赤松家の明暗と播州平定

西播磨は播磨守護だった赤松家が辛うじて勢力を保っているが、その赤松家は一枚岩ではない。飾西郡に本拠を構える宗家の置塩赤松家の置塩城と、その西の揖西郡を治める龍野赤松家の龍野城とは直線距離で15kmほどしか離れておらず、両赤松家は険悪な関係にあった。


その理由は9年前に赤松家当主・赤松晴政がクーデターによって嫡男の義祐に追放された際に、晴政は娘が嫁いだ龍野赤松家の赤松下野守政秀を頼り、政秀が義父である晴政を保護したことにある。それを契機として、龍野赤松家は宗家から事実上独立し、分裂状態となっていたのだ。


さらには、北西の宍粟郡では長水城を居城とする赤松一門の宇野家も赤松家を離反して毛利家に従属した中で、東播磨で赤松一門の別所家が滅亡した事態に、西播磨は緊張状態に包まれていた。


そんな状況で、宗家である置塩赤松家当主の赤松義祐は、赤松一門で自身の後ろ盾でもある宿老の小寺政職が蒲生家に臣従したことから、蒲生家に恭順する構えを見せていた。


しかし、これに反対したのが、知勇兼備の将として播磨に名を轟かせていた龍野赤松家当主の赤松政秀である。政秀は別所家に援軍を送っていた経緯もあり、別所家を滅ぼした蒲生家に対して敵対姿勢を鮮明にする。


加えて昨年、赤松宗家が宍粟郡の宇野家と和睦すると、政秀は密かに毛利家に従属する宇野家に接近した。毛利家の援軍を期待して宇野下総守政頼に共闘を持ち掛け、蒲生家に対して徹底抗戦を画策するのであった。




◇◇◇




播磨国・三木城。


2月に別所家を滅ぼし、東播磨を制圧した蒲生山城守忠秀はそのまま三木城に駐留し、東播磨の掌握に務めていた。


5月24日の夕方、三木城の一室で蒲生忠秀と黒田官兵衛は、村雨雲四郎と対面していた。


「某は村雲党の棟梁、村雨雲四郎晴久と申しまする」


雲四郎は2日前に浅井家に捕われた後、加古川を舟で下って三木城下に到着したばかりであった。


「ほぅ、村雲党か。配下は如何ほどおるのだ?」


浅井長政から素破集団を紹介するという書状を読んだ忠秀は、内心で歓喜しながら訊ねる。


「はっ、素破働きをしておるのは25人ほどにございますが、丹波の里では100人ほどの家族が畑仕事をしておりまする」


「そうか。では、素破の者は武士待遇で召し抱えるとし、我が領内に村雲党の家族が移り住める里を用意するとしよう。どうだ、この条件で蒲生家に仕えてはくれぬか?」


領内に甲賀衆という屈指の素破集団を持ちながら、下級武士よりも虐げたが故に逃散させてしまった過ちを繰り返すまいと、忠秀は村雲党に好待遇を約束した。


「ははっ、誠にかたじけなく存じます。これよりは蒲生家に忠誠をお誓いいたしまする」


雲四郎が平伏する床に涙が零れ落ちる。


「今後は私は大まかな命令を下すが、細かな指示はこの黒田官兵衛に従ってくれ。では、雲四郎。早速だが、初仕事だ。西播磨の龍野赤松家と宇野家の動きを探ってくれ」


「はっ、承知いたしました」


忠秀から初仕事を命じられた雲四郎は笑顔を浮かべていた。




◇◇◇




5月28日。三木城の大広間で蒲生忠秀を前にして平伏する赤松義祐の姿があった。


丹波の赤井家が浅井家に敗れ、但馬までが"六雄"に平定されたと知り、もはや"六雄"に抗えば御家を滅ぼすだけだと悟った義祐は、慌てて三木城に馳せ参じたのである。


「赤松兵部少輔義祐にございます。蒲生山城守様のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じまする」


