26
叛旗を掲げ、王都を目指して進軍するトレイユを捕らえなくてはならない。
それは、モルガーヌに課せられた使命であり、蔑ろにすることのできないものだ。むろん彼女とて、はじめから迷いがあったわけではない。トレイユを捕らえ、国の憂いを払拭することこそが王家のため、国のためとなると信じて、単騎を駆ってここまでやってきたのだ。
迷いが生じたのは、いつのことだっただろう。
馬に騎乗するトレイユの背に、たしかな老いを垣間見たときか。
市場で食料を買い求める部下の顔に、明るい無邪気を見たときか。
あるいは、野営の焚火に照らされる彼らの瞳に、強い覚悟を見つけたときか。
トレイユは、トレイユに従う者たちは、自分たちの宿命を知っているのだと、モルガーヌはいつのまにか気づいていた。――彼らはみな、近いうちに必ず訪れるであろう己の死を見つめている。
絶対王制を敷く東国で、王家に弓引く叛逆は、命ひとつではとうてい贖えない重罪だ。家族があれば一様に死罪となり、家名は名鑑から抹消され、名誉は永久に回復されない。
いったい誰が、それほどに重たい罰を覚悟の上で、叶わぬとわかっている野望に身を投じるというのだろうか。わずかでもいい、勝機があると思ったからこその決起ではなかったのか。
モルガーヌは混乱した。
王弟ギヨームをたびたび策謀に巻き込み、北の要塞で周到な準備を重ね、世間を知らぬ学生らを唆し、彼らを隠れ蓑にして王都への行軍をはじめたトレイユが、国王を弑することを望んでいないなどとは思いもよらなかった。
「カスタニエ」
そのときの混乱を甦らせてしまい、思わず言葉を失ったモルガーヌを、ソランが咎める。
「そろそろ本当のことを云うがいい。なにを見た? なにを聞いた? なにを知った?」
なにも、とモルガーヌは云った。
「なにも見ていませんし、聞いていない。知ってもいません」
「だが、なにかに気づいた」
それこそがおまえの資質だからな、とソランは内心で思う。ほかの者では決して気づかなかったであろうことに、おまえだからこそ気づくことができた。
「そうだろう、カスタニエ。黙ってないで、さっさと吐け」
それでおまえの妄言をなかったことにしてやろうというのだ、とソランは嘲笑うように云う。
「わからなくなった、などという戯言をな」
「はじめから、こういうおつもりだったのですか」
モルガーヌは悔しさに涙を滲ませながら上司を睨み据えた。ソランは、まさか、と肩を竦める。
「トレイユの下準備は万端だ。王太子殿下と敵対し、ギヨーム殿下を焚きつけ、エヴラール殿下を陥れ、学生どもを騙し、われわれまでをも欺いた」
本気だと思っていたよ、とソランもまた悔しそうに云う。
「だが、考えれば考えるほど、どうしても辻褄が合わない。大まかな部分は重なるくせに、細かい部分での矛盾に違和感が出てくる。いくら国王と対立したからとは云え、公式の夜会の場で王太子に向かって挑発的な発言を繰り返したり、誰にでもわかるような、いかにもな態度で王弟に阿ったり」
そうしたトレイユの姿は、侍女であった当時のモルガーヌの記憶にも残っている。浅ましいことだ、とあのころの私はそう思っていた。けれど、云われてみればたしかに、トレイユの態度はあまりにもあからさまにすぎた。
「策謀をめぐらせるのならば、もっと水面下でことを進めなくてはならん。敵対する相手とも談笑できるようでなくては、貴族など務まらん。この私にもわかるようなことが、トレイユにわからなかったとは思えない」
いつのまに頼んでいたのか、追加の酒を持ってきた給仕に手間賃を渡したソランは、だからな、カスタニエ、とモルガーヌの杯を酒精で満たした。
「俺は少し前から、トレイユの肚を疑ってかかっていたのだ。あたりまえに考えられているのとは逆の意味で」
俺、と自身を表現したソランに驚いたモルガーヌは、上司の顔をまじまじと見つめる。話に夢中になっているらしいソランは、部下の驚きになど注意を払わなかった。
