機巧探偵クロガネの事件簿3.5 ~探偵と三女神の憂鬱~

五月雨サツキ

学園祭デート/美優

 才羽さいば学園・学園祭当日。

 無事に演劇を終えた文化研究部私たちは、鳴りやまぬ拍手を背に舞台から降りた。


 部室に戻るなり、心地よい達成感と疲労感を顔に滲ませた皆は、思い思いに席に着いた。背もたれに身を預け、足を投げ出し、しばし放心状態となる。

「終わったね……」

「終わったねー」

「……うん、楽しかった……」

 文化研究部の正部員の三人、松山絵里香、竹田智子、梅原亜依が感慨深く呟いた。

「お疲れ様でした、皆さん」

 主役を演じた機械仕掛けのかぐや姫――安藤美優がそう言うと、口々に「おつかれー」と声を上げる。

 全身全霊で舞台に取り組んだだけに、全員が疲労困憊のようだ。

 特にクロガネこと黒沢鉄哉と、彼の友人である新倉永八の疲労の色が濃い。二人は昨夜から今朝にかけて非合法組織のオートマタと激戦を繰り広げた後、そのまま演劇に参加したのだから無理もなかった。

 ふと、新倉が自身の衣装に手を掛けるのを見て、私は訊ねる。

「着替えるのですか?」

「ああ、俺の役目は終わったからな。早々に帰らせてもらう」

「あっ、その前に皆で記念撮影しません?」

 そう提案したのは、意外にも内藤新之助だった。彼をリーダー格とする男子三人組は、不純な理由で今回の演劇に参加したのだが、何だかんだで最後まで真面目に取り組んでくれた。

 内藤の提案に、生徒たちが「やろうやろう」と賛同し、テーブルや椅子を移動させる中、

「写真か……仕事柄、記録に残るようなものはなるべく避けたいのだがな」

 新倉は難色を示した。彼は鋼和市の実質的支配者である獅子堂家を守護する特殊部隊、『ゼロナンバー』の一人だ。彼らは時に暗殺や破壊工作などの汚れ仕事や暗躍を行うため、顔が割れる事態を避ける傾向にある。

「プライベートでは可能な限りであって、絶対に駄目ってわけじゃないんだ。これくらいなら別に良いだろ?」

 元同僚だったクロガネさんがそう説得すると、新倉は渋々了承した。

 元映画部だった絵里香が、三脚付きのカメラを用意し、手元のPIDでリモート撮影が出来るように設定すると、全員が壁際に集まる。

 主役である私を中心として、その両脇にクロガネさんと新倉が並ぶ。

 そして生徒たちが、三人を囲むようにして配置に就いた。

「それじゃあ、撮るよー。笑って笑ってー……ハイ、チーズ」


 ――ピピッ、パシャッ。


 『SF竹取物語』を演じた役者たちの姿を捉えたカメラが、音を立ててシャッターを切った。



 ***


「今度こそ、お暇する」

 私服――というより、ゼロナンバーの制服でもあるスーツに着替えた新倉は、私たちにそう言った。

「この度は、本当にありがとうございました」

 お礼と共に一礼すると、『ありがとうございましたっ』と他の生徒たちも頭を下げた。

「新倉、お前の分の報酬だ」

 クロガネさんが新倉に差し出したのは札束――ではなく、今年の学園祭で出店しているたこ焼きや焼きそばなどの無料引換券の束だ。今回の依頼人である文化研究部の三人娘が、学園祭の準備期間中に揃えたものである。

「いや、結構だ」

 丁重に報酬の受け取りを拒否する新倉。

「もしかして、現金の方が良かったか? 学生相手に容赦ないな、おい」

「そうじゃない」

 眉をひそめるクロガネさんに、新倉は首を振る。

「この一ヶ月、黒沢と剣を交えられただけで満足だ。学生たちと過ごした日々も、存外に悪くなかった。俺はすでに、充分な報酬を貰っている」

「新倉さん……」

 文化研究部の面々が感動し、目を潤ませた。剣にしか興味がないとか言いつつも、何だかんだで新倉も大概お人好しな気がする。

「黒沢がまた剣を使ったアクションものに出る時は、俺も呼んでくれ」

 前言撤回。やっぱり剣にしか興味がない変人だった。

「もう出ないよっ。お前と戦うのはもう御免だ」

 必死な表情で拒絶するクロガネさんに、周囲から笑いが零れた。

「さて」

 新倉は肩に提げていた長大なバッグ――中身は演劇に使った訓練用の武器の数々だ――の位置を直す。

「それじゃあな、学生諸君。一度しかない学生生活を存分に満喫するように」

『ありがとうございましたっ』

 演劇の影響か、どこか芝居がかった台詞と共に去っていく新倉の背中を、私たちはお礼と共に見送った。



「俺も行くかな……」

 新倉を見送ったクロガネさんが、疲れた声音で呟いたので振り向く。

「帰るのですか?」

「ああ、流石に疲れたから今日は休むよ。明日また来る」

 学園祭は二日間に渡って開催される。今日はその一日目だ。

「でしたら、明日は私と一緒に見て回りませんか?」

「いいぞ。報酬もこんなに貰ったことだしな」

 私の提案を了承し、無料引換券の束を軽く掲げるクロガネさん。

「それじゃあ、俺もここで。お疲れ様でした」

『お疲れ様でしたっ』


 文化研究部と挨拶を交わしてクロガネさんも去っていった。



 ***


「さて、これからどうしますかね……」

 クロガネさんが去った後、私はそう独りごちた。個人的に一日目も彼と学園祭を回ってみたかったのだが、疲れているのならば無理強いは出来ない。ならばここは……

「あ、あの、安藤さん……暇だったら俺と一緒に――」

「松山さん、良かったら先程の演劇の映像をチェックして、動画を作りませんか?」

 勇気を振り絞って誘おうとしていた内藤の台詞を遮り、絵里香にそう提案する。

「いいね。それじゃ、さっそく観てみようか」

 元映画部の血が騒いだのか、絵里香は手際よくテーブルのセッティングを始める。

 舞台での録画映像を編集し、一本の動画作品を作る……そう提案した言い出しっぺの私も、PIDを操作して録画データを呼び出した。

 華麗にスルーされた内藤に、

「……不憫……」

 亜依が追い打ちを掛ける。

「安藤さんは諦めなよ。編入して来る前から、心に決めた人が居るんだから」

 智子にもそう言われた内藤は、「うん、まぁ、はい……そうですね……」とやや悲しげに頷き、引き下がる。

「……ま、今回はアンタらのお陰で大成功したわけだし? お礼にたこ焼きとジュースくらいは奢ってやんよ。私と一緒に回ってみる?」

「奢りなら喜んで」

 智子の提案に、内藤たち男子三人は頷いた。

「亜依ちゃんはどうする?」

「……お供します……」

 亜依も同行を申し出る。

「おや、珍しい。てっきり部室で『SF竹取物語』の小説版を販売するのかと」

「……部活名義のブログ小説だから紙媒体じゃないし、お客さんが勝手にお金を落として買ってくれるから、店番の必要は……って、ええッ!?」

 何の気なしにPIDで小説のダウンロード状況を確認した亜依は、突然目を剥き、素っ頓狂な声を上げた。部内で一番大人しくて控え目な彼女だけに、珍しい。

「どしたの?」

「……ダウンロード数が、軽く百を超えてる……」

「えっ、嘘? マジで?」

 愕然とする亜依に、驚愕する智子。

 小説版『SF竹取物語』は、文化研究部名義の口座を学園側に設置して一部三百円でダウンロード販売している。ネタバレ防止のため、小説版は演劇本番の終了後に購入できるよう設定してあるのだが――

「演劇が終わってから、まだ一時間も経ってないよ?」

「……しかも、まだまだ飛ぶように売れてる……」

 私も気になって編集作業の片手間にさりげなく調べてみると、現時点で小説版『SFかぐや姫』の売上が三万円を超えており、今も右肩上がりで伸びていた。

「これってさ、ワタシらの活動がかなり評価されたってことだよね?」

「……来年度の部費は増額だね……廃部の話もなくなるかも……」

 智子と亜依が喜び合う。

「それなら、もっと奮発して奢って貰おうかな」

 そこに内藤が便乗すると、

「は? 部のお金なんだから、勝手なこと言うなし」

「……雑魚が、図に乗るな……」

「辛辣ッ!」

 冗談なのだろう。内藤は大袈裟にのけ反り、智子と亜依も笑った。


「それで、このシーンは真上からの映像と繋げてみたいんだけど……」

「こんな感じですか?」

 一方で、私は絵里香のイメージを元に動画の編集を行っていた。

「そうそう、そんな感じ……って、編集早くない?」

「松山さんのイメージが具体的で解りやすいお陰ですよ。このペースだと、夕方までには何とか形になりそうです。明日には部室で公開できそうですから、呼び込み用のチラシも並行して作りましょう」

