幕間 俺らしくない決断

第106話 俺らしくない決断

 高速翻訳魔法を使い2時間でコミックスを8冊翻訳した。

 今ではこの魔法も大分慣れて最適化されている。

 訳に要する時間が短縮されただけではない。

 翻訳内容もかなり正しい感じに訳せるようになった。


 訳のレベルとしては某大手ポータルサイトの自動翻訳よりは遙かに上。

 高校での外国語の授業で提出しても9割以上の得点が貰える程度だ。

 無論このまま市販する小説や漫画に使うのは問題がある。

 でもうちの面子が仕上げるなら問題ないレベルだ。

 とりあえず事務所で待機していた皆さんに第3のギデオン8巻を渡して任務完了。


「同じ革命を題材にしているのに随分と趣が違うお話ですわ」

「そうなるように選んだしな」

 片方は恋愛キレイ系、もう片方はドロドロ系だしな。

「これもバランス」

「どちらでも間違いなく面白いと思うな」

「そうですね」


 既にギデオン7巻までは皆さん読んでしまっているのだろうか。

 いやそうでもないか。

 まずはジュリア優先で、空いた本を誰かが読むという形になっているようだ。


「質問。この題材、実在の話?」

 ジュリアに尋ねられる。

「大筋は。漫画だから架空の人物やエピソードも多いけれど」

「ならお願い。この事件の正確な資料が欲しい」

 確かにそのまま訳すだけでなければ必要かもしれない。


 財布から正銀貨1枚1万円を取り出して魔法を起動する。

「日本語書物召喚、フランス革命について史実がよくわかる詳しい本、起動!」


 おっと、魔法が起動しかけた途中で止まったぞ。

 こうなったのは初めてだが、魔法を起動した俺にはなんとなく理由がわかる。

 どうやら代償となる金額が足りないらしい。

 仕方ないので正銀貨4枚4万円追加する。


 魔法が再び動き始めた。

 出てきた本は3冊。

 フランス革命史と題された上下巻の分厚い文庫本。

 図説フランス革命史という大きめの本。


 この図説の方の定価を見て魔法が止まった理由を納得する。

 この本の定価、3万円近い。

 どうやらこの1冊を召喚出来なかったせいで魔法が途中で止まったようだ。

 ただし高い方、いい値段だけあってわかりやすくて良さそうだ。

 文庫本の方も中身は濃そうだけれども。

 

 さて、召喚したからにはやることはひとつだな。

「また訳してくる」

「お願いします」

 仕方ない。

 今度は10倍速モードも使うとするか……


 ◇◇◇


「出来たぞ」

 俺の体感時間で10日近くかけ、やっと訳が完了した。

『空間操作! 時流操作、対象俺、解除』

 10倍速モードを解除する。


 このモードで仕事をする時は、

  ○ 飯を時々食べながら10時間仕事をする。

  ○ 8時間ぐっすり寝る

を繰り返す。


 こうすると18時間サイクルで1日分の仕事をする計算になる。

 おかげで終わった時には時差ぼけが起こりやすいが仕方ない。

 今回は殿下からの依頼でできるだけ急ぎたかったし。


 窓の外はやや暗い。

 のぞいてみると早朝のようだ。

 これなら皆、まだ寝ているな。


 付箋やらメモやらがたっぷりついた翻訳済みの本と、本のページ数や章に対応した付箋付の完訳記載済みノートを持って事務所へ。

 廊下から事務所に明かりが灯っているのが見えた。

 誰かいるのだろうか。


 扉を開いて中へ入る。

「訳が終わったのですね。お疲れ様でした」

 テディだ。


「こんな遅くまで大丈夫か?」

「ちょっと眠れなかっただけですわ」

 嘘だとすぐにわかる。

 テディは基本的に寝付きはいい方だ。

 それに眠れなかったら睡眠魔法という手段もある。


 机の上を見る。

 出ていたのはかつて訳した本。

 高級学校の時に訳した高校の教科書と副読本。

 殿下から依頼されたレポート作成の時に訳した高校の政経の教科書と副読本。

 更に今まで参考の為に訳した政治経済の本や歴史の本等が積んである。


「これを読んでいたのか」

「ええ。仕事の為と、自分の為に」

 テディは一呼吸置いて、そして続ける。


「まずはお仕事の方ですね。資料をこれだけ揃えるのならば漫画だけではもったいないです。ミランダやフィオナとも話して、学問や教養的な本も作ろうという話になりました。殿下に送ればこれも有効活用していただけるでしょうから。フィオナもやる気になっていますわ。これはまとめ甲斐があるねと言って。

 もうひとつは自分の為です。これからこの国に何が起きるのか、少しでも知っておこうと思いまして」

 テディは教科書の副読本の、しおりが入った部分を開く。


「今回の漫画の題材になる革命は、この後に続く一連の物語のはじまりなのですね。この後更に革命の影響を恐れる周辺国との戦争、王政復古、七月革命、二月革命、第二帝政と続いていく状況の始まりの。