「そして、つい二、三日前に確信した。おまえと合流するため城を出た、そのあとのことだ」
監察府長官であるソランのもとへは、たとえ彼が王城を離れていたとしても、日に一、二度の報告が必ず届けられるようになっている。隠密の追跡行とはいえ、先行する部下を追う旅であるため、その行程は王都に残る部下たちにつぶさに知らせてあった。報告はその日の宿泊予定の町や村、宿を取らないときには野営予定地に先んじて届けられていることが常であった。
この上司が城を出るというのはそれほどに大変なことなのだわ、とモルガーヌはあらためて思う。私は、この国が動く、その重大な局面に立っているのかもしれない。
「留守居役のジュヴェから知らせがあった」
セレスタン・ジュヴェというのがソランの秘書官を務める男の名であることは、モルガーヌも当然知っていた。
「知らせ?」
「エヴラール殿下が聴取に応じ、ご自身が囚われていたときの状況を、まあ、多少ではあるが、お話しくださったというのだ」
むろん、こちらがすでに把握していたことが大半ではあったが、とソランは云う。
「ただ、ひとつだけ、トレイユについて驚くべきことがあった」
「驚くべきこと、ですか?」
「トレイユは、叛乱を目論んだ学生たちと直接会ったことがある、というのだ」
それのどこが驚くべきことなのだ、とモルガーヌは首を傾げた。わからないか、とソランは双眸を眇める。
「トレイユは学生どもを隠れ蓑に利用する肚だったのだ。自身の罪を隠すため使い捨てにする駒に、なぜ顔を晒す必要がある?」
身代わりを立て、それらしく見せればそれで済んだ話だろう、とソランは苛立たしげに指先で卓を叩いた。
「学生たちの叛乱が成功する見込みなど、万にひとつもなかった。連中がどう思っていたかは知らないが、事実、王都にたどり着く前にやつらは離散した。指導者であったふたりのうちひとりは捕らえられ、王城の牢に繋がれている。連日の尋問にもいっさい口を開かないような強情なやつだが、いつまでも耐えられるはずもない。つまりトレイユと連中の繋がりは、そう遠くないうちに明るみに出る、ということだ」
「学生たちを信用したのでは?」
トレイユを舐めるな、とソランは云った。
「大逆などという大それた罪を犯そうとするときに、天下に聞こえたアドリアン・トレイユが、そのようなつまらない失敗を犯すはずがない。つまりこれは失敗ではない。やつはもとから、叛逆が成功するなどとは考えていなかったのだ」
学生たちのそれも、己のそれも、とソランは卓の上で拳を握った。
「本気ではないというのに、学生どもを煽り、国を乱し、王城を混乱させた罪は重たい。捕えられればただでは済まない。そんなことがやつにわからないはずがない。にもかかわらず、まだ行軍は続いている。トレイユの目的はまだ果たされていない。やつはまだなにかを企んでいる。間違いなく、な」
モルガーヌは自身の鼓動が、いやが上にも速まっていくのを抑えることができなかった。そのくせ、耳の奥で響く脈動は妙に重たい音であるように感じられる。
「連中を見ていて、なにか感じるところがあったのだろう? カスタニエ」
「感じるところなど……」
長官の推測の前にはほとんどなにもなかったようなものです、とモルガーヌはか細い声で答えた。
「私にはなにもわかりませんでした」
「わからなかったくせに、迷いを覚えた、などとふざけたことをぬかしたのか」
「ふざけてなんか……」
「ふざけているだろう」
ソランは静かに杯を置く。ことり、という小さな音にモルガーヌの心臓は縮み上がった。
「なにを見た? なにを聞いた? なにを感じた? おまえの目は俺の目だ、耳も神経も俺のものだ。思い出せ、そして言葉に換えろ。違和感の正体は、なんだ」
薄灰色の瞳の奥に熾火のような執念が見えた。はじめかすかであった炎はだんだんと大きくなり、やがてソランの身を包むほどに燃え上がる。モルガーヌは固唾を飲んで、そのさまを見つめていた。
「思い出せ、カスタニエ。おまえは知っているはずだ」
