step8.セカンド(2)

「やられたね」

「すまん」

「見る目が鈍った?」

「申し訳ない」

「しょうがない。こういうこともあるよね」

 三咲は苦々しげに、だが気持ちを切り替えるようにすっぱり言う。それで由基も何回かけても反応のない番号に電話をするのはやめた。トンズラした人間を追いかけても仕方ない。現場は今動いているのだ。


 通りに面した店頭に臨時のショーケースとアイスケースが置かれ、興味を持った通行人は呼び込まなくても近寄ってきてくれるが、素通りする人間にもどんどん体当たりしていかなければ目標の集客は見込めない。それがマネキン(試食販売スタッフ)の役目となるわけだが。


 由基が見込んで採用した二十三歳のWワークの女性は健闘してくれている。しかし一人きりでは取りこぼしが多い。やはりもう一人くらいいなくては。

 だが臨時レジでの客の対応には販売スタッフが既に二人がかりで呼び込みにまわる余裕はない。他の商品も見ていこうと店内に入る客足も多く、中のスタッフもてんてこまいだ。そもそも、今日はフルメンバーに出勤してもらっていてヘルプの当てなどない。


 いや、あるにはあるか。思いつきはしたが、それを実行するかどうか由基は迷う。


「もうさ、あんたがやれば、呼び込み」

 いかにもめんどくさそうに提案する三咲に由基は真面目に返事をする。

「うちが八百屋か魚屋なら良かったがな」

 三咲はショートカットの髪を揺らして大きくため息を吐き出し、それならとおもむろに腰に手をあてた。

「しょーがない、ここは私が」

「いや」

「え」

 責任者が自らやる気になってくれているのに申し訳ないが。

「もっと適任者がいる」


 由基は込み入っている店内の端を通って製造室へと行った。琴美はジュレのカップに生クリームを絞り出していた。

「ことちゃん、それが終わったら少しいい?」

「はい」

 琴美の作業に区切りがつくのを待ちながら由基はざっと状況をチェックした。今日は店内製造は最初からあきらめ、普段はここでデコレーションしているケーキ類も工場品を仕入れてある。今日の製造の仕事は商品を解凍して仕上げの生クリームとフルーツを乗せるくらいだ。それだけなら由基はもちろん三咲にだってできる。

 販売スタッフがすぐに補充で持っていけるように、製造室のチルドケースにはディッシュに並べた商品が既にぎっちり準備されている。


「ことちゃん、頼みがあるんだ」

「なんですか?」

 改まった様子の由基に琴美は目を丸くしている。

「マネキンさんが一人来てないの、知ってるよね。連絡もつかないしもう来ないだろうなって」

「そうですね……」

「それで、ことちゃんにピンチヒッターになってほしいんだ」

 琴美はえ、と帽子とマスクの間の瞳をもっと見開いた。


「商品のアピールなら、臨時の人よりことちゃんの方が的確にできるだろうし。呼び込みに反応して試食に来たお客さんの相手をことちゃんがしてくれればいいと思うんだ」

 以前、接客は怖い、自信がない、と琴美はもらしていた。黙々と作業ができる製造が好きなのだと。それを覚えてはいるけれど、今は琴美に試食担当になってもらうのがベストなのだ。由基はそう信じて頭を下げる。

「ことちゃん、お願いします」


「……ヒドイです」

 冷ややかな声にぎくりとなって由基は琴美の顔を見た。見開いていた瞳が潤んでひしゃげていた。

「店長はヒドイです」

 繰り返され、由基は途方にくれて今にも涙がこぼれ落ちそうな琴美の瞳を見つめ返した。

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