「安藤さんって、どんだけ多才なの……」

 私の手際の良さに絵里香は驚愕し、戦慄する。

 ふっ、もっと私を敬い崇めたまえー。なんちゃって。

「絵里香ー、差し入れに何か買ってくるー?」

「うん、お願いー」

「私の分もお願いします」

 智子の厚意に、絵里香共々甘える。

「あいよー。ちょうど荷物持ちも三人ほど居るから、色々買って来るわ」

「とことん俺らの扱いが雑だなっ」

「……学園祭が終わるまでは、一蓮托生……」

 何だかんだ言いながらも同行する男子たちは、智子と亜依と共に笑い合う。

 皆、楽しそうだ。


 最重要の課題だった演劇を無事に終え、文化研究部の学園祭一日目は、そんな感じで終了した。



 ***



「ただいま戻り、ましたー……」

 とうに陽が沈んだ頃、クロガネ探偵事務所に帰宅するや、私は声を小さくする。

 よほど疲れていたのだろう、床に布団を敷くのが面倒だったのか、クロガネさんはソファーで寝ていた。

 なるべく音を立てないようにドアを静かに閉めて、忍び足で歩く。

 クロガネさんの傍まで近寄る。

 室内の照明は消えていたが、ガイノイドである私にとって、この程度の暗闇は大した障害にならない。静かな寝息を立てている彼の寝顔も、よく見える。

「……今日はお疲れ様でした」

 小声で労いの言葉を主人に送ると、やや癖のあるその黒髪に手を伸ばす。入浴は済ませたのだろう、髪の毛は指の間をさらりと流れ、ラフだが清潔な服装をしていた。

「明日はよろしくお願いしますね」

 ずり落ち掛けていた毛布を掛け直し、キッチンの方へ向かう。

 手を洗って冷蔵庫を開けてみると、私の分の夕飯がラップして保管されてあった。

「疲れているのに、わざわざ……」

 作って貰った夕飯を取り出して電子レンジに入れ、温める。

 そしてもう一度、事務所のオフィス兼リビングに顔を出した。

「……ありがとうございます」

 聞こえないと知りつつも、私はクロガネさんに感謝の言葉を送る。


 チーン、と電子レンジが音を立てた。



 ***


 翌日。天候にも恵まれ、私立才羽学園・学園祭二日目を迎えた。

 校門前で先に待っていた私の元へ、指定した時間ピッタリにクロガネさんが合流する。

「一緒に住んでいるのに、わざわざ別々に出て合流する必要があったのか?」

「様式美は大事なんですよ、クロガネさん」

「何の様式美だよ?」

 ふふんと不敵に返すと、彼は首を傾げる。

「さぁ、デートですっ」

 ふんす、と普段以上に気合い充分な私。

「デート、なのか?」

「はい。男女ふたりが自宅以外の場所にお出掛けするのは、もはやデート以外の何物でもありません」

「その理屈だと、食材の買い出しや外での仕事なんかも、デートにカテゴライズされるんだが?」

「気分の問題です」

「…………」

「気分の問題ですっ(ずい)」

「何も言ってないだろっ。変な圧を掛けるなっ」

 そんな掛け合いをしつつも、二人で校門をくぐる。

 広すぎる学園の敷地内のあちこちに仮設テントが設置され、飲食関係やレクリエーションなどの模擬店が多数並び、生徒・教職員のほか大勢の一般客で賑わっていた。遠くでは屋外ライブか何かしらのイベントを催しているのだろう、マイクで拡大された声にノリの良いBGMが聞こえる。

「昨日は色々な意味で余裕がなかったけど、改めて見るとスゴイな……」

 興味深く周囲を見回すクロガネさん。

「さて、どこから回って行こうか……」

 流石に全部を見て回るのは時間的に不可能だ。そこで――

「ご安心を。私がナビゲートします」

 スカートのポケットから四つに折り畳んだ園内見取り図を取り出す。見取り図には、各模擬店やイベント会場に点を打ち、線で繋いである。

「今回の報酬である無料引換券の枚数分の催し物を厳選し、効率的に巡回する最適なデートコースを構築してきました」

「最適化問題とは、いかにもお前らしい」

「流石クロガネさん、ご存知でしたか」

 巡回トラベリングセールスマン問題プロブレム、通称TSP。

 全ての目的地を巡り、元の場所に戻ってくるまでの最短ルートを求めるといった、大学の研究課題にもよく使われる最も有名な最適化問題の一つである。

「効率的と言っている時点で、俺が知るデートとは何か違うような気がする」

「細けぇことは良いんですよ。それに、この方がたくさん見て回れるでしょう?」

「……まぁ、それもそうだな」

 そう納得するクロガネさんも、どこかウキウキとしている。かつて特殊な環境下で暗殺者として育てられ、世間一般的な学園生活やイベントとは無縁だっただけに、その目に映る全てのものが新鮮のようだ。

 えぇい、意外と子供っぽいところがあって可愛いな、この人。

「それで、最初はどこに行くんだ?」

「まずはですね――」


 この日、機巧探偵ふたりの学園祭デートが始まる。



 ***


【デート①】パンチングマシーン


「待て、ちょっと待って」

「どうしました?」

 ボクシング部提供のパンチ力測定体験イベントとして、屋外に鎮座しているパンチングマシーンを指差すクロガネさん。

「何故、パンチングマシーンが学園祭にあるんだ? ていうか、デートにパンチ力測定って普通なのか?」

「何をおっしゃいます。デートでゲーセンを巡れば、パンチングマシーンの一つや二つ必ず置いてあるでしょう? ここで殿方が腕っ節の強いところを見せれば、お相手の女性はメロメロ……とネットで書かれてました」

「信憑性が怪しい上にメロメロとか古いな、おい。それと、必ず置いてあるとは限らないからな」

 後で知ったことだが、力自慢のサイボーグが筐体を破壊してしまった事例から、市内のゲームセンターにパンチングマシーンを設置してある店舗は滅多にないらしい。

「とりあえず、やってみましょう」

 ちょうど前の利用客が離れたので、クロガネさんの背中を押す。

「押すな押すな、解ったから」

「いらっしゃいませー。一回二百円で、パンチ力の計測が三回試せます」

「ではこれで」

 無料引換券を一枚、店員をしている高等部の学生に手渡す。

「はい、それではルールの説明です。まずはこちらのグローブを着けてください」

 言われた通り、クロガネさんは右手にボクシング用のグローブを装着する。マジックテープ式のバンドをしっかり巻いて手首をがっちり固定する。

 その間に別の学生が機材を操作すると、赤いミットが手前に立ち上がり、その奥に設置されたモニターが柄の悪い男のアニメ絵をバストアップで映し出す。世紀末にヒャッハーしてそうなモヒカン男だ。何故か斧を持っている。

「こちらの台座に設置された、この赤いミット部分の中央に向かって、思いっ切りぶん殴ってください。その衝撃と連動して、いかにも悪人面のモヒカンが吹き飛びます」

「なるほど……んん?」

 クロガネさんは思わず目を細める。モヒカンが映るモニターの上部に、これまでに測定したパンチ力のトップ3が表示されてあった。その最高記録が――

「1.2……? 何だコレ、現役のヘビー級ボクサーでも挑戦していったのか?」

「ああ、この測定器、実はサイボーグのパンチでも耐えられる仕様なんですよ」

 つまり、最高記録保持者トップレコーダーはサイボーグということだ。

「今日、この瞬間、あなた方は伝説を目撃する……」

 後ろで控えていた私が、意味深なナレーションを入れてみる。

「そこっ、ハードルを上げるんじゃないっ」

 すかさずツッコミを入れたクロガネさんは、改めてマシンに向き直り、構えた。

 息を吸って、止める――左足を踏み出し、地をしっかり捉えて腰を回転、背中、肩、上腕、肘、前腕を介して全体重と全身の運動エネルギーを右拳に一点集中。


 ズバンッ!


