2 白昼夢の村へ
目を覚ますと、ウォレンの周囲に乗客は誰もいなかった。窓から
「どこだろう」
そっと汽車から降りると、眼前に広がったのは王都とは比べがたい
空とはこんなにも大きかったのかと、彼は当たり前のことに感心していた。
王都の建物は高く、大きく、それでいて密集している。空はせま苦しく浮かんでいただけである。巨大な
さびれたホームを歩き、無人の待合室を抜ける。
駅の外にでて、大空の下をウォレンは歩きだした。
汽車の終点までいったとすれば、かなりの距離だ。太陽が真上にきているのを見るに相応の時間を眠ったに違いなかった。おそらくは普段の睡眠よりも長い時間だったろう。
なにもない道をあてもなく気分に任せて進むと、しだいに賑わいが満ちてきた。王都にはまるで及ばない田舎ではあるにせよ、
あぜ道の端に、ドスと突き刺された木の看板には「カニタマウンマイウンマイ村」と大きく書かれている。また、その横の小さな看板には「この先、上ウンマイ」と書いてある。
「カニタマウンマイウンマイ村?」
きいたことのない村である。
好奇心に背中を押されながら歩き進むと、地面は綺麗に敷き詰められた石に変わり、いくぶんか歩きやすくなる。
楽しそうに走る子供たちや、日向ぼっこを
商売の様子も見知ったものとは違う。売り文句を
落ち着いた場所だ――
太陽に見守られたその村に、心を
「パラリラパラリラパラリラ」
ウォレンがぎょっとして振りかえると、きた道の奥から随分と型落ちしたマキナ・モトの群れが出現していた。
火薬を爆発させて尻から火を噴く二輪にまたがるのは、見るからにガラの悪そうな若い衆だ。ウォレンよりも若い、ほぼ少年といってもいい男たちが、たいして速くもないスピードで通りを我が物顔で走っている。
「パラリラパラリラパラリラ」
口でパラリラと叫びながら爆音を
「うるせークソガキども!」
「学校どうした、勉強しろ!」
「地獄におちろ!」
「うるせージジイ!」
「じいさん、あまり怒鳴ると脳の血管切れるよ」
暴走族たちを糾弾する同じ立場の老人に、村人たちがなぜか食ってかかる。老人も負けじと「あと千年は生きる」と、いいかえしているのがきこえた。
「魔物じゃねーか、無理すんなジジイ」
「そんな長生きして子孫に申しわけないと思わねーのか」
爆音の発生源そっちのけで、いい合いがはじまっている。
これにはウォレンも笑わずにいられなかった。全員が家族に近いのであろうこの村の日常的風景なのだろうが、彼にとってこれは非日常すぎた。
笑っているうちに暴走族たちは村兵たちに追われて、あわてながら角に消えていった。
長い道を抜けると大きな川が顔をだした。透明に透きとおって、底がよく見える美しい川だった。太陽の光が反射して、キラキラ輝く川はまるで宝石を散りばめたようだ。魚たちが気持ちよさそうにゆらゆらと泳いでいる。
川には一基の大きな橋がかけられており、木で組みあげられた年季を感じさせる逸品だった。
ギシギシと懐かしい音を鳴らせながらウォレンが橋を渡っていると、子どもたちが集まってなにやらを熱心に話し合っているのが見えた。男の子も女の子も混ざって我先に発言しようとしている。どうやらなにかの順番を決めているらしかった。
「よし、おれからだ」
ヤンチャそうな少年が橋の柵の上によじ登った。
なにをするんだろうと気にかかり、ウォレンは歩く速度を落として、まじまじとなりゆきをうかがう。
「ジャンプ天国!」
「なにその奇怪なワード!?」
少年が川に大の字で飛びこんだ。水しぶきが盛大に飛びあがり、それにつられて、ほかの子どもたちがワイワイと騒ぎだす。
そして、順にそれぞれが「ジャンプ天国!」と声高らかに宣誓のように声を張ってから川へ落ちていった。
「あらあら、ジャンプ天国してるのねぇ」
橋の向こう側から歩いてきた老婆が、子どもたちに話しかけた。どうやらこの村では、ジャンプ天国なる遊びがポピュラーなものらしい。
「おー、ばーさんもジャンプ天国しろよー」
子どもたちの屈託ない言葉に、ウォレンは「いやそれは無茶だろ」と内心でツッコんだが、老婆の返答は予想とは正反対のものだった。
「しょうがないねぇ!」
「しょうがないの!?」
老婆は子どもたちと同じ宣誓を
死んだのでは!?
