第十八節 悲観

 ブルメンガルテンで暴走を引き起こしてしまい、気を失ったまま帰還した翌日のこと。無事に目が覚めたヤクは、しかし起き上がることができずに布団の中で隠れるように蹲る。研究施設に突入した時に聞かされた言葉が、己が原因で起こった出来事が、頭の中で何度も繰り返し流れていたのだ。


 ……仲間が、死んだ。


 いや、違う。殺されてしまった。


 何故、彼らは殺されなければならなかったのか。

 一番に殺されるのは、自分でなければならなかったのに。


「っ……!」


 小さく嗚咽が漏れる。思い返されるのは、研究施設にいた時に出会った子供たちのこと。決して幸せではなかったが、それでも仲間たちはみんな仲が良かった。いい子たちばかりだったのだ。


 体の小さいあの子は、自分に笑顔をよく見せてくれていた。

 気弱だったあの子は、本の中に描かれていた空に憧れを抱いていた。

 声が出ないあの子は、どんなに苦しくても泣かなかった。

 よく泣いたあの子は、頭をよく撫でてくれた。


 ほかの子も、いい子たちばかりだったのに。震えていたあの子も、実験に耐え抜いていたあの子も、怖いと一緒に寝たいと言ってくれたあの子も。なにも、悪いことなんてしていなかったはず。ただ頑張って一日一日を必死に生き抜いていた、ただそれだけしかしてなかったはずなんだ。


 苦しい毎日から逃げるためにと、自分たちで考えて行動した。

 ただそれだけのことも、自分たちには許されなかったのか。

 そんなにも、自分たちはただの道具でいてほしかったのか。


「どう、して……」


 ──よーく聞け。お前の言うみぃんなは、テメェの脱走を助けた罰で実験回数を増やしに増やした。アッチの処理相手も、お前以外のみんなを俺らでマワしてやった。その結果……ははは、残念だったなぁ。死んじまった奴もいるぜ。


 脳内でその声が雑音のように強く響く。思わず耳を塞ぎ、身を縮こませる。

 もうやめて、聞きたくない。そんなヤクの願いも虚しく、重なるように同じ声の別の言葉が木霊していく。


 ──特にナンバー02だったか?テメェを一番最初に庇ったあのクソガキには、今までよりもひでぇ実験も施した。処理相手として魔物もけしかけてやった。苦しそうに喘いでたが、いっつも言ってたぜぇ。"ヤクが来るから負けない"ってな。

 ──ああ、ついさっき死んだわ。


 自分を突き刺すその言葉。ぼろぼろと涙が溢れる。

 メルツ。自分の唯一の理解者で、一緒に苦難の毎日を共に過ごした、かけがえのない仲間。脱出作戦の時に、危険を顧みないで自分を信じ助けを呼ぶ役割を託してくれたというのに。

 彼に、何も返すことができなかった。守り切ることができなかった。助け出すことができなかった。あまりにも無力な自分が、情けなくなってくる。どうしても考えてしまう。あの時、その役割を無理にでもメルツに託せば、こんな結末にならずに済んだのだろうかと。仲間たちを失わずに、全員が助かったのだろうかと。


 それだけではない。失ってしまったのは、仲間たちだけではない。

 助けを求め、応えてくれようとした優しい人。翡翠の目のあの子がキラキラと目を輝かせながら、自慢の父親だと言っていた頼れる人。そんな人を、よりにもよって自分が殺してしまった。

 今でも覚えている。あの人が怪我を負って、寄りかかってきたとき。咄嗟に背中に手を回した。その時に感じた、生暖かいぬめりとしたものの感覚。あの体の芯まで凍てつかせるほどの寒さの中で感じてしまった、消えていく温度の肉の感触。


 どんなに謝罪しても、もう取り返しのつかないこと。そのことを理解しているからこそ、ヤクは圧し掛かる罪悪感に押し潰されている。それに加えて、翡翠の目のあの子──スグリにどう償えばいいのだろうかと。そればかり考える。


 いや、むしろどうして自分だけ生き残ってしまったんだろう。

 そんな価値、自分にはないのに。そうだ、自分がいなくなればいいんだ。自分が生きていることで心優しい人たちが傷付いてしまうのならば、いっそ──。


 のそりと起き上がったヤクは、誰にも見つからないうちにと部屋を出ようと襖に手をかける。音を立てないように注意しながら開き、廊下に出る。

 外はすでに明るかった。雨が降った後なのか、廊下から見えた庭には水溜まりも出来ていた。それでも、ヤクの心の中は曇天のまま。陽の光など、一切入らないまでに暗く重く覆われている。このまま誰にも見つからなければいいな、そう感じた直後のことだった。


「見つけたぞこのクソガキが!」


 音割れしそうなほどの罵声に体が硬直する。誰の声だろうかと確認できるほどの余裕は、今のヤクにはなかった。その間に声を上げたであろう人物が大股気味で近付くのだけは、どうにか理解できた。ゆっくりと視線を上にあげれば、そこには顔を真っ赤にして息を荒くさせていた、思い出したくない人物が仁王立ちしている。