 鋭く突き出された渾身のストレートが、凄まじい衝突音と共に、ミットを勢いよく打ち倒す。

『あべしッ!』と、モニターに映るモヒカンの顔が大袈裟に歪んで吹き飛んだ。

 画面に映るデジタルカウンターが、計測したパンチ力を表示する。

「記録は……347キロ! これはスゴイ」

「そうなの?」

 驚く学生に、威力の基準が解らないクロガネさんは訊ねる。

「体重70キロの格闘技未経験者で最高がだいたい150キロ前後、同じ体重の空手家で300キロ前後、バンダム級のボクサーで400キロ前後です。とはいえ、体重や熟練度などの個人差もありますから、あくまで目安ですが」

「つまり、クロガネさんのパンチ力は空手家以上、ボクサー以下ということですね」

「それもいまいち解りにくい例えだな」

 もっとも、実戦ではパンチ力そのものよりも、的確に相手の急所を狙い当てる技術力の方が重要視されるのだが。

「あと二回、挑戦できます」

「あっ、それなら私も一回だけやらせてください」

 手を挙げて申し出る。

「えっと、構いませんか?」

「はい、大丈夫です」

 了承を得たクロガネさんは、グローブを外した。

 手渡されたグローブをしっかり嵌めて、私はミットと対峙する。

「一応訊くけど、大丈夫か?」

「大丈夫です、問題ありません……失敗フラグで有名な某ゲームの台詞じゃないですよ?」

「解っとるわ」

 ファイティングポーズを取り、先程の彼の動きを完璧に模倣トレースして右ストレートを打ち込んだ。


 ドゴォッ!


 クロガネさんのパンチの時とは明らかに質が違う轟音と共に、ミットが後方に倒れた。

『ぶべらッ!』と、画面の向こうですでに顔面が変形していたモヒカン男が、再度吹き飛ばされた。

「記録は……えっ、い、1.3トン……? え? 記録更新? え?」

 華奢な体躯の美少女(ここ大事)が叩き出した新記録に、ボクシング部の学生が戸惑った声を上げる。

「うっそ、マジで……? あんなかわいい子が……?」

「すっげぇな、おい……あの細い腕のどこにそんな力が?」

「美少女だけど中身はゴリラかよ」

 ざわざわと、興味本位で見物していた他の客たちも困惑する。

 そうだった……と、今更ながらクロガネさんは頭を抱えた。

 ガイノイドである私は、成人男性のおよそ五倍ほどの出力を引き出せる。加えて見た目以上に重量があるため、クロガネさんよりも遥かに重いパンチが打ち出せるのだ。

「流石に、機械の故障じゃないですかね?」

「そう、ですかね……昨日も、というより、僕らも部活で毎日打ち込んでいるから、そろそろガタが来たのかも?」

 クロガネさんの発言に、そうであって欲しいと言わんばかりに頷く学生。

 流石に故障と言い張るには無理があるようだ。

「えっと、すみません。実は私、機械化が六割のサイボーグなんです」

 私の控え目な弁明――編入の際に用意した設定――を聴いて、学生は表情を明るくする。

「ああ、そうでしたか。道理で……」

「三回目は、また俺がやっても良いですか?」

 納得して貰ったところで、ボロが出ない内にクロガネさんが割り込んだ。

「え? アッハイ、どうぞ」

「今度は左でやります」

 彼は左手用のグローブを手に取る。

「本来はサウスポーでしたか?」

「いや、左腕が義手なんですよ。実は俺、デミ・サイボーグなんです」

 一般的に機械化が五割以上はサイボーグと呼ばれ、五割未満の機械化が施された人間はデミ・サイボーグと呼ばれている。クロガネさんは機械化が二割のデミ・サイボーグだ。

 クロガネさんはミットを見据え、深呼吸を一つ。

 そして地が割れんばかりに右足を踏み込み、背中が見えるほど体幹を捩じって腰を回転させ、先程よりも鋭く、力強い渾身のストレートを叩き込んだ。


「ありがとうございます、クロガネさん。助かりました」

「いきなり最初から飛ばし過ぎだろ……ただでさえ、お前の容姿は目立つというのに。これ以上の悪目立ちは御免だぞ」

「すみません……」


 クロガネさんが放った義手のパンチ力は――1.4トンだった。

 私の記録を塗り替えることで、私に向けられた周囲の興味と好奇を強引に逸らすことに成功したのである。

 叩き出した新記録に称賛する周囲を適当にあしらい、私たちは足早に次のデートコースへ向かった。


 ……ところで、私をゴリラと呼んだ奴の顔とIDと住所と口座番号はしっかり憶えたからな。



【デート②】射的


「お祭りで射的といえば、コルク弾の空気銃じゃなかったっけか?」

 実銃の原寸大エアガンを手に、クロガネさんはそう独りごちる。

 サバイバルゲーム部、通称サバゲ―部が提供している射的コーナーに私たちは訪れた。

「流石に屋外でBB弾を飛ばしたら、危なくない?」

 跳弾や流れ弾で、通行人の目にでも当たったら失明騒ぎである。

「いやいや! 本体は確かにエアガンですけど、発射するのは赤外線なので、安全面は問題ないのであります!」

 黒い迷彩服に赤いベレー帽を被ったサバゲ―部員は、そう力説した。その恰好、某蛇の人で有名なゲームに出てくる山猫オセロットの大将にでも影響されたのだろうか? だとしたら、いいセンスだ。

「赤外線ということは、光線銃ですか?」

 銃口部分にポン付けされた装置に目を留める。

 それは一見、小型のサプレッサーのような形状をしており、先端部分には小さなレンズが仕込まれている。

「その通りであります。ここに用意してあるブローバック式のハンドガンに限定されますが、スライドが前後に動いた際に生じる衝撃がスイッチとなって、銃口に取り付けられたこの装置から赤外線が発射される仕組みであります」

「へぇ、面白いギミックだ」とクロガネさん。

 聞けば、低コストかつロケーションフリーでゲームが出来るようにサバゲ―部が開発したものらしく、今回の出店も試作品の動作確認と実践テストによる来場者のアンケート収集を兼ねているという。

「ふむ、光線銃……」

 光線銃を手にポーズを決め、

「市民、貴方は幸福ですか?」

「絶対やると思ってた。パラノイアやめーや」

 すかさずクロガネさんのツッコミが入った。彼が言うには、AIによって管理されている鋼和市この街で私が言うとシャレにならないらしい。でも、光線銃を持ったら、誰だって一度はこのネタをやりません?

 デモンストレーションとして、サバゲ―部員が光線銃を構え、五メートル先にある的――小さな猫のぬいぐるみが置いてある台座部分に狙いを定め、引き金を絞る。

 バシャッ!

 ガスを動力源にしているエアガン、通称ガスガンのスライドが激しく前後したと同時に、発射された赤外線がヒットしたのだろう。台座部分のセンサーが反応して内部に仕込まれたスプリングが解放リリースされ、ポンと猫のぬいぐるみが真上に跳んで台から落ちた。

「ほぅ、結構面白そうじゃないか」とクロガネさん。

 何よりもBB弾を使わないのが良い。これなら小さな子供でも安全に遊べる。

「装弾数は?」

 馴染み深いガバメントモデルの光線銃を手に取りながら、クロガネさんは訊ねた。

「赤外線発射装置の電源を一度ONにすると、どのハンドガンもきっちり十発撃てるように設定してあります」

「どれも十発? ガバメントは実銃だと七発の筈だが?」

 彼は実銃に触れて発砲する機会と経験が人並み以上に豊富であるため、装弾数に関してはうるさい。

「すみません、ゲームの公平性や回転率を考えると、十発がキリ良くてちょうど良いんです」

 それにエアガンは元々、実銃以上のBB弾を込められると語るサバゲ―部員。

「まぁ、良いか。一回やってみよう」

 クロガネさんは引換券を手渡し、改めて景品が並べられた台を見る。

 重力や空気抵抗、湿度に気温、風の影響などによって弾道が微妙に変化する実弾とは違い、赤外線は一直線に狙った先へ飛ぶ。その辺のバランスを考慮してか、標的が並べられた手前の台までの距離は五メートル、奥の台は八メートル先にある。加えて発射された赤外線が反応するセンサーは三センチ四方とやや小さめだ。いくら弾道が一直線だとはいえ、初心者が狙うには難易度が少しばかり高めに設定してある。

「美優、何か欲しい物はあるか?」

 駄菓子に小さなぬいぐるみ、アクセサリーなど、標的は全部で三〇個。

 光線銃の装弾数は十発。

「どれでもお好きなものを」

「解った。適当に手前と奥で五個ずつ落としてみる」

 そう言うや否や、クロガネさんは両手でしっかり構えた光線銃を標的に向ける。


 バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャッ!


