愛の不戦、あるいは付箋(中編)

 冬子が呼び出されたのが火曜日。それを私が聞いたのは昨日の水曜日。

 そして本日、木曜日の放課後。

「どうしたんだ、こんなところで突っ立って」

 地理・歴史科職員室の前で待っていると、担任をしている1年7組から戻ってきたのであろう松下先生が歩いてきた。グレーのスーツの上からでも、ややゴツゴツした体格が想像できる。運動部の顧問ではないが、普段から運動の習慣を欠かさないために体は引きしまっており、実際は40歳を過ぎているはずだが、30歳半ばに見えないこともない。多趣味であるためか独身で、ほっそりとした顔つきは整ってはいるものの、やや気難しい印象を受ける。日頃からやや怒っているような口調のため、なんとなく刃物を思わせた。迂闊に近づけば、痛い目に遭うような……。

 しかし、ここで怯んでいるわけにはいかない。私は冬子のためにも、松下先生のことを調べる必要がある。

「占いをしたいんですよ」

「は?」

「職員室に入っても?」

「ああ、かまわないが……」

 少し困惑した様子で、松山先生がドアを開けた。他の先生は、ちょうど部活動の様子を見に行った頃だろう。とはいっても、熱心に指導をしている先生はあまりいないので、最初に顔を出したら職員室に戻ってくることが多い。ふたりきりなのは今だけだ。

 松下先生が、自分のイスに座る。私は冬子からもらったルーズリーフを机の上において、先生に指示を出した。

「今から私が言うひらがなを、好きな場所に、好きな大きさで、でも丁寧に、いくつか書いてもらってもいいですか?」

 松下先生は一瞬眉をひそめたが、ボールペンを手に取ってルーズリーフに向き直る。

「まず、た」

 先生が、ひらがなの「た」を書く。

「の、み、す、か、た、に、れ、ほ……」

 以下、適当にひらがなを言っては書いてもらう作業を繰り返す。

 ルーズリーフが黒くなってきたあたりで私は指示を止め、お礼を言ってからルーズリーフを手に取って眺める。

「こんなんで、何かわかるのか?」

「ええ、ちょっと待ってください」

 もちろん、わかるはずもなかった。わかるのは、先生の筆跡だけである。そして、それが最大の関心事だった。

 やはり、違う。

「わかりました」

 私は、用意していたでまかせを言うべく、姿勢を正す。合わせて先生も、座り直してくれた。多少バカバカしいとは思っているだろうが、それでも生徒を全否定しない、いい先生だと思う。

「単刀直入にいうと、先生の金運は相当なものです。この一週間のうちに、宝くじの1等が当たります。2等ではありません、1等です」

 あまりにも滅茶苦茶な内容に、先生は鼻で笑った。何か言おうとしているのが見えたが、遮るように言葉を続ける。

「ですが、200万円以上は当たりません。そして、1等が当たるのは1回だけです。なので先生の利益を最大化するためには、1等の値段が200万円未満のものを購入する必要があります」

 謎の制限をつけ加えることで、妙な信憑性が増す。先生は言葉を飲み込んで、しばらく黙り込んだ。

「そうか、言われた通りにしてみるよ。どうしていきなり、俺にそんなことを忠告してくれたのかはわからんが……」

 先生は、ぽりぽりと頭を掻く。

「それと、ひとつ聞きたいことがあって」

「なんだ?」

「告白の呼び出しをして、待ってる様子を影からからかういたずらが学校で流行ってるって聞いたんですけど、本当ですか?」

 私の言葉に、先生は記憶を辿るような素振りを見せる。誰だったかな、などと時折つぶやいていたが、しばらくして思い出したように言った。

「体育の三井先生が、そんなことを言ってたような気がするな。俺は詳しく知らないが、たぶん先生ならわかるはずだぞ」

「そうでしたか、ありがとうございます」

 私はお辞儀をすると、職員室を出た。早足で廊下を渡る。昨日冬子から預かっていた付箋を、ルーズリーフに貼り付けて見比べた。

 筆跡は、どうやら違うらしい。


 付箋に書かれた、あなたのことが好きです、という文。その「た」の3画目、ひらがなの「こ」のような部分の上の一画。たしか、ハネをつけなくても問題ないはずだが、付箋の文字はしっかりと跳ねてあった(私の周りでわざわざハネをつくっている人は見たことがない)。4画目を書くときために勢いがついたというようなものではなく、丁寧に跳ねてあるので、意識して書かれたものだと思われる。そもそも文字全体がかなり丁寧で、性格が出ているのではないかと考えた。

 さて、ノートチェックの際に松下先生は自分の名前をひらがなで記すのだが、「まつした」というサインの「た」を見る限り、付箋の「た」に見られる特徴がなかったのだ。

 ノートチェックのサインなど、かなり適当に書くだろうからあまり信用できず、私は松下先生に、先のような謎の占いを行い、実際のところは筆跡を調査してみたのだった。様々なひらがなを書いてもらったが、本命は「た」である。しかし、丁寧に書いてもらったにも関わらず、松下先生の字はあまり整った印象を受けず、「たの3画目」の特徴も発見できなかった。

