第66話 とりあえず箸休めにスピンオフを。04
——3年後。
夢など無かった。
ただ家を継いで、見合いで嫁を貰って、子供を作って、厳しく育てて立派な跡取りにして自分は死ぬ。
それこそが自分に課せられた使命だと思いながら毎日を過ごしていた。
気まぐれで始めた一人暮らし。
大学に行っても研究ばかり。
普段から研究ばかりでノリの悪いわたしは、研究仲間に馬鹿にされ、コケにされた。
それでもわたしにはこのフラスコと親愛なる教授から頂いたこのペンが有れば何とかなった。
「先輩、お疲れ様です」
そんな、研究馬鹿なわたしにも慕ってくれる後輩がいた。
一つ下の、石野美波くん。
このゼミで唯一の女性だ。
彼女は他の人とは違って、何故かわたしを尊敬していてくれた。
まるで、いつかの彼女のように。
「桜咲先輩、今度の休みって空いてますか?」
「……空いていたら?」
「どこか行きませんか?」
「……わたしがこの大学で一番ノリが悪い人間だと承知の上で言っているのかい?」
「つまり行きたくないってことですか?」
石野くんは頬を膨らませながらわたしの身体を揺らす。
「あぁ、その通りだ」
「もう……。そんなんじゃ頭良くてもお嫁さん貰えませんよー」
「ははっ。そんなわたしでも好きになる人間は過去にいた。そのデータがある以上、0%ではないことが確かだ」
「へぇ桜咲先輩、彼女いたんですね。高校時代ですか?」
「まぁな。だが、ろくに遊んであげられなくて、付き合ってんだか別れたのか分からないまま彼女は色々な事情で高校を中退した」
「えっ? あ、もしかして私、地雷踏みましたかね」
「いやいや。わたしにとってそれは悪い思い出ではない」
いつもの図書室で過ごした日々。
『一成さん、最後に一つ言わせてください』
『いつか、あなたを迎えに行きます』
迎えに、か。
全盛期ほどではないが、彼女は今もテレビに出ている。
綺麗な歌声で、人々を魅了させ、わたしの心も豊かにしてくれた。
もう彼女は、わたしのことなんて何とも思っていないのだろう。
きっと、若手の俳優とかと付き合ってるに違いない。
たまに見かけるゴシップ誌をめくっては、彼女の名前を探す。
そうやって、彼女に背中を向けながら毎日を過ごした。
「あ、もうすぐ12時ですよね。私好きな情報番組があるんでテレビつけてもいいっすか?」
「構わないよ。ちょうどわたしも休憩がてら今からコーヒーでも飲もうかと」
石野くんがテレビを付けた刹那、とある曲が流れる。
この歌声は……。
曲名は『Lion』そして、作詞と歌は柚子原蜜。
孤高のライオンと、恋する彼を重ね合わせながらも、彼に寄り添うヒロインの切なさを表した歌詞。
この曲は彼女のデビュー曲と書いてあった。
この曲が、あの時言ってた——。
曲が止まり、柚子原蜜が生出演でテレビに映っている。
相変わらず、美しさは健在だった。
だが、次の瞬間わたしは耳を疑った。
『私、柚子原蜜は……芸能界を引退することになりました』
柚子原蜜が……引退……?
「えー⁈ 私ゆずみつの大ファンだったんでショックです!」
手元が狂って、紙コップに入れようとしたコーヒーが足元にタラタラと溢れる。
「……嘘だろ」
「先輩もゆずみつのファンだったんですか? ……って! 先輩コーヒーが!」
そんな、あいつ何を。
✴︎✴︎
『ゆずみつ衝撃的引退!』
『確かな理由は不明? ゆずみつ引退』
『知人によると、身内に不幸が⁈』
様々な憶測が飛び交う中で、蜜は理由を言わなかった。
しかし、身内に不幸という理由が正しいとわたしは思っていた。
彼女がアイドルとして歌う理由、母を支えるため、という理由が無くなったからだろう。
引退後の去就も明言を避け、ゆずみつの引退はずっと不明瞭なまま、いつの間にかその話題も消えていった。
それからわたしは、興味本位で蜜のことを調べていた。
調べていく中で、一つ分かったことがあった。
3ヶ月前に彼女が出演したドキュメンタリーの中での発言。
アイドルのこれからについて蜜は、
『時代は移ろい、人は新しいものを求め続ける』
と発言したらしい。
今となっては、この発言の意味が引退の理由という認識で通っていた。
新しい、もの。
定かではないが、おそらく彼女は母を失い、輝きも失ったのだ。
その辛さを考えただけで、胸がはち切れそうになる。
蜜……わたしは君を。
研究室の鍵を閉め、石野くんを家まで送った後、わたしは必死で彼女の行方を探すようになった。
一度でいい、また蜜に会いたい。
確かに彼女との思い出は海の潮の香りと図書室の本の匂いだけだ。
でも、彼女はきっと。
……潮の、香り……。
それからわたしは毎日あの海へ通うようになった。
わたしはあの海で、初めてデートした。
いい匂いのする彼女の香水を今も鮮明に覚えている。
あんなに魅力的な彼女が隣にいながら、わたしは一体何を考えていたのだろうか。
結局、先輩には告白も出来ずに終わり、蜜とは何となくの距離感を保って。
わたしはバカだ、大バカ者だ。
堤防から寄せては返す海を眺めながら、その場に座る。
つまらなくなったら本を読んだり、次の研究テーマを考えたりして過ごした。
それが習慣と化して、1年の月日が過ぎた。
海も見飽きた。
青いからなんだ、綺麗だからなんだ。
海が青だと何がいいのだ? 綺麗というのは遠くから見たらの話だ、蓋を開ければゴミの山ではないか。
屁理屈が絶えなくなったある日の夜。
星空と海を見ながら堤防に横になっていたら、遠くでタクシーが止まり、白装束の女性が降りていた。
遠くから見ているので白い服ということしかわからないが、こんな時間に白装束とは、肝試しでもやるのかと心の中で笑いながら傍観していたが、どうも様子がおかしい。
海に向かって一歩、また一歩。
そのおぼつかない足取りが、とても不穏だった。
「まさか」
わたしはすぐに起き上がって堤防を走り、海辺へと向かう。
革靴がびじゃびしゃで、砂塗れになりながらも、わたしは海へと身を鎮めていく彼女へ向かって走った。
「おい! 君! 何をして」
わたしは目を疑った。
人生で一番の衝撃だった。
かつては隣にいたのに、今となってはテレビの奥にいた存在。
いや、今は……もうテレビから消えた存在。
「……蜜、なのか」
髪の艶と言い、美しいその佇まいと言い彼女そのものだった。
何よりそれを決定づけたのは、身に纏った白い着物。
この着物は間違いない。あの日、俺が買ったものだ。
「……あら、わたしはもう死んだのかしら。幻覚で、まるで目の前に一成さんが……」
「幻覚ではない! わたしはここにいる!」
「……一成、さん?」
「そうだ! あの時より少し髭を蓄えたが、わたしは一成、桜咲一成だ!」
「……いっ、せ、い……さん」
潮風にやられたのか、ましては感極まったのか。
彼女の瞳から美しいほどに澄んだ大粒の涙が風に乗って宙を舞う。
「一成さん……逢いたかった」
冷たくなった彼女の身体を、わたしは両腕で包み込んだ。
随分と痩せ細った身体、力のない抱擁。
彼女が衰弱していたことが手に取るようにわかった。
「蜜……わたしの事を覚えているのか」
「勿論……ひと時も忘れたことはありません。私はあなたの……彼女ですから」
静閑な二人だけの世界で、その抱擁はずっと続いた。
煌く夜空の下で、星に祝福されながら二人で運命の偉大さを感じていた。
「蜜……もうわたしから離れないでくれ。いきなりいなくならないでくれ!」
「……はい」
「わたしを支えてくれ、わたしを頼ってくれ、あと……わたしの妻になってくれ」
「……分かりました」
1年後、わたしの卒業とともに蜜とわたしは結婚した。
✴︎✴︎
「なんだか、懐かしいですね、一成さん」
「あぁ」
雪の中、抱き合う菜子と閑原くんを2階の窓越しに見つめながら、蜜と二人で思い出に浸っていた。
「私たちも、あの時と変わらないままですよね」
「……そうだな」
……お前が腐女子になった事を除いて。
「あの、一成さん」
「どうした?」
「あの子たち見てたら身体が火照ってしまったのですが」
「お前なぁ、もうお互い50超えたおっさんとおばさんなんだぞ。少しは歳を考えろ」
「むぅ……。だからって、一成さん最近構ってくれないですから、私辛いです」
まぁ、どれだけ歳とってもこいつは誰よりも美しい。
菜子も可愛らしいが、美しさはまだまだ蜜の方が上だな。
「分かった。ほら、目瞑りなさい」
「はいっ」
外の二人に負けないくらい、熱い抱擁をしながら、蜜とキスを交わした。
結婚してからも色んなことがあった。
慣れない二人での生活。
喧嘩の絶えない日々。
なかなか子供が出来なくて、桜咲の親族からのプレッシャーを感じながらも、やっと無事に生まれてくれた菜子。
お互いにギクシャクしながら続いてしまった子育て方針は、今となっては後悔している。
でもこうやって蜜と、何年ぶりかのキスを交わせる関係にまで戻ったのも菜子のお陰であり、やはり……何より。
閑原航、彼が菜子に……いや、この家族に大きな光を与えてくれたからこそだ。
彼の存在が繋ぎ止めてくれたこの糸は、もう決して離さない。
(スピンオフby桜咲一成 完)
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