『狩猟祭』【後編】



「……!」

「!」


 ゴッ、と後頭部を小突かれる。

 ああ、ハイグレードボアが移動するんだな。

 ありがとう、ルーシィさすが優秀な相棒だよお前。

 気づかれていたとしても一定以上の距離を保てば襲ってはこないはず。

 まあ、子育て中だから多めの距離は取るけどね。

 幸いあのハイグレードボアは平均サイズよりデカめだ。

 この距離でも見失う事はない。


「ん?」


 なんだ?

 気のせいじゃなければ地面が揺れてるな?

 それにふご、ふご、と……ここまで聞こえる大きな鼻息。

 どうしたんだろう、なんか興奮し始め……。


「コォケエエェェェェェ!」

「ブゥヒイイィ!」


 っ……さ、最悪かよ。

 ハイグレードボアに突進していくのはラックだ。

 食肉用に品種改良された牛のように大きくて、豚のように丸々として、鳥のように鳴き、猪のように強い生き物。

 主食は草木の葉。

 いわゆる草食動物である。

 畜産農家などから逃げ、野生化すると基本群で行動し、縄張りに入ると集団で襲ってくる。

 そ、それが……。


「コケェ!」

「コケエエェェェ!」

「ココェ!」

「ケエエェッ!」


 森の反対側から砂埃を巻き上げ、地面を揺らしながら、鳴き声を上げながら走り始めたラックの群。

 その数、目算だが五十頭近い。

 いや、奥からまだ走ってくる。

 前の方のラックが走り始めたので、後ろのも興奮して走り出したのだろう。

 え、ちょ、こ、これはやばくない?

 あの数じゃ、こっちまでくるんじゃ……。


「ブフオオォ!」


 しかし体格ならばハイグレードボアの方が圧倒的に上だ。

 特に子育て期間中で気が立っている親ボアは、ウリボアに逃げるよう指示を出したあと颯爽とラックの群れへ突っ込んでいく。

 お得意の突進だ。

 ラックもかなりの巨体だが、ハイグレードボアの突進で五、六頭が宙を舞う。

 いや、こんな化け物大戦争が牧場の近所で行われていると思うとなかなかに生きた心地がしないんですけど。


「…………まあ、これはこれで好都合、かな」


 なにしろウリボアが走ってきたのは俺のいる方なのだ。

 銃を構える。

 ボアサイズのハイグレードウリボア程度なら、猟銃で十分。

 五発の銃声はラックの突進音で親ボアの耳には届かないだろう。

 そして、親ボアもあの数のラックに「出てけ」されたら無傷では済まない。

 吹っ飛ばされているラックも無傷ではないだろう。

 中には落ちた時骨折して動けなくなっているのもいる。

 ちょっと危ないけど……このチャンスは逃すわけにはいかないな。

 舌で唇を濡らしてからブーツの底を少しいじる。

 爪先に出る太い針状の刃物。

 草に隠れながら、あの化け物大戦争の方に近づいて……。


「!」


 今だ。

 親ボアに突進するラックの背中に乗せてもらい、一気に距離を詰め、親ボアが凶悪な牙でラックを一斉に宙へ放り投げた瞬間その針を親ボアの目玉目がけて突き刺した。

 まあ、簡単に言えば蹴り入れただけなんだけど。

 なかなかの太さである針状の刃物も、その勢いで根本から折れてしまうが……まあ、想定内だし、


「ブフオオォゥオウウゥ!」


 着地はしたが勢いがすごくて後ろに一メートルほど滑ってしまった。

 たまたま転がっていたラックに受け止めてもらって、この程度で済んだ、が正しいかな?

 目玉を潰されて怒り狂う親ボア。

 体の前後を飛び跳ねさせ、ラックも近づけない勢いで地団駄を踏む。

 背中から大型ナイフを取り出す。

 さて……自分からわざわざあんなに動いてくれるなんて、これはもう一個使う必要ないかな?


