36

「さすがは王子さまだ」

 やがて苦笑混じりにそう呟いたのはクザンだった。シャニョンは黙り込んだきり、卓の上に置いた拳をじっと見つめている。

「どんな批判も受けて立つ覚悟は、さすがは王族といったところですか」

 クザンの皮肉に、さあな、とエヴラールは肩を竦めた。民からどんな声が聞こえてこようとも、己がなすことこそが民のためと信じる傲慢は、クザンを王城学問所から追放した非情ととてもよく似ている。

「王位継承権を持っているのは伊達じゃないってことですね」

「形ばかりだよ」

 そんなことはありませんよ、とクザンは云った。

「英明の誉れ高き王太子にも引けを取らない、じつに立派なご覚悟です」

 さて、とクザンはシャニョンを見ながら、しかし言葉ばかりはエヴラールへと向ける。

「青臭い政治談義はここまでにして、現実の話をするとしましょうか、王子さま。さっき、あんたが云っていたようにね」

「現実の……?」

 そうです、とクザンは頷いた。

「なにがしたいのか、とあんたは云った。その質問に答えよう、と云っているんです」

 クザンはそこでちらりとシャニョンを見遣った。明るい紅茶色の髪をした若者は、いまだ俯いたまま身じろぎひとつしない。クザンは仲間の失態をごまかすかのように、エヴラールに向かって笑ってみせた。

「俺たちだってなんの策もないまま、革命だのなんだのと騒ぎ立てているわけじゃない。ちゃんと目的がある」

 エヴラールは口を噤んだまま、片眉を持ち上げて話の続きをうながした。そういう表情をするときの彼は、その容姿にあまり似たところのないはずの従兄ヴァレリーにそっくりである。

「そのための手段も考えてある。後ろ盾もね、あるんですよ」

 エヴラールの背中にひやりと冷たいものが走った。

「後ろ盾だと?」

 ええまあ、とクザンは頷く。

「この国には酔狂な御仁もいるってことです。ラ・フォルジュに盾突いて王都を追われた俺のようなやつに力を貸そうっていう、ね」

「それをなぜいま私に明かす?」

 シャニョンらがいったいどれだけの数の仲間を抱えているかはわからないが、監察府の耳に届くほどであることを考えれば、そう小さな勢力とは考えにくい。おまけに、このクザンが後ろ盾と呼ぶほどの誰かが力を貸しているのだから、その気になれば街ひとつを占拠して戦を起こすくらいのことはできるのだろう。

 だが、それを私に知られてもよいことはひとつもないはずだ、とエヴラールは思った。

 敵とする王城に繋がる、否、王城の象徴そのものであるはずのエヴラールに手の内を明かすような真似をして、クザンはいったいなにを考えているのだろう。

「なぜ、ですか」

 クザンは、さもおかしなことを聞いた、と云わんばかりの調子で笑い出した。

「あんたも意外に間が抜けてるんですね」

「なんだと?」

「あんた、自分がここから帰してもらえると、本気で思ってるわけじゃないですよね?」

 エヴラールの水色の瞳が大きく揺れた。クザンは唇の端を吊り上げて、小さく頷いてみせた。

「おまえ、はじめからそのつもりで……」

「あたりまえじゃないですか。レミュザとの話を聞かれていなくても、いずれこうするつもりだったんですよ」

 まさか、とエヴラールは思った。まさか、はじめからすべて仕組まれていたとでも云うのか。

「ああ、レミュザを疑うのはやめてあげてください。あいつはなにも知らない。なにも知らずに俺に声をかけてきただけです」

 はじめの計画ではね、あんたは王都に帰る途中で何者かに拉致される予定だったんですよ、とクザンは云った。レミュザのやつが俺に働き口を持ってきたせいで、予定が少し早まってしまいましたがね。