 ですが陛下は今回、おそらく一度で全てを変えてしまおうとする筈です。被害者や国の消耗を少しでも少なくする為に。かつて政治体制についての本を訳させたのもその為の下地作りでしょう。この1年で学者を中心に専制政治以外の政治体制についてもある程度研究がなされてきつつあります。議会制度や三権分立という言葉さえ少なくとも研究者の間では常識的な単語として使われている状態です」


 その辺については俺も知っている。

 図書館等でもそういった本が並び始めているからだ。

 俺達が生徒会でこの手のレポートを出して問題になってから僅か2年。

 でも今はもうそういった話題はタブーとされる事は無くなっている。

 それは偶然なのか、それともそういった研究を促進させた誰かがいたのか……


「これで国王及び大貴族による専制政治以外の政治もあるという事が、少なくともある程度の人達にとっては常識になりました。政治に国王専制以外の様々な概念が加わったのですわ。

 この前の事案がもし陛下の手で行われていたのなら、陛下は終わりのはじまりに踏み切ったと考えるところです。ですが殿下の手で行われたならまだ時間は残っているかもしれません。

 おそらく陛下が計画をこの先進めるには、これから私達が漫画等で広める新しい概念が行き渡った頃になるでしょう」


 ここまで言われると俺もテディが何を言おうとしているかわかる。


「革命という概念か。国民が王政を打ち倒す、革命という概念」

 テディが頷く。

「ええ、そうです。おそらく陛下は他にも様々な仕掛けを準備されているのでしょう。偽チャールズ事件も仕掛けのひとつです。ただ殿下は陛下のすべての計画に気づかれていない。


 アシュ、私は怖いのです。これから数年で何が起こるか、少しでも考えると。怖すぎて誰にも言えません。ミランダやフィオナにだって言えないんです。絶縁されてしまいましたがお父様やお母様、兄や妹達だってどうなるか考えたくないんです。


 殿下だけはおそらく陛下が何とかされるとは思います。でもそれでも。貴族のお友達だっていっぱいいたんです。みんな悪い娘じゃないんです。確かに贅沢な暮らしをしていたかもしれません。でもそれらはあの子達の罪じゃないんです」


 そうだった。

 テディは元々侯爵家のご令嬢。

 そういった知り合いも数多い筈だ。


 ちょっと考える。

 結論は簡単に出た。

 ただその結論が持つ意味はとてつもなく重い。

 なおかつ俺らしくない結論だ。


 俺自身は基本的に何もしたくないし、それほど欲も無いという性格。

 草食系という言葉もあるが、草食どころでは無く仙人レベルだと自分でも思う。

 草どころか霞でも食べていれば充分程度という意味で。


 だから今出した結論や、そうしたい動機だの考えられる困難だのと言ったものは俺らしくない、全く俺らしくないものだ。

 目立つ事もしなければならないし、忙しかったり大変だったりもする。

 わかっている、俺らしくない。


 それでもしなければならない。

 俺自身がそう強く思っている。

 そういう感じになるのは前世から通じて俺の初めての経験だ。

 こういう感情を何というのだろうか。


「わかった。俺が何とかする」

 テディに言ってしまった。

 言ってしまったからにはもう止められない。


「おそらくこの件について、陛下以外に何とかする事が出来るのは俺だけだと思う。俺しかいないと思う。

 だから俺が何とかする。もちろん俺一人の力では無理だけれども。だからテディ、怖がらなくていい。そのかわり力を貸してくれ。頼む」


「信じて、いいのですね」

「ああ」

 自信なんて全くない。

 だが何故か何とかなる気がしている。

 何とかしなければならないとも思っている。

 こういう感覚は初めてだ。

 前世を含めた今までで。


 俺の感覚に不意にちらっと何かを感じた。

 不思議な高揚感のせいか感覚も頭の回転もいつもより数段上になっているようだ。

 だから俺は声をかける。


「貴方も協力をお願いします。ナディアさん」

 テディがはっとした表情であたりを見回す。

 でもそこには彼女はいない。


 しばらく静けさがあたりを支配する。

 やがて足音がゆっくり階段を降りてきた。

 開いている扉から姿を現したのはやはりナディアさんだ。


「来てくれたのですね」

「まさか気づかれるとは思っていませんでした」

「これでも陛下と同等以上の魔法持ちなんです。陛下がこんな仕掛けをしたとは気づきませんでしたけれど」


 事務所の天井付近、俺の机の真上付近にごく小さな空間のねじれがあった。

 辿るとナディアさんの部屋に直結しているのがわかる。

 つまりここで話をしていればナディアさんの部屋でも聞こえる訳だ。

 陛下め、いつの間にこんなの仕掛けたんだ。


「ナディアさんは陛下から護衛だけでは無く監視する任務も受けたんですね」

「武闘会でアシュノールさんが私に勝った場合はそうするようにと、そういう約束でした。具体的な任務その他はあの試合の後に直接、命令として受けました」

 陛下め。

 何処まで先手を打って布石してやがるんだ。

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