第9話 俺が相手してやってもいいぜ

 リュナス祭りの「花探し」には、参加者に一枚のカードが配られた。カードにはリュナスの花の絵が描かれており、色はどうやらそれぞれ違うらしい。ルシェラのカードには菫色のリュナスが、エミリアのカードには赤色のリュナスが描かれている。

 色は全部で七色。同じ色のカードを持つ者を探すというゲームだが、勿論違う色のカードを持つ者と話してもいい。積極的にどんどん話しかけて行けるよう工夫がなされていた。


「制限時間までにどっちがより多くの人と話せるか競争しましょ」

「えっ?!」

「ルシェラも花探し、楽しんで!」


 手にしたカードをひらひらと振って去って行くエミリアは、早速目星を付けていたらしい童顔の男性に話しかけている。その行動力に驚きつつ、ルシェラもせっかく来たのだからと自分を奮い立たせるように深く息を吸い込んだ。


 手元のカードに描かれた、菫色のリュナスの花。

 こんな些細な色にまで心を惑わされている自分に気付いてしまい、ルシェラは雑念を追い払うかのように一度頭を軽く振ってから人混みの方へと近付いていった。



 ***



 違和感を覚えたのは、二人目の相手と会話している時だった。やけに周囲からの視線を感じてそれとなく確認してみると、周りにいるほとんどの男性がルシェラをチラチラと盗み見ているのである。

 何事かと不安に思いつつ二人目との会話を終えると、まるで機を狙ったかのように男たちがルシェラに集中した。我先にと自分のカードを差し出し、ルシェラとの会話にこぎ着けようとする。その中には何故かさっきの二人目も混ざっていた。


「次は僕とお話して下さい」

「いや、私の方が先だ!」

「そもそも花の色が違うじゃないか。俺は菫色のカードだぞ」


 まるで安っぽい恋愛小説のような一幕だ。その中心にいるのが自分だということに実感が湧かず、ルシェラは暫く呆然としたまま男たちのやりとりを眺めていた。

 そのうち誰も彼もがカードを差し出して選ばれるのを待つ姿勢になってしまい、その後ろでは置き去りにされた女性陣が嫉妬に満ちた視線をルシェラに向ける始末だ。

 光に群がる虫のように集まる男たちと、彼らの視線を集めるルシェラに対して向けられる女たちの妬みそねみ。突き刺さる鋭い視線には悪意さえ含まれているようで、居心地の悪くなったルシェラは数歩後退して小さく頭を下げた。


「あ、あの……すみません。少し気分が優れないので失礼します」


 それだけ言うと、ルシェラはくるりと身を翻して男たちの前から走り去っていった。



 会場の端に設けられた休憩スペースには誰もいない。具合の悪いふりをして長椅子に腰掛けたルシェラは、こちらへ誰も来ないことを確認してからやっと深く息を吐いた。


「何なのよ、一体」


 あんな風に大勢の異性から注目を浴びたことなど、今までに一度だってない。確かに今日は普段よりめかし込んではいるが、それにしたってあの光景は異常だ。常識のある大人が取る行動ではないし、何より周りの女性に対して配慮がない。

 彼女たちが面白くないと思うのは当然だ。その矛先が自分に向いてしまうことも嫌と言うほど分かっていたルシェラは、面倒事に巻き込まれる前にさっさと会場を抜け出してしまおうと長椅子から立ち上がりかけた。

 その真横に、突然見知らぬ男がどっかりと腰を下ろした。


「人間にしては不思議な匂いがするな。お前、何者だ?」


 驚いて顔を向けると、琥珀色の瞳が物珍しげにルシェラを見つめていた。

 長椅子の背もたれに腕をかけて寄りかかったまま、値踏みするように男の視線がルシェラの体を上下に這う。絡みつく視線は、まるで蛇そのものだ。粘着質な琥珀色の瞳に体ごと拘束され、ルシェラは立ち上がることも出来ないまま男の不躾な視線を全身に嫌と言うほど受け止める。


「この匂い、どこかで……」


 強引に腕を掴んでルシェラを引き寄せた男が、漂う匂いの元を辿って不躾に顔を近付けた。首筋からうなじへ、鼻先が当たるほどの近さで匂いを嗅がれ、羞恥に体温の上がったルシェラの肌からじわりと嫌な汗が滲み出る。より一層濃くなった匂いを深く吸い込んで、男がかすかに感嘆の声を漏らした。その振動を直に感じたルシェラの肌が、官能と恐怖の入り混じる未知の感覚にぞくりと震える。


