大内輝弘の乱① 亡国の傀儡

長門国・櫛崎城。


"山陽・山陰の覇者"と謳われた毛利元就が死んだ後、毛利家の勢威は徐々に弱まりつつあった。


大友家の攻勢により門司城が6月に落城すると、毛利家はついに北九州における権益を失うこととなり、8月に入ると大友宗麟は満を持して、4万もの大軍を率いて長門国に侵攻を開始した。


そして今、関門海峡の東の長府に立地する櫛崎城では、「毛利十八将」の一人で門司城の守将だった渡辺石見守長が、固唾を飲んで関門海峡の戦況を見守っていた。


櫛崎城は周防灘に突き出した半島の高台に築いた山城であり、本丸からは戦略的要衝である壇ノ浦を俯瞰することができる。


関門海峡で最も狭く潮流の早い早鞆瀬戸では、毛利家に従う村上水軍の因島村上家が大友軍の上陸を阻止せんと立ちはだかった。しかし、そこへ親大友に変節した能島村上家の船団が急襲を仕掛けると、次第に劣勢となった因島村上家は退却に追い込まれる。


「くっ、同族同士の戦いを避けたのか? こうなれば勝山城に籠るしかあるまい」


大友軍の長門上陸を許すと、渡辺長は櫛崎城を捨て、より堅固で5kmほど北西にある勝山城へと撤退する決断を下すと同時に、安芸の吉田郡山城に至急援軍を要請する伝令を送った。


これを受けた毛利就辰も大友軍の長門侵攻を是が非でも阻止すべく、8月中旬、"毛利の両川"こと吉川元春と小早川隆景の率いる毛利軍3万が安芸を出陣する。毛利家は勝山城に籠城する渡辺長の北九州部隊5千を合わせた3万5千の軍勢で、4万の大友軍を迎え撃つのであった。




◇◇◇




長門国・勝山城。


勝山城は長府の北の勝山の山頂に築かれた要害で、大内家の重臣で長門守護代を代々務めた内藤家の居城である。


内藤家は「厳島の戦い」の後、親大内の当主・内藤隆世派と、妹が毛利輝元の母で親毛利の内藤隆春派に分裂する。大内家は「大寧寺の変」により没落の一途を辿っていくが、それでも内藤隆世は大内家に忠節を尽くした。


毛利家との間で「勝山青山の戦い」が繰り広げられると、大内義長と共に勝山城に籠城した隆世は、主君・義長の助命を条件に切腹する。しかし、内藤隆世の命懸けの約定は開城後に毛利元就によって非情にも反故にされ、大内義長は自刃に追い込まれた。


そうした大内家滅亡の舞台となった勝山城は長門国随一の堅城であり、8月下旬に毛利家の援軍3万が到着したことによって、勝山城の南に布陣する大友軍は兵数の優位をほぼ失うことになる。


「宗麟様。このままでは埒が明きませぬ。ここは一計を案じるべきかと存じまする」


「ほう、宗歓。何か策があると申すか?」


大友宗麟にそう進言したのは、大友家の筆頭家老で対毛利戦総責任者の吉岡宗歓だった。


「長門や周防は依然として大内の遺臣が多く、表向きは毛利に恭順していようとも、内心では未だ大内への思慕や忠誠が色濃く残っているはずにございます。これを利用すれば宜しいかと」


「なるほど、大内太郎左衛門尉を使うという訳だな。ふっ、面白いのぅ。厄介者を養っていた甲斐があったわ」


70年ほど前、大内家当主の兄・大内義興に謀反を企てるも失敗した大内高弘が豊後に亡命し、豊後で生まれた子・大内輝弘が客将として大友家に寄食していた。身分の低い輝弘は貧しい暮らしを送っていたが、正統な血筋を受け継ぐ大内一族には違いなかった。


