20

 案の定、と云っていいものかどうか、ベルタは王城内に足を踏み入れることを許されなかった。

 侍女に与えられている通門札を示し、身分を証明したクロエが、怪しい者ではないから、とどれほど言葉を重ねても、衛士は首を縦に振らなかった。あまりにも粘ったために、最後には、あんまりしつこいようだとおまえもまとめて拘束するぞ、と脅かされ、クロエはあとに退かざるをえなくなってしまう。そのときのベルタは、衛士のひとりにがっちりと肩を押さえつけられていて、言葉を挟むどころか身じろぎひとつすることができずにいた。

 オリオルから預かったモルガーヌの書状を示して見せると、衛士らは乱暴な言葉遣いだけはあらためたものの、その気を変えることはなかった。

 監察官の手による公的な書状なのよ、とクロエはひどく腹を立てていた。

 だが彼女は、エリシュカの逃亡を許してしまった衛士たちが、あのあとひどい叱責を受け、屈辱的な日々を送って来たかということをまったく知らずにいた。

 実際にエリシュカの逃亡を見逃した若い衛士は馘首クビになり、同じ時刻同じ荷受門の番にあたっていた衛士らは長期にわたる大幅な減給という処分を受けている。直接かかわりを持っていなかった衛士たちもまた、二度と失態を犯すことは許されない、と強い言葉で発破をかけられていたし、さらには、ほかの部署の者たちからも厳しい目を向けられていた。

 云われるまでもない、と衛士らは思っていた。二度と不審な者を見落したりなどするものか――。

 そんなところへ現れたのが、エリシュカと同じ神ツ国の人間であるベルタなのだ。勢い、衛士の目は厳しくなる。いくらモルガーヌの書状があるといっても、そう容易に城内へ立ち入ることを許されないのは、仕方のないことかもしれなかった。

 通門札を示したクロエは城内へ入るようにと指示され、ベルタは衛士の詰所へと連れて行かれた。乱暴な扱いはされなかったが、とてもではないが逃げ出せるような隙はない。そこに座っていろ、と指示された場所にじっとしているしかなかった。

 衛士のひとりがモルガーヌの書状を手にしたままどこかへ消えていたから、もしかしたら人を呼びに行ったのかもしれない、と様子を慎重に観察しながら、もうこの際誰でもいいわ、とベルタは思う。城内の誰が出てくるとしても、ここにいる衛士たちよりは話が通じるだろう。

 そんな期待をしたのが仇になったのか、それからベルタは延々と待たされることになった。午後の早い時刻に詰所へ連れて来られたというのに、すでにそうとはっきりわかるほど陽が傾いてきている。

 このぶんでは衛士の詰所で夜を明かす羽目になりかねないわ、とベルタは小さく嘆息した。屋根も壁もあるし、衛士たちさえ妙な気を起こさなければ――エリシュカのような美貌があるわけでもなし、私相手にそんなことは万にひとつも起こらないだろうが――、これ以上ないほど安全な場所ではあるが、いかんせんここはどうにも落ち着かない。

 話相手になってくれるわけでもないのに、目を離してもくれず、ベルタはただひたすらおとなしく椅子に腰かけているしかできない。手慰みもなくじっとしているだけ、というのはなかなかに苦痛なものであるとうことを、彼女ははじめて知った。

 姫さまも東国の高貴な方々も、よくもまあ日がな一日おとなしくしていられるものだ、とベルタはくだらないことを考えはじめた。私には絶対無理ね、と思い、それからすっかり消息のわからなくなってしまった友のことを思った。王太子に囚われてからの暮らしは、エリシュカにとってさぞや苦痛であったに違いない、と。

 身を粉にして働いても決して報われることのない身分にあったとはいえ、かつてのエリシュカには日々のささやかな自由が許されていた。たとえばベルタとひそやかな友情を築くこと。たとえばテネブラエのそばで穏やかな時間を過ごすこと。

 けれど、王太子の寵姫となったあとのエリシュカにそんな贅沢は許されていなかった。まったく考えれば考えるほど腹立たしいことだ、とベルタは思う。

 ヴァレリーの隣にあることをエリシュカ自身が望んだのならばともかく、そうではないのだから、彼のしたことは誘拐監禁とそう変わらないではないか。あげく思い詰めたエリシュカは城を飛び出し、行方知れずとなってしまった。