モルガーヌの視線が落ち、うろうろと卓の上を彷徨った。こうも強烈な圧力をかけてくる相手と対峙することに、じつは彼女は慣れていない。常にはっきりとした身分差――王太子と侍女、あるいは、貴族と民――の中で暮らしてきたモルガーヌにとって、対等な視線を交わしあいながらの勝負はあまり経験のないことだったのだ。
「いつのまにか、気づいただけです」
気づいた、とソランは性急に尋ねた。
「なにに?」
「彼らが、トレイユと彼に従う者たちが死を覚悟していることにです」
躊躇なく答えながらも、モルガーヌはなおも考えていた。なぜ、私はそんなことを考えたのだろう。なにかあったはずだ。そう思わせるなにか、具体的ななにかが。――思い出せ。
「死か」
そいつは厄介だ、とソランは云った。
「自らの死を肯定するのは、人がなしうるうちもっとも莫迦莫迦しい行いだと思うが、そいつと引き換えに手にするものもまた大きい。死をおそれないですむのなら、それこそなんでもできるだろう」
おそれないですむ、とソランが云ったとき、モルガーヌは弾かれたように顔を上げた。遠くにいた給仕が、なにか粗相でもあって呼ばれたのかとすっ飛んでくるような勢いだった。話を聞かれないために適当な料理を注文をし、モルガーヌはソランに向き直る。
「いいえ、長官。違います。トレイユは死をおそれないのではありません。覚悟しているだけです」
「なぜ、そんなことがわかる?」
「見たからです」
なにをだ、とソランはそこでくいと片目を眇めた。モルガーヌは勢い込んで先を続けた。
「薬師を訪ねるトレイユを」
「なに?」
「これまでに通り過ぎてきた町や村に、トレイユ自身が足を踏み入れることは滅多にありませんでした。私が知る限りではたったの二度。しかも、そのうちの一度は市場にすら立ち寄らず、自身が使う鞍の修理を頼んだだけでした」
ですが、とモルガーヌは真剣な眼差しでソランを見つめた。
「あのときは違った。トレイユは街でもっとも繁盛していると思われる薬師のもとへ自ら出向いたのです」
長旅による疲れでも出たのだろうか、なにしろあちらはご高齢だと、あのときの私は思ったのだったっけ、とモルガーヌは思い出した。そう、たった一度、同じ食堂ですれ違うほどに接近した、あの街でのことだ。
トレイユの様子は平素と――モルガーヌが知る限りにおいての、ということだが――変わりがないように見えた。目元に滲む疲労は、旅の途上にあれば仕方のないことで、日々長時間にわたって馬上にあることや彼の年齢を考えれば、むしろその程度で済んでいるのかと、職業軍人である男の頑健さに驚きさえ覚えるほどであった。
「なので、余計に違和感があったのです。見たところ、とりたてて健康に問題のありそうには見えないトレイユが、なぜ自ら薬師を訪ねたのだろうか、と」
「部下を使わなかったということは、トレイユ自身の身になにかあるのだと考えるのが妥当だな」
はい、とモルガーヌは頷いた。
「その薬師を訪ねることも考えましたが、彼らの多くは秘密主義です。こちらの目的を明かせぬ状況では、短い時間のうちになにかを聞き出すことはできないと判断しました」
それでいい、とソランは部下を労った。やつらに口を割らせるにはいろいろと手間がかかる。
薬師とは、他者の身体の秘密を知る者たちである。貴族は云うに及ばず、市井の民であっても、その健康状態が、自身にとってだけではなく周囲にとって大きな影響を与える要素となっていることは珍しくない。
たとえば一代で財をなした商人などは、当主自身の健康が店の信用に直結していることも多いだろう。跡取が決まっていて、かつその者が有能であるならばともかく、そうでないようなときには店の存続にもかかわってくるような重要な事柄である。万が一にも病を得たようなときにも、それをひた隠しにしたいと考えるのは当然のことだ。
