第二十四節 私を無視しないで
それから、スグリとヤクが孤児院で過ごす日々が始まった。孤児院では、約束事がいくつか存在している。
まず一つ、孤児院では朝食、昼食、夕食は例外を除いて基本的に全員一緒に食べること。これは孤児院内の子供たちの中で、共同生活をする意識を忘れさせないためだという。孤児院を卒業した後も問題なく社会で過ごすための勉強の一つだと、リゲルは説明した。
また、孤児院にいられるのは基本的に十八歳までだと教えられた。この十八歳という年齢は、ミズガルーズにある学校を卒業する年齢らしい。この孤児院の中にも、孤児院から学校まで通っている人もいるという。その人たちとは時間が合わずになかなか一緒に食事をとることはできない。学校内での都合等で帰宅が遅くなることが原因の一つだと。これが先程の説明にあった、例外の中の一例だ。
そして次に、孤児院の外に出る場合は院長であるリゲルの許可が必要であること。リゲルが院長を務めるこの孤児院は、その背景にミズガルーズ国家防衛軍から資金や安全の支援を受けている。万が一孤児院内で事件が起きた場合は、軍が子供たちの安全を最優先に事に当たってくれるのだ。
しかし孤児院の外に出てしまえば、その制約はなくなってしまう。孤児院の院長のリゲルや、孤児院で働いてくれている他の職員の引率での外出であれば話は別だが、そうでない場合は脱走と捉えられ、保護の対象外になってしまうのだと。約束を破って外に出ることはいけないことだと、子供たちに教えるための厳しめの約束事だと言っていた。
その二つを守っていれば、基本的に孤児院内で自由に過ごすことができる。院内にある大きい図書館で本を読むも、孤児院内に設置されている遊具等で遊んでいても、お咎めはない。また院内には簡易的な学校もあり、文学を学ぶこともできる。
もちろん喧嘩してしまった場合やいたずらをしてしまったらお叱りを受けるが、ここでは伸び伸びと日々を過ごすことができるのだと。
リゲルからの説明を受けたスグリは一安心したような表情になるが、ヤクはどこか浮かない表情のままだった。それからの二人の日々は、大きく変わっていった。スグリは持ち前の明るさからか、孤児院内で過ごしている他の子供たちとすぐに打ち解けることができた。一方のヤクは中々ほかの子供たちに心を開くことはできず、一人で図書館に籠ることが多くなってしまった。
そんな状況を心配してスグリは積極的にヤクに声をかけるが、彼は拒否していた。彼が言うには、孤児院内の外であろうとも、外に出ることが怖いのだと。そんなことはない、ほかの子供たちも孤児院の職員たちもみんないい人だと説明するも、結果は同じ。そのことに対して少しずつだが、スグリの中で苛立ちが募り始めていた。少しずつ擦れ違いな日々が続いたある日に、事件は起きてしまった。
「いい加減にしろよヤク!」
声を荒げてしまったのは、スグリが先だった。彼は今日も他の子供たちと一緒に外で遊ばないかと誘ったのだが、ヤクはいつものように拒否してしまったのだ。それに対しとうとう我慢が利かなくなったスグリが、ヤクに怒鳴る。
「お前、ここに来てからもそればっかりじゃないか!俺の言うことが信じられないのかよ!?」
「……違う。違う、けど……怖いのは、本当だから……だから……」
「だからそんなことはないって、何度も言ってるだろ!みんな優しくて、いい人達だって!何を怖がる必要があるんだよ!?」
「……怖い、よ……外も、世界も、みんな怖いものばかりで……」
「それはお前が勇気を出さないからだろ、この意気地なし!!」
「こらスグリ、落ち着きなさい」
二人の言い争いを止めようと、リゲルがスグリの肩に手を置く。いつもなら何も言い返さないヤクだったが、この日は違った。彼はキッと眉を吊り上げると、啖呵を切ったように言葉を荒げた。
「スグリには、僕の気持ちなんてわからないよっ!!」
今まで聞いたことのないヤクの口調に、思わずスグリは反論が止まる。そんなことはいざ知らず、ヤクは言葉を続けた。
「誰からも愛されて育ってきたスグリに、僕の気持ちなんてわかるわけがない!ずっと閉じ込められて、痛いことされて、苦しい思いしかしてなかった!愛されるなんてことされなかった!外は怖いものばかりで、いいことなんて何一つなかった!!」
