第5話 箱の中の戦い
ハルトは大きな家の中にいた。見慣れたエントランスには、彩が艶やかなトリカブトが活けられている。
エントランスに敷かれた赤いカーペットに汚れはない。高さ二m、幅八十㎝の大時計は規則正しく静かに動いている。二階に続く真鍮製の手すりは適度に色が褪せていた。
「ここは実家か? パンベルハイムの家?」
悪趣味だ。それとも、これは僕が見たいと思う幻なのか。
ハルトの目の前に広がる光景は実家のエントランスに瓜二つだった。
玄関から庭に出る。日差しは仄かに温かい。
花壇ではジギタリスの紫の花や、スズランの白い花、水仙の黄色い花が咲いていた。
美しい毒草。母さんの趣味だ。
ハルトの母親は魔女だった。薬草や毒草に対する造詣が深い。
花壇で毒草を栽培し、温室では薬草を栽培していた。
ジギタリスの花を一輪だけ摘む。花は手の上で砂のように崩れた。
摘まれた後のジギタリスを見る。どこからか風が吹いてきて花を再生させた。
なるほど、やみくものこの空間にある者を破壊しても、再生するか。
温室に行ってみる。
温室は広さ二百mほどと狭い。温室にはやはりハルトの記憶通りの薬草が生えていた。
視界に母の姿がないか探す。
母さんはいない、か。
学者の父に魔女の母。二人は仲が良くなかった。喧嘩をする場面を見た覚えはない。だが、仲良く語らう場面も見た記憶もない。
子供心に「ああ、両親は
幼い頃、自分はなぜ生まれてきたのか、本当に望まれてきた子供なのか、と考えた過去はなかった。
自分は存在する。存在に理由はない。ただ、タンポポの種が地面に落ちて花が咲いたように、ハルトもまた存在する。
自分は道端の草のような存在なのだ。それ以上の価値はないと考えた。
ハルトにも幼い頃の記憶はある。屋敷の管理と世話をするオートマンの駆動音だ。
オートマンは機械仕掛けの人形で、魔法で動く絡繰りである。オートマンなら、単純な家事労働をこなせた。
言葉は魔法で頭に流しこまれ、親から教わらなかった。
勉強も父親の持つ書物が記憶に情報を書き込む。
ハルトは学校教育を受けていなかった。
庭の外には街並みが広がっていた。子供の幻影が見えた時、ハルトは思い出す。
近所の子供たちは冒険者ごっこに夢中だった。
近所の子供たちが空想の世界に遊ぶ姿を見ても、一緒に遊びたいと思わなかった。
理由は一切わからない。だが、説明は付く。
冷めた両親に育てられたハルトもまた、どこか冷めていた。
一度、虐められていた子供に自分は悪魔だと嘘を吐いた。虐められていた子供のために魔法で復讐をした。虐めていた子供を死の縁に追いやった。
その時、虐められていた子供はハルトに泣いて許し請い、虐めていた子供の助命を嘆願した。
ハルトは、虐めていた子供の命はどうでもよかったので助けてやった。
子供たちは和解して虐めは終わった。だが、和解の後にはハルトは不用になった。
ハルトは虐めていたほうからも、虐められていたほうからも疎まれる。
子供たちは忘却の天才だった。
悪魔は去ったとなり、ハルトは忘れ去られた存在になった。
ハルトは道化であり、興覚めした。
家に戻り、食堂に行く。食堂もまた綺麗に清掃がされていた。
娯楽室、図書室、風呂場、トイレ、寝室、父の部屋、母の部屋、兄の部屋、客間、ピアノを備えたミニバー、拷問部屋、研究室、全てがハルトの記憶通りだった。
「参ったな。この家のどこかに、外に出るためのヒントがあるはずなんだが」
正解は思い当たらない。ただ、記憶と大きく違う点は、屋敷を管理するオートマンがいない。
幻影の屋敷なので、管理するオートマンが不要だから存在しないとも考えられる。
いや、違うな。家のエントランスには大時計があった。
機械仕掛けの存在が許されるのならオートマンの存在も許されるはずだ。
大時計にあって、オートマンにないものは何だ?
