もう灰色は見たくない!2
フェルナンの部屋は、執務室と完全な私室の二部屋ある。どちらも邸の二階だ。執務室は広い部屋にフェルナンと執事の机と書物が置いてあるだけの部屋だ。私室の方は、日中過ごす部屋と寝室が続き部屋になっており、衣装部屋と浴室が寝室に付属している造りだ。
バルドは私室のテーブルセットの前で、エレナに指示を出した。
「では、お茶を淹れてみてください」
「はい……」
これは言うなればテストだ。先程教わったことがきちんとできるか、確かめられているのである。エレナは口角を上げて、上品に聞こえるように柔らかい声を出した。
「ご主人様、お茶になさいますか?」
フェルナン役のバルドが頷く。
「じゃあ、貰おうかな」
「かしこまりました。ご用意いたします」
エレナは一礼して部屋を出た。食堂と厨房は一階だが、給湯室なら二階にもある。エレナはそこで茶器を揃え、ワゴンに載せた。ティーカップはソーサーに伏せて置く。
「ええと……お湯をもらって、ポットを温めて」
フェルナンが飲む茶の茶葉は、時間やその様子によって変えているらしい。侍従からそれを聞いてエレナはまた頭を抱えたのだが、それはまた別の話だ。今は普段一番多く飲んでいる茶葉を使って淹れるように、との指示だった。
「この茶葉は三分だから、後でお湯を入れればいいかな」
エレナはメモ帳を確認して、一度ポットを温めていた湯を捨てた。私室の前まで移動してからそこに湯を注ぐ。茶葉が踊るポットに蓋をして、砂時計をひっくり返す。少し待ってから、私室の扉を数回叩いた。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
中からバルドが入室の許可を出す。エレナはできるだけ静かに扉を開け、室内にワゴンと身体を滑り込ませた。バルドは椅子に座って、手帳を開いていた。エレナは砂時計の砂が全て落ちるのを確認して、カップの向きを戻して、そこに茶を注ぐ。ふわりと華やかな香りが漂った。
「どうぞ」
エレナはそっとバルドの前に茶を差し出した。
「ありがとう」
バルドはその茶を口に運び、味わうようにゆっくりと飲み干す。そして数回頷いて立ち上がった。
「はい、まあよろしいかと思います」
エレナはその言葉にほっと息を吐いた。平静でいようとしても、やはり初めてのことに緊張していたのだ。肩の力が抜けて、思わず本音が口をつく。
「良かった……」
そんなエレナを見たバルドは苦笑して、言葉を足した。
「お茶の味と温度には問題ありません。後は、もう少し所作を洗練してください」
「──申し訳ございません」
洗練された所作とは、どのようなものなのだろう。少し考えて思い出したのは、マルケス子爵家の侍女頭がエレナの母に茶を挿れるときの所作だった。確かに彼女は上品だった。多分、今のエレナよりも。
「ですがそれはこれからでも大丈夫なので、安心してください。それよりも」
そこで言葉を切って、バルドは笑みを浮かべた。
「衣装室に案内しますね」
奥の扉を開けて、一度フェルナンの寝室へ。更にそこの端にある両開きの扉を開けた。エレナもここには何度も足を運んでいる。その衣装部屋には、全て灰色の衣服や小物が詰まっていた。
しかしその場所は、エレナの記憶の中とは異なっていた。
「──わぁ……! 灰色ばかりだったのに、どうして」
「昨日のうちに入れ替えさせておきました」
エレナは様々な色に溢れた衣装部屋を見て心が躍る。フェルナンは黒髪に灰色の瞳だから、あまり鮮烈な色は似合わないだろうが、それでもいくらでも選べそうな衣装の量だ。どうやらノイローゼにはならずに済みそうだ。
「素敵です。良かった、ありがとうございます!」
嬉しくて衣装に触れて笑顔になっていたエレナに、バルドが分厚い本を手渡した。受け取ってぱらぱらと頁を捲り、その文字の多さに愕然とする。
「こちらの本に、式典や場面ごとの服装の決まりについて書いてあります。使うときまでに、覚えておいてください」
これを全部覚えろというのか。中にはできる人もいるのだろうが、エレナにはできる自信がない。
「あの……使うとき、っていつでしょうか?」
「取り急ぎ、再来週には付き合いのある伯爵家の令息の結婚式への参列が決まっています。それ以外は日々の出仕と夜会への参加しかありません。まずはそれに対応できれば大丈夫です」
簡単に言ってくれるが、それまでの間にも日々の出仕と夜会はあるということである。エレナは青くなった顔で渋々頷いた。バルドは、エレナの返事に満足げな表情だ。
「他に質問はありますか?」
「今更ですが、私の休日はいつになるのでしょう」
「そうですね。基本的にはフェルナン様の出仕日に合わせようかと思っています。ですがフェルナン様はご多忙なため……灰色で構わない日を決めていただきましょう」
ばっさりとバルドによって切り捨てられた平日に、エレナはより疑問を増ざざるを得なかった。
「分かり、ました?」
「大丈夫です。これまで毎日灰色だったのですから」
バルドの言い分に、思わずエレナは吹き出して笑ってしまった。
「そういうものでしょうか」
「はい、そういうものです」
バルドの竹を割ったよようなばっさりとした言葉が、二人きりの部屋に響いた。
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