そうした者たちにとって、秘密を守れぬ薬師は病の一部のようなものだ。症状を悪化させ、ときには死をもたらす。命を守りたい患者たちは、口が軽いと噂のたった薬師を切り捨て、二度と顧みないだろう。やがて噂は街中に広まり、彼の薬師を訪れる愚か者はひとりもいなくなる。
「トレイユは健康上の不安を抱えている。それも、かなり深刻な」
急ぐはずの旅路である。学生たちの蜂起が早々に頓挫したいま、トレイユにしてみれば、王府が混乱から回復する前に王城へ乗り込みたいと考えているはずだ。町や村へ立ち寄らず、野営しながら旅を続けているのは、人目を忍ぶ以上に、わずかな足止め――衛士たちによる検問や町の有力者たちによる歓待など、将軍の旅路ともなると、いろいろと面倒事がついてまわる――も許されないからに違いなかった。
「そう考えると、新たな疑問が浮かんできたのです。病を押してまで王座を脅かす理由とは、いったいなんなのだろうか、と」
急ぐ旅の途上、薬師の元へ立ち寄らなくてはならないほどの病を抱えながら、しかしなお、王都へ向かおうとするトレイユの目的とはなにか。
死期を悟るに及んで、己を冷遇した国王が許せなくなったのか。どうしても王座が欲しくなったのか。
そのわりにはずいぶんと穏やかな顔だ、とモルガーヌは思ったのだ。トレイユ自身もさることながら、彼を取り巻く兵士たちも。
「王位を簒奪せんと意気込むのであれば、もう少し荒々しい気持ちになるのではないかと思ったのです。高揚なり興奮なり、常ならざる気配は隠すことができないのではないかと」
人目のない野営地においてすら、彼らの態度はしごく落ち着いたものだった。トレイユの態度にも焦るそぶりはなく、兵士らにも浮ついた様子は見られなかった。
続きを云い躊躇うように、モルガーヌは何度か唇を開けたり閉じたりした。ソランは片眉を吊り上げはしたものの、部下を急かすような真似はしなかった。
モルガーヌは手元の杯に視線を落とした。そこに満たされた酒の表面に漣が立ち、彼女は自分がかすかに震えていることに気づく。
「彼らは革命の成功など望んではいない。むしろ、失敗することこそが目的なのではないかと、そう思いました」
「どういう意味だ」
「わかりません」
「わからないはずないだろう、自分の言葉だぞ」
わかりません、とモルガーヌはもう一度云った。手の中で杯が大きく揺れ、指先が濡れた。
「そんな気がしただけです」
すみません、と部下の消え入るような声を聞きながら、ソランはふとかつてのトレイユと交わした短い会話を思い出した。
あれはまだ、ソランが監察官となって数年しか経っていないころのことだ。彼は、トレイユが北の地で不正な利殖――公費で物品を賄い、それを売り払って私財を蓄える――を行っているようだ、という醜聞めいた噂をもとに、将軍の身辺を探ることとなった。
そのころのトレイユはまだ北部守備隊将軍であるだけではなく、軍の司令官のひとりでもあったため、いまよりもずっと王都に身を置いていることが多かった。
ソランはそんなトレイユの不在を狙い、彼の地を訪れたのである。
結果から云えば、そのときのソランの任務は失敗に終わった。トレイユが不正に私腹を肥やしている証拠を見つけることができずに、退散せざるをえなかったのだ。しかも、彼が不在の隙に北の要塞を離れる予定だったところに先手を打たれ、まんまと鉢合わせすることになってしまった。
こうなると、気まずいのはトレイユではない。曖昧な密告を頼りに、わざわざ王都から出張ってきたソランのほうである。
嫌味や皮肉で済めばいい。監察官と云えども、確たる根拠もなしに相手の懐へ飛び込めば大けがをすることもある。だいたい、国王と意見を異にする相手だというだけで、噂話にも等しい胡乱な話を根拠に、国の最北までやってきたというだけで恥ずかしい。いくら上司の命令とはいえ、彼の言葉を鵜呑みにした自分にも責任はある。
相手は老獪な大将軍だ。恥をかかせるつもりか、と大声でも上げられるくらいで済めば御の字で、冷静にこちらの非を突かれればひとたまりもない。大袈裟ではなく、ソランは免職まで覚悟した。
