第49話 悲しみの感情

「大丈夫?」


「ああ……少し驚いただけだ」


 何度見返してもそこにある文字が変わることはなく、俺の感情は悲しみというよりも驚きが先行していた。


「それと、こっちの紙も見てほしいんだけど」


「これは?」


 サクラは魔王城の遠征について記された紙とは別の紙を渡してきた。


「魔王自身が大量の魔力を込めて創り上げた強力なモンスターが放たれたらしいわ。帰還したSランク冒険者の方々からの情報だから、かなり信憑性は高いわね」


 魔王が僅かな魔力を込めて生み出されていると言われている多数のモンスターにさえ苦戦している人類が、それ以上の脅威に立ち向かうことができるのだろうか。


「かなり危険だが、目撃情報はあるのか?」


「王都の周辺で禍々しい漆黒の羽が生えた悪魔のようなモンスターが目撃されたみたいだけど、フローノアの近郊ではないから大丈夫だとは思うわ」


 サクラが神妙な面持ちで言った。

 周囲の喧騒はサラリーが死亡した件と、この情報のせいだったのだろう。

 今も尚、喧騒は止むことを知らず、冒険者たちの表情には悲しみや絶望の感情が垣間見える。


「……そうか」


「え? もう帰るの?」


「ああ。またな」


 俺は複雑な感情を胸に抱きながら、ゆっくりとギルドを後にした。


 悪魔のようなモンスターがフローノアまでやってくることを想定しておいた方が良さそうだ。





「——ということで、ことが終わるまでは冒険者活動を休止することにした。ここまで何か質問はあるか?」


 俺は屋敷のリビングにアンとシフォンを集めて、今後の活動方針について伝達していた。


「はい!」


 アンが手をビシッとあげて、元気な返事をした。


「なんだ?」


「レナとルークさんはどこに行ったの?」


「二人は街で商売をすることになった。レナはそこに住み込みで働くみたいだし、ルークは俺たちとは関係なく冒険者活動を暫くの間は控えるそうだ」


 ルークの事情を詳しくは知らないが、今回の件とは関係なく、領主様との間で何かがあったのだろう。


「え! それって私たちも手伝っていいの?」


「レナが承諾するならいいんじゃないか? もう外は暗いから明日の朝早くから訪ねてみたらどうだ?」


 俺は机を乗り上げるようにして顔をグッと近づけてくるアンの頬を指でつまむ。


「むぅぅ……いひゃいよー」


「シフォンは何か質問はあるか?」


「む、無視!? 手ははにゃしてくれにゃいの!?」


 俺はアンの頬を指でつまみながらシフォンに問うた。


「静かにしろ。ご近所さんに迷惑がかかるだろ?」


「あ、解放された! って……屋敷の周りは家どころか人っ子一人いないよ!」


「そうだったな。シフォン? 何かあるか?」


 アンの頬から指を離し、適当に遇らう。


「タケルさん……」


「なんだ?」


 ムキーっと怒るアンを他所に、シフォンが弱々しく俺の名前を呼んだ。

 何を言いたいかはすぐに分かったが、俺は平然を取り繕って聞き返す。


「……サラリー様は本当に……」


「ああ。他の四人のSランク冒険者からの報告だ。残酷な結果だが、受け入れるしかない」


 シフォンは悲しみに満ちた表情と声色だった。

 憧れの冒険者の死を易々と受け入れることなんてできないのだろう。


「……タケルさんは悲しくないんですか?」


「どうしてだ?」


 そういえば、俺の感情はどうしてしまったのか。

 悲しくないといえば嘘になるが、それは日常に支障をきたすほどではない。


「元パーティーメンバーが死んでるのに、涙を流さないんですね……」


 シフォンは両目から大粒の涙を流していた。


「……まあな」


 俺は以前まで自分勝手な理由で『漣』のことを一方的に恨んでいたが、今は違う。

 完全とまではいかないが、ある程度は割り切っており、未練は断ち切ったつもりだ。

 残酷で非道な考えかもしれないが、今の俺からしたら『漣』と言う存在はあまり重要なものではないのかもしれない。


「ふ、二人とも? い、いきなりどうしたの?」


 これまで静観していたアンが俺とシフォンの顔を交互に見ながら、戸惑いの声を上げた。


 ギスギスした空気感ではなく、何か意見の食い違いのような、互いの感情がすれ違っているようだった。


「——ごめんなさい。僕は暫くレナのもとで暮らしたいです……」


 シフォンは勢いよく椅子から立ち上がると、俺の顔を一瞥もすることなく、深い闇で覆われた屋敷の外へ走り出していった。


「ちょっ、シフォン!? タケルさん、シフォンが心配だから私もついていくね!」


 そんなアンもシフォンのことを追いかけるようにして、バタバタと出ていった。


「……」


 途端に屋敷は静寂に包まれ、久しぶりに様々な喧騒から孤立してしまったような感覚に陥った。

 食卓にはまだ手のつけられていない温かい食事が並んでいる。


「——俺はいつからこんな人間になったんだろうな……」


 小さな声で呟いた俺の言葉に反応する人物は誰もいなかった。

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