「太郎左衛門尉殿に兵を貸し与え、若林中務少輔(鎮興)の大友水軍に護衛させ、周防に急襲を仕掛ければ宜しいかと。問題は村上水軍ですが……」


「因島村上も壇ノ浦で負けた後だ。今さら邪魔立てするとも思えんが、いざとなれば能島村上に対処させれば良かろう」


「では、某は周防に残る大内の旧臣たちに内応を促す密書を送った後、太郎左衛門尉殿に出陣を促しまする」


「うむ、頼んだぞ。それまでは櫛崎城に撤退し、守りを固めるとしよう」


吉岡宗歓は強い意志の籠もった表情で小さく頷くと、足早に本陣を退出していった。


◇◇◇


豊後国・大徳寺。


「太郎左衛門尉殿、失礼いたしまするぞ」


大内輝弘は大友宗麟が建立した大友家の菩提寺である大徳寺に居を構えていたが、必要最低限以外の物は何も置かれていない部屋からは哀愁すら漂っていた。そんな殺風景な部屋に吉岡宗歓の声が響くと、輝弘は沈んだ心情を表すようにゆっくりと顔を向ける。


「宗歓殿か。このような侘しき所に足を運ばれるとは、……拙者に何か御用ですかな?」


50歳を目前に控えた大内輝弘は立派な体躯をしていたが、大友家の客将という建前とは掛け離れて、病人のような青白い顔色で頬は痩せこけていた。


「左様。貴殿には大内家18代当主として、周防をまとめ上げる責務があり申す。その自覚はおありですかな?」


「ふっ、私があると申しても、一兵すら雇うこともできぬ。それどころか日々の糧を得るのが精一杯の我が身に、今さら何ができると申すのだ?」


吉岡宗歓を見つめる輝弘は、かつて西国で最大の勢威を誇った大内家の末裔とは思えない覇気のない顔で、そこにはもはや大内家当主としての風格は見当たらなかった。


「我ら大友家が兵と船をお貸しすると申したら、如何ですかな?」


「何と!」


その言葉に、輝弘の目の奥に鋭い光が灯った。既に生きる気力を失くしたように見えたが、輝弘は誇りだけは失ってはいなかったのだ。


「ご存知のとおり大友家は今、長門国を攻めておるが、戦況は芳しくない。そこで、貴殿には豊後から周防灘を渡り、毛利軍の背後の周防に攻め入ってもらいたいと考えており申す」


瞑目しながら輝弘は大友家の意図に勘付いていた。


(大友は十中八九自分を捨て駒にするつもりだ。自分を囮として毛利軍の撤退を誘い、その隙に長門を奪おうという策か。運良く自分が生き残り、毛利から周防を奪還できたとしても、大友の傀儡となるだけであろうな)


一方の宗歓も輝弘が大友家の意図に気づいて考えを巡らせているのは察していた。もしここで輝弘が鼻で笑って『自分には無理だ』と返答すれば、宗歓が大友宗麟に提示した策は頓挫するが、それこそ宗歓は輝弘のことを『意気地なしの穀潰し』と罵ったに違いない。


(だが、毛利が苦しい状況にある今、再び大内の名を世に広める捲土重来の機会を得たのだ。このまま厄介者扱いされながら何も為さずに朽ち果てるくらいならば、たとえ己が命を失おうとも御家の仇である毛利を滅ぼすために一役買うのが武士の本懐というものだ。この機を逃すは愚か者であろう)


「承知いたした。身命を賭して、毛利を撃ち破ってみせよう」


「うむ、頼みましたぞ。では、明朝に登城なされよ。今日の内に御身内に挨拶を済ませて下され」


「お気遣い、痛み入る」


自分が大友の捨て駒として扱われることを知りながら、輝弘は深々と丁寧に頭を下げた。


◇◇◇


宗歓の言っていた身内とは、齢20を迎えた嫡男・大内六郎太郎武弘のことであった。


「六郎太郎。お前には大内家の末裔として生き残ってもらわねばならぬ。だが、大友家はたとえ毛利を滅ぼそうとも、いずれ近い内に"六雄"の勢威に飲まれるは必定だ。寺倉家は伴天連を追放したようだが、お前はキリシタンではない。大内家の血脈を残すべく、蒲生家に身を寄せるのだ。今すぐにとは言わぬ。私が死んだら、豊後を出奔して東に逃れるのだ。良いな」


「ち、父上。出陣を前にして死ぬなどと、縁起でもないことを申さないで下され」


「いや、私には分かるのだ。此度の戦で我が命は潰えるとな。無論、私が死なずに周防を奪い返した暁には、お前も周防に来れば良い」


「承知いたしました。父上、ご武運をお祈りしておりまする」


「うむ。六郎太郎も息災で暮らせよ。では、行って参るぞ」


そう別れの言葉を告げて、輝弘は大徳寺を後にしたのだった。

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