第一部「トバシラ」

第1話

 王城の外壁にもたれ仲間の帰りを待つディーンがはるか遠くを見据えて微笑み、心地良いそよ風が青草を揺らしている。


「よっと……」


 呟きながら地面に片膝を立てて腰を下ろしたディーンは少し心配した面持ちで俯く。


「二人とも遅いな……」


 立て掛けていた黄金の槍を手元に寄せる。

 ディーンは目を伏せて仲間の帰りを祈った。



 ――オーディンよ。


 ディーンの頭の中で重苦しい声が響き、ディーンはハッと目を見開いた。

 声の主は眼前には居ない。

 ディーンは呼びかけた相手の正体を知っていた。


「ユピテル殿、今の私はディーンというしがない国王ですよ」


 微笑みを浮かべたディーンは独りでユピテルという者に問いかける。


 ――ロキの行方を知らぬか。


 ユピテルはディーンの言葉を無視して尋ねた。


「……」


 ロキ、という名前にディーンは眉をぴくりと動かしたが、依然として微笑み続けていたた。


「私には見当がつきません。自由が好きなロキのこと、今頃この星にも居ないかもしれません」

 ――いいや、ロキの存在は感じるのだ。だが、この星に溶け込み過ぎて的を絞れない。

「土にでも還ったのでしょう」


 ディーンは馬鹿にしたようにふっと笑う。


 ――ロキのせいで貴様は【神格しんかく】から落とされたというのになぜ笑うのだ。

「弟の責は私の責です。現世での生き地獄……この程度の罰なら甘んじて受けますよ」

 ――奴に一矢報いたいなどとは思わぬのか。

「私にはこの国がある。今更ロキに償いをさせようなどとは思いませんし、そんな無粋な真似、私には出来ませんよ」


 優しく丁寧に言葉を返すディーン。


 ――奴のせいで神々の一部は強制的にかみちされてしまったのだぞ。


 ユピテルの重苦しい声が一回り大きく頭の中で響き渡るが、


「今の私には関係ありませんね」


 ディーンはそう呟き目を瞑った。


 ――ヘルメスにゼウス、クロノスにアポロン、ニュクス、アレス、シヴァ、ルナとソルの双子にテミスと……。今の時点でこれだけの神が消えているのだぞ。

「そうですか」

 ――お主の戦神の座も代わりの者を探すのにどれほど苦労したことか……。

「戦神の座には新しくニケが居ると聞きます。代わりの神など、すぐに見つかりましょう」


 ディーンは不敵に笑う。

 神の座を降りた彼にとって、今の神界の状況などさほど気にする事ではなかった。


 ――……先程から貴様、しんおうである我を馬鹿にしているのか。


 ユピテルの声が聞こえた後、場の空気が凍りつき吹いていた風がぴたりと止んだ。


「馬鹿になどしていませんよ。ただ、今の私には関係ないというだけです」

 ――弟の責を貴様が引き受けたせいで神界(しんかい)に残ったロキが暴れたのだぞ。

「ふふっ、それは大変ですね」


 ピリつく空気をもろともせず、ディーンは優しい笑みを目の前に居ないユピテルへと向けた。


 ――貴様のその何不自由ない態度……気に食わんな。

「ふふっ……戦であればいつでもお相手致しましょう。まあ、神堕ちした私如ごとき、貴方なら片手で捻り潰せるでしょうがね」

 ――…………。


 ユピテルはディーンの言葉に沈黙した。

 【神王ユピテル】、神界の王にして絶対的存在。

 【戦神オーディン】、彼は神界でも圧倒的な強さを誇っていた。

 数えきれない程の戦いに不敗を貫き、ユピテルの元で力を振るったオーディン。

 戦神として活躍していた彼に対し、ユピテルは少しだけ怖気づいてしまった。


 神王ユピテルですら、戦神オーディンと戦うことを避けている……、当時の神界ではそんな噂も囁かれた。


 ――ふん……不出来な弟を持つと兄にその責がかかるからさぞ辛かろう。


 ユピテルの言葉が苦し紛れの言葉であることを、数千年にも渡る世界の放浪の旅、人類の観察からディーンは理解していた。

 だからこそ、ディーンは変わらない笑みで答える。


