102bit 潜水


 「……大丈夫ですか、イクラお嬢さま」


 左門はハンドルを握りながらバックミラーに目を配る。


 後部座席の背もたれに寄り掛かる井倉は、ぐったりとした様子で窓の外を眺めていた。


 日は落ちきっていないものの、明かりがそこらへんでポツポツととぼり始める、そんな頃合い。


 運転する車のフロントライトは勝手に光っていた。


 「あぁ……問題ない。 その……サモンには色々と迷惑を掛けた。 すまない」


 「とんでもないことでございます。 明日は朝早くから撮影の仕事が入っていますが、お疲れのようですし、キャンセル致しましょうか」


 「いや、身勝手な理由で仕事を休みたくはない。 そのままのスケジュールで頼む」


 「かしこまりました」


 左門はウインカーをあげ、右にハンドルを切る。


 ふたりを乗せた車は、しばらく信号のない直線道路に差し掛かった。


 次の瞬間、左門は両手をハンドルからパッと離し、アクセルを踏んでいる右足の力をスッと抜いた。


 車はというと、ハンドルを細かく揺らし、前後を走る車の距離感やスピードに合わせながら、自動的に自らの位置を微調整している。


 じきに私は運転をしなくてもよくなる、らしい。


 「サバ読みの発表まであと三日、ですね。 イクラお嬢さまは……どうなさるのですか」


 「私は……ギリギリまで戦うつもりだよ」


 イクラお嬢さまであれば、必ずやそう返事するだろうとは思っていました。


 責任感や使命感が人一倍強いのは、幼き頃から何ひとつ変わっていません。


 本当にあのお方とそっくりです。


 昔から本が大好きだったイクラお嬢さま。


 ここ最近は、ずっとサバ読みのことで悩んでおられますね。


 その疲労が日々蓄積されているようで、こちらとしてはとてもいたたまれない思いです。


 「ちなみになんだけど……サモンが私の立場なら……どうする?」


 井倉がそろそろと質問した。


 私はイクラお嬢さまがなぜそこまで懸命になっているのか、およその察しはついています。


 イクラお嬢さまが激昂したあの時、私がMANIACの方々にお力添ちからぞえすることもできましたが……。


 私、口止めされているんですよ。


 助言を伝えることもできず、ただじっと見守っているだけなのは、何とも息苦しいです。


 ですが。


 「そうですね……私はきっと……」


 左門は言い切る直前にある音に気づき、耳を澄ませた。


 あどけないメロディが車内に流れている。


 左門はもう一度バックミラーを見た。


 バックミラーには、目を閉じてすぅすぅと寝息を立てている井倉の姿が映っていた。


 「イクラお嬢さまと同じ行動を取るでしょうね」


 まもなく車は岐路にたどり着く。


 左門はハンドルを握り直した。


 進めば進むほど暗くなる水の中を、左門は息継ぎせずに潜り続ける。

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