208bit いっぱいの


 「わざわざ見送りに来なくてもよかったのに」


 「いえ、急でしたが何とか仕事の都合がついたので。 それに、お二人とはもうしばらく会えないでしょうから」


 空港の搭乗ゲート前、律はハジメ、シズクとともにそのときを待っていた。


 時間は刻一刻と過ぎていき、そのときは否応なしに近づいている。


 「四人のことが心配かい、りっちゃん?」


 「えっ……」


 「律さん、とても浮かない表情をしています」


 ハジメとシズクにそう言われた律は、視線をぱっと前に向けた。


 同時に、自分が先ほどまで俯いていたことに気づく。


 「はい……。 あのあと四人がどうなったのか、正直なところ不安でたまらないです。 ……すみません、お二人の見送りに来ている手前で」


 「いや、いいんだ。 で、そのことなんだけど……」


 ハジメはそこまで言いかけると、律のそばまでゆっくりと近づき、そして右手を律の頭の上にポンと乗せた。


 「ハジメさん……?」


 「四人は大丈夫。 大丈夫だから、りっちゃん」


 ハジメの言葉が律の震えた心を優しくなでる。


 きっと、ハジメさんは私のことを落ち着かせようとしてくれているんだ。


 でも、なんとなく……。


 この言葉は根拠なしに発せられたものではないような気がする。


 どこかこう、確信めいたものがあって、とても力強い……。


 「ハジメちゃん、そろそろ行こっか」


 モノクロの電光掲示板を眺めながらシズクが言った。


 ああ、もうそんな時間になってしまったんだ。


 もう、二人とはしばらく会うことができない。


 それはとても辛いこと、だけれど。


 それ以上に辛いのは、MANIACの四人がハジメさんとシズクさんに会えなくなるということで……。


 結局あのときが、最後のひとときになってしまうなんて……。


 「そうだね。 それじゃあ、私たちはもう……」


 「……? どうしたんですか?」


 声が途中で止まったことに違和感を覚えた律は、視線をハジメの顔に向けた。


 大きく見開いた目、小さく開いた口。


 ハジメは一点を見つめたまま固まっていた。


 律の視線は、自然とハジメの見つめる先へ移動する。


 そこで律がみたのは。


 「間に合ってよかった」


 いつの日か、きらめく太陽のもとで同じときを過ごした六人の姿。


 「全員無事だってことまではわかっていましたが……、まさか空港まで来てしまうなんて……」


 驚いた表情をしていたのはハジメだけでなくシズクもまた同様だった。


 「どうしても、お二人に伝えたいことがあったので」


 そう言ったのは、六人の中央にいた糸だった。


 九人を取り巻く空間に、わずかな静寂しじまが訪れる。


 「……それは、君たちを残酷な運命から救ったことへの賛辞かい? それとも、君たちの運命を勝手に変えたことへの非難かい?」


 ハジメの口ぶりは、それがどんな内容であっても真摯に受け止めるという覚悟を表していた。


 「いいえ、どちらも違います。 私が伝えたいのは、お二人への感謝です」


 「感謝……」


 糸の予想外の応答に、ハジメとシズクは互いの顔を見合わせる。


 「ハジメさんとシズクさんがタイムマシンを作ったというのは本当かもしれません。 そして、私たちの起こりえた運命を変えるための計画を実行していたのかもしれません。 でも一方で、その話は丸ごと嘘であるかもしれません。 なんたって、タイムマシンなんて非現実的な単語が飛び交っているんですから。 なので、あの話を信じるのも、信じないのも、すべて自由なんだと思っています。 ですが、ただひとつだけ、たしかにそれは真実であるといえることがあります」


 糸は大きく息を吸って、呼吸を整える。


 「それは、ハジメさんとシズクさんが、今の私たちを繋げてくれたということ。 お二人がいなければ、私はみんなと今の関係を築くことはできなかった。 この愛しい時間を過ごすことはできなかった。 それが、運命を変えるためだったとしても、そうじゃなかったとしても、ハジメさんとシズクさんは、私にいっぱいの幸せをもたらしてくれていたんです。 だから」


 糸はハジメとシズクをまっすぐに見つめ、しっかりと口を結ぶ。


 心の奥底からみなぎる透き通った感情を、言葉に乗せて。


 「ありがとうございます。 お二人に出会えて、本当によかったです」


 糸は言い切ったあと、首を少しだけ傾けて、やわらかく笑った。


 その笑顔は、まさしく今この瞬間の幸福を余すところなく描いていた。

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