 立て続けに十連射し、同じ数だけ景品が撃ち落とされた。

「お、おめでとうございまーす」

 ノーミスで全弾命中させたことに若干驚きつつも、落ちた景品を回収しようとしたサバゲ―部員は、

「では、私が残りを撃ち落とします」

「えっ」

 私の発言に足を止めた。

 直後。


 バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャッ!


 私のによって、瞬く間に残った景品が全て落とされた。

「えぇ……」

 その光景に、サバゲ―部員は驚愕を通り越して若干引いていた。

 光線銃のひとつを口元に寄せて、

「ふっ」

 出てもいない硝煙を吹き消す仕草をする。これも、誰もが一度はやりますよね。

「どやぁ」

 そして私は、ドヤ顔を決めた。

「美優」

「何でしょうか?(どややぁ)」

 褒めて褒めてと言わんばかりに、クロガネさんの次の言葉を待つ。


「撃つ前に、引換券はちゃんと出そうな?」


「……アッハイ、ごめんなさい」

 真顔で説教されて、しゅんとなる。

 引換券を出さなかった私のフライング射撃によって、先にクロガネさんが撃ち取った景品が解らなくなり、仕切り直しとなった。

 だがしかし、再び私たちによって三〇個あった景品は秒で全て撃ち落とされ、結果は何も変わらなかったが。


 この時のサバゲ―部員は、後にこう語る。


「ええ、あの時の光景はまさに一瞬の出来事でした。台風一過とは、まさにこういうことを言うんだって思い知りましたね……」



 ***


 その後も二人で屋外の模擬店を巡り、ダーツや輪投げ、ストラックアウトなどでハイスコアをマークし、大人げなく大量の景品をゲットしまくっては荒らし回った。私はともかく、クロガネさんも大概浮かれ過ぎである。

 ちなみに、手に入れた景品は彼が持参していたエコバッグによって運搬されている。抜け目ない人だと、いつも思う。



「少し早いですが、そろそろお昼にしませんか?」

「そうだな。込み合うと面倒だし、そうしよう」

 飲食コーナーに立ち寄り、早めの昼食を摂ることにした。

 荷物の管理と席の確保を私に任せ、クロガネさんは食事を提供している模擬店に向かう。

 しばらく一人で待っていると、

「あれ? 美優ちゃん?」

「ああ、涼子さん。こんにちは、奇遇ですね」

 クラスメイトで学級委員の沖田涼子と遭遇する。編入してから早一ヶ月、仲の良い友達とは名前で呼び合う程までに、私もだいぶ馴染んできた。

「お一人ですか?」

「まぁね。一応生徒会の仕事で見回りしてるの」

 そう言って、『生徒会』と書かれた腕章を見せる涼子。

「今は休憩でこっちに来たんだよ。その後、もう少し見回る予定」

「お疲れ様です」

「いやいや。席、空いてるなら座っても良い?」

 どうぞと勧めると、私の正面に座った涼子は一息つく。

「美優ちゃんは一人?」

「いえ、クロガネさんとデート中です」

 臆面もなくデートと吹聴する。本人が居ない間に、まずは手堅く外堀から埋めてみる。

 涼子は僅かに渋い表情を浮かべた。

「デートとか、リア充め……末永く爆発しろ」

「照れますね」

「褒めてないよ」

 苦笑した涼子は話を変える。

「それより、昨日はお疲れ様。舞台、すごく良かったよ」

「ありがとうございます。涼子さんも見てくれたんですね」

「うん、見回りのシフトを上手い具合に調整してね。企画書を書くの手伝ったから、気にはなってたんだ」

 不意に、「ここだけの話だけどね」と神妙な顔で涼子が僅かに声を潜ませる。

「実は、『SF竹取物語』の反響がそれはもうすごくて、学園側に問い合わせが沢山あったんだよ。出来れば来年も、同じメンバーでやってくれないかって話が」

「却下だ。流石にそれは御免こうむる」

 涼子の話を遮る形で、クロガネさんは昼食を調達して戻ってくるなりそう言った。

「おかえりなさい、クロガネさん」

「ただいま。そちらは初めまして、美優の友達かな?」

「アッハイ、同じクラスの沖田涼子です。初めまして」

 慌てて席を立って挨拶をする涼子に、彼は頭を下げた。

「美優の保護者の黒沢鉄哉です。いつも美優がお世話になってます」

 テーブルの上に置いたトレーには、焼きそばやらたこ焼きやらチュロスやら大量の食べ物が載せられてある。この量は、ちょっと多くないですかね?

「沖田さんは、昼飯はもう済ませたかな?」

「いえ、これからですけど」

「それなら、ちょっと手伝ってくれないか? 流石に取り過ぎた」

 それは方便だ。

 大量の食べ物の他に、ペットボトルのお茶が、割り箸もあった。調達の合間に、こちらの様子を見ていたのだろう。

「それなら、私の分は支払います」

「いいよいいよ。日頃から美優がお世話になっているお礼みたいなものだから」

「……そういうことなら、ありがたく頂きます」

 取り出しかけた財布を涼子は仕舞った。

「それじゃあ」

 私の隣に座ったクロガネさんが、音頭を取る。

「「「いただきます」」」



 三人でお祭りの定番メニューを舌鼓しつつ、談笑する。

「へぇ、学園祭にはMVP企画なんてものがあるのか」

「生徒・職員の他に、来場者からのアンケートで一番人気な所が選ばれると、賞金五万円が出ますよ」

「今の所、文化研究部の『SF竹取物語』がダントツで人気です。MVPはほぼ確実で、廃部の話もなくなると思います。ちなみに、私も文化研究部に一票入れました」

「それはそれは。頑張った甲斐があったよ……いや、本当に……毎日死にかけた甲斐があったって話だ……」

 遠い目をしたクロガネさんは、感慨深げにそう呟く。手に持ったペットボトルが、カタカタと小刻みに震えていた。

「……一体どうしたの?」

 怪訝な表情で涼子は私に訊ねる。

「トラウマになるくらい、新倉さんと戦うのが相当キツかったみたいです」

「……なるほど。そりゃあ、来年も同じメンバーでって話は嫌がるよね……って、そうだった」

 納得した涼子は、突然何かを思い出す。

「今、文化研究部で昨日の舞台の上映会をしているよ。朝からスゴイ行列が出来ていたから、急遽、会場を部室から高等部の第二視聴覚室に変更して貰ったから」

「それでは、掲示板や各所に貼ったチラシに、会場が変更した旨を書き加えないと駄目ですね」

 思わず渋い表情を作る。午後のデートに大幅な変更が強いられるの残念だが、(今日まで)文化研究部の一員として責務を果たさなければ。

「それは私が見回りついでにやっておいたよ。実行委員会の方でも、放送案内をしてくれたから、たぶん大丈夫だと思う」

 それは朗報だ。涼子の配慮がありがたい。

「そうでしたか。わざわざすみません、ありがとうございます」

「あとで顔出しがてら観に行くか」

 クロガネさんの提案に頷く。

「はい、そうしましょう」

 ちなみに、上映会も私が構築したデートコースに含まれていたが、会場は部室のままになっている。密かに午後の予定コースに変更を加えた。



 ***


 昼食を済ませて涼子と別れた後、デートを再開する。

 私がプロデュースする午後のデートコースは、屋内に移った。



【デート⑥】お化け屋敷


「バァアアアアアッ!」

 暗闇の中、気合いが入ったメイクをしたオバケ役が、機巧探偵私たちふたりの前に突然飛び出すも、

「「お疲れ様です」」

「えっ? アッハイ、どうも……」

 ピクリとも表情を変えずに労いの言葉を掛けられては、すごすごと持ち場に戻っていった。

 中等部の体育館を丸ごと利用した広大で本格的なお化け屋敷において、私たちは終始こんな感じだった。

 クロガネさんは過去に特別な訓練を受けているため、自身に向かってくる者の気配を敏感に察知できるのだ。ましてや、オバケ役は素人の学生である。いくら姿を隠そうが息を潜めようが、気配を消していなければ無駄なことだった。

