中に、チャリティーコンサートを開こうと話していたのだ」

「チャリティーコンサートを、ですか?」

「そうです。ここのところ、この近くで魔物の被害が増加していると聞きました。お庭を荒らされてしまった、とも。その修繕費を寄付しましょうと話していたのですわ」


 しかしただ寄付するだけでは味気ないと考えたアニマートとドルチェ。何かないかと考え、ならばチャリティーコンサートを開くことで住民たちを活気づけようと考えた、とのこと。これについては事前に楽団にも相談済みであり、コンサートを開く許可は得ている、と。

 そして二人は、そのコンサートにヴァダースも参加させたいと伝えてきた。


「僕も、ですか!?」

「ああ。先程私たちに聞かせてくれた音色を、みなに聞かせたいと私は感じた。それに値するレベルだと、確信したのだよ」

「旦那様は当日は登壇されませんが、わたくしとの共演という形で、貴方のヴァイオリンを披露させたいと話していたのですよ」

「僕が、お母様とセッションを……!」


 その提案は、ヴァダースにとって願ってもみなかったチャンスだった。なにしろ彼がヴァイオリンを始めたきっかけは、いつか両親と同じ楽団に所属し、家族で演奏を披露することなのだから。その夢の先駆けが、こんな形で舞い込んでくるとは思いもしていなかったのだ。


「どうだヴァダース?やってみる気はないか?」

「もちろん……やりたいです!ぜひやらせてください!」


 彼の返答に満足そうに頷いた両親は、ならばさっそく話し合いを始めなければならないと、実に楽しそうに会話を弾ませる。


「うふふ、そうこなくては。では日程を調整しなくてはなりませんね」

「そうだな。マエストン、あとで空いているホールをリストアップしておいてくれないか。それと、当日の流れについても」

「承知いたしました」

「ヴァダースには、妻と演奏してもらうための譜面をあとで渡そう。あまり練習できる期間は少ないが、できるか?」

「はい、やります!」

「それでこそ、私たちの自慢の息子だ。期待しているぞ」


 それから、ダクター家によるチャリティーコンサートについての準備期間が始まった。今回の両親の滞在期間に合わせて、コンサートまでの予定が組み込まれることになった。アニマートとドルチェの滞在期間は、一ヶ月間。今はヴァダースの学園も長期休暇ではなく、一日自由時間として開けられる休学日は4日間。それまでに練習やセッティング等もあるため、チャリティーコンサートは期間中最後の休学日に開かれることとなった。

 準備期間中、ヴァダースは過密なスケジュールを送ることになった。通常の学業はもちろんのこと、毎日帰宅してからの勉学等も送り、そのうえでコンサートの課題曲も練習しなければならない。寝る間も惜しんでとはこのことではあるが、ヴァダースはそれをどこか楽しんでもいた。家族みんなで一つのことへ取り組むということが、こんなにも嬉しく楽しいことだと。両親と中々会えないヴァダースだからこそ、余計にその思いは強かった。


 準備期間中のある日の夕食時、ヴァダースはコンサートにはこの屋敷に仕えているみんなも招待したいと両親に告げた。彼の提案に、アニマートもドルチェも喜んで賛成する。


「それは良いな。私たちや、何より大切な我が子を見てくれている者たちに、感謝の恩を伝えるには良い機会だ」

「ええ、とても素敵な考えねヴァダース。みなにも、わたくしたちの演奏をぜひ聴いていただきたいですわ」

「ありがとうございますお父様、お母様。そういうことだから、楽しみにしていてねマエストン」

「しかし……よろしいのですか?我々が屋敷から離れてしまっては、不都合も起きてしまうのでは……」


 マエストンはそう言って心配の声を上げる。しかし彼の杞憂を、アニマートが些事だと告げた。このような機会はあまりないのだから、楽しんでほしいと。それが一家の総意であると彼が伝えれば、マエストンも納得してくれたのだろう。一礼してから、メイドや従者たちに連絡しておくと答えた。


 楽しい夕食も終わり、夜が更けたころ。ヴァダースは就寝前の挨拶をしようと、アニマートの執務室へ向かっていた。部屋へと向かう途中、目的の部屋から光が漏れ出ていることに気付く。どうやら扉が閉まり切っていなかったらしい。ノックをしようとして、中から聞こえてきたアニマートの声に動きが止まった。