「面を上げよ。此度は良くぞ蒲生家に臣従を決意してくれた。小寺加賀守、元の主君の説得、大儀であったな」


「はっ、もったいないお言葉に存じまする」


横に居並ぶ重臣の列に加わっていた小寺政職が恭しく頭を下げる。


「幕府は滅んだが、赤松家は"四職"を務めたほどの名家だ。できれば滅ぼしたくはなかった故、誠に祝着だ。だが、兵部少輔よ。龍野赤松はどうあっても従わぬようだな」


「はい。下野守は義弟の私を軽んじて宗家を宗家とも思わず、ことごとく逆らっておりますれば、もはや義兄と言えども許す訳には参りませぬ。どうか山城守様に成敗していただきたく存じまする」


「……愛憎は表裏一体と申すが、近親である故に憎しみも深いか。官兵衛、いかが思う?」


龍野赤松家の討滅を求める義祐に、忠秀は悲哀を浮かべて呟く。


「はっ。赤松下野守は宇野下総守と結んで毛利に援軍を求めておるようにございますが、毛利は当主が交代し、陸奥守(毛利元就)が亡くなった直後で、九州から大友が攻める気配もござれば、播磨に援軍を出す余裕などないと存じまする」


「では今が攻め時だな。よし、来月には西播磨を攻めるぞ。皆の者、出陣の支度を急げ!」


「「「ははっ!!」」」


西播磨への侵攻を指示する忠秀の言葉に、重臣たちの勇ましい声が大広間に響き渡った。




◇◇◇




それから10日後の6月7日、蒲生軍2万は西播磨に侵攻した。


龍野赤松家は宇野家と連合しただけでは兵数において勝てるはずもなく、頼みの綱だった毛利家の支援も毛利家の情勢悪化に伴い、援軍は得られなかった。


赤松政秀と宇野政頼は一度は野戦で10倍以上の蒲生軍を相手に予想以上の奮戦を見せ、その武勇ぶりを示した。しかし、結局は多勢に無勢で退却すると、2人は居城である龍野城と長水城に籠城する。


蒲生軍に包囲された龍野城と長水城は1ヶ月以上の籠城戦の末に兵糧が底を突くと、7月末に長水城の宇野政頼が無念の自害に追い込まれた。


そして、8月2日には赤松政秀も最期の時を迎える。


「くっ、"四職"の赤松家が管領代の六角家臣だった蒲生ごときに敗れるとは誠に無念だ。妻と子供らは兵部少輔の元に行かせよ。義弟も姉と甥に無体は働かぬであろう」


そう言い残して赤松政秀が自刃すると龍野城は降伏開城し、赤松政秀の妻子は赤松義祐に保護された。


こうして西播磨を制圧した蒲生家は1年3ヶ月の苦難の末に、ついに播磨国を平定した。とは言え、播磨の平定に予想以上に長い時間を要した上に、諸勢力の抵抗が頑強だったために兵の損耗や疲弊が激しく、蒲生家は播磨国の掌握と兵の充足にはしばしの時間を要することとなる。



◇◇◇



近江国・統驎城。


8月4日の昼過ぎ。淡路への出陣を目前に控えて慌ただしい統驎城内の居室で、俺は植田順蔵から報告を受けていた。


「ほう、ついに"丹波の赤鬼"が討たれたか」


「はい。最後は稲富家の嫡男の鉄砲により討ち取られたとの由にございまする」


「さすがは稲富流砲術というわけか。これで新九郎は丹波と但馬を平らげ、次は因幡だな。……蒲生はどうだ?」


「蒲生家は2日前に西播磨を制圧しました。それと、浅井殿が捕虜とした丹波の村雲党を譲り受け、召し抱えたようにございまする」


「そうか。蒲生山城守も甲賀衆を失って素破がおらずに困っていたから、村雲党を配下にできて喜んでいるだろうな。……次は備前の浦上家だな。宇喜多和泉守(直家)には気を許すなと伝えてあるが、もう一度文を送って念を押しておくとするか」


蒲生忠秀に宛てて『宇喜多和泉守は"絶対に"信用するな。謀略や暗殺にもくれぐれも用心すべし』と書いた手紙を順蔵に預けると、俺は奥の間に向かう。


もうじき四国征伐への出陣で長い間また留守にするから、今の内に家族サービスをしておかないとな。暑いからアイスクリームでも作ってやるとするか。市の大好物だし、きっと喜ぶだろう。

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