63
副神官長の顔が目に見えて青褪めた。唇の端が震え、いっそ痛々しいほどだ。
「で、出鱈目をおっしゃっては……」
「本当のことだ」
口を挟んだのはイエレミアーシュである。祭壇の下でなおもシュテファーニアを守るように立つ彼は、口許に皮肉な笑みを刷いて続ける。
「国を出るエリシュカとその夫を見送ったのは、この私の従者である」
悲鳴とも罵声ともつかぬ声があちこちで上がる。思わず顔を顰めたシュテファーニアは、静まりなさい、とこの場所へ立ってはじめて声を荒らげた。
「西方神殿神官長たるイエレミアーシュさま、あなたさま自らが異国へと発つ賤民の娘を見送らせたと、そう仰せになるのですかっ!」
シュテファーニアの制止などものともせず、副神官長はイエレミアーシュに詰め寄った。
さようだ、と答えたイエレミアーシュは副神官長をいなすように首を横に振る。
「なにをそんなに驚くことがある。神を捨てた国の王太子に、戒律も賤民もあるまい」
なんということを、と大聖堂が深い嘆きに包まれた。一同の心を代弁したのは、またもや副神官長だった。
「おふたりは教主猊下のお子ではありませんか。御自らの聖性を否定されるとはいったいどういうおつもりか」
「私の血に聖なるところなど欠片もないぞ」
なんですと、と副神官長が大きく目を見開く。
「私の父はどこの馬の骨とも知れぬ異国の商人、母はあそこに立つ教主の妻の姉。ふたりともとうに失われ、影も形もありはしないがな」
「な……、な……!」
これほど近しい者にすら父は本当のことを明かしてはいなかったのか、とイエレミアーシュはささやかな感動すら覚えた。あるいは父は、私のことを本当の息子と同じに考えてくれていたのかもしれない。
「猊下ッ!」
長年の主に裏切られてきたことを知った副神官長の怒りは、祭壇の上で息子に支えられる教主本人に向けられた。
「イッ、イエレミアーシュさまのおっしゃったことは、ま、
「賤民の娘のことは知らぬ。だが、息子の生まれのことであれば、事実に相違ない」
教主の答えは淀みなかった。副神官長は奥歯を鳴らして怒りを露わにし、いまにも祭壇を駆け上って教主に掴みかかりそうな勢いだ。
イエレミアーシュ、きさま、と父の身体を支え続ける次兄バルナバーシュの額には青筋が浮かんでいる。自らと妹ばかりか、父と家族をも窮地に追い込んだ末の弟のことが、彼は憎くてたまらない。
「わかっただろう。教主、否、建国の徒であったか、どちらでも構わないが、そんなものの聖性などとうに失われて久しいのだ。残っているのはうしろ暗い秘密と欺瞞、古ぼけて物の役に立たぬばかりか足枷となるばかりの因習。そんなものに、なんの意味がある?」
「血を失っておられるのはあなただけですぞ、イエレミアーシュさまっ!」
泡を吹かんばかりに怒声を上げながらも、身に沁みついた習慣が抜けないのか、丁寧な言葉を崩さない副神官長に、イエレミアーシュは冷笑を浴びせた。
「だが、その血を失った者に、これまでずっと跪いてきたのは誰だ」
そなたの信仰など、所詮はその程度のものだったのだ、という痛烈な言葉に、副神官長はわれを忘れて、目の前の男につかみかかろうとした。
「おやめなさい」
よく通る声に遮られなければ、イエレミアーシュはそのまま副神官長に喉首を締め上げられていたことだろう。シュテファーニアの厳しい声は、副神官長だけではなく、動揺を隠せずにいたほかの者たちみなの注意を惹くのに、十分な響きを持っていた。
「血はただの血にすぎません」
シュテファーニアの薄紫色の瞳はわずかに伏せられている。
「聖も俗もなく、正も邪もない。わたくしに流れる血も、あなたに流れる血も、そして、これまで賤民と呼ばれていた者たちの血も、みな同じです。赤く、熱く、失われれば命を落とす。同じです。なにも変わらない」
彼らとわたくしとでなにかが違いますか、とシュテファーニアはまっすぐに瞳を上げた。
「なにも違いはしないでしょう」
で、ですが、と副神官長は往生際悪く言葉を絞り出す。