 もしこれがエリシュカではなく、姫さまに仕えていたほかの侍女の身に起きたことだったならば、姫さまもツェツィーリアさまも、もっと表立って騒がれたはずだ。あるいは神ツ国から正式な抗議もされたかもしれない。

 たとえ、姫さまがご自身の身代わりとしてエリシュカを差し出されたのだとしても、それはせいぜい一晩かそこらのことで、本人が望まぬ寵を強要されることはなかっただろう、とベルタは思う。ましてや、帰りたいと望んでいるところを無理矢理に引き留められることなど――。

 そんなふうに考えているうちに、ベルタは自身の苛立ちをすっかり熟成させてしまった。誰を相手にしても怒鳴り出したいような気分だ。

 だから、ちょうどそのとき、おい、おまえ、と声をかけられた彼女が、持ち前の丸い瞳に可能な限りの剣呑さを滲ませて、呼びかけてきた衛士を睨みつけたとしても、それはただ時機が悪かっただけだ。決して彼個人に恨みがあるわけではない。

 睨まれた衛士は吃驚したのか、忙しなく瞬きを繰り返したていたが、すぐに、迎えだ、と短く云って、ベルタに立ち上がるよううながした。

 座ってろって云ったり、立てって云ったり、勝手なもんだわ、とどこかやさぐれたベルタは、それでも素直に立ち上がった。さして広くもない衛士詰所の風景にはすっかり退屈していたからだ。ここじゃないところへ連れてってもらえるなら、もうどこでもいいわ、とはなかば自棄っぱちではあるが、正直な思いでもある。

「こいつです」

 衛士は背後に立つひとりの侍女に対し、歩み寄ってくるベルタのことを、考えうる限り最大級に雑な言葉で紹介した。苛立っているベルタは片眉を釣り上げて不満を示したが、こちらへ、と響いた侍女の冷たい声に、すぐに身を竦ませることになった。

 濃茶色の仕着せに身を包んだ侍女は、ベルタの頭の天辺から足の爪先までをじろりと眺め、無言で踵を返すとさっさと歩き出してしまった。ベルタは侍女の背中と傍にいる衛士とを何度も見比べ、衛士が頷いたのを合図に慌てて侍女を追いかけた。

 すぐに追いついてきたベルタが背後をぴったりついてくる気配にも、侍女は振り返ろうともしない。こちらへ、と云うからには、どこかへ案内してくれるつもりなのだろうし、彼女の顔にはなんとなく見覚えがあるような気もする。

 名前がさっぱり思い出せないのが、私のポンコツなところよね、とベルタは不安と緊張の中にいることも忘れて、自分自身にあきれてしまった。もっともそうやって気を逸らしていなければ、全身に震えがくるほどびくびくしているのだが。

 いったい私はどこに連れて行かれるのかしら、とベルタはともすれば喉の奥が引き攣れるような緊迫感に包まれながら必死に足を動かして、すぐ目の前を行く濃茶色の背中を追いかけた。

 侍女は振り返りもしなければ、案内の声を上げてくれるでもない。まるでひとりきりで歩いているかのように、いっさいベルタに頓着することなく進んでいく。

 ベルタが歩かされているのは、この城に二年仕えた彼女にもどこだかはっきりとはわからぬ場所で、それはつまり、きっとろくでもないところへ連れて行かれるということに違いない、と彼女は思っていた。階段をどんどん登っていくところを見ると、どうやらすぐに牢にぶち込まれるわけではないようだけれど――。

 やがて侍女は、とある片開きの扉の前で立ち止まった。ベルタへちらりと視線を投げかけると同時に躊躇いもなくその扉を叩いた彼女は、どうぞ、と声がかかる前に取手を掴んで扉を押し開けた。


「ベルタ・ジェズニーク」

 呼びかけてくる声にはどことなく聞き覚えがあった。声の主の顔は見えない。いまのベルタは、目の前に開け放たれている扉をくぐることもなく、廊下で深々と頭を下げたままでいるからだ。

 大きな硝子の嵌められた窓、厚い絨毯の敷き詰められた廊下、叩くと硬い音を立てた扉、磨き上げられた扉の取手などの様子から、ベルタはこの場所を、王城の中でも地位の高い使用人の居室が並ぶ辺りに違いなかろうと結論づけた。

