奏でよ愚か者

海老原ジャコ

第1話  からんからん

 からんからん。


 人間とはどうしてこんなにも愚かなのか。

 大切だ、そう分かっていても実のところ何も分かっていない。

 それはわかった気になっているだけで大抵は失ってから気づくものだ。

 そして失ってから気付いたところでもう遅い。当たり前にそこにあったはずのそれはもう何処にもない。

 故に人間は愚かだ、と俺は思う。


 からんからん。


 だがここでもまた、失った、そう思っているだけで実のところ何もわかっていない。

 「何か」を失った人間はどうするのかというとまた他の何かで埋め合わせをしようとする。

 そして幾度の試行錯誤の末悟るのだ、「何か」は唯一無二で代用が不可能であることを。

 そこで初めて本当の意味で失ったと気づく。

 故に人間は愚かだ、と俺は思う。


 からんからん。


 そして俺もまたその愚かな人間の中の一人。

 心にぽっかりと開いた穴を慰めるように空虚な音が響き、四方に囲まれた壁に跳ね返りまた俺に返ってくる。


 もはや俺にはどうすることもできない。

 失うとはそういうことなのだ。


 やり場のない感情から手に力が入り、握っていたレシートに皺が寄る。

 いくらレシートが束になろうとも代用はできないのだと嫌でも理解し絶望の二文字がありありと脳内に浮かぶ。


 「こんなはずじゃ、なかったんだ……」


 今更後悔しても遅い。

 一階のトイレは比較的空いているからなんて惰性が招いた結果がこれだ。

 そんなこと分かっている。いやこれも分かった気になっているだけなのかもしれない。

 薄暗い照明の下、俺はもうないことは分かっているはずなのに空になったトイレットペーパーの芯に手を伸ばし、そして離した。


 からんからん。

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