「やつらは神に従わぬ、呪われし者です。われわれとは違う。姿かたちが同じであろうと、流れる血に変わりなかろうと、それでもやはり……」
「神に従わぬ、というのであれば、東国も西国も南国も同じだと、先ほどお兄さまがおっしゃいましたね。神など要らぬと宣言なされた東国王太子もまた呪われた存在であると、そう云うことができますか」
そのとおりだと、もしそこで云うことができていたら、あるいは副神官長――そこにいたみな――は、この先もずっと神を失うことなくいることができたのかもしれない。教主に逆らい、国に逆らった愚かな兄妹を放逐し、なにごともなかったような顔をしてこれまでどおり暮らすことができたのかもしれない。
だが、そのときその場にいた誰ひとりとして、ヴァレリーに呪いをかけることはできなかった。
神官や裕福な民らは、みなよく知っていたのだ。己が国の貧しさと、それに比しての他国の豊かさとを。東国王太子を呪えば、それは必ず自らに返ってくるということを。
聖なる国として神を仰ぐ神ツ国が、呪われた者から施しを受けるわけにはいかない。
東国が呪われているということになれば、同じように信仰を放棄した西国も南国も呪われているということになる。
つまり、神ツ国は大陸のどこの国からも援けを得ることができなくなってしまうのだ。
ヴァレリーに呪いをかけることができないとは、つまりそういう意味であった。
みなの沈黙を答えとみなし、シュテファーニアは口許の笑みを深くした。
「この世に呪われた者などいない。寿がれた者がいないように、それが世界の必然です」
偉そうなことを、とはじめに口にしたのが誰であったのか定かではない。
だが、気がついたときには大聖堂には怒号が響き渡っていた。
教主の娘であるだけのおまえになにがわかるか、とある声は云い、等しく価値がないと云うのなら偉そうな説教をやめろ、とある声が云った。いい服を着てうまい飯を食い、贅沢に暮らしてきた身になにがわかる、とある声が云えば、ならばおまえこそが、明日から家畜とともに暮らせ、とある声は云った。
東国から戻る道すがら目にしたことのある海のうねりのように、集った者たちの怒りの声がシュテファーニアのもとへ押し寄せる。静かに目を伏せたままの彼女は、すべてを受け入れているようにも、すべてを拒んでいるようにも見えた。
みなの怒りはもっともだ、と彼女は思っていた。
ここに集った者たち――神官も民の区別もなく――にとってみれば、教主とその血筋に連なる者たちはつまり神にも等しい存在だった。自分たちを崇めよ、奉れよと強要しておいて、あまつさえ悪事――望まぬ暴力や殺戮や簒奪――に手を染めさせておいて、なにをいまさら、神はいないなどと戯けたことを云うのかと、それこそが裏切りではないかと、彼らの云い分はもっともなものだった。
このままでは、とシュテファーニアは考えた。彼らの怒りはやがてわたくしたちを殺めるに違いない。わたくしやお兄さまだけではなく、お父さまたちまでをも。
そうさせるわけにはいかない。
わたくしはまだ死ぬわけにはいかない。
シュテファーニアは、いつのまにか俯けてしまっていた顔をもう一度上げた。昂然と顎を上げ、姿勢を正す。たったそれだけのしぐさで、彼女の足許にまで迫ってきていた者たちを黙らせるには十分だった。
緊張を孕んだ沈黙が、ゆっくりと聖堂を覆っていく。
最後の怒声の残響が消えた頃合いを見計らって、シュテファーニアは目の前の階段を一段一段下りはじめた。
巫女見習いの衣装に身を包み、やわらかな靴で足音ひとつ立てることなく進む彼女は、しかし、声ひとつ上げることなく人波を割って、やがて多くの者たちの中心に立った。
すでに頭巾を取り払われた銀色の髪が、天上近くに掲げられている吊燭台から投げかけられるやわらかな光に煌めいている。
なんと美しい、と多くの者がそう感じたことだろう。ささやかなため息がそこかしこで落とされる気配がした。
イエレミアーシュもまた例外ではない。こんなときだというのに兄である彼は、最愛の妹の凛とした美しさに見惚れるあまり、彼女のそばに立つことさえ忘れていた。