 侍女長、あるいは彼女に次ぐ地位にある使用人の誰か。それが誰であれ、いまの私の生殺与奪を握っている人物であることはたしかだわ、とベルタは考えた。ならばできる限り下手に出ておいて損はないはず。

 それゆえベルタは、案内役の侍女のようにいきなり部屋に踏み込んだりせず、廊下で頭を下げて入室の許可を待ったのである。

 お入りなさい、と声は云った。そして、おまえはもういいわよ、と傍らに向かって手を振る気配がした。頭を上げたばかりのベルタの横を、彼女をここまで連れてきてくれた侍女が足早にすり抜けていった。礼を云う暇もない。

「早くお入りなさい」

 ベルタは慌てて部屋に足を踏み入れ、声に背中を向けて丁寧に扉を閉めた。小さく息を吸い込んでから正面に向き直る。榛色の双眸がまっすぐにこちらを見つめていた。

「ベルタ・ジェズニーク。元王太子妃殿下付侍女、神ツ国の神官の娘。間違いありませんね?」

「はい、そのとおりです」

 声が震えなかったのは奇跡的だわ、とベルタは思った。この方には覚えがある。

「私のことを覚えていますか?」

 はい、とベルタは頷いた。

「デジレさま。王太子殿下付筆頭侍女デジレ・バラデュールさまでいらっしゃいますね」

 はい、とも、ええ、ともデジレは答えなかった。ただ、ベルタのなにかを見定めようとするかのように、鋭い眼差しでじっと見つめてくるだけだ。

 ベルタは落ち着かない気持ちになり、そっとデジレの双眸から視線を逸らした。彼女の手元をさりげなく探り、そこに見覚えのある書状を見つけて、ほんのわずか眉根を寄せた。

「モルガーヌからの書状です」

「はい」

 さすがはあのモルガーヌさまを顎で使っていた筆頭侍女さまだわ、とベルタは思った。こちらのなにもかもを見通されている気にさせられる。彼女を誤魔化したり騙したりするのは至難の業だろう。

「クロエから話も聞きました。あなたがモルガーヌにこれを書かせたのだと彼女は云っていました。間違いありませんか」

「書かせたなんて……」

 そんな、とベルタは慌てて首を横に振ったが、デジレはぴくりとも表情を動かさない。ベルタは小さなため息をついて、ええ、はい、と答えた。

「たしかにモルガーヌさまのお手を煩わせたのは私です。治安の悪い街道を王都までつつがなく移動するためには、そうするしかないと思ったからです」

 そうですか、とデジレは云った。そして、くるりと背後を振り向き、書卓の上から別の書状を取り上げると、ベルタに向かって差し出してみせる。

「これは、モルガーヌが私に宛てて寄越した書状です。ここには、エリシュカさまの行方がいまだに掴めずにいること、クロエがいままで城に戻らなかった理由、それから、あなたのことが書かれていました」

「私の、ですか?」

 そうですよ、とデジレは云って、書卓の向こう側へと回ると、ベルタに断りも入れずに椅子に腰を下ろした。むろんベルタは、立場も年齢もずっと上のデジレがそうするのを咎める立場にはない。ただ、どこか威圧的なその態度にはおもしろくないものを感じた。

「私はモルガーヌのことをよく知っています。あなたよりも、ずっと」

 デジレの云いたいことを掴むことができず、ベルタは思わず目を瞬かせた。

「私の知るモルガーヌは、自分の仕事に妥協を許しません。自分にも他人にも厳しく、そして、とても有能です」

 それは否定しない、とベルタは思う。烈女、とはモルガーヌのためにあるような言葉だと思うからだ。

「あなたは本来王城に、いいえ、この東国にいるべき人間ではありません。シュテファーニアさまに従い、とうに神ツ国へと帰ったはずなのです」

「そ、それは……」

「旅の最中の不慮の事態につき、と云いたいのですか?」

 デジレの言葉は厳しかった。だが、ベルタは動じることなく、そのとおりです、と答えた。この質問は想定の範囲内だったからだ。

「シュテファーニアさまは、旅の途中で大切にされていた装身具を失くされた」

 旅を遅らせるわけにはいかないが、どうしても取り戻したいとおっしゃったためにあなたが遣わされ、騎士オリオルとともに旅列を離れた、とデジレは事実を淡々と述べていく。途中、叛乱勢力の蜂起があったせいで旅を続けることが困難となり、立ち往生しているうちにわが国に取り残されてしまった。

