1-3『詐欺師Yと少年K』


 独特な匂いが舞う路地のなか、自分がスプリミナルであることを宣言した途端、犯罪者達の空気は一気に緊迫した。

「スプリミナル…ってなんだよ…?」

 たじろぎながらスライムたちが顔を合わせるのに、気が抜ける…。

 やっぱり、このバカリージェン共にはわかってはなかったようだな。

「警察特殊認可特異行使結社…。様々な特異点のみが集められた、特殊な探偵部隊です…」

 取引に来ていた男性が、アタッシュケースを抱えながら、タコエイリアン共に向けて、僕らの組織の解説を始める。

異知能生命体リージェンや異能者を逮捕するために武装警察が作られたのはご存じですよね…?その武装警察がなかなか入り込めない管轄、言わば民事的な事から、マフィアや人間至上主義者の問題を解決するために、密かに作られていた、警察の認可した秘密組織のことです…」

「武装警察…ってことは!俺ら捕まっちまうンですかい!?」

 男の解説を聞いたバカなリージェンの、あまりに間抜けなコメントに、また溜め息が出る。

 ミラーマフィアのくせにそんなこともしらないのか…。

「それ以外に…何があると?」

 僕が彼らを睨み付けながらそう言うと、スライム型リージェン達は解説を聞いて恐怖を感じたのか、思わず後ずさる。

 ようやく今の状況がやばいと理解したか…。

「てめぇ…」

 すると、足の下に潰されていたボス的立ち位置のタコエイリアン型リージェンの身体が、怒りで水面のようにユラユラと揺れだした。

「俺を……雑に扱うなぁっ!」

 潰されていた彼のスーツがビリビリと破けると共に、背中から吸盤のついた触手が八本、一斉に僕に襲いかかる。

「ふっ!」

 リージェンの特殊効果の発動に、危機を察知した僕は、直ぐ様上空にジャンプし、一回転をしながら着地する。

「ッチ…攻撃方法本当に蛸だな…」

 そもそも、ヘトロモーガンには体質的な攻撃をする物もいて、このようなリージェンでも、触覚を伸ばして翻弄する個体もいるのだ。

「俺を足げにしやがって…許さねぇっ!」

 僕の態度に激昂するタコエイリアンは、潮水のような少しベタついた体液を撒き散らしながら、僕に向けて幾つもの触手を伸ばす。

「よっと!」

 それに捕まらないように、地面を転がったり、壁を蹴って翻弄したり、ジャンプで避けたりして、彼の攻撃を避ける。

 その間、まさに子供がイマジネーションを膨らませ、画用紙いっぱいに描いたような、頭の下に無数の触手があるピンク色のタコエイリアンの身体を観察してみる。

 触手のなかに毒針が出てきそうな孔や搾みのようなものはない。

 先ほどたばこを吸っていたが、形状的にも普通の純人類と同じだから、なにか口から墨を吐くような気配はないようだし、おそらく、形がエイリアンだから、無重力に強いとか酸素が少なくても良いとかの特徴を持っている可能性がある。

 だが、ここで役に立ちそうな特性は一つだけか。

「タコ型エイリアンだから、主攻撃は触手…って訳っ!」

 バク転をして触手を避けると、着地時に、タコエイリアンの口角がニヤリと上がる。

「そう言うことだ…っ!」

 タコエイリアンは得意気にそう言い放つと、突然、僕の足の付け根にグニャリとした感触が走る。

「…っ!」

 タコエイリアンは、着地した場所を予測し、足を囲むように円形の囲いを作っていたようだ。

 僕が着地したその瞬間、日本古来の罠のように獲物の足を縛り、そのまま8本の内の6本の触手で、僕の全身を縛り付けた。

「アニキィー!やっちまってくだせぇ!」

 スライムの子分達が囃し立てると、このタコは調子にのっているのか、僕を締め付ける触手が、疎らに力を入れながら、ギリギリと強まっていく…。

 こいつの誇るものは、この締め付ける力の強さということか…。

 まぁ…こんなことされても無駄なんだけどね…。


特具武装アーツアンフォールド


 僕がそう呟くと共に、パーカーについていた装飾品が変化し、水色に光る禍々しい形の長剣が二本触手を切り裂きながら生成され、縛られて見えなくなっていた両手に握られた。

「ぐぁぁぁあっ!」

 一応、痛覚はあるようで、タコエイリアンは叫び、斬られて体液を流す触手を縮こめてしまった。

 まぁ、こんな派手なことせずとも、抜け出せる方法はあったんだけどもね。

「アニキッ!くそっ!」

 スライム達はエイリアンに加勢するため、RPGに出てくるような丸っこい姿に変化し、僕の身体に飛びかかってきた。

「うぇっ…!」

 しかし、どうやら彼らは、ゲーム的に言えば下級スライムモンスターのようで、飛びかかって体当たりするしか能がなく、ただベチャベチャと音を立てながら、僕の身体に延々とへばりついては落ちるの繰り返しだった。

