109bit change


 晩ご飯を食べ終えた糸は、自室でスマホの英単語アプリと格闘していた。


 「え、ブックって『本』以外に『予約する』っていう意味もあるの? ダブルブッキング……。 言われてみれば……。 簡単な単語だっていうのに、ぐぬぬ……」


 簡単そうにみえる問題ほど、実は難しいんだよ。


 アメリカへ留学にでも行ったら?大場糸。


 糸は井倉にそう揶揄やゆされているような感覚におちいった。


 イクラちゃん、ひと言余計だよっ。


 でも、そもそもイクラちゃんは英語わかるのかな……。


 っていけないいけない、せっかく気をまぎらわすために勉強しているというのに。


 糸は妄想を振り払うように首を動かし、気を取り直して次の問題に移った。


 「次は……チェンジ? チェンジって、『変化する』、だよね……。 え、『小銭』って意味もあるの?! 嘘だ……」


 答えがどうもに落ちない糸は、一度スマホのホーム画面に戻り、今度は辞書アプリを開いた。


 検索エンジンに『change』とスペルを打つ。


 検索ボタンを押すと、すぐにチェンジの意味がズラリと並んだ。


 「本当に、小銭なんだ……」


 糸の頭の中で、銀色と銅色の硬貨が思い浮かぶ。


 すると、ふとある記憶が勝手に呼び起こされた。


 それは、駄菓子屋でのひとコマ。


 もう小銭では駄菓子を買うことができなかった。


 できるのは電子マネーのみ。


 いつからか、小銭は電子マネーに変化していた。


 その事実を知った時、もちろん時代の移り変わりに追いつかなければいけないという焦燥感にも襲われた。


 しかし、それよりももっと別の感情が、心の大半を占めていて。


 形ある物はいつか必ずその姿を変える。


 お金だって、カメラだって。


 そして、本だって。


 今まで当たり前のように存在していた物の形は、ある日を境にその姿を徐々に徐々に消していく。


 それはまるで、暗礁あんしょうにぶつかった船が水底みなぞこに沈んでいくかのように。


 唐突に、残酷に、ぶくぶくぶくぶくと。


 その光景に、人は何を想うのか。


 きっと、イクラちゃんは。


 きっと、みんな同じではないだろうか。


  「にゃー」


 スマホの内側で、自由気ままにネコが鳴いた。


 糸はねこチャットの通知に気付く。


 メッセージはMANIAChatてに送られていた。


 真衣にゃん:糸が求めている情報じゃないかもしれないけど、現時点でわかったことがいくつかある

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