 違ったら大変だと、あえて最初から「石川冬子に告白しましたよね?」とは切り出さず、証拠の入手を優先したのだが、それは正しかったようだ。付箋を書いたのは、松下先生ではないのだろう。では誰なのかと言われても、見当もつかないのだが。

 もし、地理・歴史科の先生が個人的に生徒を呼び出すとしたなら、それこそ職員室ではなかろうか。それではあまりにも堂々とし過ぎるのであれば、隣の多目的室に呼ぶのが筋だろう。わからないところを教えていたと言えば不自然さはない。

 さて、そうなると……。

 冬子は、返されたノートをすぐに確認したわけではない。つまり倫理の時間が終わってから何時間か、彼女のノートに付箋を貼る時間がないこともないのだ。机の中にしまわれたノートをこっそり回収して、付箋を貼って戻しておく。だが、目撃者がいるかもしれない状況で、その行動が果たして可能であるのか……。

 3年2組、および冬子の時間割を確認する必要がありそうだ。移動教室などがあったなら、その間に一目を避けての作業が可能になる。

 しかし、その前に。

 いたずらの可能性を考慮して、私は松下先生のくれた情報に従い、もうひとりの先生から話を聞く必要がありそうだ。


「告白のいたずらか。たしかにあったぞ」

 今まで来たことのなかった剣道場。その扉から顔を出して、私は道具の整備をしている三井先生に質問をしていた。白い髪の毛は薄く、顔も痩せこけていたが、体育の先生らしく姿勢はよくて、剣道部への指導も厳しいという噂だ。そして生徒指導もかなり厳しく、正直なところ生徒からはあまり好かれていないらしい。

「2年生が犯人だったんだ。学年の生徒の中ではそのいたずらはかなり話題になってたんだが、それでも犯人は懲りずにラブレターを入れたんだな。で、それをもらった生徒が相談に来たんで、呼び出された生徒を囮にして、柔道部の先生と一緒に、その周辺で怪しい生徒がいないか探したというわけだ。俺は見事にその生徒たちを捕まえて、しっかりと説教してやったよ。もう、2週間くらい前になるかな」

「さすがですね、先生」

 私が褒めると、三井先生は少し恥ずかしそうに笑った。生徒から怖がられても、褒められるようなことはしばらくなかったのだろう。別に本心から褒めたわけではないのでやや良心が痛んだが、傷ついた冬子や、被害に遭った生徒の痛みに比べればどうってことない。

「しかし、どうしたんだ? 急にそんなこと」

 照れ隠しのように、三井先生が話題を変えた。例によって用意していた言葉を、私はさも真実のように伝える。

「3年生に、千賀くんって生徒がいるんです。先生が一昨日、剣道場前の廊下を掃除するよう頼んだ男の子ですね。友達が同じ目に遭ったとかで、彼も心配してたんです。でも、犯人が見つかったならよかったです」

「そうかそうか、千賀の友達が……」

 知らないだろうと思っていたので、彼が千賀くんの名前を反復するのを見て、私はつい質問を増やしてしまった。

「千賀くんのこと、知ってるんですか?」

「ああ、1年の頃に剣道を選択していたからな。体も細くて、そりゃ剣道も弱いんだが、その反面やる気があって真面目だから、覚えてたんだよ」

 奇声にも近い声をあげながら竹刀を振る彼の様子は想像もできなかったが、真面目という部分には共感できたので、私はなるほどと相槌を打つ。

「ああ、でもな」

 三井先生が何かをつけ加えた。

「俺が千賀に掃除を頼んだってのは、少し違うぞ。千賀の方から、掃除をさせてくれないかって言ってきたんだよ。断る理由もないからホウキを貸したんだ。おかげで、綺麗になったよ。意外とグラウンドの方から砂が飛んでくるんだ。助かったって、改めて千賀にも伝えてくれるか?」

 千賀くんが、自ら掃除を名乗り出た。

 何のために?

「はい、わかりました。ありがとうございました。失礼します」

 剣道場を去る。千賀くんが一昨日綺麗にした廊下を歩きながら、私は自転車小屋の方を見た。小屋は3つある。自転車を取り出そうともせずにそこで立っていれば、嫌でも目につくだろう。


「じゃあ、松下じゃなかったってことね?」

 冬子からの返信。先生くらいつけてやれよ。

 調査のために、今日は私が冬子を先に帰らせていた。電車に揺られながら推理を脳内で進めていたが、行き詰まる。彼女のメッセージを送り、簡単な報告をした。それに対する返信である。

「じゃ、2年生で流行ってたいたずらが、懲りずに今も行われているってことかな」

「それはないと思うよ」

 先生への聞き取りをこなしていた私は、行動力の化身とでもいうべき存在になっており、帰りの電車をホームで待っている間に、見知らぬ2年生の女子生徒に声をかけてインタビューをしていたのだった。彼女たちの話によれば、犯人の男子生徒たちは名前を公表されなかったものの、学年の中では周知されていたし、説教を受けてからは三井先生たちがすぐさま彼らを校門より追い出しているらしい。部活動の外周指導をしている先生が校門で待ち構えているので、抜け抜けと戻ってくるのは難しい。