「ちょ、っと……離して!」


 精一杯の拒絶に身を捩れば大きな手で顎を捕らえられ、視線さえも逸らせない。瞬時に距離の縮まった視界に、口角を上げて薄く笑う赤毛の男が映り込む。


「お前……痣持ちか」


 痣と言われて思い浮かぶのは、レヴィリウスに付けられた赤い薔薇の印だ。けれど赤毛の男が睨むように凝視しているのはルシェラの額で、痣のある左胸ではない。


「お前、悪魔と通じてるな?」

「えっ?!」

「俺たちと似たような匂いがすると思ったら、額に僅かだが魔法の跡が残ってるぜ? 魅了の印まで付けて惑わすほど、男に飢えてるのか?」


 一瞬何を言われているのか分からなかったルシェラだが、男の言葉を反芻するうちにひとつの事実に思い当たって愕然とした。



『パーティ、楽しんできて下さい』



 飄々としたレヴィリウスの姿が脳裏によぎる。

 あの時、額に落ちたキスの意味はこれだったのだ。レヴィリウスは知らないうちに魅了の魔法をルシェラにかけ、その魔法によって会場の男たちが惑わされてしまったのだ。

 ルシェラが恋人探しのパーティに行くことを良しとしなかったはずのレヴィリウスが、なぜその思いとは逆の魔法をかけたのか。その真意はやっぱりルシェラには分からない。けれど、なぜか胸の奥がちくりと痛んだ気がした。


「そんなに飢えてるんなら、俺が相手してやってもいいぜ」

「飢えてないし、相手もいりませんから!」


 伸びてきた手を払いのけて、ルシェラが勢いよく立ち上がった。男を睨み付けた顔をふいっと逸らして、そのまま逃げるように会場の外へと駆け出していく。その後を数人の男が追いかけていくのを見て、男が喉の奥をくっと鳴らして小さく笑った。


「……にしても、不特定多数相手に効く魅了の魔法とは恐れ入る。分からないように痕跡まで消してやがるし……一体、どこのどいつだ?」


 いにしえの戦いの後、地上から悪魔の存在は目に見えて減った。その大半がダークベルへと封印され、逃げおおせた者も聖女信仰による力の弱体化で細々と生きていくしかなかった。

 現代にいる悪魔たちは、そのほとんどがいにしえの戦い後に混沌から新しく生まれた者だ。赤毛の男もそのひとりで、長い年月を経てようやくそれなりに上位に立てるだけの力を蓄えてきた。それでもルシェラに施された、難易度の高い魔法は扱えない。

 見たこともない同族に羨望と嫉妬を覚えつつ、それ以上に強大な力を持つ悪魔を従えているルシェラに興味が湧いた。


「駄目ですよ。彼女は私のものですからね」

「誰だ?!」


 声をかけられるまで、隣に銀髪の男が座っていることに気付きもしなかった。見開いた琥珀色の瞳にその存在を認めてやっと、銀髪の男が纏う濃く深い闇の匂いに怖気立つ。


「他人のものに手を出せばどうなるか、分からないはずはないでしょう。あぁ、でもあなたはさっき彼女の匂いを執拗に嗅いでいましたね」

「嗅いだだけだろうが。手は出してねぇ」

「同じことですよ。……生まれたばかりのあなたに免じて、今回は見逃してあげましょう。次に彼女を害するようなことがあれば容赦はしませんので、そのつもりで」


 さらりと流れ落ちる銀髪の隙間から、菫色の鋭利な眼差しが赤毛の男を容赦なく射抜く。その口元は柔らかな弧を描いているというのに、男を見る瞳は恐ろしいくらいに熱がない。

 穏やかな仮面の裏側に潜む危険な闇を垣間見た気がして、赤毛の男がゴクリと喉を鳴らした。


「あぁ……少々、効き過ぎたようですね。嫉妬だけではなく、色情までも呼び覚ましてしまったか」


 会場の入り口へ視線を移して、銀髪の男――レヴィリウスが音もなく長椅子から立ち上がる。黒衣に落ちる長い銀髪が星屑のように揺れ、その動きを男の琥珀色の瞳が無意識に追う。

 あまりにも強く恐ろしい力を秘めた銀髪の男。その邪悪な力に怯えつつも、抗えない魅力を感じて陶酔してしまう。同族ですら魅了してしまう銀髪の男が、優雅に会場を横切り去って行くまで、彼は片時もその後ろ姿から目を離せないでいた。

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