「なるほど……カーサ、か」

「はい。ここのところ頻繁にその名が話題に出ています。魔物を使役し、世界征服を企む恐ろしい集団だと。実際に、被害にあった街もあるそうで」

「なんと……。コンサートまでに被害が及ばなければ良いのだが」

「念のため、ミズガルーズ国家防衛軍に要請は出しております。当日までは、何があろうともお守りくださると、言伝も預かっております」

「すまないマエストン。その手の類は私よりもお前の方が詳しい。任せきりになってしまう」

「御心配には及びますまい。旦那様たちに降りかかる火の粉を払うのが、私の務めなのですから」


 彼らの会話に思わず不安が駆け巡り、ヴァダースはノックも忘れてそのまま部屋に入ってしまう。突然の訪問に驚く二人だったが、それを気にするよりも前に不安そうな子供の姿に、口を閉ざす。


「ヴァダース……起きていたのか」

「あの……お父様、マエストン。今の話って……」

「お坊ちゃま、まさか聞いてしまわれたのですか?」

「ご、ごめんなさい。寝る前にお父様に挨拶をしようと思ったのですが、聞いてしまいました……」


 ヴァダースの言葉に、一瞬息が詰まったような表情になるアニマート。額に指を添えため息をつくも、何かを理解したかのように静かに口を開いた。


「……そう、か。……わかった、ならばお前にも教えねばならんな」

「旦那様、しかし……」

「どのみち、学園にいる間は私たちから離れてしまうのだ。その間にもしものことがあってはいかん。事前に知っておいてもよいだろう。知ることができれば、対策を立てられる。この子も12になるのだ、物事を理解できる頭は持っていよう」


 それだけ告げるとアニマートはまず、部屋に置かれていたソファに座るようヴァダースに指示する。おとなしく彼の指示に従ったヴァダース。向かいのソファに座ったアニマートに、不安な眼差しを送る。その視線を受けながら、アニマートはゆっくりと語り始めた。


 魔物を使役し世界征服を企む、カーサという恐ろしい集団のこと。最近起こっていた魔物からの被害は、実はそのカーサという集団が先導しているということ。そのためにヴァダースの住んでいる国を治めている、ミズガルーズ国家防衛軍に救護用精を出したこと。そして彼らに、この付近にたむろしているであろうカーサを一斉検挙してもらうために、チャリティコンサートを開くということ。それらを正確にアニマートはヴァダースに語る。

 チャリティコンサートは、囮であるのだ。この付近に住む住民を一ヵ所に集めることでカーサからの襲撃を防ぐと同時に、外で待機しているミズガルーズ国家防衛軍に彼らを検挙してもらうための時間稼ぎなのだ、と。


「そう、だったのですね……」

「そうだ。私たちが、住民の安全を確保していれば、軍も安心してカーサの検挙に動くことができる。そうすれば、この付近の不安要素を取り除くことができ、また安全な暮らしを送ることができる。わかるな?」

「はい」

「私や妻は、いつでもお前のそばにいられるというわけではない。だからこそ、これからの未来を生きるお前を、妻を、みなを、私は守りたいのだ。不安もあろう、だがこのコンサートを、やめるわけにはいかん。それも……わかってくれるか?」


 アニマートの言葉に俯くヴァダース。頭もよく要領よく物事をこなすヴァダースだが、彼はまだ子供だ。不安や恐怖もあるだろう。彼はそれらをぐっと堪えたような表情をして、それでもしっかりとアニマートに視線を向けた。


「わかりました。それで、みんなを守ることができるのなら。僕は僕のできることを、精一杯やります。お父様とお母様に分も、頑張ります!」


 ヴァダースのその言葉に、アニマートに去来した感情はいったい何だったのだろうか。ひどく優しい目つきに変わった彼は、ヴァダースの頭に手を置き笑う。


「本当に、お前はいい子に育ってくれた。こんなに立派に育ってくれて、私は嬉しいぞヴァダース」

「お父様……」

「私たちのコンサート、必ず成功させよう。大丈夫だ、今のお前がいてくれるのなら百人力だ。……さあ、もう遅い。もう寝なさい、ヴァダース」

「はい。……おやすみなさい、お父様」

「ああ、おやすみヴァダース」


 最後にもう一度、ぽんと頭を軽く叩かれたヴァダース。たったそれだけのことだったが、心のうちに広がりそうになっていた不安が消えていたことに気付く。アニマートたちに一礼した彼は、そのまま自分の寝室へと向かうのであった。

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