「私は弟を不出来だと思ったことは一度もありませんよ」

 ――ふっ、戦神の座を欲しいがままにしたオーディンが今やこの様とは聞いて呆れる。

「所詮、私はこの程度です」

 ――ふん、減らず口を――――


 ――ユピテル様、お話の最中に申し訳ございません」


 ディーンとユピテルの会話にもう一人、男性の声が響いた。聞き覚えのある声にディーンは少しだけ表情を変えて嬉しそうに耳を傾けた。


 ――アスクレピオスか、どうした。

 ――ケルベロスとヘルハウンドが負傷し地獄に封印していた者が解き放たれてしまったとのことです。


 会話の内容にディーンの表情が陰る。


 ――何だと……門はケルベロスが守っていたであろう。

 ――それがケルベロスは突如現れた二人組と交戦し敗北。異変に気付いたニケとネメシスが門へと着いた時、既に門は開いた状態で二人組は七つの魂と共に扉の外に立ちつくしていたと。


 淡々と冷静に語る声は心地良さも含みディーンは静かに聞いていたが、ユピテルの怒鳴り声が頭の中で静かに鳴り響く。


 ――二人組と七つの魂だと……。その魂が奴等のものならば神界すらも危ういかもしれぬ……。

 ――はい、その通りでございます。

 ――門はどうなっている。

 ――門は既にニケとネメシスの手で閉じられておりますが、次、またいつ襲われるか。

 ――多分だが、二人組の目的は既に完了している。大罪を放置するわけにはいかぬ。直ぐに戻るぞ。

 ――はい。ですがその前に……。

 ――なんだ。


 歯切れの悪いアスクレピオスの声に反応したのはユピテルだけではなかった。

 ディーンもまた不自然な含みを持たせたアスクレピオスの声に意識を傾ける。


 ――オーディン殿もこちらへお戻りになられてはいかがでしょうか。

「アスクレピオス、私には神の座は残されていない。それに、私はもう現世に属するもの、神界の有事には手を貸せないよ」

 ――そうですか……残念です、無敗の神……戦神オーディン殿。

「今やただの国王です。アスクレピオス、皆によろしくと」

 ――承知致しました。


 ――オーディン。


 アスクレピオスとの会話が終わった後、ユピテルがディーンに声をかけた。


「どうされましたか?」

 ――もし、この件にロキが関係しているのなら、その時はロキを――

「どうぞお好きになさってください。ロキが悪事を働くのなら、それは裁かねばなりません。ただ、真実は目で確かめるまでは不明瞭です。いくらロキが悪戯好きでも、神王が個人的に決めつけするのは好ましくありませんよ」


 ディーンは少しだけ語尾を強めて発した。


 ――…………アスクレピオス、帰還するぞ。

 ――はい、ユピテル様。オーディン殿、お元気で。

「ええ、またいつか会おう」


 頭の中で響いていた声が静まり返る。


「……はぁ」


 溜め息を漏らし、ディーンじゃ手足を伸ばして脱力した。


「やっぱりユピテルと話すのは疲れるなぁ…………ん?」


 微かに吹きつける風に違和感を感じたディーン。


「おっとこれは――」


 次の瞬間、強風が城壁の壁をなぞりながらディーンへと襲いかかった。

 ディーンは咄嗟とっさに目をつむり、瞳の奥にちりが入らないように腕で顔を覆い隠す。


「……」


 一陣の風が通り抜けた後、再び穏やかなそよ風がディーンの頬を撫でていく。


「……おかえり」


 ディーンはただ一言だけ呟いた。


「……うん?」


 馬の走る音と地響きがだんだんとディーンの方へ近付いてくる。足音からして一頭。城壁の中から聞こえてくる。





――――――――――――――――――――

[人物等の紹介]

【神格】

神のである為の証のようなもの。


【神王ユピテル】

神の世界にて王を務めている者。怒りっぽい?


【戦神オーディン】

ディーンの神格を奪われる前の真名。

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