「ぶ、ひ、ぉうふ、……ブォ、ウウゥ」


 あまりの半狂乱っぷりにラックたちが引いてる。

 顔を見合わせたあと、冷静になったのか無事なラックたちは来た方向に帰っていく。

 ふむ、とはいえかなりの数の群れだ。

 クーロウさんからは『狩り尽くすつもりで挑め』とは言われたけど……。


 どぅん……。


 ハイグレードボアがびくびく痙攣しながら地面に横たわる。

 うん、あとは解体だけだな。

 人手が欲しいからこのまま待ってた方がいい。


「ルーシィ」

「ヒン!」


 逃げたラックはおそらく元々家畜が逃げて繁殖したんだろう。

 ラックは肉もさる事ながらラック乳も牛乳のようにクセがなくて人が好む味だ。

 このまま逃すよりルーシィに説得させて家畜に戻ってもらう方がいい。

 うちにも二頭くらい欲しいし。

 ルーシィは竜馬の血を引いてるから、他の動物は割と言う事聞いてくれるはず。

 さっきのような興奮状態の時はダメだけど。


「フーッ……フーッ……」

「ああ……今楽にしてあげるね」


 本当は五メートル級のクローベア用に仕込んでおいた麻痺毒だから、ちょっと効きすぎたんだろう。

 ハイグレードボアをこの短時間で痺れさせてしまう量だが、即効性なので効果が切れるのも早い。

 というわけでとどめは今のうちに刺しておかないと。


「子どもたちのところへお逝き」




 ***




「お、おい、マジかよ」

「ラックの群れじゃあないか!」

「今年はラックを狩る年じゃないだろう?」

「それに生きてるぞ! 大人しくついてくるなんて……一体どうなってるんだ?」


『エクシの町』に町の人がざわざわ集まってくる。

『狩猟祭』参加者は昼休憩。

 午前中に狩った獲物は、町の人たちが明日の『肉加工祭』で使うために血抜きや解体をしてくれるので任せる。

 ラックたちはワズの家の放牧場に一度預け、健康診断ののちうちに二頭、質のいいのを貰いあとは欲しい家に販売する予定。


「ひっ!」

「お、おいおいおいおい! マジか!」


 そして、ラックの群が家畜家の方へ送られたあとに馬車五台を繋げ、馬八頭が引いて運んできたのはハイグレードボアとそれにやられたラックだ。

 倒れてしまったラックは、まだ息があったものにとどめを刺したのを含めて、十八頭にもなる。

 また、ハイグレードボアの子ども……ハイグレードウリボアも五頭。

 お馬さんがんばって。


「こ、こいつぁ大物だ……」

「久方ぶりに見たのう」

「今年の冬はお腹いっぱいで過ごせそうねぇ!」

「やるじゃねぇか! 午前中だけでこの成果とは!」

「すげぇ! 誰が見つけたんだ!?」


 ……おお、町の人に大人気だな。

 まあ、確かにハイグレードボアは肉が美味い。

 明日と、そして月末の『収穫祭』はこいつの肉だけで賄えそうだし。

 広場まで馬車が進むと、それはもうたくさんの人が見学に来る。

 ハーサスさんに至っては謎のドヤ顔。

 なんであんな満足そうなのか。

 言っておくけど銃はウリボアにしか使ってないよ……午後はもっと使うかもしれないけど。


「フラン!」

「ラナ、お店は?」

「今ひと段落ついたところ! それに、猟友会の人がすごいの狩ってきたって町の端っこまで聞こえてきたわよ。……まさかとは思うけど、フランが狩ってきたわけじゃ……」

「ラックはルーシィが説得して連れてきただけかな?」


 俺はノータッチですよ。

 と、いうと「はあ?」という顔をされる。

 いやいや、本当に俺はルーシィに促しただけです。


「じゃあ、あのでっかい猪は……いや、あれ猪?」

「(いのしし?)……ハイグレードボアっていう種類のボア。ボアの中では最大の種類。麻痺毒持ってたから……一服盛った」

「はい?」


 ラナは時々ボアの事を「いのしし」と呼ぶけれど、ラナの前世の世界ではボアの事をいのししと呼んでたのかな?

 不思議な響きだけど、ボアに合ってる。

 ……ような気がする。


「いや、本当はクローベアが出た時に対処出来るようナイフに仕込んでたんだけどね」

「ひえ……じゃあ、あれ本当にフランが狩ったの!?」

「まあ、あのぐらいなら……」


 難しくはない。

 言っておくけどハイグレードボアやクローベアよりうちの親父の方が絶対に怖いし、ヤバい……!