 一方で私も、お得意の検索機能でオバケ役の学生が所持しているPIDの信号を拾って位置を常時把握できるため、急に目の前に飛び出して来ても驚くことはない。

 ここまで脅かし甲斐のない客も滅多に居ないだろう。

 私たちはマイペースな平常運転で、お化け屋敷を攻略した。

 そして出口に辿り着いた直後、

「しまった……!」

 ここに来て重要なことを思い出し、思わず「ああ……」と後悔する。

「どうした?」

「あっさり攻略してしまいました。ラブコメ漫画のように、クロガネさんに抱き着く絶好の口実が出来るお化け屋敷において、私は何て勿体ないことを……」

「…………」

 がくりと膝を着く私を、どこか呆れた目で見下ろすクロガネさん。

「入る前に、検索機能を切っておくべきでした……」

「後ろから他のお客さんが来る。恥ずかしいから、はよ立て」

「うぅ……正論過ぎてクロガネさんが冷たいです」

 のろのろと立ち上がった私の手を取って、出口を抜ける。ちなみに入口側は長い行列が伸びていた。学園祭において、お化け屋敷は定番かつ人気アトラクションの一つなのである。

「どうして鋼和市には、タイムマシンがないのでしょうか?」

 まだ引きずっていると、

「実際にあったら悪用されそうだし、なくて良い」

 クロガネさんが真面目にそう言った。それもそうか。

「でも、クロガネさんから手を繋いでくれたので、これはこれで良しとします」

 ぱっと、彼は手を離す。

「あぁっ、何で離すんですかっ」

「お前が余計なことを言うからだ」

 足早に歩くクロガネさんの背中に、ぶーぶー文句を言いながら付いて行く。


 ***


(リア充、爆発しろ……!)

 そんな二人のやり取りを見ていた全員が、同じことを思った。



【デート⑦】ボルダリング


 高等部の体育館では、色とりどりのホールドが取り付けられた、高さ五メートル程の様々な形状をした人工壁ウォールに、己の身ひとつで登っていく人々が沢山いた。

「何か、行く先々がどこか体育会系なんだけど……」

「まぁ、私自身が自制した結果ゆえのデートコースですから」

「自制したって、何を?」

「ゲーム部が作った対戦ゲームに何時間も立て籠り、とか」

 なるほど、とクロガネさんは納得する。自他共に認めるゲーム好きのガイノイドは伊達ではない。

「だけど美優なら、むしろ一時間も掛からず無双・全クリ出来るだろ」

「それはそれでゲーム部の心をへし折って要らぬ因縁まで作ってしまいそうですし。土下座で弟子入り志願とかされたら面倒……もとい、困ります」

「どんだけ自信家なんだよ、お前は。ゲームの鬼か覇王的な何かか」

「……ちょっとそそる二つ名ですね」

「ごめん、やめて。言い出した俺が言うのも何だけど、名乗るのだけは本当にやめてください」

 流石のクロガネさんも、『痛い二つ名の名付け親』という称号を背負う度胸はないようだ。

 何やかんや言いながら、私達は一番利用客が少ないウォールの前まで足を運ぶ。空いているのは上級者向けのウォールだからだろう。

「ちなみに、ボルダリングの経験は?」

「割とあるな。体力作りや、判断力の鍛錬として似たような訓練を受けたことがある。時には命綱を切られた際の対応とか、抜き打ちでやらされた」

 ゼロナンバーの訓練とは、そこまで過酷なのか。想像を絶するとは、まさにこのことだ。

「ボルダリングは、ロープ等の確保なしで行いますが」

「といっても、高さは精々五メートル程度で安全マットもある。危険性はそれほど高くもないだろう」

 来たからには一度やっておこうと、クロガネさんは担当の学生に引換券を手渡して上級者向けのウォールに挑戦する。訓練時代を思い出したのか、割とノリノリだ。

「ふむ」

 どうやらこのボルダリングの体験コーナーは、滑り止めのチョークはあっても、専用のクライミングシューズはなしで登れるらしい。気楽に自前の靴でも登れるよう、ホールドの形状と位置はよく吟味して選んでいるのだろう。上級者向けと言っても、業界全体の基準で見れば難易度はかなり低いようだ。

 クロガネさんは荷物と上着を私に預けると、手袋も外した。Tシャツの袖口から覗く機械仕掛けの左腕が目を引くが、ここはサイバー技術が発達している鋼和市だ。初見は驚いたとしてもそこまでだろう。現に、ルールを説明する学生も動じていない。

 クロガネさんは両手にチョークを付けながらウォールを見上げる。どのルート――『課題』と呼ぶ――を辿って登るか、シミュレートしているのだろう。

「緑のテープ、『3』で行きます」

 クロガネさんが学生にそう告げて、同じ色かつスタートを意味する『S』と書かれたホールドを両手で掴んだ。

 ボルダリングでは、スタートとゴールは必ず両手で持つのがルールだ。

 今回、彼が挑戦するウォールは上級者向けで、手で持つのと同じ色、数字(あるいは記号)に手足が限定される。ちなみに初心者向けの課題では、足を置くホールドについては自由であることが多い。

 ふと、手近にあったテープの色のグレード表を見やる。

 ボルダリングはテープの色によって難易度が異なり、自分に合ったレベルで挑戦できるというのが魅力の一つでもある。テープの色によるレベル分けには統一したルールがないらしく、どうやら才羽学園のボルダリング部では、緑が上から二番目に高い難易度として設定してあるようだ。

「それじゃあ、行きまーす。よーい……」

 担当の学生が音頭を取る。

「スタート!」の合図と同時に、クロガネさんは動き出した。

 的確に指定されたホールドを掴み、足を乗せ、するするとよじ登っていく。

 時には跳躍して手を伸ばし、離れた位置にあるホールドを掴んだ。それには私や学生の他、興味本位で見物していた客からも「おおっ」と歓声が上がる。

 そしてスタートから十秒も掛からず、クロガネさんはゴールを意味する『G』と書かれたホールドを両手で掴んだ。お見事。周囲からも拍手が送られる。

「はい、ゴールでーす! 飛び降りる際は、安全のため、ある程度下がってからにしてくださーい!」

 指示に従ってクロガネさんはゆっくりとウォールの半分辺りまで下がってから、安全マットの上に飛び降りた。彼なら一番上から飛び降りても問題なさそうだが、来場客の中には子供の姿もある。下手に真似をして怪我でもされたら大変だ。

「お疲れ様です」

「ああ、ありがとう」

 預かっていた上着を差し出すと、クロガネさんはそれを受け取って袖を通した。

「では次は、私もやってみますね」

「いや待たれよ」

 クロガネさんは、引換券を片手に意気揚々とウォールに向かおうとした私の肩を掴んで止める。

「その恰好でやるのか?」

 言われて私は自身の恰好――学園指定の制服姿を見下ろす。十月に入り、編入時は夏服だった制服も冬服に衣替えしていた。

「何か問題が?」

 キョトンとすると、呆れたようにクロガネさんは言った。

「スカートだろ。登ったら、下から丸見えになる」

 ああ、なるほど、そういうことか。しかし心配無用。デートコースにボルダリングを組んだ手前、ちゃんと対策はしてある。

「それでしたら、スパッツを穿いてますから問題ありません」

 スカートの裾をたくし上げて見せようとすると、クロガネさんが慌てて私の手を押さえた。心なしか、その顔が赤い気がする。

「見せんでいい! そういう羞恥心のない無防備なところは直せ!」

「え? 最低限の羞恥心があるからこそ、スパッツを装備したんですけど?」

 クロガネさんの目がより険しくなる。怒っている? 何故?

「……周りを見てみろ」

 首を傾げつつ、言われた通りに周囲を見回すと、ボルダリング担当の学生や、来場客たちが気まずそうに目を逸らした。特に男性は、ほんのり顔が赤く染まっている。

 ……何となく、私も気恥ずかしくなってきた。視界に『体温上昇中』の警告ウインドウが映し出される。

 スカートの裾から手を離すと、私の手を押さえていたクロガネさんも手を離した。

「解ったか?」

「……はい(もじもじ)」

「お前は登らなくていいから」

 こくりと頷くと、クロガネさんは私の手を引いてそそくさとその場を後にした。


 ……再び彼の方から手を繋いでくれたが、流石にこの時の私は羞恥に悶えるあまり、浮かれる余裕すらなかった。



【デート⑧】映画鑑賞会


 高等部の校舎、正面玄関から何やら長蛇の列が並んでいた。

「すごいな。何か人気な模擬店でもやっているのか……」

「そうみたいですね」

 何とか立ち直った私が同意すると、

「順番に二列でお願いしまーす」

 行列の整理をしていた、見覚えのある男子生徒を発見する。

「内藤くん?」

 文化研究部に下心ありきで一時的に入部した男子の一人にしてクラスメイト、内藤新之助だ。

「あっ、安藤さん。黒沢さんもこんちわっす」

 こちらに気付いた内藤が寄って来た。

「どうして内藤くんがここに?」

「どうしてって、列の整理だよ。ここに並んでいる人達、みんな俺らがやった演劇の映画を観に来ているんだ」

「「…………マジで?」」

 クロガネさんと揃って絶句する。

 確か、会場である第二視聴覚室は、この校舎の三階奥にあった筈だ。それが一階の玄関付近から長蛇の列? 