 つまり、いたずらが続行されているとするならば、それは犯人の彼らではなく、模倣犯によるものだということだ。その場合、非常に厄介である。

「まあ、松下は顔も悪くないけど、ちょっと性格キツいからなぁ」

 推理に飽きたのか、冬子は松下先生の品定めを始めた。彼を評価するメッセージがつらつらと画面上を流れていくが、読むのも面倒なのと、妙に引っかかることがあるので、私はしばらくメッセージを見送りながら考え込む。


 いたずらにしろ本気の告白にしろ、冬子を呼び出した以上、送り主はその場所をどこかから観察しているはずである。呼び出した意中の子が本当に来てくれるのかどうか、あるいはいたずら相手が騙されてそわそわしているのかどうかを、判断する必要があるからだ。そうでなければ、単なる嫌がらせにしかならない。本格的な観察であれば、ドローンを用いてなんてこともありうるだろうが、工業高校でもない普通の高校にドローンが飛んでいたならばすぐ話題になるだろう。

 もし本気の告白だとしたならば、いったいどうして、相手は自転車小屋に現れなかったのだろうか。一番考えられるのは、恥ずかしくなって、あるいは怖気づいて帰ってしまったというパターンである。

 だが、それはそれで違和感がある。好きな子を呼び出しておきながら帰ってしまうとなれば、それだけ相手の信頼感を損ねてしまうだろう。仮に、ただ思いを伝えたいだけではなく、きちんとカップルとしての交際を期待しての呼び出しならば、すっぽかしに対して何のフォローもしないのは致命的であろう。この間は恥ずかしくて帰ってしまいました、もう一度チャンスをくださいという手紙が、冬子のところに来ているならばまだしも、彼女からそういった話は聞いていない。

 そうであるなら、やはりいたずらの線が濃くなってくる。しかし、いったいどうしてだろうか。少しチャラついたところはあれど、冬子は誰かからの恨みを買うような女の子ではない。見た目が少し派手なわりに落ち着いていて、彼女に比べれば幾分か地味な私とも一緒にいるくらいだ。悪いことなど、できやしないだろう。つまり、ムカつくからおちょくってやろうぜ誰かに思われるような要因がないのである。本人の言葉なので確実性はないが、恨まれるようなことはしていないというのが冬子の主張でもある。

 だとすれば、無差別な呼び出しの対象に、たまたま冬子が選ばれたということはないだろうか。それならば、私のノートに付箋を貼ったところで何の問題もない。向こうからすれば、呼び出し場所に私が来ようが冬子が来ようが、どうでもいいからである。

 しかし、これはこれで別の問題が発生してくる。自転車小屋という場所は、そこまで珍しい場所でもない。誰かと一緒に帰るのを待つ場所としておかしくないのだから、なおのこと犯人は、相手のことをしっかりと把握している必要がある。相手がわからないとなれば、たまたまそこにいただけの人を観察してしまう可能性もありうるからだ。そんなバカなことはあるまい。

 そして……考えたくないことでもあるが、今日の私の調査で、ある人物が怪しくなってきた。自ら剣道場前の掃除を名乗り出て、待ちぼうけている冬子に声をかけ帰宅を催促した人物。

 なぜ、千賀くんは掃除を名乗り出たのだろうか。それは、駐輪場の様子を見るためなのでは?

 しかし、それならなぜ、彼は冬子に帰った方がいいんじゃないかと教えてくれたのか。彼がいたずらをするような人には見えないが、仮に彼がいたずら目当てで冬子を呼び出したとしても、わざわざ帰った方がいいと伝える必要はないだろう。気が済んだら、彼は勝手に帰ればいいのだから。もちろん、親切にすることで容疑者から外れる狙いがあるということもありうる。

 それに、やはり彼がそんなことをするとは思えない。では、彼は冬子に告白しようとしたのか。いいや、これもありえない。彼らは昨日の昼休みに、初めて対面した様子だったからだ。もちろん、彼の方が一方的に認知していたとしても、冬子のノートに付箋を貼ったことと辻褄が合わない。あれには、私の名前が書いてあるからだ。それに、仮に勇気が出なくて告白を諦めて誤魔化したのだとしても、そんな忠告をすれば警戒され、次の機会を失ってしまうだろう。

 では、彼が手伝いをしているという可能性はないだろうか。例えば、彼の友人が冬子を呼び出して、千賀くんはそれを見守ろうとした。しかし、友人は怖気づいて帰ってしまい、千賀くんはいたたまれず、告白相手になるはずだった冬子に帰るよう伝えたのだ……。

 考えられないこともないが、勝手な推測も甚だしい。

「やっぱり、聞いてみるしかないか……」

 松下先生を疑ったのは申し訳ないが、今疑うべきは千賀くんだった。


(後編へ続く)

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