第84話 水難!

 恵さんとの勉強会も終盤に差し掛かった。時計の針は5時半を指している。


 すでに俺に出来ることはなく、テーブルの上で真剣にノートと向き合う恵さんを眺めているだけだった。


 真剣そうな顔、声を上げて笑う笑顔、むすーっとしたような不機嫌な顔、そしてたまに見る寂しげな顔……。


 最初に会った時は泣き顔だった。入学式の、それも遅刻寸前の時間だというのに、公園のブランコで泣きながら座っていたっけ。


 中学の頃に見かけたことなかったから、こっち方面じゃないことはわかっていた。その時に迷っていた彼女を助けてから少しずつ話すようになった。


 あの時、話し掛けなかったらこの3年間、今よりもずっとずっと冷たい学生生活を送っていたと思う。


「ねえ、そんなに胸ばかり見ないでよ。恥ずかしいじゃない……」


「あっ! いや、そう言うつもりじゃなくて!」


 しまった! 恵さんが姿勢を伸ばしてることに気付かないで、ずっと頭があった場所を感慨に耽りながらボーッと見ていた。


「ホントに~? あたしに声かけられたのも気付かない程にじーっと見ていたじゃん!」


「確かに見ていたけど、俺が見ていたのは間にある空間であってだな──」


「ふ~ん、あの子夏凛には劣るけど、クラスでは1番の大きさだと思うんだよね。気になっちゃうのも仕方ないか~」


 恵さんはそう言いながら、自身の胸を寄せては上げてを繰り返した。冬服のブレザーと違って私服のブラウスだからこそ、そこがより強調されてしまい、目を逸らしつつもチラチラと見てしまった。


 男だから仕方無いだろ! 電球に群がる虫みたいに、それに引き寄せられちまうんだ!


 こちらの動揺を見透かした恵さんは更に調子に乗り始めた。ボタンを2つほど外して、テーブルの向こう側から半身分ほど身を乗り出してきた。


「男子って、何でこれが好きなんだろ。重いし、形の維持だって大変だし、女子からしたらデメリットのが大きいんだよ?」


「お、俺に言われても……最早、本能としか言いようがない」


「ふふ、ごめんごめん。なんかあたし、テンションおかしいや……。黒斗はさ、あの子の触り慣れてて、あたしのこと、女と思われてないんじゃないかって、ちょっと不安もあったわけ。でもまぁ、今の反応見て安心した!」


 そう言って、恵さんが席に戻ろうとした時、胸がコップに引っ掛かって倒れてしまった。


 ──ビシャアッ!


「──ひゃあ! つ、冷た~い。黒斗、ごめんね、床こぼしちゃった。拭くもの貸して、掃除するから」


 スカートもブラウスも、オレンジジュースでびっしょりと濡れてしまっている。どちらかというと、床よりもそっちを優先すべきだろ。


「床は俺がやっておくから、そうだな……恵さんはシャワーでも浴びてきて」


「うぅ、確かに……このままじゃ、ベトベトが酷くなるけど──借りちゃって良いの?」


「良いって、良いって! シャワー浴びちゃってよ!」


「うん、ありがとうね」


 と、言うことで恵さんがシャワーを浴びに洗面所に向かった。ブラウスはおへそくらいまでしか濡れてないはずだけど、結構満タンまで入ってたからな……下着は確実に濡れちゃってるだろうな。


 さて、勢いでシャワーを浴びてもらったわけだけど、俺にはやらないといけないことがある。


 ──1つ目、床を拭く。


 これは何の問題もない、ただ拭くだけだからな。


 ──2つ目、タオルと着替えを用意する。


 これが圧倒的に難易度が高い。女物の服なんて持ってないし、そうなれば貸せる物なんて俺のシャツしかないわけで……。


 いや、それはそれでとんでもなくヤバいのではないか? 彼氏でもない俺の服をノーブラ、ノーパンで着る恵さん……ヤバいじゃないか!


「ひー、ひー、ふぅー! ひー、ひー、ふぅー!」


 深呼吸して冷静に考える。本来ならここは母親の服を貸すべきなんだが、残念ながら母親の私物は微塵も残っていない。となれば、我が家における女性は夏凛しかいない。


 そうだ、夏凛だ! なんで最初からそれを思い付かなかったんだろ。よし、善は急げだ、夏凛から服を借りるとしよう!


 タイムロスに焦った俺は、それ以上考えることなく夏凛の部屋に入った。


 中に入り、電気を点けるとピンク色の女性らしい部屋が視界に入ってきた。匂いも俺の部屋と違って甘い香りがする。


「おっと、いかんいかん。今はそれどころじゃない」


 我に返った俺は、早速引き出しを開けて色々と物色を始めた。


 引き出しの中には花畑が広がっていた。綺麗に畳まれた下着が彩り豊かに並んでいる。まるで風景画を見ているようだ。


 だが、目的を忘れてはいけない。恵さんは緊急事態なんだ! 時間もドンドン過ぎていくし、用事を済ませてさっさと出よう。


 合うかわからないが、俺は上下の下着とパジャマを手に取って立ち上がった。


 ──ガチャ。ギィィィィィィィ……。


 何故かドアが開いた。ドアの向こう側には黒髪ロングな女の子が両手で口を覆っている。


 起爆寸前の爆弾を思わせる空気感が漂い始めた。


 3、2、1──。


「きゃああああああああああッ!!!」


 この日、黒谷家に女性の悲鳴が木霊することとなった。

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