 先程、涼子から多少は話を聞いていたが、まさかこれ程とは思いもしなかった。

「映画が公開されるって告知されるや否や、階段から通路から人がいっぱい押し寄せてね。生徒会や実行委員から人を借りて列の整理をしてるんだよ」

「そんな大変なことになっていたなんて、私は聞いてませんよ」

 聞いていたらお手伝いしていたのに。皆が苦労している間、私だけクロガネさんとデートを楽しんでいたなんて恥ずかしい。

「最大の功労者である安藤さんと黒沢さんには、お礼も兼ねて好きにさせてあげようって、松山たちが」

「絵里香さん達が、そんなことを?」

 こうしちゃいられない。クロガネさんを見ると、彼も真顔で頷いた。

「教えてくれてありがとうございます。ちょっと私たちもお手伝いしてきますね」

「えっ、あ、ちょっと……!」

 戸惑う内藤を置いて、私たちは第二視聴覚室へ急いだ。



【デート⑧】映画鑑賞会改め、文化研究部のお手伝い


 関係者であることを周囲に告げて人ごみを掻き分け、第二視聴覚室に到着する。

「あ、横入りは……って、美優ちゃん? クロガネさんも」

 本日何回目かも解らない上映に向けての準備をしていたのだろう。客席の整理をしていた絵里香が、私たちを見て驚く。

「こんにちは。お手伝いに来ましたよ」

「お手伝いって……まぁ良いか、それじゃあお願いしようかな。智子ー!」

「はいな、って、美優ちゃんにクロガネさんじゃんっ。なになに? どうしたの?」

 来場者に『SF竹取物語』のパンフレットを配っていた智子が寄って来た。

「お二人が手伝ってくれるって。せっかくだし、衣装を着せて、客寄せと列の整理を頼もう」

「よしきたっ。お二人さん、付いて来て」

 智子は持っていたパンフを絵里香に預けると、見本として視聴覚室の片隅に置いてあったマネキンから竹取の翁とかぐや姫の衣装を剥ぎ取り、私とクロガネさんを視聴覚室裏にある準備室に連れて行く。

 準備室には折り畳み式のテーブルやパイプ椅子、コンセントの延長コードやマイクスタンドなどの備品が所狭しと置いてあった。

「それじゃ、ここで着替えて」

 智子が私たちにそれぞれの衣装を手渡しながらそう言った。

「ここで? クロガネさんと?」

 思わず訊き返す。さほど広くもない、仕切りのない一室で、男女ふたりに着替えろと言ったのか?

 智子は申し訳なさそうに手を合わせる。

「ごめん、我慢して。更衣室はすでに他の所が使ってるし、トイレも結構込み合ってる。それに、交代で一人ずつ着替えようにも、こちとら時間も余裕もないんだわ」

 何とも説得力のある理由に、込み上げていた羞恥心が鎮まろうとする。

「ああ、でも」

 ここで智子が、ニヤニヤと悪戯めいた笑みを見せる。

「美優ちゃんからしてみれば、美味しいシチュエーションなんじゃない?」

「な……ッ!」

 思わず赤面し、何か言い返す前に、智子はバタンとドアを閉めて去っていった。

 そしてこの場に残されたのは、私とクロガネさんの二人きり。

 ……気まずい。

 本当にもう、何てことをしてくれたんだ、あの子はッ!?

「相変わらず、元気な子だな」

 呆れるクロガネさん。私と違って冷静で大人だ。

「……ソウデスネ」

「とりあえず、さっさと着替えよう。背中合わせなら問題ないだろう」

 この状況下でクロガネさんは平常運転だ。

 変に意識してしまっている私がおかしいのか?

「…………」

 お互いに後ろを向いて着替え始める。

 無言の中、衣擦れの音がやけに大きく聞こえる。さっきから私の視界の片隅に、『体温上昇中』と『排熱中』の表示が交互に現れている。人間なら、平常心を保つことに努めていることだろう。深呼吸……って、ガイノイドである私に呼吸は無縁どころか、肺は備わっていない。

「ところで」

「ひゃいっ」

 不意に、クロガネさんが話し掛けて来た。

 思わず肩越しに振り返ると、彼はすでに鶯色の着物を着て、白髪のカツラを被っているところだった。

「どうした?」

 上擦った声を上げてしまったことに、彼の背中が訊いてくる。

「い、いえ、何でもありません。それで何ですか?」

 顔を戻して着替えを再開しつつ、話の続きを促す。

「いつの間にか、彼女たちは美優のことを名前で呼んでいるんだな、って」

 そう言われ、昨日まで「安藤さん」と名字で呼ばれていたことを思い出す。

「昨日クロガネさんが帰った後、動画の編集作業を皆さんでしていたんですよ。その折に、向こうから自然に私のことを名前で呼んできたので、私も彼女たちのことを名前で呼ぶようになりました」

「そうか。仲がよろしくて結構だ」

 クロガネさんの声は、どこか嬉しそうだ。それは娘が良き友人関係を築いていることを喜ぶような……保護者か。いや、保護者だけどもっ。

 というか、同じ場所に二人きりで着替えているこの状況で、私だけドキドキしているのは不公平じゃなかろうか。何となく、釈然としない。

 不満まじりに、十二単の帯紐をややきつく締める。

「こっちは準備完了だ。そっちは?」

「……準備完了です」

 同時に振り返る。

 クロガネさんは翁の面を被っていた。別に素顔でも良いのではないかと思う。

「もう演劇は終わったのですから、お面は外しても良いのでは?」

「これも衣装の一部である以上、着けない方が不自然では?」

 真面目というか、律儀だなぁ。

「じゃあ、こうしましょう。少し屈んでください」

「? こうか?」

 クロガネさんは私に視線を合わせた。

 私は手を伸ばし、翁の面の位置を、顔の横に移動させる。

「これなら顔も見えますし、『お祭り』っぽくも見えますよ」


 後になって思えば、これは失策だった。


 お互いの顔がすぐ目の前にある距離で、彼は「なるほど」と納得し、微笑んだ。



 …………あ、ちょっと駄目だ、これは。



「……そういえば、眼鏡を取ったクロガネさんを、こうして間近で見るのは初めてですね」

 平静を装って、彼の肩に手を置く。屈めている身体を伸ばそうとするのを、さりげなく阻止。

「? そう?」

 怪訝な表情を浮かべる彼と、視線を合わせたままにする。

「私は、眼鏡を取った方が好みかもしれません。理由を知りたいですか?」

「何だ? ていうか、何で肩を押さえたまま――」



 ちゅっ



 クロガネさんの言葉を遮り、

 私は、緊張で震える自身の唇を、彼の唇と重ね合わせた。


 だがそれも、一瞬のこと。


「――ッ、〜〜〜〜!」

 我に返ってズササーッと、勢いよく後退あとずさって距離を取る。

 私が。


 クロガネさんは、ぽかんとしていた。

「いや、あの、ですね……」

 視界の片隅で、『体温上昇中/ERROR/排熱中ERROR/強制冷却ERROR中』としきりに表示され、髪の毛に擬態した放熱線からは絶えず蒸気が噴き出て大変なことになっていた。

 いや本当に大変なことをしてしまった! 何やらかしてんだ私ィいいいッ!


 ERROR/ERROR/ERROR


 私の電脳内はエラーの嵐。つまり、テンパる。

 えらいことをしてしまった、エラーだけに……やかましいわッ!

 我に返った私は両手の指先を合わせ、落ち着きなく目を泳がせて、台詞の続きを話す。

「め、眼鏡がない方が、その、何て言うか……ちゅ、ちゅーがしやすいかなーって、思ったり、とか?」

 な、何を言っているんだ私ィいいいッ! いや、そうかもしれないけどもッ!

 とにかく謝罪だ! まず謝れ! 謝るんだ私! はい、ごめんなさい!

