18. dear my / Eve
我があの人間…ユウキと出会ったのは偶然だった。
我の時間ではただのひと時。
人の時間では何十年も昔から。
人間どもが、森の守護者たる我を化け物呼ばわりして討伐しようとしていた。
我は無用な戦いなどしたくはなかった。
だから繰り返しやって来る人間どもを殺さないように多少痛めつけて追い返していた。
しかし人間どもは何度も何度もやって来る。
そのうち我の守っていた森は人間どもに踏み荒らされ、穢れ、精霊たちが息絶えてしまったのだ。
精霊たちが息絶え穢れた森は我には猛毒と同じ。
浄化しようにも我にはもうそのような力は残されていなかった。
穢れきった森の奥深くで我はその時を待つしかなかった。
『死』
日に日に薄れゆく感覚。
森の結界だけは辛うじて維持していた。
そんな時ユウキに出会ったのだ。
「森の主が、なぜこんなことに…」
我を見てそう溢した小さな人間の子ども。
木漏れ日を浴びた銀の髪が水面の煌めきのように眩しかった。
まっすぐこちらを見つめる瞳はこの森の木々のような深緑。
辺りを見渡した子どもが小さく何かを呟いた途端、穏やかで温かな春の陽射しの様な霊力が溢れた。
それと同時に清涼な風が我が身に触れるのを感じた。
この子どもは森に満ちていた穢れを消したのだ。
それだけでなく、子どもは臆することなく我に近づいてきた。
どうやら我の身に満ちている穢れさえも払おうとしているらしい。
しかし我にはわかっている。
この身に満ちた穢れはすでに我の命さえ食い破りつつあることを。
だから「ユウキ」と名乗るその子どもに言ったのだ。
「我はもう長くない。森を頼む」と。
そんな我にユウキは問うた。
「このまま消滅したいか」と。
否。
このまま消えゆくのは受け入れ難い。
我の言葉を聞いたユウキは続けた。
「ならば、契約を結ぼう」と。
我は戸惑った。
森の守護者である我の力は強大だ。
ただの人間が契約をしたところで我の力に食い殺されるだけ。
しかし、同時に思ったのだ。
もしかするとこの子どもは我に食い破られないのでは、と。
だから我はユウキとの契約を受け入れた。
その判断は間違っていなかった。
この小さな子どものどこにそんな力が秘められていたのかわからない。
我の生きてきた中でも、この様なとてつもない力を持った人間など覚えがない。
だが、この子ども…ユウキは、我の力に食われることなく我を従えた。
古代竜である我、イヴァネストを。
真の名である「イヴァネスト」は、契約者であるユウキのみ呼ぶことができる。
そのことを伝えると、ユウキは我に「イヴ」という愛称を与えた。
それからしばらくはユウキが穢れを払った森の中でひっそりと過ごした。
精霊の死に絶えた森に精霊が戻ることはない。
時々訪ねて来るユウキが浄化するおかげで維持できた。
そうしてユウキとは様々な話をした。
我には今まで友人と呼べる者はいなかったが、ユウキはまさしくそれの様な気がした。
ユウキの家は代々神父として国に仕える貴族の家だそうだ。
ユウキは高い霊力を持ち、長男でもあるゆえに、跡取りとして育てられているらしい。
将来有望な弟が一人いるとも言っていた。とても可愛い弟なのだ、と。
しかし、ユウキには家族に隠している秘密があった。
それは『死者を蘇らせる力』を持っていること。
この世界の聖職者には暗黙のルールがあった。
《死を捻じ曲げてはいけない》
死を受け入れることこそが尊いとされ、死神に殺されようが暴漢に殺されようがそこに死が訪れるならばその人の運命なのだと。
神父や牧師・葬儀屋といった国が管轄の聖職者たちは、そのルールに従って死が訪れたものたちを旅路に送っている。
だが、ユウキのもつ力はそのルールと相反するもので、『悪魔の力』と言われ恐れられているらしい。
本当は神によって与えられた唯一の力だと言うのに…人間どもは理解していない。
それどころか、神父になる者には相応しくない力とまで言われている。
その力が発現していることが家族に知れたら、ユウキは追放されてしまうらしい。
「そんな力を持った自分が神父になれるはずがない」、遠くを見つめて呟いた横顔は今でも忘れることができない。
ユウキと出会ってから、我の時では瞬き一つほど。
ユウキの時間では、三年ほどだったか。
これまでずっと隠していたユウキの『死者を蘇らせる力』が、ユウキの家族に知られることになった。
そしてユウキは、その力で救った使用人ウィンと共に、家を出されてしまったのだ。
我は家を追い出されたユウキとともに行くことにした。
当然である。
我にとって初めての『友人』なのだから。
あの森はもう我のあるべき場所ではない。
精霊のいない森はユウキの浄化の力なしでは維持できなかったのだから。
我の命を救ったユウキに、我はこの時誓ったのだ。
『 』
しばらくしてユウキの力に目をつけた人間がユウキと我らを拾った。
その人間はユウキと同じ『力』の持ち主で、教皇に仕える騎士の総団長だと言った。
ユウキの『力』がどうしても必要だというのだ。
それからユウキはその人間を
ユウキも教皇に仕える騎士の一人になり、その強大な力を存分にふるっていた。
我の目から見ても、ユウキの力は他の者たちなど足元に及ばないほど強い。
ユウキの
ヤツの戦った痕は驚くほど綺麗で、そこで戦闘があったことさえ分からないほどだった。
ユウキを見出した
我も何度かユウキに内緒で手伝ったことがある。
家族に恵まれなかったユウキにとって、この
我もそんな時間が続けばいいと思い始めていた頃…
ユウキのたった一人の弟が、死神にされてしまったのだ。
最悪なことに、ユウキの
ユウキは
そして持てる力を最大限ふるい、各地に散らばる死神たちを次々に殲滅していった。
弟と
弟と
やっとユウキの気持ちが落ち着いた頃には、死神たちの活動も大人しくなっていた。
きっとユウキの力を恐れたのだろう。
屋敷に戻ったユウキは、敷地内の森の泉のほとりに墓標をたてた。
死神になってしまった弟と、死神にならないために消滅した
なにも遺さず消えてしまったふたりの、それでも確かに生きていたという証を残したかったのかもしれない。
我には人の心の機微はうまくわからないが、ユウキから伝わる秋の夕暮れのような気配は物悲しさがあった。
ときどきふらりと消えるユウキは、あの泉のほとりで時間を過ごしていた。
ときに愚痴を、ときに笑い話を、ときに思い出話を。
それから数年がすぎたある日。
ユウキが死神に狙われていたという一人の人間の子どもを拾ってきた。
人間の子どもはアヤギといった。
最初はユウキを敵視していた様だが、最近ではどうやらユウキを尊敬している様だ。
人の世界でユウキとともに生きることを決めてから、我は姿形を変えた。
だからアヤギは、我をユウキの使い魔でオレンジ色の小さな羽付きトカゲだと思っている。それでいい。
話し方も変えた。子どものような口調はまだ少し慣れないが、見た目に合わせた話し方、というやつだ。
アヤギが来てからは賑やかになった。
まるでユウキが
この穏やかな日々が、もう二度と奪われることのないように。
ユウキの手から離れることがないように。
もう一度、我は心に誓った。
『いつ、どんな時も、ユウキのそばにいる。ユウキは我の唯一の友だ』
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