第十節 小さな愛
「……ぅ……」
布団に寝かせていた子供の瞼が、ゆっくりと持ち上がる。今の今までその命は、風前の灯火だったというのに。スグリは自分の手を握ったり開いたりしながら、マナの力に改めて驚かされていた。それでも理解できたことが一つある。自分は、目の前の子供を助けることができたんだと。ほっと息をついてから、いまだに天井を見上げ呆然としている子供に、声をかける。
「おい、大丈夫か?」
スグリの声は聞こえたのであろう、子供はゆっくりと顔の向きを変え、彼を見上げた。ここはどこ、と言わんばかりの瞳。
「こ、こ……?」
「ここは俺の家だ。お前、何であんなところで倒れてたんだ?あんなボロボロだったし、なんかあったのかよ?それに──」
一気に質問攻めにしようとしていたスグリに、アマツが待ったをかける。静かに手で彼を制止し、諭すように告げた。
「こらスグリ。そんなに一気に聞いては、この子も混乱してしまうだろう?」
「あ……ごめんなさい、父上」
「わかればよろしい」
ぽん、とスグリの頭に手を置いたアマツは、子供をやさしく見下ろす。そしてスグリにしたように、諭すように子供に話しかけた。
「すまなかったな。この子はただ、お前を心配していたのだよ。どうか許してやってほしい。私の言っていることは、わかるか?」
アマツの問いかけに子供はひとつ、ゆっくりと頷く。その様子を見たアマツは、まずヤナギにあるものを作ってきてほしいと頼んだ。それはスグリも風邪をひいたときや体調か悪いに作ってもらう、ヤナギ特製の雑穀と松の実を使った薬膳。ヤナギはアマツの言葉を聞き受けると、台所へと向かう。
残された子供は不安そうに見上げるが、アマツは大丈夫だと子供を落ち着かせようとする。まずは名乗らなければならないと思ったのだろう、自己紹介を始めた。
「私は、アマツ・ベンダバル。この村を治める、ガッセ村の領主。そしてこの子はスグリ・ベンダバル。私の息子だ」
アマツの自己紹介を聞いた瞬間、子供の顔からさぁっと血の気がなくなる。怪我も完治していないというのに、布団から飛び出し逃げ出そうとした。しかし足の傷がまだ痛むのだろう、廊下に出る前に倒れこんでしまう。
「おい、急にどうしたんだよ!?」
突然の行動に驚くも、スグリは倒れた子供に手を貸そうと手を伸ばす。しかし子供はその手を叩き、振り払った。
「さ、触るなっ……!」
「いって!急になにすんだよお前!」
「いやだ……だって、だって……!ベンダバル、は……悪い人だから……!」
スグリを見上げ、恐怖に震えながら言葉を漏らす。彼から発せられた言葉に、頭にきたのだろう。スグリは思わず掴みかかろうとした。
「なんだよそれ!!俺の父上たちが悪い奴だって言いたいのかよ!?」
「やだ、さわるな!くるなぁっ!」
そう叫んだ直後、子供を中心として突然風が吹き荒れる。風はひどく冷たく、氷の牙が生まれていた。近付こうにも、氷の牙が邪魔をしている。風は徐々に強くなり、部屋をきしっていた襖も、障子すらも吹き飛ばしていく。その騒ぎに何事かと従者たちは集まり、子供を危険と判断した従者の一人が鯉口を切る。その従者に対し、アマツが制止を命令した。
「やめんか!」
「お頭、しかし……!」
従者の言いたいことも、わからないではない。この村の領主とその子供を守ることが、その従者の仕事である。アマツの言葉に狼狽えないわけがない。さらに当のアマツは冷静に目の前の状況を確認し、自分が出ると言い出す。それにはスグリでさえ驚きを隠せなかった。
「父上!?」
「みな、そこから動いてはならん。これは命令だ」
「し、しかし……!」
「二度は言わん。良いな?」
ギラリ、と切れ味の鋭い眼光で一睨みされた従者たちは、その場から一歩も動くことができなくなった。それはもちろん、スグリも同じだった。こうなってしまったアマツは、誰にも御することはできない。今にも不安で胸が張り裂けそうになっていたが、スグリにはもはや、アマツを見守ることしかできなかった。
アマツは臆することなく、氷の牙も舞う風が吹き荒れる中を堂々と進む。牙が彼の纏っている衣服を切り裂こうとも、お構いなしと言わんばかりのいで立ちで。そのまま震えている子供まで辿り着くと、体を屈め子供の頭に手を置く。
「ヒッ……!」
「どうやら、この名前で嫌な思いをさせてしまったようだな。すまない。しかし、私たちはお前の知っているベンダバルとは違う。少なくとも私は、お前を助けたいのだよ」
「う、そだ……いまま、でも……そうやって、だまして……!」
「そんなことはしない。約束しよう。私は、お前を助けると」
「やだ、うそだ、うそだそんなの……!」
子供はがたがたと震える。子供の感情と連動するかのように、風の勢いは増していた。それでもアマツは動じることなく、優しく語り掛ける。