「へへっ…どうだ…気持ち悪いだろう!」

「それだけかいっ!」

 そう言いながら、僕は双剣をヘラのように使い、へばりついたスライムを地面に叩き落とし、襲いかかってくる者は、ペシンと叩き落とした。

「く…くそっ…」

 攻撃が全く効かず、悔しがるスライム達は、地面を這いながらまた人形へと戻っていき、タコエイリアンを守るように、円陣を組んだ。

「……ってかさ?あんたら銃あんのに、なんで使わないの?」

 先ほどからずっと考えていたことを口に出してみると、彼らは少し考えた後、頭の上に電球が浮かぶように、ハッとその事に気づいた。

「ハハハハハハッ!敵に有利なことを教えやがってバカめぇ!」

 ダメだ…やっぱりバカだこいつら……正直戦いたくねぇ…。

「くらえぇっ!」

 勢いづいたリージェン達は、馬鹿正直に威勢良く、銃から弾丸を何発も僕に発射した。

「まぁ…僕には効かないんだけどね…」

 彼らの放つ弾丸が体に着弾すると、身体の表面が波紋を生じながらゆらゆら揺れ、飛来した弾全てを背面全体から、ピシャリと音を出しながら受け流した。

「な…なにっ!?」

 驚かれるのも不思議ではないだろう。

 この世界ではまだあまり広くは知られていないのだが、純粋な人類の中には、普通では考えられない異端過ぎる能力、言わば『異能力』と言うものを発症する人間がいる。

 まぁ、僕の異能力は特異点として分類されてるため、少しばかり違うのだが…。

 まぁ、今は一括りに異能力ということにしとこうか。

「てめぇ……そんななりしてやがるが…てめぇはリージェレンスだったのかぁ!」

 まぁ、このバカ共は僕の力を異能力とは思ってないみたいだ。

 てか…こいつらの裏にいるはずの男が『特異点』っていったこと、もう忘れてやがる…。

「まぁ…お前らみたいなのに使うと、ただのかっこつけみたいになるのが嫌だけど…。さっさと終わらせるには丁度良い…」

 そう言って、僕は剣を背中に背負うと、片方の掌を広げて、目の前のリージェン共に向ける。

「な…何する気だ…てめぇ!」

「無能にはわからないこと…」

 後ずさりをするタコエイリアンを鼻で嗤うと、僕の掌の汗腺辺りから、微細の液体が吹き出し、それはテニスボール大の球体を作り出した。

 僕の異能力は簡単に言えば『水を操る』と言うものだ。

「原水圧縮……」

 すると、掌に集められた水がテニスボールから、パチンコ玉程の大きさに圧縮されると、僕は人差し指と親指を立て、ハンドガンを表すような形に変える。

 水を操ると言うことは、形も方向も速度も、概念以外ならどんなことでも変えることが出来る。

 だから、こういうこともできるのだ…。


弾丸ヴァッサー!」


 指に少し気を送ると、パチンコ玉大の水球が、音速の早さで発射され、タコ型エイリアンの心臓近くを貫いた。

「がぁ…っ!」

 胸を貫いた水の弾丸は、リージェンから吹き出す青色の鮮血を纏いながら、背後の壁を凹ませて蒸発し、タコエイリアンは胸を掴みながら、地面に膝をつける。

「ア……アニキィッ!!」

 咄嗟の事への驚きと不安に駆り出されたスライム達が、胸を撃たれたタコエイリアンの親分に駆け寄る。

「原水放出!」

 僕は再度、身体から幾つもの水の球体を出現させる。

 さっきも言ったが、自分の能力は水を操ること。

 だから、犯罪者がこのように一つの場所に集まった場合には、こんな便利な物にも変形することができる。


監獄グリュンツィマー!」


 少し格好をつけて言うと、僕の腕から放出された大量の水が、まるで鳥籠のような形を作りながら、四体のマフィア達に襲いかかる。

