未定

入間しゅか

第1話



「幸子って名前の割に幸薄いよね」

同僚のみさきが私をからかう時に使う決まり文句である。

「ほんと、名前負けよねえ」

私はおどけて答えてみせる。休憩時間、みさきと二人で職場から徒歩圏内にある人気のお弁当屋に行ったのだが、私がほしかったスタミナ弁当は目の前のお客さんが買って売れきれた。すかさずみさきがからかったわけである。


「幸子さ、結婚願望とかないの?」

そぼろ弁当を頬張ってみさきが訊く。私は売れ残ったのり弁当を不本意ながら箸でつつく。

「さあ、どうだろ」

みさきが結婚について私にきく時は大概自分の恋を語りたい時だと知っている。

「どうだろって、なんかないの?あの人、気になる〜みたいな?」

私は首を横に振る。

「私ね、」

始まった。みさきの話は長い。脱線につぐ脱線。本人もたまに終点を忘れる。わかることは彼女が私より長けている点をアピールしたいことのみである。

「てか、聞いてる?」

「聞いてるよ」

もちろん、話半分にとは言わない。

「幸子さ、そうやってボーッと人の話聞くのやめなよ」

「ごめん」

謝りつつも反省はしない。

「あんたもう、30でしょ?焦りとかないの?

私、30までには絶対結婚したいもん、だから今の彼とは本気!」

みさきは28歳。私の二つ年下である。私たちは同時期に途中入職したこともあり、同期という認識が強い。年が違っても、敬語を使う関係にはならなかった。みさきは私をあからさまに下に見てるし、私も敬語は窮屈だと感じていた。

「結婚ねぇ、現実味ないわ」

事実、結婚という単語は私には縁遠いものに感じていた。

「だって、私彼氏いたの高校までだよ?結婚とか全然イメージ湧かないもん。そりゃ、願望はあるけどさ」

「願望は一応あるのね」

みさきは意外って言いたげだ。思えばいつから恋煩いと無縁になったろう。



 高校生最後の夏。私は当時付き合っていた彼と結婚を誓いあった。私たちは放課後の教室で並んで窓から顔を出していた。蒸し暑い。セミの合唱が暑さをより際立たせる。運動部の掛け声がグラウンドに響く。彼の言葉は永遠の約束に感じられた。

 二人は別々の大学に進学。大学一年目、彼の連絡が途絶えたのも暑苦しい夏だった。

 永遠の約束は呆気なく消えた。けたたましいセミの合唱。通知の途絶えた彼とのトーク履歴。

 呆気なく失恋をした私は一人を好むようになった。寂しくないわけではないが、こんなに呆気なく終わるなら始める意味も見いだせない。

 部活に入らなかった私は勉強だけが学生の本望と言わんばかりに図書館に入り浸る。授業をサボタージュすることや、恋愛に明け暮れることや、意味無くキャンパスに住み着くことなどの大学生のモラトリアムすべてを私は経験しなかった。

 しかし、一度だけ宅飲みというものに参加したことがある。それは私が専攻している西洋古代史ゼミの親睦会と称した飲み会だった。

 加藤という男の子の呼びかけで実現した親睦会。場所も加藤宅だった。

 大学生の一人暮らしには広すぎる六畳二間のアパートに十人近くが詰め込まれた。加藤はよく焼けた褐色の肌をした快活な男の子だった。

 乾杯をすませ、適当に自己紹介を終えると皆思い思いに会話を始めた。元々、仲の良いゼミだった。きっと、普段から部活棟でも顔合わせているのかもしれない。友達を作る気のなかった私は一人レモンチューハイを啜って時が流れるまま気の向くまま。和気あいあいとした空間をしみじみ味わうばかりの私に隣で女子をからかっていた加藤がふいに話しかけた。

「増田さんってさ、部活棟でみないけど、帰宅部なの?」

 あまりに不意打ちだったため、増田という苗字はゼミに私しかいないにも関わらず、「え、私?」と確認してしまった。

「え、増田さんじゃなかった?名前」

加藤がしまったという顔したので、私も釣られて狼狽する。

「増田であってる、あってる。ごめん」

安堵した加藤。なんて表情のわかりやすい人だろう。

「あ、私は部活入ってないから」

申し訳ない気持ちになる必要はないが、どこか申し訳ない。

「あ、そうなんだ。やっぱり、だって増田さんいっつも図書館にいるもんなぁ」

ズキっと胸の辺りに何かが刺さった気がした。

「知ってたんだ。そうだね、卒論で苦労したくないしさ」

適当に誤魔化したが、人付き合いを避けている言い訳に過ぎない。

「もう、卒論の準備してるん?すげ、俺なんも考えてないわ」

 呆気なく終わるなら始める意味もない。なぜか得意気に笑った加藤。彼の笑顔は私の弱さ見透かしているようで怖い。

 その日は遅くまで加藤と話した。彼から逃げたい気持ちを抑えながら。呆気なく終わるなら始める意味もない。私は言い聞かせていた。

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