シュテファーニアは言葉もなく、防寒のための上着を脱いだ。修行中の巫女が身に着ける衣裳ひとつになった彼女は、続けてそのまま屈みこみ、自ら靴を脱ぐ。
大聖堂が驚きで満たされた。
鋭く息を飲み、目を見開いたのは教主も、兄たちも同じだ。すぐにやめさせようにも、一番近くにいるイエレミアーシュですら、人垣に阻まれて容易には彼女に近づくことができない。
彼らが信じる――信じていた――教義では、地面を穢れたものと見なしている。一般の民はともかくとして、教主や神官の一族は決して地面に素手を触れることはないし、自ら靴を履いたり脱いだりすることもない。
教主の娘として、シュテファーニアはこれまでずっと、その定めを守り続けてきた。東国の王城に暮らしていたとき、日々の祈りを忘れそうになったときですら、靴にだけは手を触れなかった。
その彼女がいま、自ら靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、華奢な足を直接床につけようとしている。
「ひ、ひ、姫さまッ!」
悲鳴にも似た声を上げたのは、件の副神官長だった。イエレミアーシュとシュテファーニアに真っ向から反論し、怒りを露わにしていた彼が、いまは同じ唇からどんな言葉を発しようというのか。
シュテファーニアは少しばかり可笑しくなって、そうしてかすかな笑顔を浮かべたまま裸足で床を踏んだ。
磨きたてられた硬い床は、ごくすべらかな感触だった。もう片脚も同じように床に置いて、全身に走る震えに身を任せる。
――なんと、冷たい。
この冷たさこそが、山ノ民らが長きにわたって味わわされてきた冷たさなのだ。
否、ここはまだいい。
泥濘んでもいなければ、尖ってもいない。凍りついてもいなければ、熱されてもいない。
彼らが歩んできた、苦渋に満ちた大地とは違う。
しかし、同時にシュテファーニアにはわかったことがある。
――大地は決して穢れてなどいない。
両の足でしっかりと床を踏みしめたシュテファーニアは、微笑みを残したまままたもや屈みこみ、今度は両手を床に押し当てる。――やはり、冷たい。
周囲はいまやすっかり静まり返っていた。身じろぎひとつする者はなく、
シュテファーニアは立ち上がり、冷たい床を滑るように進んだ。開け放たれたままであった扉をくぐり、続く廊下を歩み、表へと続く扉を開けた。身を凍らせるような冷気が大聖堂の中に流れ込み、人々は身を竦ませた。
教主の娘は昂然と顔を上げたまま、裸足の足を大地――雪の積もったその上ではあったが――へと下ろす。
シュテファーニアは地面に両膝をつき、そのままさらに屈みこんだ。まるで愛しいわが子に触れる母のような表情で大地にくちづけを落とす。
「シュテファーニア……」
茫然とした声で妹を呼ぶイエレミアーシュの声で、大聖堂はふたたび揺らいだ。
動揺する者、怒号を上げる者、歓声を交わす者。
膝から崩れ落ち首を横に振り続ける者、耐え切れないとばかりに足早に大聖堂を出て行く者、傍にいた者と手を取りあい頷きあう者。
すべての喧騒から遠く隔たって、シュテファーニアはなおも額づいたままでいる。
いつのまにかほどけた人垣を縫うようにして、彼女のそばに歩み寄ったのはイエレミアーシュと父、それからバルナバーシュだった。
「シュテファーニア」
ひさしぶりに聞く、父の穏やかな声にシュテファーニアは顔を上げた。冷たい雪に押し当てていたせいで赤くなって濡れた額に、父のあたたかな掌が当てられる。
「……お父さま」
気づけば、父マティアーシュもまたシュテファーニアの傍らに屈みこんでいる。背後に控えるバルナバーシュはひどく苦い顔をしていたが、父は意に介していないようだった。
「立ちなさい、シュテファーニア」
冷えた額を癒やすように当てられていた掌が、ゆっくりと髪を梳いていく。
「これからのことを話さなくてはなるまい」
高揚の去った身体が小刻みに震える。