ハルトはエントランスに行く。大時計をじっと観察する。
しばらく大時計を観察していて気付いた。大時計が時刻になっても鐘を鳴らさない。
音があると、まずいのか。いや、でもミニバーにはピアノがあったぞ。
娯楽室に行き、ピアノの鍵盤を押す。ピアノからは音がした。
音を隠したいわけではないのか。時計がまずいのか。
家を探して時計を探す。すると、エントランスの大時計以外の時計は時を停めていた。
大時計の前面の蓋を開けようとした。扉は閉まったまま開かなかった。
力を掛けても開かない。扉が壊れるほど強く引いて見たが、開かない。
魔力の籠ったエネルギー球体を作り出しぶつける。
大時計は壊れなかった。
試しにエネルギー球体をエントランスにあるソファーにぶつけた。ソファーは折れた。
ソファーは砂のように崩れたあと、風が吹いてきて再生する。
大時計だけが明らかに異質だった。大時計に連続でエネルギー球体をぶつけた。
だが、大時計は無傷だった。壊れもしなければ、再生もしない。
「試してみるか」
ハルトは大時計の両端を掴む。体に流れる呪われた力を大時計に流しこもうとした。
大時計はブルブルと震えた。震動はやがて大きくなる。
押さえているハルトに別の何かの力が逆流してくるのを感じた。
危険と思い、大時計から手を放した。間に合わなかった。
ハルトの体が衣服ごと縮んでいく。ハルトは五分の一のサイズになった。
エントランス中の扉と窓が閉まった。大時計に手足がついて動き出す。
大時計が襲いかかってきた。ハルトは大きく跳躍して攻撃を
魔力でエネルギー球体を作り、連続でぶつける。だが、やはり効果はない。
無駄だとは思うが、火炎球の魔法をぶつける。やはり効果がなかった。
大時計の動きは機敏ではないので、避けるのは簡単だった。
だが、攻撃が効かないのであれば、いずれは捕まる。
普通の魔法は効かない。なら、呪われた力ならどうか。
ハルトは影を伸ばした。ハルトの影が伸びて行き、大時計の影に重なる。
大時計が動きを停めて震動する。
繋がった影を通して、別の呪われた力が伝わってこようとする。
呪われた力と力の鬩ぎ合い。ハルトは初めて本気を出した。
ハルトの影を通して、呪われた力が大時計に伝わる。
大時計が抵抗する力が伝わってくる。
力比べはハルトが優勢だった。だが、気を抜ける相手ではなかった。
誰かがハルトの背後から肩にそっと手を掛ける。誰かが女性の声で囁く。
「もっと、強く力を使いなさい。世界はハルトと共にある」
背筋がぞわりとした。思わず力を抜いて振り返りそうになる。だが、
目の前の大時計は、手が抜ける相手ではなかった。
誰かの気配は、すぐに消えた。呪われた力を全力で大時計にぶつける。
いつも以上に強く力が出せた気がした。
大時計が影に絡め取られる。
ばきばきと音を立て、大時計が潰れて行く。大時計はやがて球体になった。
勝った。でも、さっきの声の主は、誰だったんだ?
振り返って部屋を見渡す。だが、誰もいなかった。
球体になった大時計から禍々しい黒い煙が立ち上る。大時計は黒い宝石になった。
宝石を拾い上げる。宝石が一瞬、光った。
光が消えた時、ハルトは宿屋の一室にいた。ハルトは椅子に座っていた。
傍で寝そべっていたオウラが起き上がり、声を掛ける。
「お帰りなさいませ、ハルト様。何か得られましたか?」
ハルトは手を開く。手の中には黒い宝石が一つあった。
宝石はハルトが視認すると、ハルトの手の中に沈んで消える。
ハルトの体がぽかぽかと温かくなる。心地よかった。
ああ、また一段と呪う力が強くなったな、とハルトは自覚した。
「箱の中にあったのは呪われた力だった」
オウラは微笑む。
「
呪いの王冠を求めるハルトの死は予言されていた。
予言は学者である父が持っていた古い書物に書かれていた。
『王冠の呪いが解ける時、歪なる者は真なる死を迎える』
ハルトは予言を半ば信じていた。だが、結果が死でも破滅でも構わなかった。
「そうだ。ここまでは順調だ。だが、また一歩だ」
オウラが静かに告げる。
「でも、そうなると、ハルト様の邪魔をする世を照らす者が、予言通りに現れるやもしれませんな」
予言には、また、こうあった。
『世界は王冠の呪いを解く者の邪魔をする。光の者が王冠の呪いを解かんとすれば歴史の闇に埋もれた者が立ちはだかる。闇の者が王冠の呪いの解かんとすれば、世を照らす者が野望を挫く。ゆえに世界は平和なり』
「光とか闇とか、お前も、どっちでもいい内容を気にするんだな」
オウラはにやりと笑う。
「私は生粋の闇の者ゆえ、性分ですな。お許しください。でも、ハルト様への忠誠は本物です」
オウラの言葉は本当だと思った。オウラは知りたいのだ。
この世界がどこに向かっていくのか、呪いを解こうとする行為が無駄なのかを。
「腹が減ったな。飯を食いに行こうか」
ハルトとオウラは、食事に行くために宿屋を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます