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 アドリアン・トレイユの一行をこのまましばらく追跡することにする、と上司であるガスパール・ソランに云われたとき、モルガーヌ・カスタニエは彼の意図を理解するまでに、しばしの時間を要することとなった。すぐにも捕縛を命じられると思っていたのに――。

 王家に対する謀反企む大罪人が目の前にいるのだ。モルガーヌだけでは彼に縄をかけるに役者不足もはなはだしいが、ここにはソランがいる。監察府長官である彼の力をもってすれば、肚に企みを飲んで行軍する謀反人を捕らえることなど朝飯前ではないか。

 だが、ソランは首を横に振ってモルガーヌの反論を退けた。証拠がない、なにもな。

 いまの私たちの手にあるのはすべて傍証にすぎない。エヴラール殿下の証言は伝聞もいいところであるし、北の要塞の捜索も空振りだ。直接的な証拠もなしに、仮にも軍の要職にある男を捕縛することはできない。

 待つしかない、とソランは云った。王城で行われているリオネル・クザンの聴取、あれにすべてがかかっている。やつから証言を引き出すことができれば、それを直接的な証拠としてトレイユに突き付け、やつを捕らえることができる。それまでの辛抱だ。

 クザンとやらが口を割る前にトレイユが王城へ辿り着く可能性もありますが、とモルガーヌが反論すれば、そのときはそのときだ、とソランは意外に乱暴な面を見せた。やつをとっ捕まえるための云い訳など無数にある。

 部下に対してですら腹を割るのが厭なだけであったのか、それとも本当に行き当たりばったりであるのかはわからないが、ソランはそれ以上のことをモルガーヌに明かそうとはしなかった。

 いかに納得がいかずとも、上司の命令を絶対とする監察府という組織の枠内で行動せざるをえないモルガーヌは、しぶしぶながらもソランの言葉に従うしかなかった。

 アドリアン・トレイユの一行を追う旅が、上司であるガスパール・ソランとふたりのものになってから、モルガーヌの負担は格段に軽くなった。単純に目と耳と頭脳が倍になったから、という物理的な面だけではなく、ひとりではない、という心理的な側面が大きいのだろうと思う。

 とはいえ、仕事の負担が軽くなるということと、楽になるということとはまるで違う。朝起きてから夜寝るまで、決して穏やかな性格をしているとは云えない男のそばで過ごすことは、モルガーヌにとって、別の意味での試練となっていることは間違いがなかった。

 もっとも、ソランとのふたり旅と云っても、実際にふたりきりになることは滅多にない。それだけが救いよね、とモルガーヌはそれが常態となってしまったしかめ面で考えた。こんなのと朝から晩までふたりきりだなんて、冗談じゃない。

 いまも、王城に残る留守居役の秘書官ジュヴェからの便りを届けにきた監察官がひとり、ソランとモルガーヌに同行していた。彼は、短い休憩時間のあいだにソランがしたためる返信を預かるまで、こうしてふたりと道行をともにすることになっている。返信を預かったあとの彼は、素早くソランのもとを離れ、トレイユらに気づかれぬよう別の道を通って王城へと戻っていくのだ。

 休憩は先行するトレイユらの休息に合わせて設けられるため、いつどこで取れるかわからない。ここのところのトレイユは旅の疲れが出はじめたのか、これまでさほど頻繁ではなかった休息を、日に何度もかつ長めに設けるようになってきていた。

 勢い、旅の進みは遅くなる。ソランがトレイユの捕縛の時機をどのように考えているか知らぬモルガーヌは、徐々に減速していく旅の足に、苛立ちを禁じ得なかった。

 それでも、上司の決定に疑問を挟むことは許されていない。同じ質問を繰り返すことも。

 だからモルガーヌは、必要以上の言葉を慎むよう己を律していなければならなかった。女ばかりの職場で過ごした時間の長い彼女にとってみればいささか窮屈ではあったが、いまの彼らはこれまでになくトレイユの旅列に接近している。声を慎むに越したことはない。

 そういえば、エリシュカさまはいまどこでなにをなさっているのかしら、とモルガーヌはふと思った。

 沈黙の旅路ゆえ、彼女の思考はめまぐるしく移り変わっていくが、そんなふうにエリシュカのことを思い出したのは、トレイユを追跡するようになってから、これがはじめてのことだった。

 南国との国境の街で人質に取った少年を鮮やかな手際で掻っ攫われたのを最後に、エリシュカの消息はまったくもって不明のままだ。手がかりはなにもない。無事でいるのだろうか。

 自らの手で追い詰めておきながら、しかしモルガーヌの心の裡にはエリシュカの身を案じる部分がしっかりと残っている。大きなけがをしたり、お命を落とされたり、そんなことになっていなければいいのだけれど――。

 ことエリシュカさまに関する限り、ソラン長官はあてにならないし、とモルガーヌはこっそりとため息をついた。

 ヴァレリー自身が消息不明となってしまったいま、彼の寵姫であったエリシュカに対する関心が薄れるのは当然のことと云えるが、そもそもソランは王族でも貴族でもないエリシュカに対してはまったく関心を抱いていないように見える。王太子の恋人として存在を認めてはいたが、いまだ正式な披露もなされず、地位も与えられていない身であれば、その女は監察府の管轄外だと、そう考えているのに違いなかった。

 どこにいらっしゃるにしても、お健やかであればいいのだけれど、とモルガーヌはエリシュカの繊細な美貌を脳裏に思い描いた。あまりにもいろいろなことがありすぎて、王城でお世話をさせていただいた日々があまりにも遠いことのように感じられる。まだほんの数か月前のことだとは、とても思えないほど――。

 南国との国境の街でモルガーヌの前に現れたエリシュカは、王城にいた彼女とはまるで別人のようだった。大きな黒い馬――あれが、彼女が愛してやまなかったテネブラエなのだろう――を巧みに操り、囚われの少年を鮮やかに攫っていった。

 あのように大胆な真似ができる方だったとは、とモルガーヌは驚いたものだが、よくよく考えてみれば、エリシュカにはもともとそうした豪胆な部分があったように思える。王城を抜け出した手口も大胆かつ巧妙であったし、そもそも主であった王太子妃の身代わりにヴァレリーの寝所に送られたときだってそうだ。下手をすれば殺されていたかもしれないというのに、いっさい取り乱す様子も見せず落ち着いたものだった、とデジレから聞かされている。

 エリシュカを形作っているものは、逆らうことを知らぬがゆえの従順と諦念だとばかり思っていたけれど、彼女の芯にはほかの誰にも引き裂くことのできない落ち着きがある。ときおり見せる大胆な振る舞いや、気丈な物云いは、周囲のあらゆるものを――あるいは自分自身をも――静かな眼差しで計ることのできる、その冷静さゆえのものなのだろう。

 もっと話をすればよかったのかもしれない、とモルガーヌはいまさらのようにそんなことを思った。気の毒だとか可哀相だとか同情を寄せるだけではなく、心を慰める菓子や書物を差し入れるだけではなく、もっと話をすればよかった。

 王太子殿下のこと、エリシュカさま自身のこと、主であったシュテファーニアさまのこと、東国のこと、故郷のこと、そして、私自身のことも――。

 そうしたらいまさらになってこんなふうに、もうどうにもすることができなくなってからこんなふうに、彼女の身をただ案じるだけ、などという情けないことにならずにすんだかもしれないのに。きっとどこかで無事にしているはずだと、信じることができたはずなのに。

 彼女を寝所の中に閉じ込め、閨の相手をさせるだけのヴァレリーを鬼畜だの変態だのと罵ることに忙しかったけれど、なんのことはない、私だって殿下とそう変わらなかったのだわ、とモルガーヌは遅まきながらに気づいたのだった。

 虐げられて育った賤民として、エリシュカのことを気の毒だとは思っていたけれど、学のない割に賢い娘だと思うこともあったけれど、それでも、文字を知らず、王城を知らず、自由を知らぬエリシュカを、心のどこかで愚かだと思っていたのかもしれない。

「カスタニエ」

 ソランの呼ぶ声にはっとしてモルガーヌは思考を中断した。

「ぼけっとするな」

 見ろ、と小言と命令とを同時に食らって目を白黒させながらも、モルガーヌはどうにかソランの指すほうへと視線を向けた。先行するトレイユらとモルガーヌらは、先ほどから林の中の細い街道を進んでいる。人目を避けようとするトレイユらの選択であったが、王都に近づいてきているいま、まるっきり人気がないということはない。現にいまも、すれ違う商隊の荷車が、モルガーヌの視界を遮って通過していくところだった。

 荷車が去ったあと、モルガーヌはあらためてソランの示す方向へと注意を向ける。

「休憩、でしょうか……?」

 目を凝らした先に馬に跨るトレイユの背中はなく、代わりに急いで火を起こそうとする部からの姿があった。どこか慌てているようにすら見える彼らの様子に、モルガーヌの眉がひそめられた。

「どうも違うようだな」

 ソランに云われるより早く、モルガーヌは馬を降りると、道を外れて木陰に身を潜ませた。

「どうやらトレイユの具合がよくないらしい」

 モルガーヌに続いて馬を引いてきたソランが云い、さらにそのあとから伝令役の監察官が頷きながら現れた。監察官を任じられてすぐに王城を発ったモルガーヌは彼の名を――それどころか、ソラン以外の監察官の名をほとんど――知らない。

「足を止めなくてはならないほどなのでしょうか」

 モルガーヌが問いかければ、伝令係が無言のままに頷いた。ソランが補足する。

「火を起こし、水袋を下ろしている様子から察するに、薬を煎じようとしている。持病の発作でも出たのではないか」

「発作……」

「今夜はここで足止めかもしれんな」

 ソランは云いながら、素早く筆記具を取り出して書状を認めはじめた。モルガーヌは茂みの陰に四つん這いになるような格好で前方のトレイユらの様子を探る。

「こんな場所で立ち止まるなど、慎重な彼ららしくありませんね」

「慎重さなどかなぐり捨てたくなるような事態なんだろう」

 持ち運びやすいよう巻き取られた紙を引き伸ばしながら、ソランは忙しく筆を動かしている。そうなんですかね、とモルガーヌは唸りながら、もう一度トレイユらのほうを観察にかかった。

 馬を降りたらしいトレイユの姿は、いまのモルガーヌらの位置からは認めることができない。だが、彼の愛馬である尾花栗毛は、その特徴的な毛並みから見間違える余地がない。

 トレイユの部下らは全員がその場にとどまったわけではなく、半分以上が先へ向かったらしい。どこか落ち合いやすい場所を探し、そこで待機しているのだろう。つまり、ここで歩みを止めることは本当に想定外の事態だったのね、とモルガーヌは思う。

「長官」

 なんだ、とソランはペンを動かす手を止めることなくモルガーヌの呼びかけに応じた。

「私、もう少し近くまで行って、様子を探ってきます」

「なに?」

 モルガーヌの言葉に驚いたのか、ソランが手元に落としていた視線を上げた。

「ここでこうしていても、らしい、ようだ、と推測ばかりで埒が明かない。ここならば茂みに紛れて彼らに接近することができます。せめて言葉が聞き取れるあたりまで近づいて、様子を探ってきたいのです」

 ふうん、とソランは喉の奥で唸った。

「決して無茶はしないと約束します。見つかるようなへまもしない。お願いします、ソラン長官」

 このまま息をひそめて彼らのあとを追うだけでは、なにもわかりません、とモルガーヌは続けた。

「せめていまよりももう少し詳しくトレイユの様子を知ることができれば、王城にいるクザンとやらの取調べの助けにもなるのではありませんか。彼はトレイユを知る者なのでしょう?」

 ソランは思わず目を見開いた。隣にいる伝令係の青年監察官も同じように驚いた表情を見せている。

「われわれがトレイユの現況をつぶさに把握しているとクザンにぶつけることは、彼を揺さぶるいい材料になるのではないでしょうか」

 違いますか、長官、とモルガーヌは云い募る。自身を落ち着かせるように肩で大きく息をしたソランは、ようやくのことで、そうだな、と返事をした。

「おまえの云うとおりかもしれん、カスタニエ」

「ありがとうございます」

 だが、とソランは口調をきついものに変えて、ペン先をモルガーヌに向かって突きつけた。

「絶対に見つかるな。やつらを舐めるな。わかっているな」


 監察官という職に就くことを決意したとき、まさか地べたに両手をついて這い進むような真似をすることになるとは思わなかったわ、とモルガーヌは情けない気持ちのままにため息をつきたくなった。

 自分で云い出したこととはいえ、しゃがみ込まねば姿が露わになってしまうほどに低い茂みの中を、音をたてないように進むのはなかなかに骨の折れる技である。もっとも、不測の事態に慌ただしくしているトレイユらの部下が、小枝や下草を踏むわずかな音にまで注意を払っているとは考えにくく、そこはあまり神経質にならなくてもよいだろう、とモルガーヌは思っていた。それよりも、おかしな具合に緊張しすぎることによって、下手に気配を発散してしまうことのほうが問題だ。

 トレイユらが休息を取っている場所まではまだ少し距離がある。モルガーヌは一度進むのをやめ、何度か深呼吸して気持ちを落ち着けることにした。

 まだ駄目だわ、とモルガーヌは思った。もう少し近づいてみなくては、なにを話しているかわからない。トレイユの部下たちは意識して声を抑えているわけではないようだったが、あたりの木々が音を吸収するせいもあって、天候が、とか、次の街は、とか、言葉の切れ端が風に乗って漂ってくるものの、なにを話しているのかまではわからない。

 モルガーヌは数回の深呼吸ののち、ふたたび慎重に手足を動かしはじめた。無心になっていくらか進み、ふと集中力を途切れさせたその刹那のことだ。

「親父どのは大丈夫なのか」

 ふいにはっきりとした声が頭上で響いて、モルガーヌはびくりと身を竦ませた。彼女のすぐ頭上――といっても差し支えのないほどの至近距離――で、潜められた若い声が不安を訴えている。

「大丈夫だ。薬師の見立てじゃ、すぐにどうこうなるってことはねえって話だ。親父どの本人だって、あれだけ大丈夫だって云ってるじゃねえか」

 でも、と最初の声はなおも不安そうだ。

「ここんところ発作の回数が増えてるように思えて仕方ねえんだよ。ずっと野営が続いてるしよ、冷え込みもきつくなってきて、どう考えたって身体はつらいに決まってる」

 なあ、どっかの街できちんと休息を取ったほうがいいんじゃねえか、と声は云った。応えるほうは少しばかり考え込んでいるようだった。だがなあ、と云い澱む声が、ため息交じりのものに変わる。

「オレだってそう思うんだがよ、親父どのがうんと云わねえ。普段の丸薬と発作のときの煎薬があれば大丈夫だからって云い張るんだからよ。時間がねえ、と云われればそのとおりだし、そもそも親父どのについてきただけのオレたちに、いま以上強いことなんか云えやしねえだろうよ」

 モルガーヌは息を詰めてふたりのやりとりに耳を澄ませていた。親父どの、とはトレイユのことだろう。やはり彼は身を患っているのだ。それもかなり重篤な――。

 くそっ、と急に悪態を突かれ、モルガーヌは思わず飛び上がりそうになった。頭上の声に悔しげな色が滲んでいる。

「親父どのが身ぃ削ってまで王都に向かおうってのに、王さまのやつぁ玉座でふんぞり返ってるだけなのかよ!」

 親父どのは王家を支えた将軍だぞ、と声が震える。

「昔の話なんだろ、やつらにとっちゃさ」

 どこか冷めたもうひとつの声が宥めるような調子で云った。

「なにを云っても逆らわねえ、首振り人形みてえな大臣ばっかり集めてよ、云われたことに従うだけの猟犬みてえな官吏増やしてよ、自分の身さえ守れりゃそれでいいんだろうよ、王家ってやつは」

「親父どのはなんで、国王を斃しちまおうって、そう云わねえんだろうな?」

 そう云われてもオレたちは喜んでついて行くのによ、と涙声が云った。

「莫迦か、おめえは。革命軍のやつらとは手え切ったんじゃねえのかよ」

「切ったさ」

「じゃあ、そんな莫迦なこと二度と云うんじゃねえ」

 でも、と感情を高ぶらせたらしい声が反論する。

「革命軍の連中の云うことにだって一理あったはずだ。いまのままじゃいけねえ、このままにしといたらいけねえって、そりゃあ親父どのからしたら、ケツに殻くっつけたままのひよこどもがぴいぴい喚いてるだけにしか聞こえなかったかもしれねえけど、全部が全部間違っていたとはオレには思えねえんだよ」

「間違っちゃいないさ。ただ、親父どのは革命なんか望んじゃいなかったんだよ」

 モルガーヌは思わず喉を鳴らした。ソラン長官の推測に間違いはなかったのだ、と彼女の二の腕に鳥肌が立った。

「親父どのはどこまでいっても王家の臣だ。たとえ王さまに冷たくされようと、大臣どもに爪弾きにされようと、忠実なる王家の臣下、アドリアン・トレイユ将軍なんだよ。命があるうちはいくらでも耐えられるってそう思ってたんだろ。辺境に飛ばされようが、議会から弾かれようが、それでもよかった。どこにいたって、なにをしてたって、命ある限りは陛下をお守りできる、それが親父どのの云い分だった」

「そんなこたあ、オレだって知ってる。でも、って云ってんだよ」

「でももくそもねえんだよ、親父どのには。自分の命がこの先もう長くねえってことがわかって、最後にできることはなにかって、それでも考えることは王家のことだ。ありゃあ、イヌだ。王家のイヌなんだ、最後まで。骨の髄まで」

 決してよい意味には使われないであろう犬という言葉が、これほどまでに胸に迫ることがあると思ったことはなかった。モルガーヌは思わず掌の中の土塊を強く握りしめる。

「王さまが気づけばいい、気づいてほしいって、親父どのはきっとそう思ってる。王城の門にたどり着くまでのあいだに、誰かに命じて自分を捕らえに来てほしいって。ほんの少しでもいいから、王さまと話がしてえって、ただそれだけだって、前に云ってたじゃねえか」

 対する声の主は泣くのを堪えてでもいるのか、もう返事をしなかった。

「自分は死ぬ。けど、どうせ死ぬなら王家のために死にたいって、だからおまえたちは要塞に残れって、親父どのにそう云われたのを無理矢理についてきたのはオレたちだろ。それでも連れてきてもらえたのは身寄りのねえもんばっかりだ」

 親父どのの想いはどうあれ、オレたちがやってることは謀反以外のなにものでもないからなあ、とため息交じりの呟きが風に流れて消えていく。モルガーヌの拳が震え、爪のあいだに土が入り込んだ。

 トレイユの切実な心にどれだけ同調しようと、いまのモルガーヌが彼らに加担することは決して許されない。モルガーヌは監察府の官吏、国を守り、反逆者を捕らえる立場にある者だからだ。

 わかったろ、だったらもうなにも云うな、という声が少し遠のいたような気がして、モルガーヌは茂みの陰から目を凝らす。すぐ傍に立ち止っていたふたりの足が、茂る葉の向こうで遠ざかっていく。

 この煩く跳ねまわる心臓だけでも鎮めておかねば、とモルガーヌは大きく息を吸い込んだ。震えがくるほど固く握りしめてしまっていた拳を解き、掌にこびりついた土を払う。

 震える身体を落ち着かせるため、深呼吸を幾度か繰り返すうちに、モルガーヌはふと気がついた。風に乗ってかすかに漂ってくる煎薬の匂い、どこか嗅ぎ慣れたその匂いに――。

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