「ウワァァァアッ!」

 すると、手から放出された水が周囲ごと彼らを覆うと、まるで檻のような形に変わり、五人のリージェン達を拘束した。

「なんだこれ…くそっ!」

 悔しげに拘束されたスライムが一体、身体を液状にして格子状の隙間から抜け出そうとするが、その途端に水の檻がスライムを飲み込もうと、姿を変える。

「ひっ!」

 スライムの肌に水が掠ることで、水が自分の身体を飲み込もうとする感触に恐怖を感じ、脱出を図った彼が思わず身体を引っ込めた。

 これこそが、グリュンツィマーの力。

 どんな物質であろうが、その空間からは、抜け出させない…。

「ぐ…くそ…」

 傷口をおさえながら、こちらを睨むタコエイリアンに、僕は視線を向けながら檻の中に入る。

 この水の檻は、僕が近づくだけで形を変えて中へと入ることができるのだ。

 リージェンに近づく僕は、ポケットの中から、下部に針を着け、上部に十字架を乗せた鳥籠の形をした物体を取り出した。

「違法物質取締、あと公務執行妨害…になんのかな?まぁいいや、確保」

 めんどくさいが、罪状をしっかりと伝え、僕はそいつにその赤き針を突き刺した。

「がぁあっ!」

 すると、タコエイリアンは痛みに苦しみ、叫ぶ。

「痛みは一瞬だ…」

 少々ありがちな台詞を僕が吐き捨てると、タコエイリアンの体は、その小さな籠の中へと吸い込まれていくように、少しずつ萎縮していく…。

「ぐ……なん…だ……こ……」

 何かを言おうとしたその瞬間、パツン!と軽い音を立てながら、彼の姿は消えてしまった。

 今、犯罪者のリージェンを吸いとったこれは『プリズンシール』と名を付けられている。

 僕がこの姿になるときに持っていたパーカーの飾りの材料や、今着ている服の繊維の中に混ぜられている素材『ルストロニウム』と、とある能力持ちの人間の血液の複合によって作られており、針を経由して、一体分の生命体をこの中に保管することができる。

 もちろん一生このままなんて事はないし、機材を使えばすぐに取り出せることができ、その上『どんな怪我をしていようが、許容範囲なら完璧に治すことができる』というお手軽で万能な医療器具兼拘束装置だ。

 罪人にはもったいない代物だね。

「お…お前…あ…兄貴をどうしたんだよ!」

 すると、他のスライム達がこの光景に恐れを感じながら、僕に聞いてきた。

「どうした…うーん……まぁ、この中に入れたってのが早いか…」

 少し暈しぎみに応えてみると、犯罪者スライム達の肌が、少し粘りけが弱くなっているように見えた。

 スライム型のリージェンというのは表情だけではなく、肌の粘度や体内に含む水の量で、抱いている感情が少しわかる。

 ここで一つ、そのテストをして見てやろうか…。

「でも苦しいだろうねぇ…意識がある状態でこの小ささまでギュウギュウに圧縮されて…。空気も少なくて息苦しい中で、肺や横隔膜が稼働する度に圧迫された身体がミシミシと悲鳴を上げて…。その上、この中には冷房なんてものは一切ついてないから、体温や熱気でほぼ茹で釜状態だし。やっとこの中から出れた頃には、真っ赤な海鮮つみれ状になって出てくるんだろうなぁ…」

 と、言うがこれのほとんどは嘘だ。

 小さく圧縮されるのは本当なのだが、この拘束具は医療でも使うことがあるため、中には麻酔等の医薬品が入っているし、そもそも治すものではあるのだから、痛いわけがない。

 だが、スライムの姿を見てみると、その表情はとても怯えて青ざめており、肌も水気がなくなり、まるでゲーセンで取れる意味不明な形のアクリル性の玩具のように固くなっていた。

