52

「お支度はよろしいですか、姫さま」

 扉越しの問いかけに、いいわ、と応じると、すぐに扉が開き、緊張した面持ちのツェツィーリアが部屋に入ってきた。

「どこかおかしいところはない?」

 頭を覆う頭巾に手を添えてシュテファーニアが尋ねれば、ええ、と苦い顔をした侍女は頷いてくれた。

「おかしくは、ございませんが……」

 姫さまがそのような恰好をなさるなど、と嘆くツェツィーリアの声を、いまはその話をしているときではないわよ、と遮ると、姫さま、と真剣な顔をした彼女に、間近から顔を覗き込まれた。

「本当に……、本当に、このまま教主猊下のもとへと出向かれるおつもりですか」

 シュテファーニアは口許にやわらかな笑みを刻んだ。不安に思うところがないわけではないが、この心配性の元侍女にはそうしたところは見せないほうがいい。

「お兄さまも一緒よ。なにも心配はいらないわ」

 娘が父親に会うだけではないの、とシュテファーニアは続ける。

「そんなふうに泣きそうな顔をしないで、ツェツィーリア。ここで待っていて。夜明けまでには戻るから」


 ヴァレリーとエリシュカがひそかに神ツ国を離れたのは、一昨日の夜半のことだった。

 テネブラエのほかに葦毛を一頭、それからこれまでに幾度も貴人の護衛を務めたこともある優秀な案内役がひとり。それが、元夫と彼の愛する女に対して、いまのシュテファーニアが用意することのできる最大限の厚意だった。

 心から感謝する、とヴァレリーは云い、エリシュカもそれに倣うように深い礼を取った。

 そんなふたりに、見送りはできないわ、とシュテファーニアは答えた。幸いいまは祭祀を控え、国境の門を通る者が絶えることはありませんが、人数が増えればそれだけ人目にもついてしまう。国境の門衛には因果を含めておきました。案内役と合流し、夜のうちに門を抜けて行くとよいでしょう。

 シュテファーニアは、ふたりが国を抜け出す算段を知ろうとすらしようとしなかった。

 この国に存在すること自体が秘密であったヴァレリーとエリシュカにとって、国境を越えるときが最も危険な時点となることは明らかだった。もしも、彼らを案じる己に不審な行動や言動があれば、それをきっかけに彼らのことを知られてしまわないとも限らない。誰にも知られたくないことは、わたくしも知らずにおくことが一番安全に違いない、とシュテファーニアは考えていたのである。

 ふたりがつつがなく旅立って行ったことは、ごくひっそりと見送りに立ったツィリルから聞いた。兄の従者であるこの青年は、エリシュカとも浅からぬ因縁にあったようで、彼女の旅立ちを見送る役目を自ら志願したのだという。

 賤民の中にもこうして己の意志を持つ者がいるのだわ、とシュテファーニアはツィリルの行いを好ましく思った。

 もっとも、彼の主である兄イエレミアーシュは、妹とは少し異なる意見を持っていたようである。ツィリルの話をしてくれたときの兄の顔が、なんともいえない苦い色を湛えていたことで、シュテファーニアはそのことに気づいていた。

 とはいえ、イエレミアーシュはそのようなつまらないことでツィリルを罰したりはしなかった。愛する妹が己の従者を気に入っていることを、ちゃんと知っていたからである。

 ともあれ、ヴァレリーとエリシュカは無事に神ツ国を出て行った。わたくしには、もうなんの憂いも残されてはいない、とシュテファーニアは思った。わたくしは、いよいよわたくし自身の目的のためだけに行動することができるようになったのだわ。

 そのことはシュテファーニアを奮い立たせると同時に、ひどく心細くもさせた。――これでもう、引き返すことはできなくなった。

 父に会う段取りをつけたのはイエレミアーシュである。修行中の身であるシュテファーニアは教主である父に会うことはおろか、書状をしたためることも許されていないため、自身ではなにもできなかった。