 デジレの確認にベルタは頷く。

「そのとおりです」

「でしょうね」

 ぴしゃりと引っ叩くようにデジレが云った。ベルタは言葉を飲み込み、じっとデジレを見つめる。

「この国に取り残されたあなたが、一度王都へ戻ろうとした理由もわかります。少しでも慣れた場所で時を待ち、いずれ国へ帰る手段を探るつもりだった。そうでしょう」

「はい」

 問題は、とデジレは云った。

「なぜ、モルガーヌがあなたに協力しようと考えたか、です。わかりますか」

 いいえ、とベルタはなんとはなしに厭な予感を覚えて首を横に振った。

「ですが、モルガーヌさまと私はおそれながら既知の間柄です。王太子殿下に仕えていらしたモルガーヌさまと、姫さまにお仕えする私とでは立場が違いましたが、お顔を拝見する折は多くありましたし、お言葉をかけていただくこともございました。窮地に陥った私に手を貸してくださったとしても不思議は……」

「不思議なのですよ」

 デジレの言葉はまるで刃物のようだ。

「不思議なのです、ベルタ・ジェズニーク。先ほど云ったでしょう。モルガーヌはたいそう厳しいのだと。自分にも他人にも妥協を許さないのだ、と」

 モルガーヌにとって、あなたへの協力は妥協でしかない、とデジレは云った。

「あの子にとっての絶対は王家であり、それ以上に重要なものなどないのです。ほかでもないこの私が、そのように育てたのですから」

 ヴァレリーに対する態度にいささか乱暴なところがあろうとも、彼の寵姫に対し心を傾け過ぎたきらいがあろうとも、モルガーヌの忠心はいつだってラ・フォルジュにあった。侍女の地位を捨て、監察官になったことも、結局は王家のため――ヴァレリーのため――であったことは明らかである。

「あなたを助けることはわれらが王室にとってなんの益もありません。むしろ、国王陛下のお心に背くことになる」

 シュテファーニアに従って東国へやって来た者たちは、ひとり残らず神ツ国へ送り返せ、というのが東国国王の意志である。

「にもかかわらず、モルガーヌはあなたを助けた。さほど親しいわけでもなかったはずのあなたをです、ベルタ・ジェズニーク」

「私はこちらにおりましたときから、モルガーヌさまにはよくしていただきました。エリシュカさまとのこともありましたし、同じ侍女として私が頼りなくもあったのでしょう。いろいろとお声がけくださり、お気遣いくださって……」

 たとえそうだとしてもです、というデジレの厳しい声がベルタの言葉を遮った。

「たとえモルガーヌとあなたが、私の想像をはるかに超えて親しかったとしてもです。モルガーヌが王室の意志に背くことはありえない」

 よほどの事情がない限り、とデジレは声を潜めて付け加えた。

「よほどの、事情……?」

「ええ、そうです。事情です」

 ベルタは大きく深呼吸をし、あらためてデジレを見据えると、だとしたら、と云った。

「いったいなんだとおっしゃりたいのですか、デジレさま」

 思ったとおりのなかなか豪胆な娘だ、とデジレは思った。

 主とはぐれ、まったく見ず知らずの土地を歩み、騒乱の最中を潜り抜け、たとえそこに騎士の助けがあったにしても、ベルタという侍女は、そのおとなしく平凡な見た目にはそぐわぬ強い心の持ち主であるらしい。

 モルガーヌの書状は、クロエの帰城が遅れた理由と彼女に対する処分の軽減を願い出る文面がほとんどを占めていた。ベルタについては、まるで思い出したかのようにほんの数行が記されていたにすぎない。

 国境の街でベルタ・ジェズニークどのと再会しました。多少込み入った事情があり、神ノ峰へ入ることができなかったようです。クロエとの同行を許しましたので、なにとぞ、デジレさまのよきようにお取り計らいくださいませ。

 まるでモルガーヌらしくない、とデジレは思っていた。

 もしも、ベルタが、本当に彼女の云うとおりモルガーヌと特別に親しい間柄であるのなら、モルガーヌはデジレに対し、もっと真摯にベルタの身を保護するよう願ったはずだ。あるいは、国王陛下の意に背く者として捕えておいてほしい、ということであれば、そのとおりしたためてきたはずである。

 つまりモルガーヌは、ベルタに対する態度を決めかねていたのだろう、とデジレは考えた。監察官としての職務に忠実な――それこそがデジレの知る彼女の姿である――モルガーヌであれば、王家の命に背いてベルタに便宜を図るはずはないのだし、親しい友との絆を大切にするつもりであったならば、王都へ帰らせたりはしなかったはずだ。彼女の意が通りやすい、カスタニエ家の領地へでも送っていたことだろう。

 つまり、モルガーヌの行動はどうにも中途半端で、それだけにデジレに強い違和感を抱かせたのである。

 ベルタにはなにやら含むところがあるに違いない、とデジレは結論づけ、彼女に揺さぶりをかけたのだ。だが、芯の強い娘なのだろう、彼女はなかなか本音を明かそうとはしない。

「この王城において、私がどのような立場にあるのかは知っていますね?」

 多忙なデジレは手間を惜しみ、ベルタに直接的な圧力をかけることにした。

「いますぐ官吏を呼んで、あなたを牢に繋ぐよう命じることもできる。なにしろあなたはここにいてはならない人間、いるはずのない人間なのですから」

「では、なぜすぐにそうなさらないのです?」

 デジレは思わず息を飲んだがすぐに気を取り直し、動揺をベルタに悟られないよう細く静かに息を吐いた。

「あなたに訊きたいことがあるからですよ、ベルタ」

「なんでしょう?」

 思わせぶりなことをしてもこの娘には通用しない、と悟ったデジレは単刀直入に問いかける。

「あなたはなぜ、シュテファーニアさまの旅列を離れたのですか」

 今度はベルタが息を飲む番だった。

 彼女がオリオルとともに旅をすることになった本当の理由は、モルガーヌとクロエもすでに知るところである。打ち明けたのは、ほかでもない自分なのだ。

 モルガーヌはデジレに宛てて書状を認め、クロエはおそらくすでに彼女と面会している。ふたりともなにも云わなかったのだろうか、と疑問を抱いたベルタは、すぐに、そうか、と思い直す。――云えるはずがないのだわ。

 ベルタがひとり東国に取り残された理由をデジレの耳に入れれば、モルガーヌとクロエは、なぜその理由を知ったのか、についても同じようにデジレに告げなくてはならない。だが、それはふたりにとって都合が悪かったのだ、とベルタは気づく。だって、あの取引が明るみに出てしまうものね。

 自ら戻ってきたとはいえ、一度は職務放棄をしたクロエと、監察官としての職務に、それとは無関係であるはずのクロエとバローを、理由なく同行させたモルガーヌ。いずれもさほど重たい罪に問われることはないだろうが、デジレには知られたくなかったのだろう。

 厳しそうだもんなあ、この人、とベルタは目の前のデジレをじっと見据えた。ただ叱責されるだけで済むとはとても思えない。しかも王太子付筆頭侍女とくれば、持っている権力もそれなりのものだ。監察官と下級侍女など、ふたりまとめて馘首にできるだけの政治力があるのかもしれない。

「先ほど申し上げたとおりです、デジレさま」

 ベルタはあくまでもしらを切りとおすつもりだった。シュテファーニアに義理立てしてのことではない。

 ヴァレリーからの依頼――エリシュカを見つけ次第、すぐに王城に知らせを送れ――に背き、故国へ連れ帰ろうとした振る舞いがいかに罪深くとも、シュテファーニアはすでに東国との縁が切れた身の上である。神ノ峰を越えて帰国し、もう二度とこの国を訪れることもない。いまさら東国が彼女の罪を問うことは不可能だ。

 姫さまはどうあっても安全なのだ。ならば私は私の身を守ることだけを考えればいい、とベルタは思った。

「つまらない嘘は嫌いです。本当のことをおっしゃい」

 そうすれば、とデジレは薄い唇で綺麗な弧を描いてみせる。

「この城内にあなたの居場所を用意してあげましょう」

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