 うちの親父に比べれば、野生動物なんて……ねぇ……。


「わあ、本当に大きいです!」

「あれ、クラナ? どうしてラナの店のエプロンを……?」


 人垣をかき分け、駆け寄ってきたのは薄い緑色のエプロンを着たクラナだ。

 全体的に丸いデザイン。

 そういえば、ラナが小麦パン屋の名前は『えん』……それは『丸い』という意味もあるとか言ってたな。

 ただの言葉遊び、とかよく分からない事は言ってたけど。

 うん、可愛い。

 ラナにもクラナにも、とてもよく似合ってると思う。


「……まんまと手伝われたのよ……!」

「まんまと……」

「ダメだわ、あの子早くなんとかしないと……! 社畜根性が形成され始めている!」

「しゃちく根性……」


 確かになぜかクラナがドヤ顔している。

 いや、待て。

 クラナがいるという事は……。


「クラナさーん!」

「うっ!」


 ドヤ顔していたクラナがダージスの登場に表情を歪める。

 嫌われてるなぁ、ダージス……そのしつこさがよくないと思うぞ。

 いや、四年もこっそり想っていた俺も大概しつこいか……。


「よう、嬢ちゃんもいたのか」

「クーロウさん! ……なんか、うちのフランがすみません……」

「どういう意味なの」


 う、うちの……!?

 ラナにそんな風に言われるなんてなんか、すごい……夫婦っぽい!

 いや、夫婦だけど……じゃ、なくてなにが「すみません」!?


「ああ、いや、構わん。むしろ町に被害が出る前に狩れてよかった。お手柄だぞ」

「!」


 おお、クーロウさんに褒められた。

 そういえば戻ってくる途中で「初開催だが『狩猟祭』は成功だなっ」とか言ってたもんなぁ。

 あの厳しい顔のおっさんがウキウキしてるのはちょっとシュール。


「ほんとほんと! 応援を連れて戻ってみるとラックはたくさん倒れてるし、ハイグレードボアの側にユーフランが立ってて……生きた心地がしなかったぜ!」


 そうか、普通はそうか。

 すまん、ダージス、それもそうだった。

 脅かしたのは俺だったな。


「アラァ! けどハイグレードボアを狩ってくるなんてすごいじゃなぁイ!」

「レグルスも野次馬しにきたの? ハイグレードボア……まあ、名前からしてすごそうだけど……」

「そうヨォ〜、エラーナちゃン。ボア種の中では最大級で最高級! 皮も金貨一枚はするもノォ。でもこれは血の量も少ないし大きな傷もないから、銀貨三十は上乗せ出来るわよォ」

「金貨一枚と、銀貨三十枚も!?」


 マジか。

 でもレグルスならそのくらいで捌けそう。

『青竜アルセジオス』に持っていけばもう少し上乗せ出来るかもしれないな。


「その上肉は極上だ! 内臓も余さず使えるし、こいつ一頭で『収穫祭』は間に合うだろう。つーわけで肉は買い取らせてもらうぞ、ユーフラン! 金貨四枚銀貨十枚を用意する!」

「そそそそんなにぃ!?」

「金一封……まあ、祭りの優勝賞金だな。あとは普通に討伐報償金と買取価格が金貨三枚。普通、こんなデカブツ一人で狩れるもんじゃねぇから数人で山分けするもんだ」

「え? でもまだ午前中だよ? 優勝賞金って……」

「こ、これ以上の大物なんか出るわけねーだろう。ハイグレードウリボアやラックまでついてんだぞ」


 うんうん、と猟友会の皆さんが深々と頷く。

 んー?

 ラックをやったのはハイグレードボア……親ボアなので俺はなんにもしてないんだけどなぁ、マジで。

 群れの方はルーシィが説得して連れてきたんだし。


「それに、これからラックの群れを狩る必要はなくなったしな!」


 と雑貨屋の息子さん……猟友会の一人が言う。

 ラックの群はこれまでも定期的に狩っていたらしい。

 なお、千頭ぐらいまでは許容範囲内。

 それ以上の群れになると討伐対象になるらしい。

 せ、千頭って……それを許容出来る『緑竜セルジジオス』の自然力マジパネェ……。


「そうだな、それが一番デカい。野生化したラックは繁殖に抑制がないからすーぐ増えちまう」


 ……千頭になるのってなかなかにとんでもないと思うんですが……。

 いやー、ほんと『緑竜セルジジオス』は食に困らない国だなぁ……!