 だから、リージェンというのは面白い。

 人間ではなかなか見ることの出来ない表情の変化が、個体によって良くわかるのだから…。

「さて…どうする?このまま一緒にこの中に入る?それとも自首する…?」


「「「「自首しますっ!」」」」


 案の定、返事が早かった。

「はい、よろしい」

 僕がパチンと指を鳴らすと、水の檻は崩壊し、僕らの頭上から地面に降り注ぐと共に、蒸発して消えた…。

「じゃ、頼んだよ武装警察の皆さん」

 その名を呼ぶと、影から足音を立てながら、僕が今武装している物と同じ素材で、特殊武装された警察官が数名、まるで軍隊のごとく現れた。

「はっ!」

 如何にも威勢の良い敬礼の後、彼らは迅速に行動し、リージェン共に逃げられないよう、スライムの身体を、専用の確保ケースの中へと押し込んだ。

「な…いつの間にぃ!」

 急に現れた武装警察の群衆に、拘束された犯罪者達は成す術もないのは言うまでもない。

 僕らスプリミナルは、無抵抗のリージェンを特別な理由なく捕獲することは原則禁じられているため、戦っている最中に、携帯端末から通報をしていた。

 ただ、今回はタコエイリアンのリージェンが抵抗してきたから、彼だけは無許可で捕獲をさせて貰った。

 まぁ、そもそも密売の取り締まりの依頼なのだから、これでこっちが咎められては、こんな仕事やってられない。

 まだ本当に確保しなければならない者はしていないが、とりあえずはOK……。

「あっ…あの男のこと忘れてた…」

 そう言えば、このバカ達の対処に忙しくて、ピンク上着のアイツのことずっと忘れていた…。

「ちょっと聞きたいんだけど…」

 僕は、ガチャガチャの玩具のように拘束具のなかで捕まっているスライム達に、聞き込みを始める。

「あんたらはどこ所属だ…?或マスか?遮ルーア…?それとも…ステッラランクか…」

 ミラーマフィアの中には、ランクや組が存在し、上級階級の人間を守るために、下級の物達がこのような取引などを行うことがあるらしい。

「そ…そんな大層な!俺らそういうのじゃなくて、兄貴が『新しいミラーマフィア集団を作る』っつったから、付いてきただけで、どこの所属でもないんでやす!」

 大体、このようなケースでは、マフィアであることを隠すために嘘をつくことが多いのだが、どうやら現行犯のスライムが言ったその言葉に嘘はなさそうだ。

 というのも、こんなに何も考えてなさそうな彼らが、どこかに所属していた場合、その所属している場所をごまかせるスキルを持っているとは思えないし、そもそも『ハンブル組』なんて聞いたことがないな…。

「そもそも、俺らつい最近まで工場で働いてる善良な市民だったんですよ!」

「そうっすよ!あのアホが着いてこいなんて言うからこんな目に!」

「おい、兄貴の悪口言うなよ!」

「いいだろ!あんなのなにも考えてねぇタコなんだから!」

 というか、捕まったら捕まったでこんなにスラスラしゃべるんだなこいつら…。

 それほど、あの親分的立ち位置のタコエイリアンが信用されていなかったということか…。

「はぁ…んじゃ、今回はただのチンピラだったわけか……。ちなみに、取引で来たあの男は?」

「あいつは…ラーア…だっけか?っていう詐欺集団グループから『取引したい』って言って俺らを利用しただけで…」

「ラーア…か……」

 癇に触るが、郷仲くんの持ってきた情報の通りの人間ではあったわけか…。

 なら、あのマゼンタの上着のやつはオトリか…?

 取引のことはなにも知らなかったような素振りだったし、写真の情報だけはしっかりとあの書類の束の中にあった、だから、彼が無関係とは考えられない…。

「ちょっと見てくるか…あの人…」

 人間も守らないといけない仕事をしている人間としては、彼のことは少々心配だからな。

 まぁ、もしかしたら、口封じに殺されてるかもしれないけど…。

「とりあえず、後はよろし……」


 ドォォォォォオンッ!