さまざまな思いが頭をよぎり、ひとり顔を赤くしたり青くしたりしているソランに向かって、トレイユは多くの言葉をかけなかった。
おまえはその制服がよく似合うな、と彼の老将軍はごく短く云ったのだ。とても静かな口調だった。
ソランは思わず黒い手袋をはめた自分の手を見た。
なにか、目を覚まさせられたような気がした。
黒一色の監察官の制服は、そのときのソランにとってはすでに身に馴染んだもので、ときに着ていることさえ忘れるほどあたりまえのものだった。似合うも似合わぬもない。自分の身体の一部のようなものだと思っていた。
違うのだ、とソランは気づいた。――気づかされた。
この制服を纏い続けること。監察官であり続けること。それは決してあたりまえなどではなく、自らそうありたいと願い続け、同時に努力し続けなければ、叶うことはない。
ソランは羞恥した。
曖昧な噂に振り回された監察府。噂をもとに命令を下した上司。命令を疑いもせず鵜呑みにした自分。
俺はこの黒を身につける資格がない。
ソランの内心を察知したのか、トレイユはそれ以上なにも云わなかった。
あのとき、トレイユは弁解も弁明もしようとしなかった。もしかしたら、証拠を完璧に隠滅していただけで、本当は噂どおり横領を働いていたのかもしれない。
だが、ソランは彼の罪を証明するものを見つけることができなかった。
トレイユは当然無罪放免となり、さらに彼が監察の非礼を責めなかったことで、監察府は彼に大きな借りを作ってしまった。
すっかり萎れて帰城したソランに向かい、上司はこうぼやいたものだ。――まったくよくできた噂だったよ。いかにもそれらしく、明快と曖昧が入り混じっていてな。こちらは動かざるをえなかったんだ。
あのときは云い訳だとばかり思っていた上司の言葉が、やけに真実味を帯びて、いまのソランに迫ってきた。空になった手元の杯をじっと見つめながら、彼は、似ている、と眉をひそめた。
――あのときの状況といまとは、なにかが似ている。
王城に生きる者ならば誰しも、国王ピエリックとアドリアン・トレイユとの確執について、よく知っているはずだ。大臣も官吏も侍女も下男も、それぞれの立場に応じた、彼らの真実についてよく弁えている。そうでなければ己の仕事を果たすことができない。
謁見、議会、夜会、そのほかのあらゆる場面で、トレイユは国王と対立してきた。国王に対する反発から、その息子である王太子に対しても従順であったとは云い難い。
一方で、国王と反目を深める王弟ギヨームとは親しく交わり、よからぬ陰謀に彼を巻き込まんと暗躍していたらしい。
この、らしい、というのが曲者だ、とソランは思った。
ギヨームとトレイユが企てたという謀は、これまで、そのどれひとつとして成功していない。監察府が、大臣の誰かが、あるいはぼんくらのふりをした食わせ者のエヴラールが、彼らの企みをそっと闇に葬ってきたからだ。
そっと、だと、とソランは背筋に冷たいものを覚えて身震いした。
戦を知り、その前と後の荒れた時代を知るトレイユ、平和しか知らぬ者たちとはその性根からして異なる彼が、そんな生ぬるい計画を立てるだろうか。それも一度や二度ではないのだからなおさらだ。
やはりなにかがおかしくはないか、とソランは目の前のモルガーヌそっちのけで思考の森を急ぎ足で進んでいく。
あれほどあからさまに国王と対立し、北の果てへと追いやられてなお、トレイユは果敢に権力を得ようと立ち向かっていく。自らの信じる、力による政治、あるいは外交を実現しようと、日夜無駄な努力を重ねている。
それが、周囲のトレイユに対する評価であり、事実だ。
いや、とソランは濁った水の中に沈んだ真実を掬いあげようとするかのように、鋭い光を湛えた瞳を細く眇めた。
いや、違う。そうではない。
――事実などではないのだ。
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