第83話 追試に備えて

 ピンポーン、と家のチャイムが鳴ってインターホンのカメラで外を確認すると、恵さんが立っていた。


 髪を弄りながらキョロキョロしている。ベージュ色のブラウスに黒のミニスカートと、いつもより大人っぽい服装でまとまっていた。


 空いた手はケーキらしき箱を持ってることから、宣言通りお菓子を持ってきたようだ。


『おかしいな……寝てないよね?』


 と言いながら、恵さんはスマホを取り出した。


 ~♪~


 割りと大きな音で着信音が鳴り始めた。家の中は静かだったので、軽快な着信音がよく通った。


 カメラの向こう側の恵さんはドアに耳を当てて音を拾っていた。恵さんはカメラに向かって眉をひそめた表情で言った。


『見てるんでしょ? 音、聞こえてるし!』


 インターホンの通話をオンにして返事をした。


「ごめんごめん、キョロキョロしてるのが面白くて」


『嘘、そんなに前から見てたの!? 酷い!』


「だからごめんって、今開けるから待ってて」


 ドアを開けて恵さんを迎え入れると、むくれた顔で入ってきた。


「むー」


 やはり、いい気分じゃなかったようだ。どう見ても怒っている。


「いつもよりオシャレしてたからさ、声かけるタイミングを逃したんだ」


「そ、それって……見入ってたってこと?」


「ま、まぁ……そうなる、かな」


「ふーん」


 そう言いながら恵さんが俺の顔を覗き込んできた。そんな風にマジマジと見られたら、心臓の鼓動が高鳴ってしまう。


 俺の動揺を見透かしてか、恵さんフフっと微笑んだ。


「まあ、良いけどね。ほら、始めよっか」


 脇を抜けて恵さんは先にリビングへと向かった。その背を見て、ちょっとした意趣返しをされたのだと気付いた。


 ☆☆☆


「んぁーーーー! 暗記、暗記、暗記! 英語って何で暗記ばっかなの! こんなの、将来使わないじゃかー!」


 恵さんがシャーペンを放り出して叫んだ。


 わからなくもない。英語に限らず、勉強は大抵暗記が必要になってくる。ここで勉強したことが将来役に立つかと問われると、正直微妙なところだ。


 だけど、前に源蔵叔父さんに言われたことがある。それを今度は恵さんに言う時がきたみたいだ。


「勉強をするという行為自体が社会で役に立つんだと。仕事を教えても、覚えようとする力が無いと使い物にならない。だから嫌なことでも覚える力を身に付けなくてはならない、と叔父さんは言ってたんだ」


「ふーん、わかるような、わからないような」


 こればっかりは、社会に出たことの無い俺達には分かりづらいことだと思う。


「さて、ずーっとやってるから怠くなってきたよな。休憩しようぜ」


「やったー!」


 恵さんはケーキを箱から出してテーブルに並べ始めた。俺も冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して、2人分注ぐ。


「黒斗はどれが食べたい?」


「じゃあ、モンブランを頂こうかな」


「そ、じゃあ──あたしはこれ!」


 恵さんが手に取ったのは、超オーソドックスな苺のショートケーキだった。


「これね、普通のケーキ屋さんよりもクリームがふんわりしてるんだよね。ん~~~ッ! おいし!」


 1口、また1口とその小さな口に消えていく。俺はモンブランの1番頂上にある大きな栗を掬って、口に放り込んだ。


 栗の少しの苦さと、ほっこり優しい甘さのクリームがとても美味しい。


 ふと視線を感じた。恵さんがこちらをじっと見ていた。


「ねえ、ちょい食べやってもいい?」


「ちょい食べ?」


「こういうこと、だ、よ!」


 テーブルから身を乗り出した恵さんは、そのまま俺のモンブランを1口分掬ってしまった。乗り出した時に、ユサっと揺れた胸に気を取られて防御出来なかった。


 茶色と白と赤が混ざり合ったフォークは、恵さんの口の中に消えていった。


「これって間接キスになるんじゃ……」


「……この間、触れちゃったじゃない。1回も2回も対して変わらないっていうか、それにこれは"間接"だし。黒斗も、さ……食べて良いよ?」


 恵さんはおずおずと自身のケーキを俺の前まで移動させた。ま、マジか……正直頭が沸騰しそうなほど恥ずかしいけど、自然とフォークを持つ手は前へと進んでいた。


 そして、1口サイズに掬い上げた俺のフォークには苺のショートケーキの一部が乗っており、それを慎重に口に運んだ。


「ちょ、ちょっと! 何で食べたところを取っちゃうのよ!」


 言われてみると、恵さんは食べてない部分を取っているのに対し、俺はモロに食べてる部分を取っていた。


「い、意識し過ぎだろ! 所詮間接じゃないか」


「してないし! してるのは黒斗の方じゃん! ……それに、あたし達はお化け屋敷で直接……」


 恵さんはそこで言葉を切った。どう見ても恵さんだって意識してるとしか思えない。


 その結果、お互いに自分のケーキを食べるという作業がとても重くなってしまった。口数は少ない、そしてなるべく相手を視界に入れないようにしてなんとか完食した。


「さて、そろそろ始めよ。単語帳から問題出してくれる?」


「わかった。任せろ」


 気恥ずかしさと暖かな気持ちが混在しながらも、恵さんとの勉強は再開したのだった。

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