「…っ!」

 武装警察に任せて退散しようとした直後、唐突に鳴り響いた破壊音と共に、この古いビルの壁が崩れ、コンクリートの瓦礫が土ぼこりと共に、路地へと落ちていく。

「ヒッ!なんだあれぇ!!」

 捕まっているスライムが驚愕する中、壁からぬっと顔を出したのは、巨大なコブラ型の頭と、崩れた壁を掴む虎のような爪…。

 ただでさえ、ヤニ臭さとどぶ臭さが漂う裏路地だというのに、一気に獣独特の臭さがこの空間にふわりと舞い、なにも知らないスライムどもが必要以上に怯えている。

 まさにそれは怪獣…。

 世間名称、キメラ型無知能生命体ノーインの登場である。

「あーもう…めんどくさいなぁ…っ!」

 このような、昔は特撮映画でしか見なかった有害指定生命を駆除するのも、僕らスプリミナルの仕事になる。

 ただ、これを一人で完全に駆除ができるかはわからないけど…。

「キメラ型ノーイン出現!スプリミナル所属、水原角也!これより、害獣駆除を開始する!武装警察の援護は不要のため!そちらは犯罪者の連行を願う!」

「「「お気を付けて!」」」

 警察の皆が駆除許可と共に敬礼をしたことを僕が確認すると、ノーインは甲高い奇声をあげながら、突如、大鷲のような大きな翼をビキビキと生やし、大きな空へと飛び出した。

 このまま、あの化け物が町を襲うと面倒なことになる。


蒼流シュトローム!」


 僕は武器を背負い、足の踵から水を噴出させて空を飛び、その勢いでその融合獣を追いかける。

 また面倒なことが始まってしまったな…。

 空虚な空を飛行して駆けながら、僕はそう思った。




  ◆




「ハァ…ハァッ!」

 なんだあれ、なんだあれ、なんだあれ、なんだあれ、なんだあれ!

 今までフィクションだと思っていた映像が目に飛び込んできて、僕は混乱していた。

 いかにもミラーマフィアの括りであろうリージェン達が、人間と怪しい薬物の取引をしていたなんてのを知ってしまった。

 それだけで済めば良いが、知ってしまった事自体が、反社会的組織にとっては『粛清対象』となってしまうと言う噂だ。

 どんなに些細なことでも、マフィアの逆鱗に触れれば、地の果てまで追いかけてきて、もしも捕まったら……。

 そんな最期は絶対に嫌だ!

 ここで死にたくなんかないっ!

 とにかく、まずは逃げ込める先を考えろ…。

 ここから一番近いところといえば……。

「駅…しかないか…!」

 あそこなら、一目に触れるからマフィアも派手には暴れられないだろう。

 電車があるなら電車を使えばすぐだし、ターミナルがあったはずだから、タクシーも捕まえられるはずだ。

 その後は、職場に戻って事情を説明して、なんとかしてもらおう。

 元々アウトローな職場なのだから、マフィアと少々の繋がりがあってもおかしくないし、見られたからと言っても、繋がりがあるなら、きっと許してくれるはずだ。

 そうでなければ、まずはずっと胸の中にしまっていた辞表を出して、職場に危険が及ばないようにしよう。

 あとは、自分の貯金にアーカル(旧東北地方)にいる親族に全て渡して、アヤのこともなんとかしてもらえるように。

 そして、僕はマフィアの手からなんとしてでも逃げ続ければ…。


 とにかく、今は逃げるしか……っ!


 ドン!


「痛っ!」

 つい、今後しなければならない事を考え続けていたがために、偶然目の前にいた人間にぶつかってしまった。

「す…すみませ…」

 一言謝り、すぐに立ち去ってしまおうと思ったのだが、顔を上げて、ぶつかった人間の髪の色を見れば、その必要はないとわかった。

「おぉ…ユウキくんか…」

 少し怪しげな関西弁を聞き、ふっと我に返って周りを見回すと、そこには、自分の職場の従業員全員が勢揃いで僕をみていたのがわかった…。

「ハマノさん…?それに、皆さんも…!」

「なんや…?どうかした…?」

 焦る僕に向けて、彼は危機感のない表情で首をかしげる。

 今もなお、マフィアの仲間が僕を追っていて、数秒後にマフィアが僕の首を狙ってこちらに来る可能性がある。

 そうなったら…彼らの命すらも消える。

「皆さん、逃げてください…!向こうでマフィアが取引してて!僕…それを見ちゃって!ミラーマフィアの評判は知ってますよね!?逃げないと…殺され……」

 必死に彼らを逃走に促そうとする最中、ふと僕の頭に疑問が残る。

 今日の予定はいつも通りにグループ詐欺としての活動が一番だったはずなのに、何故彼らが"ここ"にいるのだろうか?

 出る前に濱野さんと軽い会話を交わしたが、僕がここにいるのは、確か社長以外の誰にも伝えられていなかったはず…。


「そう……見てしまったんですね…」


 突如、背後から聞こえた声に驚き、後ろを振り向くと、そこには黒いスーツの下に穴の空いた古着を着た一人の男性がアタッシュケースを持ってそこにいた。

「……カラハシ…さん?」

 僕にとって彼は、同じ詐欺仲間で今日は休みだったはずの人間…。

 それが、目の前にいるとは、どう言うことだ…?