「な……」
「怖くてみんなで逃げようって外に出ても、何も取り返せなかった!それに僕がみんなを殺しちゃった!!何もかも怖いよ、苦しいよ!!」
「ヤクも、落ち着きなさい」
「怖いって言ってるのに無理やり連れだそうとするスグリなんて嫌いだ!!ここにいるのがスグリじゃなくて、メルツだったらよかったのに!!」
その言葉のあと、その場がしん、と水を打ったかのように静まり返った。ヤクもその空気で、今自分が何を言ってしまったのか気付いたのだろう。はっとした表情で顔を上げ、口元を手で押さえる。
ヤクの言葉は、スグリにとっては刃物のような言葉だった。ざっくりと突き刺さったような感覚に、思わず肩が震える。
「なんだよ、それ……」
絞り出した言葉が震える。百歩譲って、気持ちがわからないと言われてしまうことは仕方ないとは思える。だが今のヤクの言葉は何だ、ここにいるのが自分じゃなければよかったのに?その言葉で、ヤクのためにこれまで自分がしてきたことが全否定されてしまったかのようだ。
「あ、あの……」
売り言葉に買い言葉。確かにそうかもしれない。しかしその一言だけは、どうしても我慢ならなかった。
「ならもう一生外の世界に行きたいなんて言うんじゃねぇよ、この大馬鹿野郎!!」
弾かれるように叫び、リゲルの手を振り切ってから孤児院内の外へと走り去る。逃げ出したいというよりは、ヤクと一緒にいたくないという気持ちの方が強かった。自分がこれまでしてきたことが馬鹿みたいに思えて、悔しくてたまらない。走り去る時に何かにぶつかったような気もするが、気にせずに走る。そしてそのまま誰もいないだろう場所に辿り着くと、その場に座って膝を抱える。気付けば目から、ぼろぼろと涙が溢れていた。
「ヤクの、大馬鹿野郎……っ、そんな、の……仕方ねぇ、だろっ……!」
メルツ。その名前は以前ヤクから聞かされていた。自分がいた施設の中で、一番の理解者だと言っていた。友達のようなものかと聞いたが、友達ではないと。どちらかと言えば、家族のように思っていたとも。その家族を助けるためにも、ヤクは勇気を振り絞った。しかし結果は報われなかった。救出の時に確か、大人から彼は実験中に死んでしまったと聞かされていたような気がする。
ヤクの助けたかった人たちを助けてあげられなかったのは、自分だって悔しい。助けることはできなかったが、その代わりにヤクを幸せにしてあげたい。そう思い父親のアマツが死んでも、次期領主という立場を捨ててでも、ここまで来たというのに。
いつまでそうしていたのだろう。あたりが静かになってきたとぼんやり感じ始めたとき、後ろから不意に声をかけられた。それは聞き覚えのある声で、振り向けばそこに立っていた人物はルーヴァだった。彼は優しい笑みのまま、隣に座る。
「ようやく見つけたよ。孤児院から出てなかったのに、探すのに苦労するなんて思わなかった。よくこんな場所を見つけたね」
「っ……俺、まだ帰らない……。帰りたくない……」
「聞いたよ、ヤクと喧嘩したんだってね。仲直りしたくないのかい?」
「いい……。どうせヤクは、俺なんかよりも他の人の方がいいって言うから……」
ヤクの言葉が頭の中で反響する。今のヤクにとって必要なのは、自分じゃなくて他の人物なんだという意識を強く持っていた。ルーヴァはそんな風にいじけているスグリの頭を撫でてから、それならと提案してきた。
「じゃあ、僕と一緒に少し出かけようか」
「……でも、リゲルの許可がなきゃダメなんだろ……?」
「大丈夫。言ってなかったけど、僕もこの孤児院の非常勤講師だからね」
「非常勤講師……?」
「ああえっと、臨時職員というか……。簡単に言えば、時々孤児院の様子を見に来る先生、みたいなものだよ。軍人の傍ら、そういう仕事もしているんだ」
「ふぅん……そう、なんだ」
「うん。だからスグリさえよければ、一緒に出掛けないかい?いいところがあってね、教えたいんだよ」
ルーヴァの言葉にしばし考えるスグリ。確かに、今はこの孤児院にいたくないという気持ちが強い。気晴らしに出掛けようと提案してくれているのなら、そこに甘えるのもいいかもしれない。わかったと小さく呟けば、ルーヴァは嬉しそうに行こうかと手を差し伸べてきてくれた。その手を取り、久々に孤児院の外に出たスグリ。