そう思ってウォレンは柵から身を乗りだして下を見たが、老婆は子どもたちと楽しそうにはしゃいでいた。
狂人たちの村なのではないか、という考えが彼の頭をよぎったが、恐怖よりも面白さが勝った。
「ここでは、みんな対等なんだな……」
ウォレンは柵から身を離した。
橋を渡ると、先ほどより民家の間隔があき、土地が広くなった。広くなったが、代わりに地面が石畳から剥きだしの土に変わった。
ここの入口付近にも看板が突き刺さっており「中ウンマイ」と書かれている。どうやら、カニタマウンマイウンマイ村は上・中・下で区画分けされた村らしい。
中ウンマイに入ると人通り自体は減ったが、老人が増えた。民家の前や大きな木の立つ空き地のベンチに腰かけて、そこかしこで会話にふけっている。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
「暑いねぇ」
「ええ、暑いですね」
歩いているだけで挨拶をされるのだが、たどたどしくオウム返しするのが精いっぱいだった。緊張も毒気もない会話が久しぶりすぎた。
民家の切れ目が見えてくる。道だけがつづいているようだが、その先になにかあるとは思えなかった。
いくか、戻るか。
ウォレンには目的すらないのだから戻る必要はない。いく必要もない。しかし道の先は絶景かもしれないと思うと、いくしかなかった。
実際に進んでみて、正しい選択であったとウォレンはうなずいた。絶景だ。
緑が鮮やかに茂りはじめた野菜畑、
波のなかに珍しいものが見えた。土でできたゴーレムたちが
ゴーレムも神祇の一柱である。
人と神祇が共存する世界がまだまだ遠いにしても見られるようになったのは、あのミキの功績が大きかった。あくまで記録に目をとおしただけにすぎないのだが、ミキが敵対すべき神祇たちにも一定の敬意を払っていたのは、ウォレンのみならず人々の知るところである。
村のゴーレムたちは共存融和に賛同した神祇の一部なのであろう。
しかし現状として、ほとんどの神祇はみずからの欲望を満たす道を選び、それらに対して兵団は厳格な態度を一貫している。理解なき、神格という星の部外者を徹底的に排除しようと、いまも
以上の
そう。人と人が、人と神祇が手を取り合うなら、それを超したモノはないのだ。ともに同じ星で巡り合った同士、ともにあること。勇者の目指した地平はそこにあったのだろう――
いつしか民家の数は極端に減り、自然だけがウォレンを囲むころ、三つ目の看板が突き刺さっているのを見つけた。「下ウンマイ」と、雑な字で殴り書きされている。
看板からしばらく歩いても畑があるのみであったが、要塞の壁のように横に果てしなく広がる森が実像を結んだあたりで、ふたりの男が、でこぼこしたあぜ道の横で語らっているのが目に入った。
「ホント、ココ頂ク、イイ?」
「構わないよ。二束三文の土地だからね」
「アリガト……」
「礼をいわれても困る。このとおり土地しかない。家は君の手で建てないといけないんだ、申しわけなく思うよ」
「ソレ、仕方ナイ。タイソン、ナニモ持ッテナイ。生キテル証明デキナイ。デモ土地クレル、アリガト」
片言のスキンヘッド男は、黒い肌が特徴のひとつとして目に入る。大きい体だが痩せ細っていた。筋肉と骨が同居した、そこまでの人生の悲惨を思わせる
対する、ひげを蓄えた中年男性は彼に微笑みかけながら、
「早めに家を作らないといけないな。家の建て方を教えてあげるから、まずは
「アリガト」
スキンヘッドの男が顔を伏せて、肩を震わせている。しきりに感謝の言葉をのべながら涙を腕でぬぐっているようであった。
「村役場、アノ女ノ人、モウ一度、オ礼イイタイ」
「明日でいいじゃないか。アイツに礼をいったって、照れて暴言を投げてくるだけさ。それよりウチにいこう。家ができるまでウチにいればいいさ」