「あーあ……このままなにも見なかったら…アンタもこっち側になれたのにな…」

 大きくため息をつきながら、唐橋はスーツの胸ポケットからサングラスを取り出して顔にかけながら、黒く鈍い片手銃を懐から取り出す。

「な…なにを言って…」


 ガチャ…



「動くな…」

 両手を挙げながら後ずさる僕を止めたのは、重く冷たい銃口と、ほんの数時間前に聞いたはずの声…。

「しゃ…社長……なんで…?」

 振り向いた先にいた彼の視線は、いつも見る少し大雑把な眼ではなく、まるで機械のように無垢で、氷雨のように冷たかった。

「君をオトリにしたのは間違いだった…。見事な騙され上手で腕が鈍いと言う観点から選んだものの、まさか見られてしまうとは…」

 僕に伝うその声すらも、鉄球のようにどこか冷たく、重苦しい…。

「ど…どういうことですか…?一体何を…!」

 要領も閃きも常人程度の僕にとって、今、僕が何故こうなっているのかの情景を冷静に判断処理できること等できる筈がない。

 信じていた人間全員が、黒く冷たいハンドガンを持っている今の状況下と、自身の混乱のせいで、困難を極めているのだ。

「すまないね……これも全て、私たちのためなんだ…」

「我々は強くならねばならない。警察部隊の強化やリージェンが設立した企業の進撃によって、私たちの収益率も厳しくなってきているんです…」

 銃を僕に向けながら、少しずつ少しずつ近づいていく二人に、恐怖を感じて後退りしながら逃げ出したかった。

 だが、仲間だった人間達が構えている銃口が、次々に僕に向けられていくうちに、ついには僕の背は角のどん詰まりの壁に、ピタリとついてしまった。

「全ては家族を守るため…従業員の笑顔のため……」

「君には死んでもらいたい…」

 唐橋と社長の言っている意味がわからなかった。

 何故、命令に従ったはずの僕が殺されなければならないのか。

 何故、見てしまっただけなのに僕が殺されないといけないのか。

 何故…何故…

「何故、僕なんですか!!僕だって従業員だったはずだ…僕だって!会社のためにやってきた筈だ!僕だってぇ!」


 ダァンッ!


 こんな僕なんかにも、生きる権利はあると言いたかった。

 しかし、社長の持つ銃から放たれ、僕の肩を貫いたその弾丸が、それを許さなかった。

「…っ!いっ…あぁぁぁぁぁあっ!ハァ…あぁあっ!あぁぁぁあっ!」

 初めてこの身体に浸透するその感覚は、痛いなんて言葉ではすませられない程、絶望的な刺激が強く強く走っていた。

 生まれて初めて銃で打たれ、恐怖に飲まれている僕。

 ハァハァと過呼吸になりながら、肩から吹き出す赤い血液をなんとか止めたいが為、傷口を手のひらで塞いだ。

 撃たれた、血が出た、熱い、怖い、痛い、なんで、辛い、死ぬ、死にたくない。

 そんな簡略的でマイナスな感情を表す言葉しか、僕の頭には巡ってこなかった…。

「役に立たない者は排除する…それが会社として…ミラーマフィア『或マス』の一角として君臨するため…」

 その言葉を聞くと、僕の目からは涙が流れた…。

 この一日の流れが全て、或マスというミラーマフィアが関連していることに、まず一番驚かなければならないのかもしれないが、今の僕にとっては、自分自身が"役立たず"と認定されていたことが、一番のショックだった…。

「ハァ…ハァ……なんで…なんで…僕は……そんな……」

 涙を流しながら、言葉を漏らす一方、ずっと仲良くしてくれていた筈の同僚は、作り笑顔で僕に言葉を吐き捨てた…。


「ユウキくん……ごめんな…。俺も…やらんとあかんねん…。故郷にいる…あの子のために……」


 カタカタと腕を震わせながらも、濱野さんは僕に銃を向けている。

 涙で滲む視界を凝らしながら全体を見てみると、社長と唐橋以外の人間も同じく、カタカタと身体を震わせたり、人を殺すことに恐怖を感じて涙を流したり、中には失禁までしながらも僕に銃を構える奴だっている…。

 そうだ…結局人間というのは、社会的圧殺によって心をすげ替えられるんだ…。

 それはまさに、詐欺師の道を選んだ僕と同じ…。

 彼らの道のために死ぬんだ……僕は……。


「ごめん…アヤ……」


 ベッドで眠っている彼女の姿を思い浮かべながら、僕は覚悟を決め、そっと目を閉じた…。

 もうなにもかも、この世界の流れに任せていよう。

 そうしたら、きっと楽になる筈だから……。


「撃て」


 ダァン!ダァン!ダァン!ダァン!

 


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