「ご、ごめんなsふぇごぉッ!?」

「あっ、ゴメンッ!」

 背後にあったドアが勢いよく開けられて背中を打ち、謝罪の言葉は変な声に変換され、着替え終わった頃合いを見計らって呼びに来た智子が謝る。

「いや、謝るのは貴女じゃないんですよッ!」

「えっ? な、何が? 何かあったの?」

 私の剣幕に驚き、困惑する智子。

 説明しようとして……チクショウ、説明できねぇッ! ていうか、したくないッ!

「ああ、ちょうど着替え終わって、いま出ようとしたところだ」

 テンパる私をよそに、クロガネさんが智子にそう言った。

 突然キスされたのに冷静だな、この人。これが『大人の余裕』か。

「それなら、列の整理をお願いします。さっき亜依ちゃんが休憩から戻って来たので、ウチらも交代したいのです」

 と、智子がそう言った。

 つまり、朝からずっと絵里香と智子は上映会の方に貼り付いていたらしい。

 その事実が、私を冷静にさせた。視界を埋め尽くすエラー表示が収束していく。

「解った。俺たちが出るから二人は休憩してくれ。指示は梅原さんに仰げば良いか?」

「はい、それでお願いします」

「了解した。行くぞ、美優」

「……はい」

 クロガネさんの後に私も続く。

 ……少しくらい、動じてくれても良いじゃないか。

 彼の背中を見つめながら、そんなことを思う。

 これじゃあ、私だけがバカみたいじゃないか。実際バカなことをやらかしたんだけど。

「……あれ?」


 クロガネさんの耳が、赤い?



 その後、文化研究部の救援に駆け付けた竹取の翁とかぐや姫は、列の整理やら入退場する観客の誘導やらに加え、握手や記念撮影をせがまれたりなど、文字通り忙殺された。



 ***


【デート⑨】後夜祭


 夕方。

 閉会式の時間が迫り、模擬店も各自で後片付けを始めている。

 いよいよ学園祭も終わりを迎えるということで、第二視聴覚室からも最後の来場客が去っていった。

「お、終わった……」ぐったりしているクロガネさん。昨日の今日でお疲れ様です。

「いやーお疲れ様ー。クロガネさんも美優ちゃんもありがとうございます」

 絵里香が労いと感謝の言葉を述べる。

「いや、こちらこそ。大変だったにも拘わらず、私たちは途中参加で申し訳ありませんでした」

「いいのいいの。むしろ二人が来てくれたお陰で、ローテーションに余裕が出来たから全員学園祭を見て回れたし、結果オーライだよ」

 智子が朗らかに言った。隣にいる亜依も「うんうん」と頷いている。

 ちなみに、今この場には私とクロガネさんの他、文化研究部の三人娘しかいない。内藤ら男子三人組は、会場のゴミを捨てに行っている。

「映画……よく出来ていたなー」

 ポツリとこぼしたクロガネさんの称賛に、文化研究部の面々は皆嬉しそうな表情を浮かべた。

 『SF竹取物語』の動画版は、元映画部の絵里香と共に効果的かつ迫力あるカメラワークによるシーンを厳選し、戦闘シーンでは剣戟で飛び出る火花などをCGで演出した結果、「下手な映画よりも出来が良いんじゃないか」と自画自賛するくらい渾身の作品に仕上がっている。現に上映会を観た客たちは、クロガネさんと同様に全員が満足そうな表情で帰っていった。

「……閉会式まであと少しかー」

 絵里香がどこか寂しそうに壁時計を見上げた。きっとこの場に居る全員が同じ思いでいることだろう。この一ヶ月、大変だったけど、とても楽しかった。

「そういえば、今年の後夜祭は誰が選ばれるんだろうね?」

 不意に智子がそう言った。

「後夜祭? 選ぶ?」

「ああ、美優ちゃんは知らないか。後夜祭ってのはね、学園祭が終わった後の締めくくりで行うイベントなんだよ」

 私が首を傾げると、智子が説明してくれた。

「……人によっては、『儀式』だの『罰ゲーム』だの言う人も居るけど……」

「何やら不穏ですね。どんなことをするんです?」

 亜依の補足に若干警戒心を抱きつつも、詳細を訊ねる。

「この学園の恒例行事みたいなものでね。その年に話題になった生徒、もしくは先生を多数決で指名して、舞台上で何か披露して貰うの」

「なるほど、確かに『罰ゲーム』と言われるわけだ」

 絵里香の説明に納得するクロガネさん。本人が望んでもいないのに突然指名されて壇上に立たされるとか、確かに嫌だな。

 ちなみに、指名者の選出は閉会式開始までに、生徒会室前に設置された目安箱に投票された中から一番名前が多かった者が選ばれる仕組みとなっているらしい。

「披露するのは特技でも告白でも何でも良いけど、大抵は無難に学園祭の感想や、一番の思い出を話す人が多いかな?

 ……まぁ、


 ポン、と私の肩に手を乗せて、他人事みたいに励ましの言葉を送る智子。


 ……え?


「あの、『頑張って』って、どういう意味ですか?」

「……どうもこうも、今年の後夜祭の生贄は、美優先輩でほぼ確定だと思う……」

「……ゑ?」

 亜依の発言に思わず耳を疑う。ていうか、生贄って人聞きが悪いな。

「どうして私が?」

「編入初日でいきなり話題になった。文化研究部の演劇でヒロイン役を演じ、その演劇も学園祭で一番人気でMVPはほぼ確実。これだけ話題になれば、美優が指名される確率はかなり高いな」

 クロガネさんが模範解答を示すと、智子が「正解」と言わんばかりに拍手する。

「さすが探偵。いや、美優ちゃんのことをよく見ているからですかね?」

 智子が茶化すも、クロガネさんは肩を竦めて軽く流した。

「まぁ、選ばれない可能性もあるとは思うけど、今の内に壇上で何をするか考えた方が良いよ」と絵里香。

「出来れば、感想とか思い出話はなしの方向でお願い」智子がそう要求する。

「どうしてですか?」

「いや、たぶん話の中にクロガネさんが出てくると思うから。流石に口から砂糖が吐き出るような惚気話は、ちょっと遠慮したいというか」

「ぬ」

 失礼ですねっ。だけど、否定も出来ない。

 いざ壇上に立たされて学園祭の感想を話すとなると、クロガネさんと一緒に演じた演劇のことや、今日のデートの話とかしてしまいそうだ。

 ……流石にそれは、ちょっと恥ずかしい。

「ですが、私が選ばれない可能性もあるわけですし」

「失礼しまーす。あ、いたいた」

 私の発言を遮って、第二視聴覚室に沖田涼子が現れた。

 このタイミングで生徒会役員が現れるとか、嫌な予感しかしない。

「えっと、美優ちゃんに用があったんだけど、いま大丈夫?」

「アッハイ、何でしょう?」

「閉会式の後、後夜祭があるんだけど……」


 涼子の話を聞いて、私は思わず天を仰いだ。

 絵里香は困ったような笑みを浮かべ、智子はゲラゲラ笑っている。

 亜依は「やはり」と言わんばかりな表情を浮かべ、クロガネさんは苦笑していた。


 ……案の定、この私――安藤美優がぶっちぎりの投票多数で、後夜祭に指名されてしまったのである。



 ***


 閉会式は高等部の体育館で行われた。

 先程ボルダリングに使用された様々な種類のウォールは全て撤去され、約1700人もの小中高全校生徒が整列している。

 ……ていうか、それだけの大人数が一堂に会したにも拘わらず、スペース的にまだ余裕がある辺り、かなり広い。 


 生徒会長や学園祭実行委員会の挨拶など、粛々と閉会式は進行していく。

 そして前情報通り、今年の学園祭MVPに我ら文化研究部の『SF竹取物語』が選ばれた。私をはじめ、今回の演劇に携わった学生全員が壇上に上がって、福田幸子理事長から賞状と、賞金五万円が授与される。

 盛大な拍手が送られる中、クロガネさんも体育館の最後方にある出入口近くで拍手をしていた。彼も演劇で主役を演じたのだが、「本来は部外者だから」と遠慮したのだ。ここで私たちと一緒に壇上へ上がれば、良い意味で全校生徒に彼の名前と顔が広く知れ渡ると考えていたのに。本人が目立つことを嫌がり、無理強いも出来なかったとはいえ、少し残念に思う。