 もっともそれを云うのであれば、お兄さまに会うことも本来は許されてはいないのだけれど、とシュテファーニアは思う。お兄さまはそんな禁忌のことなど、すっかり忘れたふりをなさっている。

 ツィリルを介し、顔を合わせずに言葉を交わしていた兄妹は、しかし、あのヴァレリーを含めた会談の折に戒律を破って以来、頻繁に顔を合わせるようになっていた。もっぱらイエレミアーシュが、中央神殿から自由に出歩くことのできないシュテファーニアを訪れてくるようになっていたのだが、彼は呆れるほどに人目を気にしていないようだった。

 平気でシュテファーニアの私室まで足を運ぶイエレミアーシュに向かって、お兄さま、少しは人の目を憚ってくださいませ、とシュテファーニアは始終苦言を呈していたが、彼はまるで聞き入れる様子がなかった。なにを気にしているのだ、とイエレミアーシュは悪びれぬ笑顔を妹に向けるのだ。そんなくだらない決まりごとなど、もう消えてなくなったも同然ではないか。

 たしかにわたくしは神を殺そうと決めたけれど、とシュテファーニアは思う。それは決してお兄さまやわたくし自身のためではない。賤民とこの国の未来のためだ。

 シュテファーニアがそう云うと、わかっていないね、シュテファーニアは、とイエレミアーシュは答えた。神に縛られているのは賤民ではない。私たち神官と教主なのだよ。

 まず真っ先に神から解放されるべきは私たちなのだ、と云う兄の言葉を、シュテファーニアは否定することも、さりとて肯定することもできずに途方に暮れた。兄の云うことに間違いはないが、しかし、シュテファーニアの目的は己の自由にはなかったからだ。

 シュテファーニアが帰国し、己の意志を明確にしてからのち、ますます遠慮のなくなったかに見えるイエレミアーシュは、だが、その妹を愛するがゆえのやや行き過ぎた振る舞いにさえ目を瞑れば、非常に強力な後ろ盾となってくれていた。

 ヴァレリーとエリシュカが国を出ることができたのも、イエレミアーシュあってこそである。案内役を用意し、その者に因果を含め、装備を調えたのも、馬を調達し、門衛を買収し、すべての手筈を調えてくれたのも彼である。

 むろん、そこにイエレミアーシュの意志はない。すべては自分が望んだがゆえのことなのだと、シュテファーニアは正しく理解している。

 そしてまた、今回も――。

 父上にはね、私から大事な相談があると云ってある。預かっている西方神殿に寄せられる献金について、腹を割った話がしたいとね。イエレミアーシュはそう云っていた。できれば誰にも聞かれたくないことだから、宮まで出向くと、そう伝えたよ。家族だけが使う奥の祈りの間で、夜半過ぎに時間を取ってもらった。

 教主である父はとても多忙である。家族のための時間すらろくにとれないほど、その日々はまつりごとと神事とで埋め尽くされている。実際、シュテファーニアを除いた兄姉らは、父とろくに言葉を交わさないままに成長した。末子であり、ひとり歳の離れたシュテファーニアだけが、父からの特別な愛情を受けて育ったのだ。

 巫女になりたいという我儘が受け入れられたのも、そのために離縁が認められたのも、すべてはわたくし可愛さゆえのこと――。

 そう考えるとシュテファーニアは、これから自分がなそうとしていること、そのすべてを擲ってしまいたくなる。父は、わたくしに、ことさらに可愛がっていたこのわたくしに裏切られることに、きっとひどく心を痛めることだろう。

 シュテファーニアのなそうとすることを知った父の嘆きを思うと、いまからでも遅くはない、なにもかもなかったことにして、このまま黙って巫女となる道を選ぶべきではないか、とシュテファーニアはなおも迷う。

 ヴァレリーやエリシュカの存在は、そういう意味では都合のよい云い訳となっていた。彼らの身の安全が図られるまでは、国を――教主の心を――乱すわけにはいかないではないか、という云い訳に。