イエレミアーシュが支えてくれなければ、この教主の宮に戻ることさえ覚束なかったに違いないわ、とシュテファーニアは思った。見慣れた侍女が淹れてくれたあたたかい茶には、贅沢な砂糖がたっぷりと入れられていて、緊張に疲弊した身体をやさしく労わってくれた。――こういうものも、じきに飲めなくなるのだわ。
こうして一歩を踏み出してしまった以上、もう引き返すことは許されない。
意外なことに父はわたくしたちのしたことを受け入れてくれているようだけれど、お兄さま方は違うのだろう。現に、ここまでわたくしたちを連れてきてくれたはいいものの、お父さまは別室へ行かれたきり戻っておいでにならない。
わたくしたちが祭祀でしでかしたことはあっというまに国じゅうに広がり、民に激しい動揺をもたらすことだろう。わたくしたちをここへ連れてきたのは、これからのことを話し合うためだとお父さまは云ったけれど、わたくしたちを守るという目的もあるのに違いない。
そこまで考えて、シュテファーニアははっとして椀を卓の上に戻した。
「どうした、シュテファーニア」
お兄さま、と同じように茶を飲んでいたイエレミアーシュに縋るような目を向ければ、わかっているよ、と彼は落ち着いた様子で答えた。
「ツェツィーリアのことだろう?」
急いで頷くと、兄は、大丈夫、と微笑んだ。
「中央神殿を出てこちらへ戻るよう、ツィリルに伝言させた。手違いがなければじきに到着するだろう。安心しなさい」
「ありがとう、お兄さま」
イエレミアーシュはどこか憑物の落ちたような表情で妹を見つめた。なによりも大切な存在であることに変わりはない。けれど、以前のように熱に浮かされたような慕情、誰にも見せず触れさせず、自分の腕の中へ閉じ込めて窒息させてしまいたい、という狂的な恋情は、いつのまにやら霧消してしまった。
それは、もっと深く、静かで、落ち着いた想いへと変わったように思う。
きっとさっきのシュテファーニアの振る舞いのせいだ、とイエレミアーシュは思う。
穢れている、触れてはならぬと教えられ、おそらくは自身もそう考えてきたであろう大地にくちづけても、シュテファーニアはなにも変わらなかった。変わらずに美しかった。
解放されたのは私もなのか、とイエレミアーシュは思う。
あのとき、大聖堂の中にはシュテファーニアの言葉を喜んでいる者もいた。目立たぬようにしてはいたが、決して少なくなかった。
賤民を解放するという言葉を待ち望んでいた彼らはきっと、あの瞬間に心を解放された。これまでずっと望まぬ暴虐を強いられていた彼らは、もう二度と誰かを罵らなくてもいいのだと、殴らなくてもいいのだと、悪しき慣習から解放されたように思ったのだろう。
そう、だからきっと彼らと同じように私も――。
生まれながらにして教義の理から外れたところに存在する自分は、誰にも愛されないのだと、認められないのだと思い込んでいた。父の顔も母の顔も知らず、血の繋がった祖父母や親族には疎まれ、兄妹として育てられた者たちからは疎まれた。――誰も自分のことなど必要としていない。
けれど、そうではなかったのかもしれない、と彼は気づいた。
養父母となった教主夫妻は、実子たちと同じようにイエレミアーシュを育ててくれた。宮に仕えてくれていた侍従や侍女たち、下男や下女たちも彼を蔑んだりなどしていなかった。
私を認めてくれていたのは、シュテファーニアだけではなかったのだ。ただ、気がついていなかっただけ、見ようとしていなかっただけではないか。
父も母も、ずっと私を見ていてくれたというのに――。
イエレミアーシュを縛っていたのは
シュテファーニアがそのことに気づかせてくれた。彼女のためにとすべてを準備し、しかしその実、彼女の手足をもいでしまおうとしていた私の思惑を軽やかに飛び越えてゆくことで。
「お兄さま」
穏やかな顔で、しかし黙ったまま、ただじっと見つめられて居心地が悪かったのか、シュテファーニアが訝しげに呼びかけてくる。
「どうかなさいまして?」
自分の中にすっかり根を張ってしまって、もう自分自身となってしまったシュテファーニアへの想いをいまさら切り離すことはできそうにない。彼女と離れて生きるなど、想像すらしたくない。