優しく肩に手を乗せて、男は大きな体のスキンヘッド男をゆるやかに押しながら歩きだした。
ウォレンとすれ違った。互いに会釈して、とおりすぎた。
なにかしらの理由でこの村に行き着いたタイソンという男は土地を無償でゆずり受けたらしかった。黒い肌はここらでは見かけない。遠い、遠い異国から彼はやってきたのだろう。その苦労を心のなかで
奥にぽつぽつと民家が見える左の曲がり道を越えて、まっすぐいくと右の曲がり道。そちらでも小さく民家や学校らしきものが道の先、遠くに見える。
曲がらずに、さらに直進する。森の壁のうしろには見上げても届かないほどの巨大な山々があった。
なるほど、カニタマウンマイウンマイ村は山に三方を守られており、縦長に発展した場所なのだ。
巨大な門の前に立った。「山門」とかすれて彫られた柱に支えられた木の門は、すっかり古びているのに、いかにも頑丈そうだ。この門の先が村の
先を見やると、森がざわめいて雄大に広がっていた。青々と葉をそよがせて彼の来訪を歓迎しているようであった。一直線に伸びる土の道を、上こそあいているものの木々がなかばトンネルとなっておおっていた。
涼しいそよ風に、ぺたぺたと子どもたちの手のように触れられながら。いくぶん柔らかくなった陽の光に
これ以上ない安息が、ウォレンを導いていた。
――突然のことだった。
金色の川が、さらと波打って彼の目の前を流れた。
女であった。
女が、森のなかから長い金髪をなびかせて飛びだしてきた。手に、ほうきとちりとり、バケツを持っている。バケツにはどうやら、ぞうきんやごみ袋などが詰められているようであった。
「あ」
こちらの存在に気づき、その女はくるりと向き直った。
純白とばら色を基調にした装いが、まず目に入る。ディアンドルだ。
いっさいの本身をおおうブラウスの上に、交差する紐によって絞められたボディスを重ねている。開かれた胸元があまりに扇情的だった。うっすらと浮いた鎖骨、大きすぎず小さすぎず、なにやら
ゆったりとした膝丈スカートにはエプロンとリボンが添えられ、
これは村娘の伝統的な装いである。
整いきった
――信じられないほどに美人な女性だ。
そう彼が心奪われた瞬間、女が口を開いた。
「なんだあオメー、どこの奴だよ」
無邪気でボーイッシュな声は、通りも響きもいいのだが口調には
「もしや旅人か? 珍しいなー。ウチの村に遊びにきたのか」
「あ……はい、そう。旅人みたいなものです」
「私も帰るところだ。案内してやんよ」
女は背を向けて歩きだした。
気恥ずかしさを隠しきれず、ウォレンは視線を右上に向けて、口をへの字に曲げながらあとにつづいた。
「森のなかで、なにをしていたんです」
「カニ塚の掃除だな」
「かにづか?」
「そ。ウチの村はなんか知らんが昔からカニを
奇妙な文化である。一年、記録屋をやってきた身の上ではあるが、カニの神様などきいたためしがなかった。
「名前は」
「あ、おれですか。おれ、ウォレンっていいます」
「私はイチヨ。イチヨっていうんだ、よろしくな。おっ、ほれそこだ。下ウンマイへようこそ」
森が明けて、一気に景色がふたりの前で広がった。抑えられていた太陽光がいっせいに
山の真下、森に包囲された小さな集落がそこにあった。いうまでもなく王都や上中ウンマイとは比べ物にならない、小さな小さな村の姿がそこにはあった。
下ウンマイとはようするに、こうだ。だだっ広い畑の左右にそれぞれ集落が存在している。東集落と西集落。これが下ウンマイの半分だ。山門を挟んで森の一本道を進むと、広場がぽっかりと穴をあけて鎮座している。
下ウンマイの三番目の地区、北集落というわけだ。
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