 けれど、ふたりは国を出て行った。自分にもとうとうその時がやってきたのだ、とシュテファーニアは覚悟を決めざるをえなくなった。

 教主の末娘は、迷いのない足取りで中央神殿をあとにする。最後に頭巾の乱れをもう一度確かめたときにも、ツェツィーリアを振り返ることはしなかった。


 神ツ国の夜の都には明かりがない。

 出歩く者もごく少なく、深閑として静まり返っている。

 東国とは異なり、特別な祭祀の期間以外、夜間の外出を制限されている神ツ国では、夜に表に姿を現す者はごく限られている。高位神官の邸宅の門を守る夜警、急ぎの伝令、儀式のため、あるいはその準備のために特別に許された神官や巫女たちがそのほとんどである。ただし、夜中の儀式は決して少なくない。それぞれの神殿の拝堂や神官らの邸宅にある祈りの間で、それはほとんど毎夜のように執り行われている。

 よって、外出を制限されているのは事実上、民と賤民だけであった。

 シュテファーニアは巫女の仕着せのまま、髪色だけを隠す頭巾を深くかぶって教主の宮へと急ぎ歩いた。

 今宵は教主の宮のごく近くに位置するさる高位神官の邸宅で、精霊の加護を乞う儀式が執り行われる予定となっていた。教主、父の補佐を務める次兄バルナバーシュ、それからイエレミアーシュも列席することになっているため、宮はその準備などのために慌ただしくしているはずだった。

 門衛には話を通してあるから、とイエレミアーシュは云っていた。西方神殿の巫女見習いが私宛ての急ぎの荷を持って訪ねてくる、と告げてあるよ。おまえはできる限り顔を見られないようにして、渡した荷札を門衛に見せるんだ。大きな声を出してもいけないよ。門衛ごときがおまえの顔を見知っているとは思えないけれどね。用心するに越したことはない。

 やがて、かつて暮らした教主の宮が見えてくる。都の中でも随一の大邸宅は、しかしこうしてあらためて眺めてみると、東国の王都、その目抜き通りに建つ商家の造りにすら及ばぬ貧相な構えである。

 やはりわが国は彼の国とは比べるべくもなく貧しいのだ、とシュテファーニアはあらためて感じた。しかし、だからと云って、心まで貧しいままでいてよいはずがない。誰かを虐げ、その上に成り立つ繁栄になど、なんの意味もない。

 イエレミアーシュからあらかじめ預かっておいた荷と荷札を握り締め、シュテファーニアは門衛の立つ門に向かって歩き出した。

「おそれいります」

 シュテファーニアは頭巾の陰でさらに俯きながら、ごく低い声で門衛を呼んだ。

「西方神殿より参りました、使いの者です。神官長さまにお届けものを持ってまいりました」

 うむ、と門衛は頷きながら、シュテファーニアから荷札を受け取る。

 荷札に書かれた文字を読むために手元に燭台を引き寄せた門衛は、なにか気にかかることでもあるのか、そのままシュテファーニアの顔を覗き込もうとしてきた。シュテファーニアは咄嗟に空いた手で頭巾の端を引っ張り、顔を隠そうとする。

「ほう、あんたがイエレミアーシュさまの……」

 門衛の声にはどこか下卑た響きがあった。シュテファーニアは不愉快に感じながらも、ここで顔を見せたり、声を上げたりしてはならない、と俯き続ける。

 修行中の巫女が所属する神殿から出歩くことを許されていないのは、この国の民であればみなが知っていることだ。シュテファーニアが中央神殿で巫女となるために学んでいることも民の多くが知っているはずだから、身分を明かすことは絶対にできない。戒律を破った身として、神殿へ連れ戻されてしまう。

