第95話 マスター・トウケン・ランブマル

「っと……」


 俺は海水を多く含んだ砂浜に着地した。

 リヴァイアサンが討伐されたことで、嵐は収まり、曇天模様の空はすっかり明るみ始めていた。

 

「さてと、爺さんはどこだ」


 俺はほっと息をつき、周囲を見回す。

 海沿いの家々の殆どが倒壊しており、リヴァイアサンがもたらした被害の大きさがわかる。

 本命の爺さんは……いたいた。

 何やら作業をしているみたいだ。


「……口の中に入って何をしているんだ?」


 俺はしゃがみ込んで、ぽっかりと開かれたリヴァイアサンの口の中を確認した。

 リヴァイアサンの喉元からはグチュグチュと肉を断つ生々しい音が聞こえるし、辺りには潮風と血が混じった酷い悪臭が漂っている。

 一体何をしているのだろうか。


「———これじゃ!」


 そう聞こうと思ったその時。

 爺さんはガバッと一気に口の中から飛び出してきた。

 右手には血だらけのナイフ。左手には小さな麻袋。全身は真っ赤に染まっており、どちらも同じく血濡れている。


「何をしていたんですか?」


「ふっふっふっ」


 俺の問いに爺さんは不敵に笑うと、おもむろに麻袋の中をこちらに見せてきた。

 今の能天気な顔をした老人の姿は、筋骨隆々とした大男の姿とは真逆とも言える。


「……宝石? なんですか、これ」


 そこに入っていたのは透明な球体だった。数は十個ほど。大きさにして直径三センチほどで、見ただけでそれがなんなのかはわからない。


「これはジェイプに伝わりし古の丸薬。お主らが求めていたものじゃよ」


 爺さんは「おそらく、これはヤツが水塊を創り出すために使っていた器官じゃな」と言葉を付け加えた。

 こんな小さな球体から、あんな禍々しい水塊を創り出すとは……。

 頭上に顕現させていたので、ブレスではなく魔法の類だろうか。


「あ、もしかしてそれがウェイクアプの丸薬!?」


 確かそんな名前だった気がする。

 これは俺がここにきた全ての理由だ。


「なんじゃそれ? 過去の文献によると、これは”秘薬”というらしく、具体的な名前などはないそうじゃ。ちなみに効果も不明じゃが、過去には人を死に至らしめる厄介な呪いすら完璧に治したことがあるらしい……」


 俺の言葉を一蹴した爺さんは、神妙な面持ちで語り始めた。

 ウェイクアプの丸薬どうのこうのについては、これまた適当な嘘だったのだろう。

 まんまと爺さんの手のひらの上で転がされている。


 それより、これを使えば三人を目覚めさせることができるのだろうか。試してみる以外に方法は無さそうだな。


「譲ってもらっても?」


「うむ。好きなだけ持っていくといい。そういう約束じゃったからのぅ」


「では、お言葉に甘えて」


「それだけで良いのか?」


「ええ、十分です」


 俺は麻袋の中から四つ秘薬を取り出した。

 三つはアンとシフォンとレナのため。もう一つは念のため。

 これが名前の通り絶大な効果を秘めている場合は、一つくらいは持っておきたかったからだ。


「其方は業物の刀を受け取る対価としてワシの願いを叶え、最後は薬を譲渡する。これで約束は果たされた。リヴァイアサンを、ワシの仇を討ってくれたこと心から感謝する」


 これまでの惚けたような態度から打って変わって、爺さんは真摯な瞳でこちらを見てきた。

 

「爺さん……いえ、マスター・トウケン・ランブマルと呼ぶべきでしょうか。こちらこそお世話になりました」


「……その刀、名をつけて大切にしてやってくれ。ではな」


 礼を述べた俺を置いて、マスター・トウケン・ランブマルはこの場を後にした。

 その口調からはどこか寂しさを感じさせた。


 もしかすると、全盛期の彼は今のSランク冒険者以上の実力があったのかもしれないな。


「名前、か」


 俺がぼそりと呟いて刀を一瞥すると、街の方からドタドタと砂塵を巻き上げながら何者かが接近してきた。


 あれは……サスケか?


「旦那ぁぁぁぁぁぁぁっ! ご無事でしたか!?」


 サスケは焦った顔つきで俺ににじり寄ってきた。


「あ、ああ。難敵だったが、何とか討伐したぞ。サスケは何をしていたんだ?」


 サスケにはマスター・トウケン・ランブマルの見張りを任せていたはずだが……。


「某が家の外で見張っていたところ、突如としてあの老人が姿を消したのです。空模様もかなり怪しく、海は轟々と音を立てながら荒れ狂っていましたので、おそらく一人で逃げたのだろうと考えました」


 サスケは顎に手を当てて考える。

 ここに来る途中、すれ違わなかったのか。


「でも、あの家には裏口はない」


「その通りです。単なる予想ですが、あの老人は某が一瞬空を眺めた隙に外へ出たのです。そして、数分後に気配がないことに気がついた某は家の中を見て唖然としました」


「どうしてだ?」


 話のオチは既に知っているが、サスケがいつもよりも豊かな表情で話しているので続きを聞いてみる。


「あの老人は刀なんて全く打っていなかったんです。それに旦那も業物だとおっしゃっていた一振りの刀がなくなっていたんです……。まんまと逃げられてしまいました」


「ふふっ……そうだな。俺もあの爺さんにはしてやられたよ」


 申し訳そうなサスケを見て思わず笑みが溢れた。

 お前にもそのうちわかるさ。彼の正体が。

 同時に海の向こうから日が昇り始め、ジェイプを明るく照らす。


「逃げられてもよかったのですか?」


「目的の物は手に入ったから気にするな」


 俺は右の手のひらの中にある四つの秘薬を胸元にしまいこんだ。

 これは大切に持ち帰ろう。


「さあ、エドジョウへ向かおう」


 リヴァイアサンが討伐されたことは既に皆が把握しているはずだ。


「……はい。某はまたしてもお役に立てませんでした」


「別に俺のために何かする必要はないと思うぞ。サスケはサスケのやり方で”何か”を還元してやればいい」


 俺は縮地と刀で強大なモンスターを討伐できるが、魔法やその他のことはからっきしだ。

 全てを完璧にこなす人間など、俺は一人しか知らない。


「そう、ですか」


 サスケは思い詰めたような表情だったので、俺は先んじて歩き始めることにした。


 早く本土に帰還し、三人のことを目覚めさせる。

 フローノアに到着したら、思い出話に花を咲かせながら早くみんなで冒険がしたい。

 昼頃にはグルーヴが迎えに来てくれるはずだ。

 ジェイプに留まって交友を深めるのも悪くはないが、諸々の要件が済んだら早いうちに帰還するとしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る