歌は世界を繋ぐ愛

織香

第1章 歌い人は世界を信じる

第0話 終わりから始まるもの【改稿版2】

 高く あおく 

 終わりの見えない空が広がり

 そこから歌は降り続く


(響くのは……私の声?) 


 歌えることが嬉しくて

 泣きたいくらい 幸せだった

 そんな私を後ろから

 誰かがなぐさめてくれている

 振り向こうとしたけれど

 いつもそこで目が覚める


 私はこの人を知っているのに

 今もずっと 探し続けている

 




 私はアクビをしながらも、いつものように台所の小さな窓を開け放った。


 朝の空気はもうだいぶ暖かくなってきて久しい。いまだに新学期特有の残り香を含んでる春の風は目の前の開け放した窓から、よそのお宅の朝食の香りを運んで来る。

(今にもお腹が鳴っちゃいそうだわ)

 私はお腹をさすりつつ、手早く二人ぶんの卵焼きをお皿に盛った。弟の分はソーセージのオマケが二本。

 狭い団地の台所での朝食作りは、もう四年目に入っていた。


   “ 出来ることからコツコツと ”


 それが我が家のスローガンである。

 上機嫌な私の鼻唄で今朝けさも食卓に花をえ、まだ半分寝ている弟をイスに座らせる為にはやし立てる。

 そこへあわてた様子の母が、上着を引っ掛けながら顔だけ私の方へ向けて、風のように去っていくのが見えた。

「おっはよう百合恵ゆりえ! ごめん母さんもう出るから! 後よろしくね!!」

 その台詞せりふを私に投げると激務の両親はゴミ袋を手に、今日も玄関へと吸い込まれていく。

 耳をすませば『ぱたカツぱたカツ』音がする。

「お母さん靴ー!! さ・ゆ・う!」

 私は今日も苦笑いをしながら、首を伸ばして母の背中に声をかけた。

(何で気づかないかは、我が家のナゾねー)

 笑いを含んだため息と一緒にパンに手早くバターを塗っていき、それを弟に渡しながらコーラス部で鍛えた耳と声で、今日もリビングからのお見送りだ。

「全く。いつもあわてて出てくなら、もうちょっと早く仕度すれば良いのにね」

 そう弟が言った直後だ。

「やばーい!!」

 という母の声が玄関の方から響いてくる。

 慌てん坊の親を持ったら、子供の方がしっかりとしなければやっていけない。私達は顔を見合わせて、にやけつつもため息をついた。


「……ねぇ、ユリ姉ちゃん。また母ちゃんプリント見てないんだけど、どうしよう」

 新一年生になったばかりの佑樹ゆうきが、眉根を寄せてふくれっつらで授業参観の手紙をテーブルの上に出してきた。私はそれを手に取り確認する。

「ん~? あ、ホントだ。大丈夫! 私書いちゃうから。……足ブラブラさせないで。牛乳こぼれちゃうでしょ!」

 くもった表情の弟を不安にさせないためにも、あえて私は明るく話す。

「後でお母さんに話しとくから。あんたは心配しなくていーの。早く食べて支度しよ!」

 にっこりおどけて片手にペンを、口にはトースト。それを見た弟が「姉ちゃん行儀悪いよ」と笑って、いつも通りにたしなめてきた。

 それから私の顔を見て毎回、同じ言葉を口にする。


「ユリ姉ちゃん、いつもありがと」

 にっこり笑う佑樹ゆうきの愛らしさに、もう私は即死寸前! 

 息も吸えなくなるほど、かわいいっ!


 机の反対側から勢いよく身を乗り出して、私は弟を思いっきり、ぎゅうっと強く抱き締めた。

「もー! 佑樹ゆうき大好き! 今日はギョウザにするからねっ! チーズ入れちゃうんだからねっ!」

「姉ちゃん、牛乳」

 いつもの私の暴走に苦笑を浮かべてもみくちゃにされながらも、弟は冷静にテーブルの上の牛乳入りコップをおさえた。


 目の前で手を合わせてごちそうさまをしてるのは、二人目フニンという壁をぶち抜いてやってきた、10才下の弟だ。

 利口りこうで、真面目で、大切な。

 私の自慢の可愛い弟。

(そんな大事な弟の手紙すら見えてないのなら、私のなんて紙ゴミだよなぁ)

 私は横目で冷蔵庫扉にってある『進路希望用紙』を見た。

 モチロン、親の確認サインの場所は空白。

 その空白が、両親からの私の評価みたいに思えて、少し胸が痛むのは事実だ。私は軽く目を閉じて、頭を振って沈む気持ちを切り替えた。

(悩んでたってしょーがない! 今の私に出来ることをすればいっか!)

 手早く佑樹ゆうきの手紙に私が書いたとバレない様にサインして、弟が下げたお皿を洗ったあと、学校の支度をついつい、手伝う。

 今日のBGMは佑樹ゆうきも大好きなあのオリンピックの歌。二人で合唱する間に弟はいつの間にか笑顔になり、私のちょっぴり暗い感情も空に溶けて消えていった。


 その頃には今朝見ていた夢なんて、ちっとも覚えていなかった。







 最早もはやは、この国一番の美しい草原ではなくなってしまった。

 空気はよどんで、辺りにはむせ返る様な血の臭いがただよっている。


 地面が見えていたはずの場所には、異形のもの、人なる物、人ならざる者が綺麗な切断面を見せて転がっていれば、跡形もなくひしゃげてつぶれていたりもした。

 瞳があるものは、みんな一律に白く濁っていて、突然の死の訪れに気付いた者はいなかっただろう。

 

 そこは、見渡す限りの混沌であり。

 だけど、その中心には静寂がある。

 そこを支配するものは、

 この世界の行く末を決める者。


「楽しかったわ、国王陛下。さっさとお眠りになって」


 一人の女性の立ち姿は、気品さえ漂っていた。

 なまめかしい裸体はいくつかの刻印で飾られて、赤黒い装甲が美女を守る。

 魔女のアダンテはクリーム色の豊かな髪をかきあげて、妖艶ようえんに、そっとささやいた。

「弱い国王なんて要らないのよ」


       沈黙。


 魔女アダンテは、よろこびにほくそ笑む。

(何とみにくく、もろい男)

 足元にガックリと頭を下げてひざまずく、初老と呼ぶには少々たくましすぎる肉体の男の右目には、今しがた自分が付けた光を奪う深さの傷がある。

 そこから落ちる血液は、彼女の足元にいつくばっているようだった。


    たまらない、優越感ゆうえつかん


 その感情にひた魔女アダンテの微笑みは、まさに強者きょうしゃの勝利宣言。

 無理矢理上向きにした彼の目からいまだに吹き出る鮮血にキスをして、魔女アダンテは優雅に腕を広げる。魔力を練り上げ、とどめを刺すに相応しい美しい槍を創り上げ――。

「ラウール!! 」

 その怒声と共に前方からのびる一筋の光が、魔女アダンテをしっかりと捕らえていた。

 魔女アダンテは思わず手の動きをとめ、その方向に目を向ける。


 その一瞬を見逃さず、初老の男はどこにそんな力を隠していたのか、アダンテに飛び付きその場に釘付けにする為に膝をついた。

 魔女アダンテは手にした槍で彼の背中をつらぬくが、彼はうめき声一つあげずびくともしない。

 魔女アダンテは唇を噛み、美しい顔をゆがませた。


 格下じゃくしゃだと、雑魚ザコだと見下していた男に、自由を奪われた事にアダンテは狼狽うろたえ、激しい怒りを覚える。そして光の中に懐かしい顔を見て、憎しみに顔を歪ませ、震えた。


「おのれ!! おのれえぇーーっ!!」






(頭が痛い、なぁ)

(私今、何してるんだろう?)


 私は自分自身が目を開けているのかさえ、理解することが出来なかった。

 真っ暗闇の中、私は一人でゆったりと漂っている。

 不思議と手足の感覚が無くても、怖いなんて思わなかった。だからその声が聞こえても、何にも驚くこともなかったのだ。


『あれ? まだと繋がったままなのかな? 』


(繋がる?……どういう、事?)


『うーん。それはおいときましょ』


(ここは、どこ? 何だか寒い)


『大丈夫。ここから出ればそれも無くなる』


(どうやって? どこも真っ暗闇だよ)


『それはあなたが選ぶんだよ。あなたしか出来ない事なのだから』


 ふと、遠くの方からかすかに音楽が聞こえてくる。

 懐かしいような、切ないような。

 お腹の中にいた頃に、ずっと聞いていたような……。


   ――『帰っていらっしゃい』――


 確かにそう、言われた気がした。

 私は頭の痛みを振り切って、手足がかじかむ感覚を感じはじめながら、その音楽が流れてくる方へと意識を向けた。


   


    

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