「ちょいと顔を見せてくれませんかね、巫女さま。慎み深いあんたにゃ悪いが、こちらも仕事なもんでね」

「それは……」

 殿方に顔を見せることは禁じられております身の上ゆえ、とシュテファーニアは低い声で答えた。

 ん、と門衛の声に訝しげな色が混じる。その声、どこかで、と彼が呟くのを聞いてシュテファーニアの背筋がすっと冷えた。

 そういえば、と彼女は思った。門衛の男は壮年を過ぎた年の頃、年齢から推測できる立場を考えれば、シュテファーニアの顔を見知っていてもおかしくない。夜警に立つのは体力に余裕のある若者であることが多く、今夜ももちろんその予定だとお兄さまは云っていたはずなのに、とシュテファーニアは焦る。今宵の儀式のせいで、人員配置に変更があったのだろうか。

 もうひと言たりとも喋るまい、決して顔を上げるまいと頑なに俯くシュテファーニアの背に、遅かったな、と唐突に声がかけられた。

 咄嗟に振り返ると、そこにはイエレミアーシュが立っている。傍仕えの者を伴うこともなく、ゆったりとした平服姿は、とても儀式へ出席する者のものとは思えない。

 どういうことなの、お兄さまも儀式へ列席なさっていたのではなかったの、と驚くシュテファーニアの横をすり抜けたイエレミアーシュは、門衛に、私への使いだ、とことさら重々しく告げると、薄い笑みを浮かべてみせた。

「余計な詮索は感心しないな」

 門衛はかすかに声を震わせながら、はい、と身を強張らせた。

「すぐに通せ。ここは寒い」

 門衛は無言のうちに門扉を開いた。イエレミアーシュは、おいで、とシュテファーニアを呼び、ふたりは並ぶようにして門をくぐった。

 きい、と門扉の軋む音が背後で響き、それが閉じられたことがシュテファーニアにもわかる。振り返りたい衝動を堪え、兄に従えば、彼はふと、近ごろは不躾な者が増えてきて困る、と呟いた。

「不躾、でございますか?」

「そうだ」

「先ほどのあの門衛のことでございますか?」

 そうだ、とイエレミアーシュは再度頷いた。ほかに誰がいる。

「あの、不躾とは、どういう……」

 顔を見せぬ怪しげな訪問者の正体を見極めようとした彼の態度は――シュテファーニアの肝を冷やしはしたが――、教主の宮の門を守る者の態度としては正しいように思える。シュテファーニアがそう云うと、おまえはなにも知らぬのだな、とイエレミアーシュは苦笑いを浮かべた。

「あの者はな、おまえに対し下種の勘繰りを働かせていたのだ」

「げ、下種の勘繰り……?」

 どういう意味でしょう、とシュテファーニアは首を傾げると、イエレミアーシュは唇の端を捻じ曲げるようにして答えた。

「おまえを私の情人であると思ったのだ」

「じょ、情人……」

 シュテファーニアは思わず高い声を上げてしまい、慌てて口許を押さえた。イエレミアーシュは、可笑しいだろう、と声を立てて笑う。

「近ごろではな、下賤の者たちには神の威光などさっぱり届かぬとみえる。神殿にこもりきりの神官や巫女たちには欲求不満が溜まりに溜まっていて、こうして実家に戻った折に誰かが訪ねてきたりすれば、それは夜の相手をする者なのだと、そう勘ぐるのが常となっているそうだ。おまえのことも神殿からの使いを装った娼婦なのだと、そう思ったのに違いない」

「そんな……」

「シュテファーニア」

 イエレミアーシュはそこで声の調子をあらためた。低く厳かなものとなった兄の声に、シュテファーニアは新たな覚悟を迫られた。

「むろん、みながみな下種な者たちばかりではないだろう。だが、おまえが手を差し伸べようとしている民の中には、そういう者も決して少なくはない。多大な犠牲を払い、民のためにと泣いて苦しんでも、彼らは感謝をしないばかりか、ますます多くをおまえに求めてくるかもしれない」

 もっと寄越せ、なにもかも寄越せと、強欲にはきりがないからな、とイエレミアーシュは云った。

「シュテファーニア。ここを進めば、もう引き返すことはできない。私はいつでもおまえの味方だが、ほかは違う。おまえの敵となり仇となるかもしれない。この国の旧弊ばかりではなく、おまえが救おうとしている民までもが、そうなるかもしれないのだ」