『以上を持ちまして、今年度の才羽学園・学園祭の一切を終了します。お疲れ様でした』

 理事長の挨拶、そして閉会宣言。

『……それでは、毎年恒例、後夜祭のお時間です』

 先程までテンプレでお堅かった司会進行役の口調が、唐突に砕けたものとなる。

 どうやら、この学園の後夜祭は学生主導で始まったものらしい。生徒全員ノリノリだ。

『今年度の後夜祭で、全校生徒に選ばれた時の人は……高等部二年C組、安藤美優さーんっ!』

 体育館に歓声と拍手が響き渡る。



 ……覚悟を決め、私は壇上に向かった。



 ***


 ――第二視聴覚室/閉会式開始二〇分前――


「指名されてしまった以上は仕方ありません。しかし、何をしましょうか……智子さんから、『学園祭の感想や思い出話はなしで』という縛りを受けてしまいましたし……」

「いや、何してくれてんの?」

 私が困っていると、涼子が智子を睨む。

「いや、毎年同じことばっかで変わり映えしないのは、流石に飽きたというか……」

「選ばれた本人に好きなようにやらせれば良いじゃない。確かに飽きるのは否定しないけど」

 否定せんのかいっ。一部とはいえ、涼子も智子と同意見のようだ。

「美優ちゃんの得意なことでも良いんだよ?」と絵里香が助け船を出す。

「私の得意なこと……ゲーム、ですかね? 涼子さん、体育館で私がゲーム実況できたりなんか」

「出来ないよっ。持ち時間は五分、長くても十分だから」

 ゲーム機本体やスクリーンなどの準備だけで終わりそうですね。

 持ち時間が指定されているのは、生徒の体力的に辛いものがあるからでしょう。そりゃあ、疲れているのだから、閉会式が終わったら早々に解散したいですよね。

「全校生徒の前で愛の告白とかどうよ?」

 智子がニヤニヤしてそう提案する。クロガネさん好きな人が居る前で何てことを……!

 他人事だと思って楽しんでやがるな、こいつ。

「いや、流石にそれはちょっと恥ずかしいというか……」

 赤面し、ちらりとクロガネさんの方を窺う。

 彼は顎に手を添えて何やら考え込んでいた。

 今の話は聞かれていなかっただろうか?

 やがて、クロガネさんは顔を上げた。

「……俺から一つ良いか?」

「何ですか?」

 軽く挙手したクロガネさんに、全員が注目する。


 彼が出した提案は――



 ***


「こんにちは。ご紹介に預かりました、高等部二年C組の安藤美優です」

 壇上に上がった私は、スタンドマイクを介して自己紹介すると、あちこちから歓声と拍手が送られてきた。

 私が無言で待っていると、やがて静かになった全校生徒に語り掛ける。

「私は今から一ヶ月ほど前、夏休み明けにこの学園へ編入しました。昔、ひどい怪我を負って治療とリハビリを続けてきた私にとって、その日から私の学園生活が始まりました」

 全員が私の話に耳を傾けている。

「編入して早々、廃部寸前だった文化研究部の人達から、『学園祭で一緒に演劇をしてほしい』と頼まれたのをきっかけに、この一ヶ月、本当に大変で、本当に楽しい日々を送ってきました。これからも楽しい学園生活を、皆さんと一緒に過ごせれば良いなと考えています」

 二年C組のクラスメイト達が笑顔で拍手すると、やがて体育館全体に大きな拍手が巻き起こる。

 ……うわ、何これ。ちょっと感動する。

「……えっと、この後夜祭では、指名された人は何か特技を披露するものだとか。なのでここで一つ、歌を一曲、披露したいと思います」

『おぉっ!』

『がんばってー!』

「曲は、『SF竹取物語』で冒頭に歌ったジャズのスタンダードナンバー、『Fly Me to the Moon』です。聴いてください」

 歓声と拍手が巻き起こる中、私はマイクの前で姿勢を正し、目を閉じる。



 ***


「歌を歌ってほしい?」

 その提案に思わず訊き返すと、クロガネさんは頷いた。

「俺と新倉が遅刻した時、美優が歌ってカバーしたんだよな。その時の歌を聴きたい」

「いや、でも上映会のお手伝い中に散々聴いたじゃないですか。今更、改めて聴くこともないのでは?」

 来場客の整理が一区切りつく度に、私とクロガネさんは『SF竹取物語』を最初から最後まで観賞する機会が数回あったのだ。

 当然、冒頭で私がアドリブで歌ったシーンも、彼はしっかり観ている筈なのだが。

「滅多にない機会だし、是非とも生で聴きたい」

 そう言われてしまっては、断れない。

「……そういうことなら、全力で歌いましょう」

 他でもない、貴方のために。



 ***


 会場に設置されたスピーカーから、お洒落なピアノが流れる。

 私は目を開き、歌う。

 どうか届いて欲しいと願いを乗せて、恋の歌ラブソングを愛しい人に送る。




 Fly me to the Moon

 私を月へ連れて行って


 And let me play among the stars

 星々の間で歌わせて


 Let me see what spring is like on Jupiter and Mars

 木星と火星に訪れる春を見てみたい


 In other words, hold my hand

 だからね、手を繋いで


 In other words, darling kiss me

 つまりね、キスして欲しい


 Fill my heart with song

 歌が私の心を満たす


 And let me sing for evermore

 ずっと、もっと歌わせて


 You are all long

 貴方は私の全て


 For all worship and adore

 私がずっと待ち焦がれていた人


 In other words, please be true

 だからね、どうか素直になって


 In other words, I love you

 つまりね、貴方を愛しています


 ………… 



 ***



 後夜祭を終え、解散した私たちは才羽学園を後にした。

 少しばかり遅くなってしまった。

 暗い夜道を一定間隔で置かれた電灯が照らし、人もまばらな歩道をクロガネさんと並んで歩く。

「楽しかったですね」

「ああ、そうだな。美優の歌も最高だった」

「ありがとうございます」

 雨のような万雷の拍手を受けて全校生徒から大絶賛された以上に、彼からの称賛の言葉が何よりも嬉しい。

「本当に色々あったな……いきなりパンチ力測定されたり、二人で射的や投擲系のゲームで荒らし回ったり……」

「お化け屋敷にボルダリングもしましたね……この時はクロガネさんの方から手を繋いでくれました」

「どっちも美優が色々な意味で自爆したからだろうが」

「いやいや、お恥ずかしい」

 ふたり揃って苦笑する。

「その後、上映会のお手伝いをしたり」

「いきなりお前にキスされた」

 うっ、と言葉に詰まる。意図せずその時の状況が電脳内で再生され、体温上昇を警告するウィンドウが表示される。

「あの、あれは……一種の気の迷いというものでしてねっ」

 あたふたと焦りながら弁解しようとして、やめる。

 言い訳しようにも、私がキスしたいと思って実行しただけに、何も言えない。

 立ち止まり、意気消沈する私。

 数歩先を進んだところで振り返ったクロガネさんと目を合わせられず、俯く。

「……ごめんなさい。犬に噛まれたとでも思って、忘れてください」

 しゅんとなる。

「今のお前は本当に落ち込む子犬みたいだな、まったく……」

 呆れたように言って、クロガネさんは私に歩み寄る。

 彼の足元が視界に映り、次いで掌を上にして彼の右手が差し伸べられた。

 顔を上げる。

「帰るぞ」

 穏やかな彼の顔に、どこか安心する。

「手を繋ごう」

 その言葉に、心が弾んだ。私も大概現金だなと、つくづく思う。

「……クロガネさんの方から改めて誘われると照れますね。どういう風の吹き回しですか?」

 そう言いつつも、差し伸べられた彼の手に、私の手を乗せた。

 そっと、まるで壊れ物を扱うかのように、彼は私の手を優しく握る。

 ただそれだけのことなのに、嬉しく感じるのは何故だろう?

「特に大した理由もないんだけど……まぁ、そうだな」

 彼は僅かに考え込むと、

「気分の問題だ」

 と言ったので、私は思わず吹き出す。

 それは今朝、私が言った台詞ではなかったか。

「気分の問題、ですか?」

「ああ、気分の問題だ」


 手を繋いで夜道を歩く。


 ふと、見上げれば。

 綺麗な月が、秋の夜空に浮かんでいた。


「クロガネさん」


 良い機会だから、ちょっと洒落たことを言ってみよう。

 彼のことだ。先程歌った『Fly Me to the Moon』だけに、ダジャレだと思われるかもしれない。


 だけど、それでも。


 私は月を見上げなら、想いを乗せて言の葉を紡ぎ、彼に伝えた。



「……月が、綺麗ですね」

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