「……私に、なにをさせるつもりだ」

 ほう、とクザンは楽しそうに唇を歪めた。

「なにをさせるつもりもない」

 口を挟んだのは、それまでずっと黙っていたシャニョンだった。エヴラールは、なに、と眉をひそめ、クザンを見た。

「僕たちはこれから王都へ向かう。殿下には僕たちと同道してもらいたい。それだけです」

「おまえたちと?」

 そうです、とシャニョンは頷いた。

「手荒なことはしたくありません。馬も、馬がお厭ならば、馬車もこちらで用立てます。あなたにとってまずい話はなにもないはずです、殿下。付き従う者が僕たちと入れ替わった程度の違いしかない」

 そんなわけがあるか、とエヴラールは思った。仮にも王政への叛逆を掲げる者たちと自分が行動をともにすれば、王城はひどい騒ぎになるはずだ。おまけに彼らには正体の知れぬ後ろ盾があるというのだ。

 了承できるはずがない、とエヴラールは首を横に振った。

「無理に決まっている」

「無理は承知で通させてもらいますよ」

 クザンがふたたび口を開くと、シャニョンは口を噤んだ。その顔にはどこか苦い色があって、エヴラールは小さな疑問を抱いた。

「領地に残してきたレミュザや、あんたの侍従がどんな目に遭ってもいいんですか」

 あまりにもあからさまな脅し文句に、エヴラールの顔が苦笑いに歪む。

「おまえたちはやっていることがちぐはぐだ。私をここまで連れてきたのは、王弟の子である私の価値を知っているからだろう」

 私には手練れの護衛が複数ついていることを忘れたのか、とエヴラールは云う。

「彼らは仕事のできぬぼんくらではない。レミュザやオディロンらを保護し、王都に向けて知らせも送っているであろう。彼らを人質にでも取ったつもりでいたのか」

「あんたこそ、なんにもわかっていないんだな」

 クザンの口調は、なにも知らぬエヴラールをいっそ哀れむようですらあった。

「後ろ盾があると云っただろう。あんたの護衛がどう動くか、そんなことも考えずに俺たちが動いたとでも思ってるのか」

 そう云ったかと思うと、クザンはやおら大声で人を呼んだ。呼ばれて近寄ってきたのは、いかにも学生の風情を纏った若い男だった。

「あれは?」

 クザンの声に、男はやはり華奢な手を卓の上にまっすぐに伸ばす。繊細そうな動きで広げられた指先から転がり落ちたものを見て、エヴラールの顔色がさっと変わった。

「あんたの侍従のものだ。説明する必要もないようだがな」

 卓の上にころりと転がるあかがね色のボタンは、オディロンの仕着せに並んでいたはずのひとつだった。

「……オディロンをどうした」

「傷ひとつなく無事でいる。この釦はちょっと借りただけさ。だが、わかっただろう。あんたの学友と侍従とは俺たちの手の内にいるんです。妙な真似をすれば、すぐにでも……」

 そう難しいことを頼んでるわけじゃありません、と少しだけ間を空けてからクザンは続ける。

「俺たちとともに王都へ向かってほしい。ただ、それだけです」

 ただそれだけのことが私にとっては命取りになるということを、この男が知らないはずがない、とエヴラールは思った。王太子に次ぐ第二位の王位継承権を持つ自分が、革命軍と呼ばれる彼らと行動をともにするということの意味を、クザンは誰よりもよくわかっているはずだ。

「ひとつだけ教えろ」

 ようやく発されたエヴラールの声は、醜く掠れていた。

「おまえたちの後ろ盾とはいったい誰だ?」

 その者が誰かによっては、あるいはまだ失態を取り戻す手立てがあるかもしれない、とエヴラールは考えた。

「いまは云えない」

 クザン、とエヴラールは抑えた声で呼びかける。

「おまえたちはたしかに、ここまでとてもうまくやった。私がたいそうなまぬけだったことを引いても、悪くない段取りだった。それは認めよう。だが、私にはまだ切り札がある。それがなんなのか、説明されなければわからないおまえではないだろう」

 クザンの瞳が鋭く光った。彼に似つかわしくない逡巡を示すように、しばし彷徨った視線は、シャニョンの上でぴたりと止まる。シャニョンは小さく頷いた。

 シャニョンは不意に立ち上がった。警戒するエヴラールの前で、彼は静かに頭を下げた。

「申し訳ないのですが、僕は人を待たせているのです。僕が云いたいことはすべて云わせてもらった。あとの話はリオネルとなさってください」

 そしてシャニョンは、オディロンの釦を持ってきた男をうながして食堂を出て行った。


 シャニョンが出て行ったあとも、クザンはしばらくのあいだやわく笑んだまま黙っていた。

 エヴラールもまたクザンを急かすようなことはしなかった。急いで思考をまとめなくてはならなかったからだ。まったく厄介なことになってしまった、と彼は思った。目の前にいる男の微笑みが、まるで地獄の使者のそれのように思えた。

 それにしても下手を打ってしまった、とエヴラールは悔やむ。

 エヴラールは遠出に慣れている。王城の住人の中で、彼以上に旅慣れた者はいないと云っても過言ではないほどだ。

 エヴラールが専攻する地質学は、実地調査を抜きには研究を深めることのできない学問である。それゆえに彼は年に数度も長期の調査に出かけているし、数日内に帰城できるような短期的な調査であれば、さらに頻繁に出かけている。

 毎年恒例の領地視察の帰路に発掘調査を行うことは、エヴラールにとってみれば、普段の調査活動となんら変わらぬ旅のひとつにすぎなかった。

 王弟の子という身分を考えれば、十数名の護衛と数名の侍従の随行は、それ自体決して多くはない。なにごとも仰々しくされることを嫌うエヴラールが、ごく限られた数の供しか連れ歩かないことは頓に有名であったが、これまではそれで危険なことなど一度もなかったのだ。

 そのことを考えても、クザンに入れ知恵したやつが必ずいるはずだ、とエヴラールは思った。

 いくら王城学問所にいたことがあると云っても、クザンとエヴラールに直接の面識はない。はじめからレミュザが裏切っていたのであれば話は違ってくるが、地方で暮らしていたクザンには、変わり者の王子の行動を具に知るすべはないはずなのだ。

 旅慣れているせいで油断しすぎた、と云えばそれまでなのだろうが、それにしてもクザンらの行動はあまりにも的確に過ぎるように、エヴラールには思えた。

 クザンらの云う後ろ盾が、彼らに知恵も授けたに違いない。

「もったいぶった真似をしてすみませんね、王子さま」

「人払いのことか」

 ああ、とクザンは頷いた。

「俺たちにもいろいろありましてね」

「後ろ盾のことを知らぬ者たちが大勢いるのだろう」

 ええ、まあ、とクザンは頷いた。

「俺たちはもともとが学問所の同窓だ。学問しか知らぬ連中の中には、理想と現実の折り合いをつけられないやつも大勢いるんです」

「裏切りを心苦しく思うのか」

「裏切り?」

「王族に刃を突きつけるのに貴族の手を借りるのは、裏切りとは云わないのか」

 云うかもしれませんね、とクザンは云った。

「だが、なぜ貴族だとわかったんです?」

「少し考えればわかることだ」

 ヴァレリーに仕込まれた予備知識があったからだとは云わなかった。親切に余計なことを教えてやる必要もあるまい。

「アドリアン・トレイユ将軍です」

 なに、とエヴラールは水色の瞳を大きく見開く。

「アドリアン・トレイユ将軍。北部守備隊将軍。現在の任地は神ノ峰の入口にある国境の街。知らぬ相手ではないでしょう」

「トレイユが……」

 莫迦な、とエヴラールは思わず口走る。あれは、あの男は、つまらぬ謀略の策とやらをたびたび父上に吹き込んでは、その都度この私に追い払われているような無能な男だ。

「あの男はああ見えて、なかなかの策士なんです」

 王弟ギヨーム殿下の逆心を真っ先に察したのも、あなたが見た目どおりの凡庸な王子さまではないことを教えてくれたのも、あの男なんですよ、とクザンは云った。

「あなたはトレイユのことを、父上に集る厄介な羽虫のごとくに思っていたかもしれないが、あの男は違った。あなたは使える、彼はそう云って、今回のことをわれわれに提案してきたんです」

「提案だと?」

 そうです、とクザンは頷いた。

「俺たちには、いや、もっとはっきり云えばユベールには理想があった。だが、それしかなかった。理想を実現するための策謀も、手段も、なにひとつ持っちゃいなかった。俺はそいつがどうにも不満でね」

「そうであろうな」

「あるとき向こうから声をかけてきたんです」

「トレイユからか!」

 エヴラールは思わず驚きに腰を浮かせた。そうです、とクザンはにやりとしてみせた。冷静沈着な物腰をなかなか崩さなかったエヴラールが、ここへきて取り乱したことがおもしろかったのかもしれない。

「将軍は云いました。俺たちは互いに足りないものを補い合うべきだ、と」

 俺たちには理想と情熱がある、とクザンは云った。だが、それを実現するだけの力と策がない。将軍には権力と謀略はある。だが、彼のそばには彼を慕う者がいない。

「渡りに船だと俺は思った。そう云ってユベールを説得した。あいつは指導者ですからね。理想に走りがちではあっても、多少は計算も働く。だが、ほかの連中はそうはいかない。あんたが云ったように、王制を斃さんとする者が貴族の力を借りるなど、もってのほかだと思ってるんですよ」

「……仲間を、裏切っているのか」

「人聞きが悪いですね」

「裏切っているのだろう」

 クザンはそれ以上反論しなかった。エヴラールは言葉を重ねる。

「おまえ、トレイユがどんな男か知らないわけではないだろう」

 かつては軍神とまで呼ばれた勇ましい老将は、しかし、太平の世の続くいまではすっかり軍部のお荷物である。国同士の諍いなどほとんどなく、あったとしても外交ですべてを解決する現在の体制を非難し、なにかというと武力の行使を仄めかし、国王ピエリックの不興を買った。

 さらに、怪しげな策謀に弟を巻き込もうとする存在として、トレイユをすっかり疎んじるようになった国王は、彼に北の守護を命じて王都から遠ざけた。命の限り彼の地を守れ、との命令は、すなわち生きて王都の地を踏むことは許さぬ、という追放の言葉でもあったのだと云われている。

 戦を好むトレイユは、同時にまた策謀をも得意としている。もしもギヨームに人望と度胸があったなら、彼はトレイユの力を借りてとうに王座を奪っていたことだろう。

 父上が小心者でよかったと、だから私はいつもそう考えていたのだが、とエヴラールは思った。どうやらトレイユの狙いは、父上だけではなかったらしい。

「むろん知っている。平気で人を裏切り、踏み躙る、権力欲の塊のような男だ」

 あの男があそこまでひねくれたのも、だが、もとはと云えばラ・フォルジュのせいではないですか、とクザンは云った。

「気に入らないからと頭ごなしに抑えつけ、挙句の果てに僻地へと追いやれば、人の性根など容易く捻じ曲がる。違いますか」

「そんなことが云いたいわけではない」

 ではなんです、とクザンは心持ち顎を持ち上げてエヴラールを挑発した。

「あのトレイユが、まさか本気でおまえたちとの和親を申し出たと、そう思っているのか」

 クザンは答えない。

「平気で人を裏切り、踏み躙る、権力欲の塊。おまえはさっき自分の口でそう云ったのだ。そんな男となぜ手を組んだ。自分たちだけは裏切られないと、本気でそんなことを思っているのなら……」

「裏切るさ、あいつは。いや、もうすでに裏切っているでしょう」

 と云うよりも、とクザンはまるで面白がるかのように、両の眉をひょいと持ち上げてみせた。

「最初から俺たちと手を組んだつもりなどないのかもしれないな。態よく利用して使い捨てる気でいるんでしょう、きっと」

「では、なぜ……」

「こっちもその気だからですよ」

 なに、とエヴラールは眉をひそめた。さっきから二転三転する話は、まるで質のよくない酒で悪酔いしたときに見る悪夢のようだ。

「その気、とは?」

「トレイユを信用なんてしちゃいない。そういう意味です。だが、あいつの力と金は利用価値がある。ユベールがどう考えているかは知らないが、理想だけでは腹は膨れないし、腹をすかせたやつらは食えりゃなんでもいいと思っちまう。貴族どもが投げてよこす残飯も、自分たちが奪い取ったご馳走も、区別なんかつかなくなっちまう」