 それでも進むか、シュテファーニア、とイエレミアーシュは濃紫の瞳を歪に眇めた。

 今宵を最後に、もといた場所には決して戻れなくなる、という兄の言葉を、シュテファーニアはどこか遠くに聞いていた。戻れなくなる、と云うのならば、わたくしはもうとうに引き返せないところまで来ているのではないか、とそう思ったからだ。

 たしかに、いま、この場所で引き返せば――父と会わずに中央神殿へ帰れば――、これまでとなにも変わらずに過ごすことができるかもしれない。図書庫で見つけた史料室の存在も知らないことにして、あるいはこの懐に忍ばせてきたヴァレリーからの書状もなかったことにして。

 目を瞑り、口を拭い、耳を塞いで、――そうして、一生を穏やかに安泰に暮らす。

 できるだろうか、とシュテファーニアは刹那考えた。

 答えはすぐに導かれた。

 できない。できるはずがない。

 だってわたくしは気づいてしまった。この国の闇と欺瞞、偽りに。この見るからに貧相な、しかしこの国では随一の邸宅、教主の威光ですら、砂上の楼閣にすぎぬと気づいてしまったのだ。

 わたくしの中には怒りがある。悲しみがある。気づかぬふりなどできぬほどに強い、――痛みがある。この国を想うゆえの怒りも悲しみも痛みも、見て見ぬふりをすることはできない。したくない。

 シュテファーニアはそう云って、静かに首を横に振った。

「それにわたくしは約束してしまいましたもの。エリシュカに。この国を生まれ変わらせると、そう約束してしまいましたもの」

 言葉だけの謝罪をする口も、形ばかり下げるための頭も、シュテファーニアは持ち合わせてはいないつもりだ。

「たったひとつの約束も守れぬ教主の娘など、たとえ巫女となっても神の言葉を授かるとは思えませんわ」

「すべては覚悟の上、というわけか」

 わたくしとて、なにもかもすべてを飲み込んでいるわけではない、とシュテファーニアは思った。

 正しいばかりではない民も、清いばかりではない神官も、しかしその根は同じであろう。人とはそういうものだからだ。決して正しいばかりではなく、美しいばかりではなく、清いばかりでもない。しかし、過ちばかりでもなければ、醜いばかりでも、濁っているばかりでもない。

 高潔でありながら低俗で、純粋でありながら不純。人は誰しもみな、善と悪とを併せ持っている。あるいは、見る者によってひとりの者が善にも悪にもなる。

 民に限ったことではない。このわたくしとて、とシュテファーニアは思う。国を変えようとするこれからのわたくしを、善と見る者がいったいどれだけいるだろう。国を滅ぼす悪と罵る者のほうが、圧倒的多数となることは目に見えている。

「いまはまだ薄っぺらい覚悟かもしれません。けれど、いまのわたくしには己の覚悟以外に縋るものがない。お兄さまとツェツィーリアだけを助けとして、ようやく立っているような有様です」

 それでもわたくしは決めたのです、とシュテファーニアは云った。

「もう揺らぐことはありませんわ」

 イエレミアーシュは妹の瞳をじっと見つめた。教主の宮の庭の暗がりで、美しい一対は炯々と輝いていた。

 ああ、とイエレミアーシュは心の裡で感嘆の声を上げた。この輝きにならばいつ殉じることになってもかまわない。なんと孤独で、なんと美しい――。清らかなる妹の支えとなれるいまの己を、無上の喜びに思う。

 ――否、喜びはそればかりではない。

 彼は思わず、ふ、と仄暗い笑みを浮かべた。彼女の傍にいる者が私ひとりとなるこのときを、いったいどれほど待ちわびたことか。

「お兄さま?」

 訝しむようなシュテファーニアの声に、いや、とイエレミアーシュは首を横に振るばかりで、なにも答えようとはしなかった。

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