「生きたラックがこれだけいれば『黒竜ブラクジリオス』に出荷出来るワ。『青竜アルセジオス』も今年の『竜の遠吠え』で被害が大きかったようだし、ラックが普段より多く出荷出来れば喜ぶでしょうネ。フフフ」


 ……あ、これはふっかける気だな?

 交易担当はニックスの家だったはず。

 ん、んん、レグルス、ニックスのあの容姿にやられたりしないだろうか?

 あいつ無駄に美少年なんだけど……。

 まあ、ニックスが出てくるわけじゃないから大丈夫か。

 なんか余計な心配しちゃったよ。


「って事はフランが優勝!? すごいわ、フラン! やっぱりフランはすごいのよ! オーッホッホッホッホッホッ!」

「な、なんでエラーナ嬢が胸張って自慢してるんだ……?」

「そんなのフランは私の…………あ、えーと……だ、だ、だだ、旦那様だからよ……」

「……っ」


 声はどんどん小さくなるし、顔は赤くなるし、顔は俯いてしまう。

 けれど、ちゃんと聞き取れた。

 その場の誰もが、聞こえたのだろう。

 レグルスが「あんらァ〜〜〜〜」と頰に手を当てて嬉しそうに目を輝かせる。

 俺も見ていられなくて顔を手で覆い、背けた。

 いや、無理でしょ。

 直視したら目が潰れるでしょ。

 こんなの反則。


「…………ユーフランって、そんな顔するんだな?」


 などと驚いた顔をしたのはダージスだ。

 は?

 どういう意味だ。

 睨むと慌てて首と手を左右に振る。


「いや! だってお前! 『青竜アルセジオス』にいた頃はいつもにやにや笑ってて、なんか怪しかったから!」

「ああ、そういやぁこの国に来たばかりの頃もチャラチャラニヤニヤいけ好かねぇ感じだったなぁ」

「そういえばそうネェ。今は割と感情が分かりやすくなったワ」

「…………。そう?」


『青竜アルセジオス』を出たばかりの頃は、まあ……ラナに言わせると俺の『貴族モード』が抜けてなかった、らしいけど。

 他の人にもそうだっただろうか?

 全然記憶にない。


「フランは意外と人見知りなんです。慣れてない人の前だとチャラくなっちゃうみたいで」

「え、ええ……?」


 俺人見知りなの?

 ラナさん、そのフォローなかなか苦しくない?


「「「ああ〜〜〜」」」


 …………どうしてみんな納得するの……。


「じゃあだいぶこの町にも慣れたっつー事か!」

「アラ、ユーフランちゃんに慣れたのはクーロウさんだって同じじゃないのかしラ?」

「そ、そ、そそそそそんな事ねぇやい!」

「フフフ。まあ、ユーフランちゃんをそれだけ慣れさせたのはエラーナちゃんの功績も大きいと思うわヨ。二人とも、これからも頼りにしてるわネェ?」

「え、あ……そ、そうかしら?」


 ちらりと見上げられる。

 ……ルーシィにも、俺が人間らしくなった、いい方向に変わってる、みたいな事を最近よく言われるけれど……。


「……まあ、俺が本当にそう変わってるならラナのおかげだと思うよ……」

「……っう〜〜〜〜〜!?」


 そう言ったら、ラナの顔がトマトのように——……。


「わわわわわわたくしお店に戻って参りますのですわ! まままみゃだやる事がやみゃのようにありましたのおおぉ!」

「噛み噛み!?」


 あと言葉が所々おかしい。

 でも全力疾走で人垣を突破していったので追うに追えない。


「ラナ……最近ますます元気そう……」

「…………アラ、これはもしや別な問題が生まれてるのかしラ?」

「え? なにが?」


 ちなみに午後もたくさん狩った。

 狩りすぎて祭り以降の猟友会の狩りの予定も消しとんだらしい。

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