 冗談じゃありません、とクザンは云った。それじゃ、いまとなんにも変らない。

「俺は、自分たちの力で勝ち得た飯の旨さってやつを民に教えてやりたいんですよ。自分の手で自分を生かす歓びを、民に知らしめてやりたいんです」

「だからトレイユを利用するのか」

「理想を語るためにはやつが必要です。やつの金と力は、俺たちの腹を膨らませてくれる」

 それは、とエヴラールは低く唸るような声で云った。

「裏切りではないのか。おまえの理想とおまえの仲間に対する、裏切りではないのか」

「かも、しれませんね」

 トレイユは王都へ向かう俺たちを補佐すると云っています、とクザンは続けた。

「むろん、やつの肚は別のところにある。雇った私兵に俺たちのあとを追わせ、王城へ着いたところで叛逆クーデターを起こすつもりなんです」

「おまえたちもそうではないのか」

「ユベールは武力の行使を望んではいません。多数の力を背後につけて、しかし、あくまでも理で王城を開かせると云っています。国王を話合いの場に引きずり出し、無血のうちに革命を成し遂げるつもりでいる」

「莫迦な……」

「そんなことはできない。その点については、俺は全面的にあんたと同じ意見だ。そんなことはできない。そのとおりです。国を統べる国王が、たかが学生ひとりの話に耳を傾けるなど、夢物語もいいところだ」

 では、なぜ彼にそう云ってやらない、とエヴラールは云った。

 クザンはそのときばかりは目を伏せて、静かに答えた。

「ユベールの夢は、俺の夢でもあるからです」

 あいつの語る理想はどれもこれもこどもじみた夢物語だ。だが、あいつは人を動かす力を持っている。だからこそあいつの周りには人が集まるし、この俺も動かされたひとりだ。ユベールはあれでいいんですよ。

「現実を見ることも必要だろう」

「そんなものは俺が見る」

「……クザン」

「トレイユと手を組むことだって、あいつは反対だった。篤志家のふりをしたトレイユが差し出す金さえ、あいつは最初受け取ることを拒んだ。俺の説得を受け入れたふりをしていますが、あいつはいまだにトレイユの手を借りたことに納得していません。だから仲間にも黙っていてほしいと、そう云うんです」

 俺はそれでいいと云った、とクザンは小さくため息をついた。

「ユベールはトレイユの肚には気づいていません。あいつのことを、自分たちに賛同してくれた酔狂な貴族だと、本気でそう思っている」

「その思い込みを正す気にはならないのか」

 あいつはあれでいい、とクザンはまた云った。

「だが、トレイユは違う。違います。トレイユは俺たちを使い捨てるつもりでいる。もちろん俺にそのつもりはありません。こっちがあいつを、あいつの金と力を使い捨ててやる」

「シャニョンと話をしろ、クザン。そのうえで王城と話をするんだ。私が話を通してやってもいい。そうすれば、私を人質にとるような真似をせずとも……」

 残念ですが、とクザンは静かに云った。遅すぎですよ、王子さま。

「あんたを人質に取れと云ったのはトレイユです。俺たちには、王城と話をするための人質だと云っていますが、あいつはあんたを旗印に叛逆を起こすつもりでいる」

 あんたはどうあっても逃げられない、とクザンはどこか残念そうな口ぶりでそう云った。

 そのときのエヴラールはもうなにも考えられなかった。冷えていく手足をだらりと力なく投げ出して、椅子の背に凭れかかる。

 まるで悪い夢を見ているかのようだった。――二度と醒めることのない、悪い夢を。

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