しばらく歩いて到着した場所はミズガルーズ国内ではあるが、大通りからは少し離れたところにある高台だった。閑静な場所であり、穏やかな風が頬を撫でる。高台の近くにはベンチが設置してあり、そこに座れば広い夕焼け空がスグリを出迎えた。
「先に謝らなければならないことがあるんだけど、いいかな?」
夕焼けを眺めていたスグリに、ルーヴァは静かに告げた。なんのことだろうかと隣に座っている彼を見上げる。
「キミ達のこと、軍で内密に調べさせてもらったよ。子供だけで密航することに、どうしても疑問があったからね」
「な……そんな、勝手な!」
「申し訳ない。だけど、それで得た情報はまだ僕の中だけに留めている。誰にも口外なんてしてないよ。むやみに人に話していい内容じゃないからね。……だから、知ってしまったんだよ。キミのお父さんのこととか、ね」
「あ……」
ルーヴァの勝手な行動に最初は怒りが沸いたが、父親のことを知ってしまったというその言葉で、何も言えなくなってしまった。
正直な話、スグリは父親の死に関して今まで考えないようにしていた。それはひとえにヤクを守るためという理由も大きいが、何より尊敬している父親がすでにこの世にはいない事実を考えたくなかった、という理由もある。今自分の隣には、自分以上につらい経験をしてきた人物がいるんだ。自分が弱さを見せてしまったら、彼を不安にさせてしまうから、と。
だけど──。
「スグリは、ヤクのためにってこともあるけど自分自身のために頑張ろうと必死だったんだよね。自分が甘えたら、ヤクが甘えられないからって。自分が泣いたら、ヤクが泣けなくなるからって」
「っ……」
「でもね、これだけは覚えておくんだよ。泣けない時に泣かなくなると、心が痛くなってしまう。心が痛くなってしまっては、人に優しくすることなんてできない。だから、時々は人に甘えることを忘れちゃいけないよ」
そう言ってほほ笑んだルーヴァの笑顔は、どこまでも優しくて。自分より大きい手で頭を撫でられると、こみ上げてきそうになる。
「今は僕しかいない。キミだってまだ甘えていい年なんだよ、スグリ」
それは言外に、泣いてもいいのだとスグリに伝えてきていた。諭されて、限界だったスグリはルーヴァにすがりつくと、やがて嗚咽を漏らし始める。しばらくそうしていたが、優しく抱きしめられ彼の涙腺は決壊してしまう。タガが外れたように大声をあげて泣き始めた。
「う……うわぁああ!おれ、本当はっ……本当はもっと……!もっと父上と一緒にいたかった!もっと色んなことを教えてもらいたかった!!」
「うん……」
「どうして俺を、追いてったんだよぉ!やだよ……いやだ、よ!父上ぇえ!!」
「今まで、誰にも言えなくて苦しかったね。キミはよく頑張ってるよ、スグリ」
「俺だって、怖いよ!独りぼっちは、いやだよ……っ、わぁああん!!」
泣き叫ばれ、服を濡らされても。ルーヴァはスグリを慰めるかのように抱きしめながら頭を撫でるのであった。それからしばらくして、散々泣いて落ち着いたスグリはゆっくりとルーヴァから離れた。
「……服、汚してごめんなさい」
「大丈夫、気にしてないよ。……少しは、スッキリできたかな?」
「うん……。……俺、ヤクに謝りたい……」
「そうだね。それが聞けて、僕も安心したよ。……帰ろうか?」
「……帰る……」
スグリの言葉を聞いたルーヴァは、彼を背負う。歩けると遠慮しようとするも、ルーヴァは泣いて疲れただろうから、帰るまで寝ててもいいよと甘やかしてきた。実際彼の背中は暖かく、父親とはまた違った安心感を覚える。安心感を覚えると、途端に眠気がやってくるというもので。ルーヴァの背中に顔を寄せる。
「……ありがとう、ルーヴァさん……」
「うん。ゆっくりおやすみ、スグリ」
それから孤児院に帰るまでの帰路の途中で、スグリの意識は途切れた。泣きはらした彼の顔はそれでも、どこか穏やかなものであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます