煙窓
AILI
第1話 煙草屋の娘
煙草が嫌いなアタシにとって祖母の店は大嫌いな仕事だった。
「恵子(けいこ)、今日もよろしくね」
「あーい」
祖母はとても若い。身体的な意味で。
昔スポーツ選手で、引退してもそのスポーツが好きで老けても町内会のママさんと一緒に体を動かしている。
そんな祖母が何故私が店番を任せているこの『たばこ屋たまみ』の看板を下ろさなかったのかは、祖母よりも上のご先祖様のお店だかららしい。
年季の入った木造の外観と座布団一枚でもキツイ古い畳が敷かれるバックヤードはとても痛くてキツイ。
アタシだってこんなお店任されたくなかった。
だけど世間は厳しかった。
アタシはここ以外だったらある程度良い所で働きたかったよ。
だけど全部ダメだった。
接客業も、裏方仕事も、車を使う仕事だってそもそも免許を取っていなかったし。
だから、アタシにはここの煙草屋しかない。
お小遣い程度の賃金を貰える事以外は好きじゃない仕事だけど、私はそれなりに此処が好きだ。
いや嫌いだ。でも嫌いだけどちょっと好きな方だ。
客さえ来なければ此処のお店はアタシは好きなんだ。
「小娘、また突っ伏しているな」
この男さえ来なければある程度このお店は好きなんだ。
「煙草くさ…」
「当たり前だろう。煙草屋に用のある人間で紫煙の香りを纏わない人間が存在するか?」
「アンタが特別臭いんだよ」
顔を顰めようが鼻を摘んで口呼吸しようが目の前の客は特に気にした様子もなく寧ろ喜ばしそうにフフフと気味悪く笑う。
「光栄だ。コンフェシォネ一箱貰おうか」
そう言って、客は指の周りに付けた黒いものを見せつける。それがなんの黒なのかも分らないが、不潔なことだけは分かる。
「汚っ!会計するんだから手ぇ洗えって!」
「失敬、執筆中に切れてしまったのでね」
「意味わかんない」
この人もアタシと同じニート。
いや、アタシはちゃんと働いているからもうニートじゃない。
この男こそニートだ。人生のド底辺の人間。
碌に働かないで煙草だ酒だと親から手に入れた金を持って此処に来る。
本当に卑しい。
「また来る」
「二度と来んなニート野郎」
「失礼な小娘だ」
男は商品である煙草の箱を取ると代金を支払った。
丁度お釣りが出ない。男はそれ程までに口寂しいのか、アタシの目の前で箱を開けてフィルムを会計トレイに入れた。
「さらば」
「ッチ、死ねよクソニート」
ゴミを家に持ち帰って捨てられないのか。
あの客が来る度本当腹が立つ。
あんな客相手にするくらいなら酒に呑まれたオッサンの絡み酒の方がまだマシだと感じる。
あーあ。ちゃんと働きたい。
「恵子、ただいまぁ」
お店の中はまんま祖母の家。というか、ご先祖様の家。
古いし臭いから入居者は祖母しかいない。
だから、祖母は玄関から帰って来るし、お店である小さな畳の部屋にひょいと顔を出す。
「今日の試合勝てたよ」
笑顔が眩しい祖母は顔もいくらか若く見える。これで古希を迎えるのだから、本当に凄い。
「すっごーい………」
「あら不機嫌。さては太宰さんね」
溜息を吐いて台所の冷蔵庫から作っておいた麦茶を取り出す。
勿論祖母もあのニートと面識がある。だって、あのニートは根強い常連だからだ。
「祖母ちゃんも何か言って。 あんのニート本当腹立つ!ゴミをさ!トレイに入れやがって!持ち帰れよバカヤロっ!だぁぁぁ!」
後ろに倒れて薄汚い畳に背中と頭を打つ。
埃が舞うことがないのは祖母がキチンと掃除をしているからだ。
有難い事なのだ。
「フフフ、太宰さん特別だから」
「はぁ!?常連以外に特別な要素ある?」
見上げる祖母は麦茶のおかわりをして言う。
「彼ね、イケメンなのよ?」
祖母は冷たいコップを頬に添えて恋する乙女の様にきゃっきゃっとはしゃぐ。
「はぁ?」
祖母はヒモ男が好きなのかと一瞬誤解した。誤解で結論付けたのは祖父の貪欲な程ドケチな性格に惚れた祖母を記憶から呼び起こしたからだ。
祖母は倹約家な祖父が好きだ。だからあんな浪費癖が激しそうなヒモ男に頬を染めているなんて。
なんて。
あのクソニートが卒倒する程のイケメンじゃないと成り立たない。
あんな不潔な男はもうイケメンとは呼ばない。
「アレのどこがイケメンなのさ」
「えー?顔」
「顔ぉ??!」
ぼさぼさの黒い髪。脂でベタベタしてそうな光沢が気持ち悪かった。目元もイケメンなのかも分らない程前髪で隠れていた。頬は無精ヒゲで覆われてアタシは好感が持てない。
「祖母ちゃん、アタシゃ祖母ちゃんの好みが分からん」
「恵子も恋する乙女になるよー、あの顔面偏差値の美男は」
「祖母ちゃんが、顔面偏差値とか……聞きたくなかったよ」
「すみませーん」
不意に聞こえた男の声に体を起き上がらせる。
目の前にはスーツをピシッと決めた男が財布を手にしていた。
お客様だ。
「四十二番のトリックブルーライトの大きいやつ頂戴」
「細いやつですか?」
「そう、細い煙草。ください」
「かしこまりましたー」
笑顔を作って注文された比較的新しい部類の商品棚からそれを取り出す。薄い青に銀色に光る直線が特徴的な煙草のパッケージ。
こういう客の方が好感持てる。
あのクソニートと違って全然煙草の臭いがキツくないのだから。
こういう客にこそ毎日来て欲しいのに。
「ありがとうございましたー」
はあ。今日も疲れる。
「恵子は良い子よ?もう少し待ってあげて。ね?それに私だって煙草屋の収益が少し上がって助かってるの」
麦茶が飲みたくなって階段を下りた。階段を下りた先の短い廊下を右に曲がれば煙草屋の出窓がある。
そこで実家店兼用の黒電話が鎮座しており電話をするにしてもあの黒電話を使用しなくてはいけないのだ。その黒電話の前で祖母が誰かと会話をしている。相手はきっと、アタシの母。
「うん。うん………そうだね。でも、親である貴女があの子を信じなくてどうするの?あの子だって、必死にやっているよ?」
気不味くて台所へ行けない。五歩くらい歩けば冷蔵庫なのに。
すぐ行けば麦茶が飲めるのに。
壁に隠れて会話を盗み聞きする。
「巡(じゅん)。どうしてそう急かすの?待ってあげて?お願い」
なんか、スゴイイライラする。
親の小言を直接聞くのが一番イライラするけど、こう間接的に聞くのもなんか本当にイヤ。
「分かった。じゃあね、バイバイ」
受話器を置く音に何となく安心して廊下に顔を見せる。
「あら、恵子」
「喉乾いた」
「そ、まだ麦茶あるよ」
「うん。ありがと」
祖母の気遣いに何となく有難みを感じる。
仕事を探せ。
成人する前からずっと言われてきた言葉だ。
アタシだって就活はした。したけど全然ダメだったのだ
それに諦めた結果がコレだ。
自業自得なのだろう。努力を怠ったのだろう。
違う。違うの。
頑張ったものが報われなかったの。
「ぷふぁ、冷たい麦茶はうんまいっ祖母ちゃんおやすみ」
「夜更かしは駄目だよ」
「分かってる」
はあ、明日なんてこなけりゃいいのに。
「はぁ………メーワクかけてることくらい解ってるつーの」
眠れる気がしなくて、スマホで見るマンガを閲覧してもどれもつまらなくて気分転換に小説を読んでみようと思った。
無料で読める小説サイト。
面白いものが読みたいから人気順で気になるタイトルとあらすじの作品を探す。
「初恋カテキョー……?」
面白そうなタイトルとコメントの高評価に惹かれて一文を目に留める。
『初恋は十四回目の夏。私は落ちこぼれだった。』
もう面白そうなのが分かる。
文字数も三千字弱くらいで、話数は多いが途中で止めても良い感じの作品だったので読み耽った。
「———、———子、……恵子!起きな!」
誰かに揺すられて飛び起きた。時間は朝八時。
「夜更かししないって言ったでしょ?どうして寝れなかったの」
「いや、普通に眠くなかったから」
「無理に眠れば眠れるしょ!」
朝ご飯は冷たく、塩鮭のぱさぱさした触感を温かい味噌汁で流した。
「今日は一日中祖母ちゃん居ないから店お願いね」
「はーい」
「じゃあね、行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
祖母は忙しく玄関を飛び出した。アタシが起きなかった所為だ。
「はぁ………ねっむい………」
猛烈に眠い。
まだ午前中だし居眠りしてもいいかな。いいよね。
嗚呼、昨日の小説すごい良かった。
何であんなキュンキュンするんだろう。
男のキャラクターのあんな大人の色気や雰囲気がすぐに分るような、情景描写がしっかりとしていて、とてもすごい。
すごかった。うわー、続き更新されないかな。
すごく楽しみなんだけど。
「はぁ………」
道路を見ても特に思うことがなく、来るかも分らない通行人を伏せて待つ。
「クソニート以外で良いから誰か来てくれないかな………。イケメンが良いな」
そう独り言を呟いたら、曲がり角からイケメンが出現した。
サラサラな黒髪を風に靡かせて、綺麗なイケメン顔を人前に晒して颯爽と歩く。
スラっとした足を隠す着物の美しさに厳かなものを感じる。
雅なイケメン。それが此方を捕えて歩いて来る。
待って、ムリムリ!あんなイケメン!嘘でしょ!?こっち来てるマジで来てる!嘘!!?
「娘」
声の凛とした低音がまた心奪われる。
ヤバイかも。
「ひゃぃ………」
うわ、めっちゃハズイ。
「コンフェシォネと………サクラ然千を一つ貰おう」
うわぁぁぁぁぁぁぁ、ダンディで和っぽい。好き。やばい…。
「はぁい……」
アンニュイな表情がまた素敵。
「………」
会計後も彼に見つめられて悪い気がしない。
何だこれ幸せか!
「また来る」
「はいっ何時でも待っております!」
すぐに立ち去る後姿も綺麗で若干猫背に歩く感じもまた良い。
「はあ………カッコよかったぁ…」
また来るって言ってたなあの人。
何時来てくれるのかな?
やっば超楽しみ!
「ただいまー!優勝したよっ!………て、どうしたのニヤニヤしちゃって。何か良い事あった?」
「ふふん……秘密」
「ははーん。今日お寿司食べに行かないかい?」
「行く!ラッキー♪」
何今日、すっごい幸せなんだけど。
もしかして明日私不幸になるの?そういうこと?
でも、いっか。今が幸せなら!
「娘、コンフェシォネ一箱」
「はあーあ。クソニートかよ」
「失礼な奴め。今日は煙草臭くないだろう」
あのイケメンは来なかった。
代わりにやって来たのはクソニート。
髭面にボサボサ髪の汚らしい人。
「何度も言うが、俺は作家だ。にいとではない」
「作家だぁ?ニートと変わりないよクソニート!」
こんな男よりも昨日の清潔なイケメンを接客したい。
「腸が沸々と煮えそうだ。早くコンフェシォネを貰おうか」
「小銭早く出せよクソニート!ちんたらしやがって遅いなぁ!札も持ってないのか?!」
「昨日使ったばかりなのだ。許せ、ほら」
いつもと変わらない額の駄賃を貰って商品を渡す。
「ここでゴミ捨てんなよ非常識ニート!持って帰れ!」
「言われなくともそうするさ。口煩い娘」
そう言って去る男はイケメンの帰る道と同じ角を曲がる。
「イケメンに会いたい………」
「会ったじゃないのさ」
笑いながら言う祖母に溜息を吐く。
「あれはイケメンって呼ばないよ祖母ちゃん……何時か、写真かなんかで見せてあげるから待ってて!」
叶いもしない約束をして、アタシは今日も彼の来る日を待つ。
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