第66話 家庭科部

 黒斗と夏凛は家庭科室の前に立っていた。


 と言うのも、前日に夏凛から助っ人部の手伝いを頼まれたからだ。


 ちなみに助っ人部というのは、学校で夏凛が行う奉仕活動のようなもので、先生の手伝いから部活動の臨時マネージャーまで務めている。


 最近はずっと水泳部の手伝いをしていたのだが、タピオカの券を譲ってもらう事を条件に家庭科部の案件を引き受けた。


 夏凛からはそう説明を受けている。


 さて、グダグダと中に入らないのには理由がある。家庭科部の家庭科室なのに、ドアの隙間から漏れてくる空気が何故か紫色に変色している。


 隣にいる夏凛も眉をひそめて躊躇っているし、正直な話し……ここから引き返すのも1つの手だと思い始めた。


「なぁ、夏凛」


「なんですか?」


「命って、大切だよな……」


「はい、私も兄さんと同じことを思ってました。兄妹の絆が深まったということでしょうか?」


「いや、これを見れば誰でもそう思うよ。どちらかというと、生存本能に近い」


 こうして待っていても仕方ない。黒斗は意を決して扉を開けた。


 ──ガラガラ。


「空気が……綺麗、だと!?」


 そう、何故か空気が綺麗だったのだ。俺と夏凛が顔を強張らせながら入ってきたので、部員らしき4名の生徒は驚いていた。


 女生徒の1人が夏凛に話しかけた。


「黒谷さん、この方がお兄さん?」


「はい、兄の黒斗です。兄さん、こちらは同級生で隣の席の進藤さんです」


 紹介されたので互いに挨拶を交わした。髪型はおかっぱ、目はくりっとして丸い、身長も低く、スレンダーな体型は全体的に小動物を思わせる。


 すると、進藤さんは俺の方を見て小声で言った。


「お兄さん、あなたのお陰で"深窓の令嬢"とも仲良くなれました。ありがとうございます」


 小声でも夏凛の耳に届いていたらしく、夏凛は顔を真っ赤にして言った。


「もう、進藤さん! 私、そんなんじゃないんですって!」


 "深窓の令嬢"……友達の言わんとしてることはよくわかる。縁結び前の夏凛は、一言で言うなら冷たかった。


 挨拶もほとんどしなかったし、叔父さんが来るときだけ兄妹のフリをしていた。別々に生きると親が言った意味を、当時の俺達は勘違いしていた。


 ムキになって、呪いとも言えるそれをこの歳まで忠実に守っていた。それが今では一緒に助っ人をするなんて……。


 友人の言葉に照れる夏凛と目が合った。


「な、なんですか?」


「いや、可愛い妹だったんだなってさ」


「~~~~~ッ!!!」


 羞恥心が爆発した夏凛は俺の胸をポカポカ叩いて抗議した。痛みは感じないが、その動作すらも可愛らしく感じた。


 ☆☆☆


 家庭科部は進藤さんを合わせて4人、毎年数十人の入部希望者がいるのになんで4人しかいないのか。


 ──それが気になっていた。


 俺達は準備室のテーブルで進藤さんを待った。数分と経たずに進藤さんは現れて、テーブルの上に3つの皿を置いた。


 進藤さんは銀の蓋に手を置いて、もったいつけてくる。


「この銀色の蓋って映画なんかで良く見かけますよね? クローシュって名前らしいんですよ」


 家庭科部らしい豆知識を披露してクローシュを上に上げた。皿に乗っていたのは、女子高生に大人気なマカロンというお菓子だった。


 これほどの物が作れるとは、人数が少ないのはあまりにも厳しいからかもしれない。


 テーブルには左から赤、青、白の順にマカロンが並んでいる。


「わぁっ! マカロンだ! 兄さん、これって、作るのすんごい難しいんですよ!」


「俺も見たことある。コンビニで2個入りのやつだよな。コンビニのやつより若干形は悪いが、匂いも出来映えも素人が作ったとは思えないレベルだ。凄いな!」


 進藤さんは乏しい胸を張って満足そうにしている。だが俺は試食役で来たんだ。忖度はしない、味が悪ければしっかりとフィードバックを伝えるつもりだ。


「じゃあ、赤からいくな」


 夏凛が隣で羨ましそうな顔で俺を見ている。赤いマカロンを手に取って口に放り込む。


 ──赤い世界が現れた。


 火山、赤い竜、吹き上がる溶岩、肌は一瞬にして渇き、次いですぐに汗で濡れる。舌は麻痺して目から絶えず涙が溢れる。


 そしてすぐに現実へ引き戻される。涙で歪んだ視界に映るのは、天井と驚いた表情の夏凛だ。夏凛は必死に俺を揺らしていた。


「兄さん!? 兄さん!!」


「か……りん、み、水──」


「水ですか? わかりました!」


 夏凛は水を注ぐために家庭科室へ戻る。そこで目にしたのは、肉断ち包丁を両手で持って食材に叩き付ける部員。


 大鍋に紫色のスープのようなものがあり、それをかき混ぜる部員。


 そして食材と会話する部員がいた。


 夏凛はそんなモンスターの間を縫って進み、コップに水を注いで黒斗の元に戻る。


「兄さん、水です!」


 夏凛の持ってきた水を喉に流し込んで、なんとか症状を抑え込むことに成功した。


 フラフラとした足取りで椅子に座ると、夏凛が進藤さんに抗議した。


「一体、何を使って調理したらこんなことになるんですか!?」


「あわわわわわ──お兄さん、ごめんね……。多分唐辛子が多かったかも……」


「い、いや……大丈夫だよ。進藤さん」


 泣きそうな顔で謝られて怒るほど小さい器じゃない。とは言え、言うほど辛さは感じなかった。

 辛いと感じてすぐに限界突破して異世界を見たから苦しみは一瞬で済んだ。


「……これは危険だ。残りの2つもこんな感じなのか?」


「ううん、他2つは普通に作ったから刺激物なんて入ってないはずだけど……」


 それを聞いた夏凛が訝しげな表情で言った。


「本当ですか? さっき家庭科室に戻ったら、怪しげな動きをする部員さん達を見かけたのですが?」


 夏凛の言葉に進藤さんは不思議そうな顔で答えた。


「怪しげ? 普通に調理してたはずだけど?」


 納得の出来ない夏凛はジト目を送る。その間に俺は残りの2つを近くのタッパーに入れて立ち上がる。


「兄さん?」


「残りの2つは家で食べようと思ってな。良いだろ? 進藤さん」


「兄さん!? 私は反対です! 明らかに危険です!」


 遠巻きに責められる進藤さんはドンドン小さくなっていく。


「夏凛、心配してくれるのは嬉しいけど、進藤さんが可哀想だろ。それに食べ物は無駄に捨てない主義なんだ。折角作ってくれた料理を捨てることの勿体無さ、一人暮らし同然の生活をしていた夏凛ならわかるだろ?」


「うぅ~、ですが──」


「家なら不測の事態に対処できるしさ、何より夏凛がいる。これほど心強いことなんて無いだろ?」


 夏凛は暫し考えたあと、目の前で食べることを条件に承諾してくれた。


 ☆☆☆


 家に帰ると早々に青いマカロンを口に放り込んだ。


 赤の時と同様、すぐに異変が起きた。


 青のマカロンは海の異世界を追体験するマカロンだった。大量の海水が口の中へ入ってきて、胃腸を通過して腹痛となる。──そんな幻視だ。


 さっきまで、文字通り青い顔してトイレに籠っていた。残るは最後のマカロン。


「さて、最後は白いマカロンか……」


「兄さん、赤いちゃんちゃんこの怪談と似た現象が起きるのは確定しましたし、止めましょ? 2度あることは3度あると言います。白が天国だったらどうするんですか」


 夏凛は心配そうな表情を浮かべていた。だが俺は止まらない……男にはやり遂げなくちゃいけないことがあるのだから!


「夏凛、俺はもう……止まれないんだ」


「そんな物語終盤の主人公みたいなこと言わないで下さい。兄さんはひっそり妹と2人で生涯を過ごすモブキャラでいいんです。そんなに頑張らないで下さい!」


「待て待て、俺だって彼女欲しいんだ。普通に結婚させてくれよ。てか、よくモブキャラの意味わかったな」


「そりゃあ、兄さんを起こす前に本棚の漫画とか読んでますから」


 夏凛は溜め息を吐いて俺の対面に座り、こちらを見据えてきた。


「……覚悟は変わらないとわかりました。私が全力でサポートするので、いっちゃってください」


 夏凛の表情から同じく覚悟を決めたことが見て取れた。俺は最後の挨拶を夏凛にする。


「じゃあ夏凛、新世界でまた会おう!」


 俺は覚悟を決めて、最後のマカロンを口に放り込んだ。



※次回、白は1話全部使う予定です!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る