「嘘などではない。私は、嘘は苦手でな。本当のことしか言わんのだよ」
アマツの言葉に、子供は恐る恐るといった様子で彼を見上げる。アマツが子供に対して一つ頷けば、吹き荒れていた風の勢いが徐々に収まっていく。やがて風が完全に消滅すると、アマツはにっこりと微笑んだ。
「うん、良い子だ。私を信じてくれて感謝するぞ。ところで、お前の名前を教えてはくれんか?いつまでもお前呼びでは嫌だろう?」
「……や、く。ヤク・ノーチェ……」
「ヤク、だな。さぁヤク、まだ傷が痛むだろう。替えの部屋を用意させよう」
そう言うなり、アマツはスグリを呼ぶ。不意に呼ばれたスグリは一瞬体を硬直させるも、彼から子供──ヤクと名乗った子供──を背負うよう指示された。スグリとしては、急に父親に襲い掛かったヤクを助けることに不服すら感じていたが。指示されてしまっては、無視するわけにもいかなかった。ヤクの前にしゃがみ、声をかける。
「ほら」
「……」
ヤクが背中に寄りかかってきたことを確認して、再び背負うスグリ。やはり軽すぎるヤク。体の熱は下がっているようだが。
アマツの案内で、襖や障子が無事な部屋へと移動した三人。すでに従者の誰かが布団を用意していたらしく、そこにゆっくりとヤクをおろした。そのタイミングでちょうど、薬膳も出来上がったのだろう。ヤナギが土鍋が置かれたお膳を持ち、部屋へと入ってきた。
「まずは腹ごしらえをしなさい。何も食べてないのだろう?」
ヤナギがヤクの前にお膳を差し出す。置かれていた土鍋からは暖かい湯気が立ち上り、出来立てなのが見て取れる。しかしヤクはそれを食べようとしなかった。それどころか、何かに震えているように感じ取れる。見かねたスグリは、思わず声を荒げてしまった。
「おいお前、いい加減にしろよ!毒なんか入ってねぇよ!」
「こらスグリ、そのように言ってはいかん」
「だけど父上!」
抗議の声を上げるスグリに、落ち着きなさいと宥めるアマツ。それでも動かないヤクに、アマツはヤナギに人差し指を立て指示する。
「ヤナギ、匙を一つ」
「御意に」
アマツの指示を受け、ヤナギは匙を一つ持ってきて彼に渡す。それを受け取ったアマツはヤクに失礼、と一言謝罪を入れる。そして不意に彼の前に置かれた土鍋に匙を入れ、薬膳をひと掬いする。熱々の薬膳を掬い上げたアマツはふうふう、と冷ましてそれを口にする。一つ頷き、うまいなと言葉を零してからヤクを見た。
「どうだ?私は苦しそうに見えるか?」
不安そうに見上げたヤクに問いかけるアマツ。彼の問いかけに対して、ヤクはゆっくりと首を横に振るう。
「だろう?では、これに毒が入っているように思うか?」
その問いかけにヤクは少し考えるような顔になってから、同じように首を横に振るった。その答えに満足そうに笑ったアマツが、ヤクに用意された匙を彼に持たせる。食べてごらん、と言葉をかけられたヤク。恐る恐る薬膳を掬い。口に運ぶ。
その様子を静かに見守るスグリたち。やがてゆっくり時間をかけて薬膳を飲み込んだヤクの瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「どうした?やはり嫌だったか?」
「ち、ちが……。……おいしく、て……あれ……?」
ヤク自身、何故自分が泣いているか理解できていないのだろう。涙を止めようと彼は目をこするも、どうにも止まらないらしい。しかしそんな彼をアマツは糾弾することなく、頭を優しく撫でる。
「ああ、それはよかった。ならば食べなさい、ゆっくりでいいから」
その言葉に答えるように、ヤクは一口、また一口と薬膳を口に運ぶ。その度に泣くものだから、全部食べ終わるまでに相当の時間がかかってしまった。そして食べ終わり、泣き疲れもしたのだろう。ヤクはそのあと、糸が切れたように眠る。そのヤクを布団に寝かせたアマツは、スグリに声をかけた。
「スグリ」
「父上……その、ごめんなさい、俺……」
スグリはしょぼん、と小さくなりながらも謝罪する。彼は、己の行動を恥じていたのだ。大事な人が傷付けられ頭に血が上っていたために、ヤクを糾弾しようとしていたことを。そんなスグリをアマツは叱ることなく、ただ彼の頭に手を置く。
「物事を、自分の物差しだけで測ってはいかん。それでは、将来立派な領主にはなれんのだから。広い視野と、深い思慮が必要になってくる。覚えておきなさい」
「……はい……」
「ただ、お前も私を心配したからこそ声を荒げたのだろう?そこは、私は嬉しかったぞ。ありがとう」
「……!うん、ありがとう父上」
そう言ってふにゃりと笑うスグリ。
これが、後に親友となり恋人同士となるスグリ・ベンダバルと、ヤク・ノーチェの出会いであった。
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