けれど、これからならば、あるいは許せるかもしれない、とイエレミアーシュは思った。
もしも彼女が、誰かと添いたいと云ったとしても。
もしも彼女が、この国を出たいと云ったとしても。
これからならば、笑って――どうしようもない寂しさとやるせなさとを隠したままに――見送ることができるかもしれない。
これからならば、あるいは。
「どうもしないよ」
虚勢を孕む明朗さでイエレミアーシュは答え、今度は自分が妹に向かって問いかけた。
「許してくれるかい、シュテファーニア」
許す、とシュテファーニアは軽い驚きを含んだ声とともに首を傾げた。
「なにをです? お兄さま」
「おまえに無断であれやこれやと手をまわしたことをだよ」
今回のことは、最初からなにもかも計画どおりだった。父とシュテファーニアとの話合いがうまくいっていた――そんな可能性は万にひとつもありはしなかったが――としても、大きな違いはなかっただろう。
東国に神を捨てさせる、というシュテファーニアの考えを聞いたときから、イエレミアーシュは今回の計画をすべて思い描いていた。
東国はたしかに強大な力を持つ国家だが、決して唯一絶対であるわけではない。西国と勢力を二分し、さらに南国の交易力にも頼っている。この大陸の三国は、国土の広さは別として、勢力がほぼ拮抗しているのが実情なのだ。
東国だけが神を捨てたところで、神ツ国が揺らぐことはないだろう。捨てさせるならば、三国すべてに捨てさせなければ――。
そう考えたイエレミアーシュは、ヴァレリーが書状を認めるや否や、すぐにその写しを用意させた。そしてひそかに山ノ民を雇い、両国に書状を届けさせたのである。
勝算ははじめからあった。
各国から神ツ国を訪れる巡礼者たちが、はじめに立ち寄る西方神殿の神官長を務めるイエレミアーシュは、国内の誰よりも異国の事情に詳しい。あらゆる立場にある旅人たちから、さまざまな話を聞くことができるからだ。それこそ公式の機密から下賤な噂話にいたるまで。
そうして彼らと接することは、イエレミアーシュになによりも貴重な――具体的な話以上に重要な――情報をもたらしてくれる。
それは、言葉に換えれば、時代の流れ、気配のようなものだ。
権力の行方、景気の動向、外交の火種。各国のそれらだけではなく、大陸全体を覆う流れのようなもの。イエレミアーシュはそこから、各国における信仰の衰退をたしかに感じ取っていた。
巡礼者たちの数が減っているわけではない。彼らが差し出す寄付も寄進も、むしろ以前よりも増えてさえいる。
けれど、――心は伴っていない。
以前の巡礼者たちには、貧しくとも聖地を目指す信心深さがあった。だが、昨今の巡礼者たちには、懐のゆとりある者の物見遊山が少なくない。
このままでは、神の国など早晩忘れ去られることだろう、とイエレミアーシュは思っていた。そして、それでもいい、むしろそのほうがいい、とも。
だからシュテファーニアの考えを聞いて、ヴァレリーの書状を手に入れたとき、彼はいっさい躊躇わなかった。即座に西国と南国に使いを出し、神を捨てる旨の一筆を
「いいえ、許すもなにも、お兄さまのお知恵があったからこそのいまがあるのですわ」
「そう云ってくれるのか……」
ええ、もちろん、とシュテファーニアは頷き、紫色の瞳に憂いを滲ませた。それに、と彼女は云った。
「大変なのはこれからですもの」
わたくしたちは国を乱してしまった、と続け、シュテファーニアは微笑む。わたくしたちに身内でいがみあう贅沢など許されないのですよ。
「お兄さまにはこれからも力を貸していただかなくてはなりません。わたくしとともに歩んでいただかなくては」
イエレミアーシュの濃紫の瞳が驚きと、それからたしかな喜びに輝いた。――これからも、とそう云ってくれるのか、シュテファーニア。
「この国が生まれ変わるための本当の戦はこれからなのですもの、お兄さま」
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