「ぁ……!」


 一気に血の気が引く。なぜならその人物とは、あの研究施設で出会ったことのある人物であり、彼のトラウマになっている人物でもある。ベンダバル、と研究員たちから呼ばれていた大男、その人だった。途端に体が震える。


 確かに今しがた、自分は死んでもかまわないと感じた。しかしこの人物によって殺されるのは嫌だと、本能的に感じてしまう。それはとてつもない恐怖に思えた。


「昨日のブルメンガルテンは、貴様の仕業だろう!?よくも脱走した上に施設を破壊しやがったな!罰として貴様には特別な施設を用意した、来い!!」


 言うが早いか、ベンダバルはヤクの腕を握りつぶそうといわんばかりに掴んだ。加えて遠慮なしに力強く引っ張るものだから、相当の痛みがヤクを襲う。


「痛いっ!いやだぁあっ!」

「黙れ!てめぇの言うことなんざ聞く価値もないわ!」

「やめて!放して!」

「チッ……騒ぐんじゃねぇ実験動物の分際で!!」


 直後、左頬に衝撃と痛みが走る。以前研究所にいた頃に何度も受けた痛み。しかしここしばらく平穏な日々を過ごしていたヤクにとって、それはずしりと体に響く痛みだった。痛みに呻き、涙が零れる。


「ここでなにをしておるコウガネ!?」


 その騒ぎを聞きつけたのか、廊下から慌ただしい足音とヤナギの声が耳に届く。

 それに続けて、従者の人たちも庭の外から回り込んでコウガネと呼ばれたベンダバルの人を取り囲む。


「これはこれはご老公。いやなに、ガッセ村領主殺害の犯人を見つけたんでね。尋問して連行しようとしていただけですよ」

「何をふざけたことをぬかしておる!その子は貴様と、世界保護施設の被害者ぞ!貴様にその子を利用する権利なぞあるまい!」

「ならばご老公はこのガキを許すとでも仰られるのか!この村の領主を、おのれの息子を殺したこの人殺しを!?」


 男の言葉で、辺りが一瞬静まり返る。その静寂は、ヤクを突き刺す。

 そうだ、自分はこの村の人たちにとって失ってはならない大切な人を、殺してしまったんだ。その事実を改めて確認させられる。


 しばしの静寂の後、ヤナギは諭すような口調で告げた。


「許すも何も、その子は領主様を殺してなどいやせんわ。何もかも、貴様の戯言にすぎん。そのような言葉、信ずるに値せんよ」

「なっ……」


 彼のその言葉を聞いたヤクは、安心するよりも先に混乱する。

 そんなはずはないのだ、自分は確かに覚えている。自分の暴走に、あの人を巻き込んでしまった。その結果、殺してしまったのだ──それなのに、どうしてそこまで優しい言葉を発せられるの。


 コウガネも彼の言葉に動揺を見せたようだ。わなわな、とヤクの手を掴んでいた手とは反対の手が震えている。


「さて、コウガネ。貴様の蛮行、我らはすでに把握しておる。貴様は多額の金を世界保護施設に横流しして、村人からの徴収とは別に利益を得ておるな?」

「なぜ、そのことをっ……!?」

「貴様の浅知恵で考えることなど、読めているわ。一度は領主様の寛大なお心で追放で見逃してやったものの、二度も我らの前にその面を見せてくれたものだ。ここで成敗させてもらおうか」


 ヤナギが控えていた従者たちに指示を送る。指示を受けた従者たちは、腰に下げていた刀を抜刀し、コウガネを取り囲むようにして距離を詰めていく。コウガネにとって、絶体絶命であるはずの状況。しかし彼は、笑った。


「成敗なら……このガキの始末の後で好きにするがいいわ!!」


 ぐい、と腕を引かれる。痛みに呻き、顔を上に向けるとそこには、振りかざされたナイフ。殺される、そう直感した──が。


「そいつに、近寄るなぁあっ!!」


 そんな叫び声が届いたと思ったら、やたら鈍い音が近くで聞こえて。

 気付けば、自分を殺そうとしていたコウガネが地面に倒れていて。その背後に、翡翠の目のあの子──スグリが、片手に何かを掴んで仁王立ちしていた。彼は鋭い目つきで地面に倒れたコウガネを見下ろしていたが、ぱっとヤクに振り向く。

 コウガネとは比べ物にならないほど優しく手を掴まれ、軽く引っ張られる。


「行くぞ!」

「えっ……!?」


 その言葉の意味を聞く前にスグリはヤクに背を向けるように顔を背け、走り出す。突然のことで止まることもできず、連れられるようにヤクも走り出した。混乱する従者たちの合間を縫うように走り抜け、そのまま屋敷を飛び出すことに。


 走って走って、村から少し離れた位置にある森の茂みまで来ると、ようやくスグリが止まる。わけのわからないままに走らされ、心臓は驚愕から悲鳴を上げそうになっている。二人してゼイゼイと肩で息をして、ようやく落ち着いた頃に彼から告げられた。


 ガッセ村から。いやこの島から、逃げようと。

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